新着情報

「煌心書道会」昇格試験の課題作品です

長年会員となっている「煌心書道会」ですが、今年も挑戦することにし、ようやく課題を完成させました。条幅を楷書・草書それに隷書のそれぞれ三体。

長条幅は書体自由ですが文字数に制限があり最低65文字から120文字以内でしあげること、となっています。例年この試験は春彼岸後に締め切られます。

楷書課題は九成宮霊泉銘、草書は王羲之筆とされる十七帖そして隷書は後史晨碑でいずれも古典の臨書作品です。超条幅では隷書で蘇東坡の前赤壁賦を仕上げました。

       

煌心書道会では最初五級から入門し4・3・2・1級と進みます。それ以後は年一回のみの昇格試験を受験して初段から十段まで進みその後推薦、その上の準成範最後の成範となります。

小生の課題は準成範用で、無事合格すれば成範となります。成範合格基準は四作の平均点数が百点満点中の99点以上にならないと不合格となり、再度挑戦することになります。

書道の世界に深くなればなるほど鍛錬しなくてはなりませんが、それがまた楽しみでもあります。

日本ハム新庄新監督の野球愛

日本ハムの新庄新監督の発言がめっぽう熱いですね。今朝の産経新聞でしりました。TVなどでは”ビッグボス”が監督の通称になっていますけれど、その発言にはハッとさ

せられる名言があるという記事。以下に紹介します。

 「夢をつかむためには、まず周りに発信すること。(中略)失敗しないためには、失敗しない準備をしておく。なにかをやってもらう方法とは、まずじぶんからやること。」

 「努力をしてない人間ほどすぐ人のせいにし、不貞腐れ自分から逃げる。」

 「地道な努力こそ派手になれる。派手になれば、周りが見え出す。周りが見え出せば、大人になれる。でも心は少年で生き続けたい」

 「努力は一生 本番は一回 チャンスは一瞬」

これらの発言を見て、野球音痴の小生も今年は日本ハムの試合を追いかけたくなりました。

新しい観音様が二体入荷しました。

壽新春

令和4年を迎えて三日がたとうとしております。お正月の読書始めにとおもい、長年愛読している月刊致知をひらいてみました。特集に素晴らしい記事がありましたので、抜粋引用し新年の挨拶とします。

 高橋さんは十歳の時、大東亜戦争で父親を亡くした。母親は三人の子をとても育てられないと思い、秘かに一家心中を考えた。
 ある日、玄関に一枚の紙切れが挟まれていた。それにはこう書かれていた。「あなたには三つの太陽があるじゃありませんか。いまは雲の中に
 隠れていても必ず光り輝くときがくるでしょう。それまでどうか挫けないで頑張って生きてください。」この手紙に母親は
気を取り直し、一家を養うために身を粉にして働き始めた。この体験が高橋さんの生涯を貫くお節介(ちょっとした親切)の
原点になったという。その母親が常に言っていた言葉がある。「天知る、地知る,我知る。どんなに貧しくなろうとも心まで
まずしくなってはならない。」どんな言葉を支えにして実行しているか。その積み重ねが人生を決することをわすれまい。

柚子を収穫しました

高原の紅葉が一段と進みましたが、お寺の境内では柚子が盛りで多くの黄色い身がたっくさん。いっぽう、別の柚子は獅子柚子のどでかい物がたわわになりました。。

というわけで、さっそく収穫してきましたので、披露します。

『十文字こと伝』を読む

山間の紅葉も見頃をむかえました。町の高等専門学校校門にある銀杏並木の素晴らしい黄色も絶好調❢いよいよ深秋の時期がすぐそこまでやってきました。

というわけで、あちこち紅葉見物もいいのでしょうが、私は読書に向かっております。今日お勧めしたい一冊は『十文字こと伝』。明治二年生まれの十文字こと女史84年の伝記です。
本邦最初の国民体操といわれる自彊術を創立年度より一貫実践している十文字女子学園の創始者です。当初は文華高等女学校としてその歩みをし、大東亜戦争末期の東京空襲で校舎を廃絶
するという憂き目にあうも再建を果たします。再出発をしたときは女史はすでに75才という高齢者。校長先生として自ら朝礼の習慣となっている自彊術を率先垂範。

女史の女子教育にかけた尊い生涯が活写されています。来年には創立百周年という節目を迎える十文字学園のモット-は「身を鍛え心鍛えて世の中に生きてかひある人と生きなむ」です。
創立以来大正・昭和・平成そして令和と続く女子教育の原点に屹立している十文字こと先生の尊い生涯を知った今年の秋は大きな収穫となりました。

   

 

書道研修会秋本番❢

 コロナ禍が収まりそうな日常が続く24・25と所属する煌心書道会(本部東京)の練成会がが二本松市光雲閣において開催。宿泊者8名を含め総勢14名ほどが参加。書道愛好者による熱気を帯びた研修が無事終了しました。

 毎年恒例の煌心展は今年で40年の節目となり私たちの作品作りにもこれまで以上の拍車がかかりました。光雲閣は標高700mほどの山間にあるホテルです。その看板は松本芳翠先生による見事な書ですしその高弟である山田松鶴先生(鶴心書道会長)ご逝去後その団体を煌心書道会として継承された松崎龍翠現会長による懇切丁寧な指導に出席者一同感激。

書道の奥深さをあら  ためて深く噛み締めた充実の秋の研修会でした。

松本芳翠(書家)とは

村上華岳を観よう

茨城県天心記念五浦美術館> 展覧会>企画展 (ibk.ed.jp

 自民党総裁選もおわったところですが、いつしか芸術の秋となりました。隣県にある県立天心記念美術館では秋の企画展が開催中です。先月まではコロナ禍の影響で臨時休館中でした。この展示ではなんと

村上華岳の仏画が登場。あの不世出の孤高の画家の作品を今展示で直に拝見することができるんです。これってすごいことです。華岳の宗教的境涯については名著『画論』を一読すれば納得できますので、その中から任意に選んだ言葉を紹介します。

     霊昭不昧

   明らかなる心の鏡に天理はうつるなり

   天理のまヽ自己を捨てよ

   天理のために死ぬること

   曠々たる天理に身をうちまかせる。

 

   生命の流れ、旋律。

   何物をも恐れぬ。

   何物をも頼まぬ。

   天心獨朗の、荘厳な、雄渾な、雄偉な、純粋な、清浄な、高邁な

 

  天を観よ、雲を観よ、山嶽を観よ、水流を観よ。其等は何か啓示を吾に與ふ。

 

第38回産経国際書展東北展が開かれます❢

今年の東北展の地方最高賞である伊達政宗賞は漢字部門では中西儷さん(50)が受賞されました。いわき市出身だそうです。おめでとうございます。今朝の産経新聞にその受賞作品が四段抜きで紹介されていました。お若いのに凄い賞をとられたわけです。

 ところで、産経国際書展では最近いわき出身の書家が大活躍されています。昨年は東海林白扇さんが無鑑査会員部門で最高賞の産経大賞を受賞されました。一昨年の第36回展では鈴木葉光さんが審査会員部最高賞の伊達政宗賞の栄冠を獲得しました。お二方は小生が所属する煌心書道会の幹部で尊敬する大先輩です。

 今年の東北展では上位特別賞受賞作、書会幹部らの作品など204点が展示。小生の臨書作品も一般公募部で秀作に選ばれたので東京展示に続き掲示されます。奥深い書道ですが、こうして同じ地区で活躍される立派な書道家がおられると日々の勉強の励みになりますし、心強く感じております。巡回展は仙台市青葉区のせんだいメディアパークでこの17日から22日まで開催です。

 

真言宗青龍寺落慶法要

前日の雨が心配でしたが、落慶法要当日は全くの晴天。150分に及ぶ大法要が無事終わりました。和尚は36名、関係者や信者は200名ほど参加。五重塔の落慶法要にも
招待を受け、感動したのですが今回もまた素晴らしい儀式に参加でき家内ともどもこの盛大な法要に参加できたのは幸いでした。

小生がお祝いの漢詩で「東北無双大日ノ郷」と起句に述べましたがこの度の中門落慶で
真言宗易行派の大本山に相応しい伽藍が完成したことになります。開山織田隆弘老師の
発願が弟子である織田隆深・隆玄両老師に引き継がれ東北無双の大伽藍美が完成しました。法要の御導師は高野山真言宗宗務総長添田老師でした。

初夏ですね‼

五月の大型連休が始まりました。今年は雨の予報が続いています。しかし、雨によって木々の緑のグラジュエ-ションはその素晴らしさを惜しげもなく私たちに曝してくれています。朝五時台に周辺の道路をドライブしました。

 みずみずしい新緑の美しさがきわだっており、二週間ほどの桜に負けない美しさです。
境内のつつじやその他の名前も知らない草花も笑顔そのものです。いい季節になりました。初夏のご馳走ですね‼

 

吉田富三先生の言葉

世界的な病理学者として名高い吉田富三先生(1903~1973,明治36年~昭和47年)は福島県石川郡浅川町出身の医者です。癌研究の先駆的業績として知られる吉田肉腫には先生の名前がついております。先生が生前ご自身の手帳に書きつけられていた詩や随想が今年一冊本『蜘蛛の子よ』となって出版されましたので、その中からの文章を抜き書きして紹介します。

