尊徳二宮神社

先日訪ねた報徳二宮神社には尊徳を主神として長男尊行と富田高慶が脇神として祭られている。
創建は明治30年11月14日。祭日は10月20日となっている。その日は尊徳翁の命日である。

場所には法号の 誠明院功誉報徳中世居士と刻み込まれている。尊徳翁の遺言としては
「予が死近きにあるべし。予を葬るに分を超ゆる事なかれ、墓石を立る事勿れ。碑を立る事勿れ。

只土を盛り上げて其の傍らに松か杉を一本植え置けば夫にてよろし。」(相馬藩士伊藤発身)

しかし遺言ではあっても尊徳夫人の意思で現在のような円形の墳墓のまえに戒名を刻んだ石が

建てられた。法号の 誠明院は中国の古典「大学」の冒頭句「大学の道は明徳を明らかにす」から

引用されたものだろう。「大学」は苦学していた少年金治郎が愛読したいた古典である。
富田高慶は相馬藩士出で尊徳翁門下筆頭の門人として、また尊徳の伝記として定評のある「報徳記」

の著者としても知られている。富田が尊徳の長女文と結婚したのは39歳で文は29歳。当時にしては

晩婚だった。相馬での結婚生活は短く文子の妊娠中に腎臓炎を併発。6月5日に死児を分娩し、7月7日わずか

一年半の新婚生活だった。墓は相馬市内の蒼龍寺(曹洞宗)が管理する共同墓地にある。富田は

相馬仕法の立役者であり、甥の斉藤高行とともに尊徳翁の鉢を継いだ相馬の偉人といえる。