真実の修行とは

しばらくぶりで御開山の「正法眼蔵随聞記」を開いてみました。巻の十一にある文章に
出会いました。

一日弉問云、叢林の勤学の行履と云は如何。
示云、只管打坐也。或は閣上、或は地下にして、常坐をいとなむ。人に交わり
物語をせず、聾者の如く痴者の如くにして、常に独坐を好む也。

勤学(ごんがく)~修行に励むこと。行履(あんり)~日常一切の行為。

永平二祖孤雲禅師が開山道元禅師に折に触れて耳にした教えを綴ったものが「
正法眼蔵随聞記」です。大変有名な書物で、広く一般にも知られた書物です。

先日団参の帰り、良寛和尚の記念館を訪れましたが、この良寛和尚こそは
生涯只管打坐を実行された第一の人物といえるでしょう。

坐禅の生涯を孤独のうちに生き抜いた真の禅者ですね。こういう生涯を送った

宗教者を散聖(すてひじり)といいますが、寺の住職にもならず特定の説法をするでなくとも
その周囲にはおのずとその徳化が及んだために今日までも全国から慕われて

います。坐禅の宗教を生き抜いた禅者であり、坐禅を説教した人ではありません

が、まさにそのこと故にいっそう思慕の念が強く思われます。