二つの義務

 自分の力五分、他の恩恵五分である。見方によっては、自分の力は一分、他の恩恵は九分である。すなわち人間には二つの義務がある。 
 自分の生活を全うする義務・・・この世に受けた生命を自ら尊び守り大切にして、一生を全うする義務。
 第二には社会に貢献する義務・・・自分が生きるために社会から受ける恩恵に対して、お返しをする義務。
 この二つは、実は二つに分けられるものに非ず。二にして一である。この意味の個人の生活を全うするためには、何かある技能を身に着けている事が必要である。
  (随想集六 未来ある君たちへ 「入学式の訓示から」)

  吉田富三記念館

 
 

健康寿命への最短の道・自彊術

人生100才が当たり前の長寿国となりつつある我が国ですが、果たして健康で明るい日送りされている老人はそのうちの何パ-セントでしょうか。疑問ですね。


 ここで紹介する自彊術(じきょうじゅつ)を毎日の生活に取り込んで習慣化すると絶大な効果があることが過去100年以上も証明されています。
 今年の発願として、お寺でもこの素晴らしい健康体操教室を開くことになりましたので紹介しました。

 

書道は奥深いものです

書道の道は果てしない。そんな感じです。月例の課題を書いてみました。楷書の
美しさはなんともいえないものです。書道の奥深さを追求する喜びはまた格別のものがあります。

煌心書道会

仙台観光にはこれ‼

仙台市を観光するとさすがに東北一の都市だけあって、見どころはたくさんです。
今回は仙台大観音と輪王寺を紹介します。この大観音は真言宗智山派に所属しております。
 高さ100メートルあり仙台を象徴するふくよかで慈悲深い御顔立ちです。なんでも
日本で二番目に高い観音像らしい。会津の観音様も大きいですけど、じつに見ごたえ十分です。お隣には13階建の仙台ヒルズホテルがあり、ゴルフ場を備えているのでゴルフフアンがよく利用しているのでしょうね。

同じ曹洞宗の名刹輪王寺の庭も一見の価値ある立派な庭園です。
坐禅堂・茶室も備えていて、定期的に坐禅会・月釜や写経会をされているそうです。

福島の偉人「吉田富三博士」‼

福島県出身の世界的病理学者として有名な吉田富三博士の記念館を初訪問しました。
浅川町へはお寺から車で北上することおよそ一時間ほどでつきます。
 医学者としては同県会津出身の野口英世博士が有名ですが、吉田博士も同様に世界的な
病理研究特に癌研究で画期的な業績を残された吾が県を代表する偉人です。

吉田富三博士(明治36年~昭和48年、70才)は我が国で最高権威とされる学士院恩賜賞生前二度も受賞された医学界きっての偉人です。これは歴史上稀有な事例です。
 この度、記念館を訪問する機会があり、記念館でその尊い生涯を詳しく知ることができました。福島県人のみならず全国の方に吉田先生の生涯がもっと注目され広く一般世間に認知されるようにとの強い感動を得ましたので、ご報告いたします。

折しも、浅川町町長さんとも遭遇することがあり、吉田先生の大きな写真を背景に撮影させていただきました。

「煌心書道会」の昇格試験楷書課題です

書道教室でがんばっている生徒さんに楷書の課題を書きました。高貞碑という中国の古典からの出題です。典型的な楷書の代表とされ、多くの書人に愛されてきている書です。

試験があれば、今まで以上に努力するようになります。生徒さんの精進を祈っています。

お手本を書いてみましたので、写真をご覧ください。

「愚公移山」の現代版です

Amazon.co.jp : 空を行く巨人

愚公山を移す」とは

驚くなかれ‼当いわき市にも愚公といわれる御仁がおられるんですね。その方の名は
志賀忠重さん。志賀さんは自宅に桜を植樹するという夢を実現するために日々山の
草刈りに取り組んでいます。もう9年目で来年は10年の節目を迎えます。
 彼のすごい所はなんと近くの山林所有者の許可を得て広大な桜山を創り出したい。
しかも、その数なんと9万9千本。250年かけて植樹する。そんな壮大な途方もない
計画なんです。称して万本桜プロジェクト。市内は勿論県内外からの趣旨に賛同する
ボランティアの方々を巻き込んでの気の長い計画です。既に4000本以上も植樹
しているそうです。なぜ、このようなだいそれた計画を実現しようとしたのか。動機
を知りたいものです。その詳しいいきさつは『空をゆく巨人』(川内有緒著 2018年
大16回開高健ノンフィクション賞受賞)を一読されることで納得されるでしょう。

250年というのは徳川時代が16代続きましたが、その間260年ほど。いかに壮大
で気の遠くなるような取り組みであるかが想像できます。

万本桜プロジェクト

そうです。釈尊のお悟りの聖日。今年もまたこの日を迎えられました。一年は過ぎてしまえば
アッという間の短い日送りです。数日前に切り取った紅葉が美しいです。これは永平寺専門修行
道場の役職を終えたとき、同僚の餞別にいただいた記念樹。永平寺での一期三年間修行僧を指導
し、無事に任期を終了したときの思い出の樹木。もう、20年以上も前のことでした。

あのちっちゃいひ弱な紅葉がこんなにも素敵に成長しているんです。大自然の営為の素晴らしさに
感嘆してしまいます。

産経新聞主催新春展に初入選しました

昨年から全国公募展に参加することにしています。産経国際書展で入選、今回の新春展一般公募でも入選しました。七年前に亡くなられた山田松鶴先生は
楷書日本一と謳われた書家でした。長年主宰しておられた書道誌『鶴心』は没後『煌心』として山田先生の意志を継承した松崎龍翠会長に引き継がれて

きております。松崎会長は産経国際書展の副理事長として後進の指導にあたっておられます。そんなことから月刊誌『煌心』に所属している高段者は
いきおい産経展を目標にして日々研鑽を積んでいます。小生は現在かなと漢字部門の推薦会員となっております。3年前から漢字部門で推薦位のうえに
準成範さらにそのうえに成範位が新しくできました。

 そういうわけで、現在の推薦位にとどまっていないでその上をめざす。そんな決心をしました。ま、令和と改元されたこともあり、自身七十歳を
迎える節目の年でもあるのでさらに精進を重ねることになりました。幸い素晴らしい成績を得られておられる煌心幹部の先生方との交流も得ることができ

書道上達には嬉しい条件が整いつつあります。昨日は東京に上京し産経国際書展新春展の入賞作品を鑑賞してきました。その時の写真を載せました。

  

「昭和的職人気質」を見直そう

竹内洋(社会学者、関西大学東京センタ-長)のオピニオン『「昭和的職人気質」を見直そう』を読んで
我が意を得たり、と感動しました。いい記事を書いていただいたので胸がスッキリ。(1月29日朝刊12版)

小生も限りなく昭和を肌にまとった人間なのだと改めて自覚した次第です。感心した箇所を抜粋して
紹介しておきます。・・・ある高名なピアニストがこんなことを言っていた。

 「あなたは才能(能力)があるから有名になったのだ」と言われるとすごく心外 になる、と。
  自分は一日のほとんどを、ピアノを弾くことに費やしている、ほとんどが努力なのだ」

 目に見えるほどの熟達や改善ではないのだが、かすかな兆しを見逃さなくて、そこを
 大事にしていくのである。・・・日々の努力に、仕事の出来上がりのよさを実感しながら、
 それを喜びとしてさらに熟達に励むということだろう。・・・そう、かつての日本の職場
 にはこのような非凡なる凡人が少なからずいたのではないだろうか。

 「職人気質」とか「職場の生き字引」とかいわれる人々である。かれらの仕事へのモチベ-ショ

 は「気持ちを入れる」とか「こだわり」とかで表現されるものである。ここらあたりに

こそ日本人の勤勉の本領があったはずである。それは、仕事に励み、その改善、
 向上に喜びを見出していくものだが、「私の仕事でのこだわり」といった言葉で表現さ
 れるものだろう。このような昭和的勤労文化を日本人のすぐれた資質として見直し、
 存続させることが大事なのではなかろうか。

 

天下一の名香木「蘭奢待」を鑑賞‼

東京国立博物館では令和の新時代を記念して「正倉院の世界-ご即位記念特別展」が開かれています。すでに20万人以上もの入場者数
があるということで、観覧が躊躇われたのですがわざわざ時間を取ったので出かけてきました。

勇気を出して出かけた甲斐がありました。香道稽古の年数はすでに30年を経過していますが、いつも写真ばかりで
拝見して眺めていた天下一の香木「蘭奢待」を実見できました。この香木が最後に切り取られたのは明治天皇の勅許
を得た明治10年のことです。それ以前は足利義政、織田信長が切り取ってこの名香を聞いたことになっている。

歴史上の人物のみがこの名香を実際に聞いたので、ほとんどその香は香道関係者でも未知の香となっています。
しかし、改元となった今年秋の最大の催しである正倉院御物を直に観賞でき嬉しいひと時となりました。重さ
11キロ、長さ156センチで黒褐色の肌色でしたが、小生の身長とほぼ同じ長さということを知ったのも、興味
をそそられたことでした。

蘭奢待の別名は東大寺です

新そばの季節ですね

もう新そばを召し上がりましたか。11月ともなると各地から新そばを購入してそば打ちを
される趣味人も少なくないでしょう。小生は20年以前にそば道場とかに通って免許皆伝
の許状を頂きました。いまでは年数回機会を見つけてはそば打ちをして楽しんでいます。

昨日は香道と茶道の稽古日。さっそく腕前を披露。みなさんに喜んでいただきました。

 

誇れる日本‼

自分の國を誇るって?馬鹿じゃないの、ってお叱りをうけそうですね。
でもこのyou tubeを久し振りに見たら・・・。涙が出るやら嬉しいやらで
目がぐしゃぐしゃになっちゃいました。ぜひこのブログを見られておられる
方々と共有したくなり投稿することとしました。

来日外国人の日本訪問感動記とは

原坦山老師の書

いわき出身の豪傑原坦山老師の書に接することができました。出来栄えもいいものです。
永い間研究しているとこういうご縁もでるものですね。場所は東京功運寺。このお寺は

知る人ぞ知る坦山老師ゆかりの曹洞宗寺院です。

 

曹洞宗功運寺とは

写真が横向きですので判読が困難ですかね。縦に並べる技術がないので、この

まま掲載してしまいました。読みは「魯癡如隠逸 平坦似非山 半生之艱苦 纔得方寸之

寸乃閑」(魯癡隠逸の如し 平坦山に非ざるに似たり 半生の艱苦 纔に方寸の閑を得たり)

10月になりました。

令和元年10月ですね。毎月一日と15日は月の行持(ぎょうじ)があります。大本山永平寺では恒例の朝のお勤め(朝課)の
前に祝聖(しゅくしん)の読経があります。般若心経をお唱えして、仏教の開祖である御釈迦さまや宗派の御開山ないしお寺のご本尊薬師如来
さまに報恩のお勤めをすることになっています。

二週間に一度このような祝聖のお勤めができるのも嬉しいもの。今日一日気張って行こう。そんな気が漲ってまいります。

振り返れば一年前に確認始めた自彊術がちょうど満一年となりました。大正時代にできた東洋医学を基にした健康体操です。
運動は31種類ですが、その三分の一は日本座の姿勢なのです。飛び跳ねるような運動はしません。
会員向けの月刊『自彊の友』では毎回病気を克服した嬉しい事例が紹介されており、体操を継続
するうえでの励みになります。
病気を必要以上に恐れず、地道であって健康予防に大変効果的な体操であることはすでに100年以上もの
実績があることで証明されています。ご縁のある皆様のなかで元気な老年を過ごしたいという方には

素晴らしい体操だと思います。一年経過してますますその感を深くしております。

自彊術を実行しよう。

秋の風情

春生ジ夏長ジ秋収メ冬蔵スといいますが、夏の盛りが過ぎ台風が頻繁にわが日本列島を
震撼させる昨今です。境内の栗の木が実をつけ、無花果も蜂や烏のお腹を肥やす時節
です。台風が過ぎてみれば秋風がそよ吹くいい季節なのでしょう。

秋晴れの今日は境内に咲き誇る花たちを写してきました。秋の七草である萩の風情も
よくこの季節を表現しています。スナップショットを紹介しようと思います。

秋海棠やシュウメイギクそして萩などに心が和みます。

世界が称賛する日本‼

秋彼岸が近くなった今日この頃。境内のお檀家の墓の清掃もほぼかたづいたので、
久し振りにユーチュ-ブを覗いてみたら・・・。

大東亜戦争時代の日本人の気高い理想に燃えて欧米列強と対等に奮闘した
我々の祖先の素晴らしさを再認識させられました。

「世界が称賛する日本」に涙・涙・涙

朝顔が美しいです

今年種を植えたプランターの朝顔が美しい姿をみせてくれています。
八個もプランターに植え付けたんですが、成功したのはこの一個だけ。

梅雨が長かったのと猛暑が続いたりしたので、全部咲くという希望は
はかない夢と化しました。ようやく猛暑も過ぎて朝晩涼しくなりつつ
あります。朝顔の美しいのもあと数日のみです。

 

15番目の観音様です

境内に新しい観音石造が加わりました。最終的には33体の石像が境内に並びます。まだ先
があります。ここ数年の中国経済の発展により値段がかつて購入したときより倍以上に
高騰してしまいました。今回のは値段も高い関係からか従来より1.3倍ほどの大きさ
です。笑顔は素敵な観音様なので安心しました。

田村市からの参禅者たち

先月31日にはまたまた小学生中学生の坐禅会がありました。なんでも田村市福祉協議会主催とかで

スケジュ-ル調整してその日となりました。いわき市での坐禅体験はまったく初めてだそうです。
短い時間でしたけど、暑い中熱心に坐ってくれたのは幸いでした。お寺巡りの簡単な林間学校
といった感じですかね。22名の皆さんご苦労様でした。

  

昭和の大長編小説『富士に立つ影』を読み切る‼

ああ、とうとう読み切りました。昭和初期の大小説を。著者白井恭二の名前を知ったのはつい最近のこと。
「南総里見八犬伝」の現代訳をされた方とのみの情報でしかなかったのでした。

こんな大衆小説が刊行されていたなんで驚きました。この夏一番の読書です。『決定版 富士に立つ影』は
2128頁もの大著述で一ペ-ジ上下二段組の体裁です。漢和中辞典をもしのぐ分厚い小説なんです。幸いこのところ
雨続きで外仕事ができなかったこともあり、一気呵成に読み終えました。

富士に立つ影という長編小説

只今修行中です

緑蔭禅初日での模様です。読経(般若心経)をしたり、坐禅の組み方を教わったり
食事(カレ-ライス)も作法に従っての修行です。

  

涼しかった今年の緑蔭禅

季節外れの「緑蔭禅のつどい」でした。参加者31名、うち10名は日帰り。例年ですとけっこう熱い禅のつどいなのですが
今年は梅雨が長引いて涼しいそして雨っぽい中での一泊二日でした。

小学生と中学生混成の禅の集いも大震災の年を除き毎年開催してきた伝統の行事です。お風呂に入ったり市内の施設を
見学したりとやや過密日程でしたが、子供たちは賑やかに過ごしていました。

ときおり雨があったので、本堂前で流しソ-メンをしましたが、好評でした。それからスイカ割りにも
熱い声援があったのはいつもの元気な子供たちの風物詩でした。

 

道友の死を悼む

 

 

 悼高正閑居老師遷化 高正閑居老師の遷化を悼む

 嘗遊黌舎共探禅   嘗て黌舎に遊び共に禅を探る

 常慕越山道念堅   常に越山を慕って道念堅し

 伝聞呻吟牀褥事   伝聞す牀褥に呻吟の事

 厭離枷鎖入黄泉   枷鎖を厭離して黄泉に入る

大学生時代からの友人を亡くしました。50年ほどの道友でした。長らく
四大不調に苦しんでいたのですが、その苦しみからようやく解放された

かと思うと・・・。

『八犬伝』を読む

瀧澤馬琴といえは江戸時代を代表する読本(よみほん)作家です。たまたま古書店をのぞいたら
白井恭二の現代語訳上下二冊本を見つけたので、ここ数日かけて読了したところです。

『南総里見八犬伝』は馬琴の四十代に書き始めたのでしたが読者の圧倒的な支持もあり書き継ぎして
完成したのがなんと28年後であります。小説をこれほど長く書き続けた精力は絶大なものがあり
ますね。まして60半ばを過ぎたころには重なる著述の疲れが原因でしょう。視力の減退が悪化。
完結に至るまでの8・9年は嫁の口述筆記に頼って出来上がったという凄まじいほどの

執念でした。河出書房の文庫版で読んだのですが、上巻下巻で優に1000ページもの大冊です。わが
日本文学でも稀にみる長い小説をの読者が心待ちにして読んだベストセラ-なんですね。

馬琴の該博な知識によるこの伝奇小説を今度は原文で読む機会があればぜひともトライしたい
ものです。馬琴のことについては文豪幸田露伴「馬琴の小説と其の当時の實社会」が大変
有意義です。

「南総里見八犬伝」

七月になりました

今年前半が過ぎて、今月から七月です。境内の朝顔が咲きはじめました。今月の
大きな楽しみです。毎朝の日課でプランタ-に水やりをしていた成果です。

  

『自彊の友』から

六月で520号となる自彊術会員誌(月刊)からの紹介文です。

 生姜にはたくさんの効果があります。冷えを取る・デトックス効果・免疫を
 高める・殺菌作用を高める。・・・生姜には気の流れを良くする作用がある
 んです。・・・結論ですが”万病一元血の汚れから”・・・「すべての病気は
 血液が汚れているから起こる」ということです。・・・
 原因というのが食べ過ぎだったり冷えだったりします。だから「食べ過ぎ
 ない」、「体を温める」、「血液をきれいにする」ということをやっていく。

      「健康でいるため体の中からキレイになる」イシハラクリニック
副院長 石原新菜 先生

長寿であっても健康長寿でなければ残された人生は暗いものです。健康の
知識を知り、自彊術体操の実践に励んでいます。

ご奉仕作業に感謝いたします。

今日は昨年に引き続き奉仕作業の日。総勢41名での境内清掃がありました。天候は曇り空で
外仕事には絶好の日よりでした。女性陣13名も参加。昨年と今年と二年連続でのご出席者も
見受けられ、心強く感じた事です。
参加を見送ったお檀家からは缶ジュ-スの差し入れもありましたし、欠席のお電話をわざわざ
いただいたことも。

 

ご参加のみなさま、寺総代の方々に感謝もうしあげます。ありがとうございました。

夏場の道場生活は草刈り、草とりの日送りです

山を抱えている禅寺ではお掃除が日課です。特に夏場は草も元気に青々と勢いよく
成長する時期です。なので、草刈りや雑草取りの仕事が主たる外仕事になります。

例年のことですが、よくもまあ雑草が茂るもんです。休むとすぐに反撃されてしまいますから
外回りを欠かせません。墓場の一個一個の草取りまで家族でします。

怠けている暇はありません。寺の境内地は自分自身の体の清掃と同じ。頭の毛は浄髪(じょうはつ)
といって、修行道場においては4と9のつく4,9,14,19,24,29に頭をきれいに剃ります。
禅僧のいるお寺の境内地の草取りはその浄髪行為と同じなのだと思います。元気が萎えないよう
頑張るしかないでしょうね。

雑草はきれいに取り除かれた後を見ると、気分爽快となります。できてよかったという達成感は草取り
ならではの実感です。一枚目の写真は下刈りを終えたところ。二枚目はこれからの箇所です。

花菖蒲が見事です

床に行けた花菖蒲です。家内の手腕です。すきったした立ち姿に初夏のさわやかな気分が移されているようです。

普段から境内に咲く草花ですが、こうして床飾りされると一段とその美しさが映えるんですから不思議です。
 ちなみに短冊は文豪幸田露伴先生の直筆です。「山河に小香魚さ走る夏の日にしずく小石の玉とかがやく」

「板谷波山展」に行く

近代陶芸の巨匠と称される板谷波山の作品展がはじまりました。茨城県天心記念五浦美術館
で7日から開催中です。圧倒されましたね。確かな写生の技量と格調高い上品な陶芸の
数々に魅了されてしまいました。

お隣の茨城県からは木村武山もでておりますし、名を成した芸術家がいます。
年数回は必ずこの美術館にでかけるのですが、毎回素敵な感動を得てきます。

陶芸界の名匠板谷波山

五浦美術館企画展示

 

『大森曹玄翁夜話』(一禅僧の昭和史)

六月になりましたね。月初めの一日と十五日は祝聖(しゅくしん)朝課です。朔望(さくぼう)ともいいます。月初めに
心をしきしめて油断をしないよう修行に向かう。そんな決意を自覚する日でもあります。仏教の開祖釈迦牟尼仏陀への
報恩のご回向をする日。一年は24節気ですので、ちょうど二週間ほどで四季の変化があるのと同じような感覚ですかね。

ところで最近古書店で見つけたのですが『大森曹玄翁老師夜話』(2004刊行)を読み終えたところです。
老師は臨済宗天龍寺派の師家(しけ・修行僧の指導者))として著名な方でした。

小生も28のときだと思いますが、一度だけ八王子にある青苔寺国際禅道での大接心に参加するご縁がありました。
当時は独峰軒柳瀬有禅老師のもとで参禅しており「一度臨済の接心を経験しておいたほうがいい。儂が紹介状を
大森老師に書いておいたから。」ということでした。

剣道においても一流の老師でしたが、背丈はわたしとそう変わらないお方で、相好をご覧になると「さすがに
禅匠だけあって修行された禅僧らしい」お顔でした。独峰軒老師とはお互い晩年僧として修行を成就した禅僧同志
なので肝胆相照らした道友といった印象です。この本を読んで曹玄老師の国士らしい生きざまに感動を覚えました。

無依室的翁曹玄老師とはどんな人物?

躑躅が素敵ですよ

五月から令和元年が始まりました。境内は最後に咲くボタンザクラがおわり、いまは躑躅が見頃です。
境内からちょっと離れたところにある藤もちょうど満開です。昨年は寂しいほどの咲き具合でしたが、
今年は見事です。

 

 

これらの花をめでながら、外仕事に精を出しています。いい季節になりました。

色紙短冊作品

今月も残すところ二日となりました。目下、産経国際書展に向けて作品作りに追われています。
合間を縫って色紙や短冊に筆をそめましたので、紹介しておきます。

   

日々是精進、平常心是道、一忍空百憂。日々これ精進(しょうじん)、平常心(びょうじょうしん)これ道(どう)、一忍は百憂(ひゃくゆう)を
空(くう)ず。

百錬千鍛の道

野球界の至宝イチロ-外野手がプロ生活引退を決断しました。メジャ-リ-グで前人未踏の大記録を樹立して日本球界の
水準の高さを証明してくれました。俳人正岡子規がベ-スボ-ルを野球と翻訳してからこの言葉が世間に定着してかれこ
これ百年以上もの歳月が過ぎました。彼がこれまで残した大記録の数々ですが、本人にとってはどれも野球人生での
”ちいさな楽しみ”であったという告白を知って、人間鈴木一郎の本音を聞かされた思いがしました。

記録の樹立は大変な名誉ではあるけれど、日々打つ、走るそして守るというプロ野球選手としての数えきれない鍛錬の
連続こそが大切なんだ。そんなことを教えてくれたと思います。
好きだと決めたことを貫くことの素晴らしさを、イチロ-選手は吾々に教えてくれたんですね。

「イチロ-が子供たちのヒ-ロ-になったのは、彼が政治家になろうとか、儲けたお金を投資に使おうとか考えずに
一生続けて野球をしたからだろう。」(作家曽野綾子)

紙人形のお雛様

今月三日の桃の節句ですが、客殿には数種類のお雛様が飾られています。中でも、お檀家の方の紙人形の
ものが注目です。かなり本格的な出来栄えですので紹介します。

    

どれもこれも素晴らしい出来栄えです。長年の趣味でプロの制作者を思わせる素敵なお雛様たちですね。
来月6日(土)の観桜茶会までは客殿にお飾りしておきます。

書道展に入選しました

このほど書道展に出品していたものが入選になりました。数年ぶりでの参加作品です。宗門では有名な
大智禅師の七言絶句を書いてみました。もっと書き込めばと反省をしています。煌心書道会は本部が
東京です。以前は山田松鶴先生主宰「鶴心書道会」でしたが、数年前からその志を継承した松崎龍翠

先生が会長です。先生は福島県出身。

煌心書道会

第37回煌心書道会展出品作

  

お雛祭りも近いですね。

3月3日はお雛祭りの日。それに伴い客殿に七段飾りをしました。三番目に生まれた娘の誕生を
祝っての家内の両親の心づくしです。両親はすでに他界しておりますが、雛節句飾りをするたびに
良心の思い出話がでますす。ありがたいことです。

15日はお釈迦さまのご命日です❢

この間の一日こっきりの積雪が過ぎたと思ったらもうお釈迦様のご命日ですね。この15日が釈尊降誕会です。

極寒の満月の夜に静かに80才で見事な往生をとけられました。全世界の仏教徒が報恩供養をする15日はあと
二日あととなりました。

  

年一回この月だけ客殿に飾って朝のお勤めをします。最後の画像は釈尊のお母上が

息子の死を知り兜率天から供を連れて弔問に駆け付ける場面の絵です。釈尊の母上は釈尊を生んだ
ものの産後すぐに亡くなってしまいました。そこで育ててくれたのは妹のおばさんでした。後に
釈尊となられてから出家を懇願し、ついに尼僧になったのです。史上初の女性の出家者として

マカハジャハダイとして名が伝えられています。

お化粧姿の医王寺です

昨日から夜にかけての積雪で、今朝はお寺が見事な様相を呈しています。素敵だなと感動したものの午後には

すっかり晴れ渡り元の木阿弥になってしまいました。でも、写真を撮っていたので紹介します。

    

朝の時間帯に本堂から眺めた景観はとっても素敵な絵になっていました。心が洗われたような感動を受けました。

初釜茶事がありました。

今年の初釜茶事が19日に無事すみました。炭点前と濃茶は住職の小生がして、薄茶はお仲間のご婦人にして
いただきました。料理はすべて副住職が担当。皆さんご満足の様子で安心しました。

    

薄茶席は本堂東の室中の間で行いました。今年一年この笑顔を忘れないようにしたいものです。

小僧の初年始回りでした

孫は四歳です。初仕事として今日はお檀家さんの家に年始のご挨拶をして回りました。😅😘

なかなか様になってますね。宗佑クン。

 

客殿の正月飾りです

今年も残すところ10時間余り。客殿の広間には正月飾りが仕上がりました。お花はうちの愚妻が
心を込めていけました。竹はご近所さんからいただいてきたようです。

生け花には月一度程度東京の教場に出かけるのを楽しんでいます。

   

後の二枚の写真が横向きになってしまいました。ゴメンナサイ。よいお正月を‼

穴風外と蛸風外

あな風外とたこ風外といわれて、アレッと思いませんか。何のことなのか
見当もつきませんね。それもそのはず。これは禅僧のあだ名なんです。
先月行われた第32回曹洞宗禅文化の会に参加したところ穴風外さんゆ

かりの風外屈を訪ねる機会がありました。いまでも小田原にあります。
 この禅僧は戦国時代の和尚風外慧薫のこと。達磨大師の禅画が得意で宗門でも
知られた方です。訪れて分かったのですが、深い教養のある立派な
禅僧です。達磨画のみならず他の作品も拝見することができて、
貴重な体験をしました。ご自身が亡くなるとき、オンボウに
穴を掘らせてその中に土を埋めさせた。そういう伝説があります。
あな風外といわれる所以です。

 寺院の住職もされたんですが、穴倉生活をして終わった禅僧です。
残された画は人気があって好事家には珍重されています。なにしろ
江戸時代以前のものですから、今日いわれている禅画の先駆をなし
ているものです。

今年は生誕450年ということで、禅文化の会が企画してくれました。

ゴ-ン氏の強欲っぷり

巷で大騒動しているフランス人ゴ-ン氏ですが・・・。人間の欲は
際限ないものだと感心するやら呆れるやら。

 欲楽の満足を與へ栄華の十分を享けしむるは、木の葉を與えて
 児の啼きを賺(す)かす其にもまして愚のことなり。
            幸田露伴「二日物語」

 賺す~あざむいて物を高くうりつける

欲しいものがあって泣きながら親にねだるのは子供の常道ですが
それをなだめようとお金とおなじ色の黄色い木の葉を与えてなだ
めることを止啼銭というのですが、60を過ぎても気づかない
エリ-トがいるんですね。

 

横額を掛けました

30畳の広間に横額をかけました。自彊術体操を毎朝この部屋でしています。
 油断しているとついサボってしまう弱っかしの自分への戒めでもあり
ます。不断の努力の大切さを述べた中国の古典「易経」にある言葉です。
どんな道へ進もうとも自彊不息の精神が不可欠ですもんね。

自彊術の横額

志を立てるとは・・・

人間が志を立てるという事は、いわば
ロ-ソクに火を点ずるようなものです。
ロ-ソクは、火を付けられて初めて光を放つものです。
同様にまた人間は、その志を立てて初めて
その人の真価が現れるのです。
志を立てない人間というものはいかに才能のある
人でも、結局は酔生夢死の徒にすぎない。

森信三(1896~1992)生涯を通じて国民教育に心魂
を注いだ在野の哲学者・教育者。(月刊致知 心に響く
先達の言葉より)

ジャズフェスティバルでした‼

土曜日の昨夕は40年ぶりで本格のジャズを楽しみました。日野皓正
カルテットの演奏会。一人で演奏会場に足を運び体を揺さぶりながら
懐かしいあの曲この曲をアレンジしたジャズを堪能。
ペット奏者は現在76才だそうですが学生時代に受けた印象とほぼ
ダブってしまうほどのエネルギッシュな二時間で、短く感じた
ほどです。ドラマ-は若干17才という紹介でしたが、実力十分の
高校生だったのには感嘆しました。

会場の明星大学にはこれで3度目の訪問でした。素敵な秋の演奏会
でした。

日野皓正コンサ-ト

能「三井寺」の観賞

月が替わってすでに暦の上では立冬となりました。
久し振りで国立能楽堂に出かけ能楽の観賞してきました。NHKいわき
文化センタ-教室からのお誘いがあり参加。昨年は欠席でしたので
古典芸能を味わうことができ、素敵な一日を過ごすことができたこと
です。

狂言「千鳥」がすんで、「三井寺」。名月に因んだ漢詩や鐘の音
に関するさまざまな思いが交錯する中での親子の情愛物語です。

雑用に追われながらの日送りが多い中、世間を忘れて没頭できる
幸せをかみしめたことでした。

三井寺とは

六角堂の観月茶会

21日には岡倉天心が生活した天心邸で観月茶会がありました。北茨城にある景勝地で、現在は茨城大学が保有管理しています。裏千家の先生が亭主
でした。それにあわせて西成田洋子作品展も同所でありましたが、ちょっと
とまどいました。お茶の点前があるその場所での展示品の観賞は場違いと

という印象でしたね。床の間に飾られたのは西成田さんご自身の絵でした。
それがなんと脳みその絵!あっけにとられてしまいました。作品展との
コラボということでそうしたのでしょうが、残念です。

それでも、五浦の六角堂の散策は気持ちのいいものでした。浜菊がいたるところに群生していて、目をたのしませてくれました。

  

「わたしの願い」森琴音ちゃんの詩

わたしは しゃべれない 歩けない
口が うまく うごかない
手も 足も 自分の思ったとおり うごいてくれない
一番 つらいのは しゃべれないこと 
言いたいことは 自分の中に たくさんある
でも うまく 伝えることができない
先生や お母さんに 文字盤を 指でさしながら
ちょっとずつ 文ができあがっていく感じ
自分の 言いたかったことが やっと 言葉に なってゆく
神様が 一日だけ 魔法をかけて しゃべれるようにしてくれたら・・・
家族といっぱい おしゃべりしたい
学校から帰る車をおりて お母さんに
「ただいま!」って言う
「わたし、しゃべれるよ!」って言う
お母さん びっくりして 腰を ぬかすだろうな
お父さんと お兄ちゃんに 電話して
「琴音(ことね)だよ! 早く 帰ってきて♪」って言う
二人とも とんで帰ってくるかな
家族みんなが そろったら みんなで ゲ-ムをしながら
おしゃべりしたい
お母さんだけは ゲ-ムがへたやから 負けるやろうな
「まあ、元気出して」って わたしが言う
魔法が とける前に 家族みんなに
「おやすみ」って言う
それで じゅうぶん

この詩の作者は森琴音さん(12歳)という小学六年生の少女
です。事故にあい、その後遺症で肢体不自由となりました。
 産経新聞(平成30年10月6日朝刊所収)で紹介されました。
涙を流して感動しちゃいました!

台風の爪痕です

台風24号は雨よりも強風の印象が強かったですが、今朝お墓の周りを
なにげなく点検してまわると・・・。な、なんと桜の大木が根こそぎ

倒壊しているのをみつけました。よほどの強風でもないとこんなことは
ありえないでしょうね。

  

もう一度観たい「散り椿」‼

昨日はいい映画を観てきました。目下ポレポレ映画劇場で上映中です。

黒澤組で活躍していた撮影監督木村氏がメガホンをとり、助監督をされていた小泉さんが脚本を
担当しています。黒澤監督が好きだった馬の疾駆場面もふんだんにあります。雪の降りしきる場面での主演岡田准一の顔も印象的ですね。黒木華の
抑えた女心の美しさには感動しちゃいました。黒澤監督亡きあとも黒澤組
健在なのは嬉しいことです。

ぜひ、もう一度近いうちに観てみたい秋の大作本格時代劇です。

「散り椿」

こんなに効くんだ、自彊術‼

大正時代から連綿と続けられている自彊術ですが、現代人には
まだまだ未知の体操のようです。そこで自彊術を実行するとどんな
病状に効くか、公益社団法人 自彊術で紹介されている症状を
列記しておきます。

自彊術で改善、また予防できる病気

 ①全身的な病気
  高血圧、動脈硬化、糖尿病、慢性関節ロイマチス、自律神経失調症
  更年期障害、肥満、アレルギ-体質、皮膚科の難病
 ②頭や顔の病気
  頭痛、不眠、ノイロ-ゼ、白内障、慢性鼻炎、中耳炎、口内炎、
  歯槽膿漏

 ③首、肩、手の病気
  頚肩腕症候群、むち打ち後遺症、肩こり、手の麻痺、四十肩、五十腕、
  腱鞘炎、筋肉痛

④背中や胸の病気
 変形性脊椎症、脊柱彎曲症、喘息、心臓動悸、肺気腫
⑤腹の病気
 慢性胃腸炎、胃潰瘍、便秘,痔、慢性肝炎、慢性腎炎、慢性膀胱炎、
 婦人科疾患
⑥腰、足の病気
 腰痛、椎間板ヘルニア、坐骨神経痛、変形性ひざ関節痛、足麻痺

⑦美容体操、運動不足、スポ-ツの前後運動、疲労回復運動
⑧その他

驚くなかれ。薬要らず、外科手術以外なら文字通りの万病克服の治療効果
がある。それが自彊術なんですね。

医療効果抜群です!

いまから百年も前に知られるようになった自彊術(じきょうじゅつ)ですが
その医学的治療効果が続出するという嬉しい結果報告が今日まで続いています。

大東亜戦争後はラジオ体操が全国的に普及しており、いつしか戦前までは「わが国民体操」とまで称揚されて全国的に展開していた自彊術の灯が消えてしまったような状況が続いておりました。


しかし、昭和40年代以降現在では公益社団法人 自彊術普及会として全国的にその愛好者を増やしています。その原因はやはり自彊術を毎日地道に
継続することで、さまざまな医療効果を実感している会員が続々とおられる
からだと思います。

現に90才という高齢にも関わらずでんぐり返しができる女性もおられます。まさに自彊術の素晴らしさを実感させられますね。

我が国の医療費は医療亡国といわれるほど悪名高いのですが、この健康体操
を実行して「自分の健康は自分で治す」という健康意識を大いに広めたいと
思います。

自彊術の体験教室がありますよ‼

前回紹介した自彊術体操の体験教室があります。およそ百年ほど前に知られて、大正時代には
国民体操とまで呼ばれるほどに全国津々浦々に普及していた健康体操です。

大東亜戦争後の連合軍(主として米軍による)占領統治下でいつのまにか消えてしまったの
ですが、昭和40年から再び脚光を浴びて今日にいたっています。

当地ではNHK文化センタ-教室のみで伝えられてきておりますが、来月には泉地区で
体験教室があります。万病をなおす健康体操をぜひあなたも体験されては
いかがでしょう。

自彊術普及会とは

8月です

七夕の最中に暦では立秋を迎えましたね。8日の今朝は雨模様です。肌寒く感じます。

先月下旬の29・30日には緑蔭禅のつどいがありました。ス-パ-猛暑の中での子供たちの
宿泊坐禅会。30人ほどの参加でしたが、みんな頑張っていました。

勝てば官軍なのか

皆さんは柴五郎という会津人をご存じでしょうか。今年は磐城平戦争で磐城平城が落城して、
150年という節目の年です。同じ年に会津若松城もあえなく官軍の手に落ちてしまいました。

柴五郎は明治維新の10年前の安政6年に城下の有力な武士の子として生を受けました。没年は
大東亜戦争終結の昭和20年12月13日、87才でした。幕末には67万石を誇る屈指の大藩
でしたが官軍による屈辱的仕打ちによりわずか3万石に減封、藩士は城下を追われて下北半島の火山灰地

に押し込められるという憂き目に会いました。3万石とは名ばかりの新領地は半年雪に閉ざされる
という痩地で実収わずか7千石になればいいほどでした。武家の家に成長した柴少年の寒冷地での
生活は惨めそのもので、想像を絶する地獄生活といえるものでした。

そんな彼が15才の時陸軍幼年学校に入り、その後の奮闘努力により大本営陸軍参謀に累進したときは
36才でした。薩摩長州閥以外で高級参謀になることができたのは異例中の抜擢でした。

42才には北京駐在武官として赴任まもなく義和団事件に遭遇して北京籠城の指揮。一躍彼の沈着な
指導により、世界各国から優れた指揮官として喝采を浴びたのでした。

柴五郎中佐駐在武官の活躍を見よ

大正8年には陸軍大将、台湾軍司令官そして軍事参事官として軍人最高の栄誉を勝ち得た生粋の
会津士魂の武士でした。われら福島県人の誇りです。

『ある明治人の記録』(会津人柴五郎の遺書、石光真人編著、中公新書版)を参考にしました。

人生はありがとう探し

とてもいい言葉ですね。月刊致知七月号特集「道なき所に道をつくる」に出ていました。
同感し共鳴するとともに感動しました。猛暑の続く毎日ですが、仕事の合間の読書で感動

しちゃいました。一気に暑さがどこかに吹き飛んでしまいました。「ですから人生
というのはまさに、ありがとう探しだと思うんです。

日々、小さなありがとう探しをすることによって、どれだけ人生が
豊かになるか。小さな感謝を積み重ねることによって、人は人生に大きな花を咲かせる

ことができる。そう私はおもうんです。」誰もしなかった無農薬・無肥料でのりんご栽培
を10年かけて成功させた人物ならではの珠玉の名言でしょう。脱帽するのみ。

蓮を生ける

お盆が近くなってきました。蓮は蓮華のことで、仏教を象徴する代表的な花です。我が国で一番有名なお経は
「妙法蓮華経」です。譬えようもないほど素晴らしい教えである仏法を強いて花で表現するならば、
それは蓮華以外にない。いまはその蓮華の気高いスッとしたひとすじの美しさを味わうことができる絶好の
時節です。お花を勉強している家内の作品。

小雨ですけど・・・

夏の禅寺、特に背後に山を背負っている田舎寺では草刈り作業が酣です。うちも
例外ではありません。なので、朝食後もそうでしたが午後からも草刈り作業
に精を出しました。小雨がときおりふりましたが、本格的な降雨は夜になってから。

頑張って汗ぐっしょりの作業をして、シャワ-を浴びたところです。

禅坊主とは・・・

「 禅坊主は、坐して万巻の書を読み、それと同時に体も、万里の道を行く。活字の上を
眼が動き頭が回転しただけでは、ナンの役にもたたぬ。雲水は「空(くう)」でも「無」
でもタダ一字を担いで、二十年でも三十年でも遍参する。それくらいでなければナンの
役にも立たぬ。」(「入我々入」村上素道老師三十三回忌記念)

聖護寺と素道老師の因縁

花・華・はなの境内‼

境内のあちこちにある花たちの紹介です。一年の中でも境内が一番華やかになる時節です。

その他土手に咲いているホタルブクロの群生なども見頃を迎えています。

母校の生徒が参禅です!

先週土曜日の午後から中学生の坐禅研修がありました。なんと私の母校の後輩たちでした。
赤井中学校女子バレ-チ-ムの生徒さんたち17名でした。
いまでも校歌の一部は諳んじています。それを披露する機会にもなりました。 😅😀

単純にうれしい出来事でした。

: :

心に響く先達の言葉

六月に入りました。日めくりカレンダーも各種あるようですけど、致知出版社のものは
また格別の味わいです。一日の文を紹介しましょう。

   い本を読め
   よい本によって
   己を作れ
   心に美しい
   火を燃やし
   人生は尊かった
   と叫ばしめよ
   

この詩の作者は坂村真民(1909~2006)です。日本の仏教詩人。明治42年熊本生まれ。一遍上人を
敬愛し、午前零時に起床して夜明けに川のほとりで地球に祈りを捧げる生活を送る。そこから
生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡む言葉の数々は癒しと勇気を与えると、老若男女幅広い
ファン層を持つ。

白石城の威容に圧倒!

東北は仙南地区にその城はありました。たまたま一日だけの小旅行ができそうなので、
ドライブにでかけました。国見の道の駅を見てから白石市内にはいってみました。
白石は初めて訪問したのですが、素敵なお城がありました。

総工費20億円ほどかけたとか。20年前のバブル期の産物でしょうか。散策にもちょうどいい
お城でした。戊辰戦争で幕軍の軍議があったのが、この城だったんですね。

白石城はこんなお城です。

四季に彩られる白石城

万華鏡作品展

磐城ギャラリー泉丘

市内で活躍している万華鏡作家赤津純子女史の作品展です。昨年はお休みでしたが、今年は
開催しています。工芸品としても十分観賞できますし楽しい作品の数々。

開催を待ち望んでいるファンも多いようです。ホット一息入れて魅力あふれる素敵な世界に
遊ぶのもいいですね。5/24(木)~5/29(火)まで絶賛開催中です。

 

野菜を植えてみました

 

今年は何年かぶりで畑を耕しました。3坪ほどの畑にトマト、ナス

レタス、トウモロコシそして枝豆などを植えてみました。毎日
成長を見届けに、畑に出向いています。

器械体操10連覇ですよ‼

内村航平選手がやってくれました。平行棒と最終演技の体操を
みましたが、王者健在であることを証明してくれました。

10代は器械体操に夢中で取り組んでいたことから、器械体操
にはずっと関心を持ち続けています。鉄棒の彼の空中の連続三回離れ技は圧巻の出来栄え。
なんと15点満点のうち14.966の評価でした。神業の領域ですね、これは。

NHK杯10連覇の偉業を樹立した内村航平選手

連休最終日

今日で今年最大の大型連休は最後となりました。期間中大雨もありましたが、天気は初夏の様子そのものでした。

そうじていい連休だと思います。そこで、境内の花の様子を撮ってみました。

  

奈良吉野の金峰山寺

団参最後の訪問寺は修験道の本山をして有名な金峰山寺。この寺は奈良では
もっとも有名な寺院でしょう。役小角の蔵王権現が本尊さまです。
有名な吉野の桜はすでに葉桜となっておりましたが、ゆったりと蔵王権現を

おがむことができました。ちょうど御開帳のときで特別拝観が可能となりました。

修験道の総本山金峰山寺

団体参拝なので、丁寧な説明がありました。いい時期におまいりができたと思います。

橿原神宮参拝

引き続き団参旅行の報告です。

吉野の金峰山寺を翌日に控えて宿泊した橿原には神武天皇の御陵があります。
わが日本の歴史に登場する歴史的天皇さんですね。神代の昔から連綿と続く
天皇家ですが、神武天皇その人が九州日向からはるばる苦難の東征をへて
奈良におちついた所です。

以前紹介した作曲家信時潔の『海道東征』は神武天皇のこの偉大な東征を
曲にしたものです。早起きして誰も参拝していない広大な橿原神宮を拝めた
幸せを胸いっぱいに感じた次第です。

国の礎を作った神武天皇御陵橿原神宮

法輪寺三重塔

奈良に行くならぜひともこの寺に参拝したい。ということで団参の日程にいれました。

斑鳩の法輪寺

明治を代表する文豪幸田露伴ゆかりの三重塔がある寺です。娘の作家幸田文が一年間
此の地に居を移したという因縁の三重塔です。父露伴の代名詞『五重塔』の印税で
育てられたも同然と、はばかりなく話されたという文女史畢生の誓願が込められた建造物。

宮大工の棟梁西岡常一との交流などは文女史の文章に詳しく述べられています。露伴先生
は鴎外や漱石ほど一般的ではない文豪ですが、文語調の和漢混合文は露伴の独壇場です。
今日まで露伴のあの美麗な文章を超える作家はでていないし、これからも現れないでしょう。

まさに百年に一人とも言われる文人です。今月号の『月刊HANADA』に露伴の記事が
ありました。現代の作家にも露伴全集をしっかり読んでいる方がいると知って、
嬉しく感じました。

宮大工の名匠常岡常一棟梁とは

田辺の法楽寺

東光院の次に訪問した真言宗法楽寺さん。ここも副住職の知り合い寺院。
全日本仏教青年会(全日仏青)で活動していると他宗のご寺院と触れ合う
機会が出てきます。
法楽寺は慈雲尊者が御出家されて小僧時代を過ごされた深い由緒のあるお寺で
す。慈雲尊者の著述には長い事触れていますが、じつに頭の下がる大徳です。
勉強すればするほどにその偉大な人格を尊敬してしまいます。

私たちが訪問することを知ったご住持が、秘蔵の尊者直筆の名品の数々を
各部屋の床に飾ってくれておりました。憎いばかりの心配りに感動。
尊者直々の掛け軸に坐って礼拝を捧げることができました。

法楽寺さんと慈雲尊者

萩の寺東光院

東光院とは

今回の団参は副住職中心の企画でしたが、最初に参拝したのがこの寺。
副住職が全日本仏教青年会でお世話になっている先輩のお寺ということでした。
昼食は精進料理でした。食事中法話もあり、勉強になりました。
お話していただいた先輩はじつは小生が大本山永平寺専門修行道場の先生をしていた
時の修行僧だったというんですから、ご縁の深さを感じました。

お寺の広間で本格精進料理の説法を聞きながらの食事というのもいいもんですね。説明
も分かりやすくて皆さん感激しておりました。こういう旅行は寺院どおしのつながりが
ないと実現できませんね。観光会社では無理でしょう。

団参でした

団参は団体参加旅行のこと。久し振りで医王寺の団参をしました。先月下旬のことでした。
平成21年5月にサイパン慰霊旅行以来でしたから、じつに9年ぶり。

企画は副住職。私は補佐役。24名の参加者の中には檀信徒以外での参加も。
興味あればどなたでも参加できるんです。総代さんや家内の友人あるいは石材業者さんと
さまざまな方々とご一緒。楽しい二泊三日でした。メインの奈良東大寺での千僧法要参加
は圧巻でしたね。大仏殿の中央の屋根の天井から3000枚もの散華には一同驚いたことです。

30年前、第一回目の花まつり千僧法要に曹洞宗福島県青年会会長として出席して以来の
出来事でした。上天気のなか400名以上もの各宗青年僧侶や南都二六会の僧侶が大仏殿
正面を練り歩きました。飛鳥幼稚園の子らによる元気な合唱は感動ものでした。

花まつり千僧法要とは

信じることの大切さ

毎日朝のお勤めとして坐禅する習慣にしております。それって坐禅することが
仏道修行であることを信じているから、飽きもせず実行できるんですよね。

もし、このことを信じていなければ、単なる茶番でおわってしまうでしょう。


かつて大聖人の釈尊が菩提樹下で一心不乱に坐禅に打ち込んだのも、「
このまま苦行林の生活を捨てて道友と別れてしまったがなんとか悟らなくちゃあ、死んでも
死にきれない。」そんな熾烈な思いがあったからこそ己自身を励ましながら修行を
続けておられたのでしょう。

信じて疑うことを乗り越えながら、一日一日を悔いなく生ききる。そんな日常を
生涯続けてまりたいものです。迷いながらも仏道の素晴らしさを信じて実行すれば
その裏には悟りが同じ程度に裏打ちされてくる。悟りは迷いながらも仏祖の道
を信じていくからこそハッキリする。高祖のおっしゃる「行を迷中にたてる」とは
そういう事だと頷けます。名言だなと受け取りたいです。

観桜茶会終了

今年で16年目を迎えたお寺の年中行事観桜茶会はこの15日予定通り行われました。
今年は天候不順のお天気と危ぶまれていたんですが、お客様が詰めかけてこられた
ころには雨脚もずっと弱くなり、午後には曇り空となりました。

和服姿のお客様が大勢上山されますので、お天気がきになっておりました。本堂で
行われる香席の席主はいつもとちがって、小生が勤めました。源氏香を楽しみました。
茶席では旅箪笥のお点前。久し振りに釣り釜をして風情を変えてみました。

境内のソメイヨシノはすっかり青葉になっておりましたが、遅れて咲いたボタンザクラ
はちょうど見頃でしたので、お客様も楽しんでいただいたものと思います。

 

陰徳を実行する

一日(いちじつ)示して曰く、人は必ず陰徳を修すべし。・・・
陰徳を修すれば必ず冥加顕益(みょうがけんやく)あるべし。

以上は「正法眼蔵随聞記第三」にある道元禅師が高足の弟子に語られた言葉です。ここでは
人知れずに隠れた善行を積み重ねて実行することの大切さを説いておられます。

このことは仏道実践者のみならず一般の私どもにとっても重要な教えでありましょう。
儒教の「積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には余殃あり」との言葉もよく
知られております。陰徳とは良き行為をしたのだから、他人からそれなりの評価を得たい
という功利的な観念を持たない実践という意味です。結果をあてにせず、しようとしている

行為そのものの純粋さを尊重する行いです。良き先人たちが行ってきて伝えてくれた善行
そのものを尊んで、人知れず着実に積み重ねていくものです。その実践のなかに
人知れずこみあげてくる人生の喜びがある。そういう意味であると受け止めたい佳言ですね。

夜来の雨

満開の桜も昨日のやや強い春風に促されて、お墓の道路が桜吹雪に埋め尽くされた
感じがします。昨夜からの雨でしょうか。朝四時ごろの坐禅にはしっとりと
した落ち着いた境内となりました。坐禅が済んだ五時過ぎには鶯の声が耳に届きました。

春三ケ月の落ち着いた暖かさと季節の移ろいを感じます。

草木は雨露の恵み、養ひ得ては花の父母たり(謡曲熊野)

好雨時節を知り、春に當って乃ち発生す 風に随って潜にかに夜に入り
物を潤して細かにして聲無し、云々(杜甫「春夜喜雨」)

古来よりよく口ずさまれた優れた古人の文章などを思い出します。

桜咲く‼

山桜 にほふあたりの 春霞 風をばよそに 隔てなむ

花ざかり 春の山辺を 見渡せば 空さへにほふ 心地こそすれ

年を経て おなじ桜の はなの色 そめます物は 心をなりけり

花ざかり 四方の山辺に あくがれて 春は心の 身にそはぬかな

以上は千載和歌集からの引用です。古人が花に寄せた情趣を味わうのも、
目下絶好調に咲き乱れる近在の無名の桜を愛でる
よすがにしたいものです。

宗家の生け花指導

安藤綾信お家流宗家の生け花は毎月の茶道稽古日に拝見できます。
昨日の30日がその日でした。鉄鉢に境内の草花を生けていただきました。

その見事な手腕にはいつも驚かされてしまいます。今年で86才になったとか。

春はすぐそこまで・・・

つい先日までドカ雪報道でにぎわっていましたが、境内の桜はすでに三分咲き
となりました。森友問題で政局が揺れていますが、お隣の北朝鮮と中国の両巨頭?

が電撃的に会談をしていましたね。すぐにでも我が国に核爆弾が落とされそうという
現実は忘れてしまったかのような国会審議にはあきれてしまいます。

今月はスギの大木を伐採したり、薪運び作業を精力的にしたりと・・・。先日は
久し振りに障子の張替えをすすめました。その数30枚を超えましたが、残り

20枚ほどあります。これは来年に回すことにしました。

観桜茶会も16回目となりますよ!

第十六回御家流観桜茶会ご案内 

春ごとに見る花なれどことしより

咲きはじめたる心ちこそすれ

(詞歌和歌集)

寒苦の冬をおくり春暖の花だよりを迎える

佳節となりました

昨年同様本年もまた茶・香の清興を催し
ます お仲間お誘いあわせの上お出かけ
くださいますようご案内申し上げます

 

本堂室中之間 香席  源氏香

庫院和室  茶席  旅箪笥

     会場 医王寺(いわき市平上荒川)

電話 28-3512

日時 平成30年4月15日

午前10時より午後3時まで

雨のお中日でしたね

  

お寺の位牌堂には写真のように各お檀家用の位牌棚に霊膳をあげます。あいにくの雨になりましたが
沢山のお檀家やご親戚の方々が本堂西側のご先祖さまをまつってある位牌堂にお線香をたてていました。

「正法眼蔵随聞記」の世界

鎌倉時代に書かれた古典的名著「正法眼蔵随聞記」(しょうぼうげんぞうずいもんき)は
禅僧たるものには必須の書物です。内容と云い、文章と云い素晴らしい書物です。

いまから700年前に和文でかかれており、注釈書もたくさんあります。坐禅会のテキスト
としても最適です。そのなかから抄録したものを紹介しておきます。

 〇仏子と云うは佛教に順じて直に佛位に到る為なれば、只教に随て工夫辨道すべきなり。

其教へに順ずる實の行と云は即今の叢林の宗とする只管打坐なり。

 

〇 禅僧の能くなる第一の用心は、只管打坐すべきなり。利鈍賢愚を論ぜず、坐禅すれば
自然によくなるなり。

〇 佛道に入り佛法の為に諸事を行じて代に所得あらんと思ふべからず。

 

〇 誰人か初めより道心ある。只かくの如く発心し難きを発し、行じ難きを行ずれば、
自然(じねん)に精進するなり。人々皆な佛性あり。徒(いた)づらに卑下すること
莫れ。

〇 ・・・無常迅速生死事大と云うなり。返返(かえすがえす)も此の道理を心にわすれず
して、只今日今時ばかりと思ふて時光をうしなはず、学道に心をいるべきなり。

 

〇 後のこと明日の活計を思ふて棄つべき世を捨てず、行(ぎょう)ずべき道(どう)を
行ぜずして、徒(いたづ)らに日夜を過すは、口惜しきことなり。只思ひきりて、
明日の活計なくば飢へ死にも寒(こ)ごえ死にもせよ、今日一日道を聞て佛意に
随て死せんと思ふ心を、まづ発(おこ)すべきなり。

 朗読するたびに、荒みがちな心が澄んでいくのが実感されます。永平寺開山さまの肉声に
直に接する。そんな好文章が随所にちりばめられています。

3月になりました

ここんところ、時間が取れて読書に専念できて充実した日送りをしています。

以前から関心のある我が国の近現代史関連のものが主です。第一次世界大戦と第二次世界大戦
に登場してくる政治家たち、例えばスタ-リン、チャ-チル、フランクリンル-ズベルト、
ヒトラ-、蒋介石それにわが帝国陸軍・海軍で名をはせた将軍たちなどです。

各個人の生涯をネット検索して読んだりしています。それぞれの叙述で目についた書物
とか参考になるものはアマゾンで注文したり。当時の世界情勢にあまりにも無知であった
自分にあきれてしまうことが多いのですけど、知的な刺激がありいい勉強になっています。

開戦の詔勅を読む

昨年師走から先の対戦について数冊の本を読んでいます。12月となれば
太平洋戦争の記事が新聞の紙面を埋めることが定番になっていますが、
戦後70年以上も経過しているわりには、当寺の戦時状況を知るための
努力を我々一般国民はほとんどしていないような状況に置かれているので
はないかとひそかに案じています。  というわけで、読みさしの戦争

関連本などを読みすすめているんです。それには、なんといっても天皇陛下
の開戦の詔勅を読むことが必須です。今年の読書はじめは戦争関連の書物
となりました。
大東亜戦争の目的とは

じつに名文ですね。文語文での格調あるいい文章です。悪文の誉れ高い?現憲法
とは月とスッポンの差ですね。声に出して朗読したいほどです。

年頭所感

「禽獣蟲魚、愛すべきものも多きが中に、わけて人の心を惹くものは犬なり。
生れ出でたる時の、眼は葛餅の如く、聲は篠笛の如き頃より、はやその姿は
畫となり、其の態(ようす)は詩となるに堪へて、老いさらぼへたる暁の、

すさまじき高僧の如く、悟りたる哲人の如くなる日は、如何なる念(おもい)
を懐き、いかなる情(こころ)を有てるやと尊し。」(幸田露伴著 犬の讃)

 

明けましておめでとうございます。

 今年は干支でいうと戊戌(ぼじゅつ)の年ですね。それから明治維新から

150年という節目で、慣れ親しんだ平成という年号も今年限り。
時代も確実に移り変わり、こうして時の流れを刻んでいくものなのでしょう。

 

本年度は久し振りに檀信徒さんを引き連れての団体旅行を副住職が企画しま

した。奈良の東大寺で毎春恒例となりました千僧法要に参加します。合わせて
桜の名所と名高い吉野の金峰山(きんぶせん)寺(世界文化遺産)にも足を向け
ることとしました。
詳しい案内状を同封しておりますので、ぜひご検討くださるとありがたいです。

 

千僧法要は住職が福島県曹洞宗青年会の会長時代に始まりましたので、懐かしくも
あります。各宗派の垣根を取り払って300名以上もの青年僧侶たちが一致団結し
ての盛大なお祭りですので、一見の価値がある大法要です。


あれからもう30年も経過しているですから、立派な伝統行事として根付いて
いることは喜ばしいことです。

 

戌年に因んで文豪幸田露伴先生の名文を紹介しましたが、本年もあいかわらず
昨年同様のご愛顧をお願いしまして、年頭の挨拶と致します。

 

                   平成30年正月元旦

                     医王寺三十世住持  村上徳栄合掌

医王寺報第24号発刊

恒例の年末には寺報を発刊しております。檀信徒の皆さんに
一年の報告をと心がけて作成しております。

 

そういえば・・・

そういえば、今月はスカイツリ-見物もしたんだっけ。せっかく上京した
ので、時間のやりくりをして名物になったスカイツリ-見学をしました。
平日午に
前中ということで、ゆっくりと楽しんでこれました。展望台にある喫茶店
で一休みできたし、はるかに見える富士山の雄姿を拝めたのは幸いでした。
きっと来年にはいいことがありそうな予感を感じます。

エレベ-タ-内の天井は江戸切子作品でした。きれいですね。

今日は餅つきです❢

師走も残すところ明日のみとなりました。今朝から毎年恒例に
なっている餅つきをしました。昔ながらのやり方を頑なに守って
続けています。

何といってもつきたてのあの美味しさは機械を使ったのでは実現不可能
です。美味しかったぁ!!!!。

SZIってなんのこと

師走になってから一冊の冊子が送られてきました。SZIというタイトルです。
曹洞禅インタ-ナショナルの頭文字をロ-マ字にしたんですね。
宗門では国際的に布教を拡大しているのですが、ヨ-ロッパの布教の歴史は
50年になったという記事とか、ブラジルアメリカでの坐禅の様子とかが特集記事
になっていました。世界がずっと身近に感じられるのはこうした記事に接すると
実感します。
ヨ-ロッパ各国で正式に宗門の公認を受けた曹洞宗寺院は41、およそ400名の
出家僧侶がいるそうです。北米では51ケ寺、南米に11ケ寺、ハワイに11ケ寺
オ-ストラリアに2ケ寺、シンガポ-ル・スリランカに各1ケ寺あるそうです。
いまや世界中で坐禅をする青い目の出家者や信者さんがいるんですね。

いい刺激になります。坐禅ほど素晴らしいものはないです。50年ちかく坐ってい
ますが、世界中の見知らぬ仲間と坐禅でつながる実感を得るのも地道に毎朝
坐っているからにほかなりません。嬉しいニュ-スでした。

名残の錦秋模様です

紅葉の美しさを感じるには、わざわざ景勝地に繰り出さなくともいいですね。
小寺の境内の掃除をしていたら・・・。何というか言葉にならないほどの美しさでした。

師走の大接心

大接心(だいせっしん)はこの月に限って使用されますね。禅道場で修行中
の雲水(修行者)たちが最も精出して坐禅に集中する七日間です。
先日訪問した臨済宗円福寺僧堂でもいまは臘八(12月8日)のを無事円成を
期して厳しい坐禅に打ち込んでいることでしょう。

木南先生の一周忌に参列したとき案内された小書院(こしょいん)は6畳間
でしたが、部屋の襖には鉄舟居士の条幅が全面にありました。8枚の条幅
です。接心には喪身失命しても悔いないというほどの覚悟が求められます。

小書院にはそれに相応しい禅語がありました。
 是一番寒さ骨に徹せずんば、いかでか梅花の鼻を撲(う)って香ることを得ん
 不是一番寒徹骨 爭得梅花撲花香

若い時分の修行時にはこうした決意と勇気が必要でしょう。大死一番大活現成
という禅語もあります。

剪定作業が続きます

お墓の周囲にはなんと88本のカイズカイブキが整然と植え込まれております。
なかに10本ほどが山茶花です。こんげつになってから、年に一回の剪定を
始めました。30年以上もたつと、見事な成長ぶりに目を見張るほど。

それに比例して剪定した後の片付けが一苦労です。昨日までで56本しあげました。

小祥忌(しょうじょうき)法語

木南先生の小祥忌(しょうじょうき)法要では徳門老師の法語が
読み上げられました。禅宗の法要では導師(法要の主賓)が法語
を自ら作成するのが通例となっております。

今回は本堂の西序の欄間にそれが飾られていたので、ノ-トに写す
ことができました。その偈頌を紹介します。

 實参古教照心源   古教に実参して心源を照らす
 求道精神垂後昆   求道の精神後昆に垂る
 此徳此功難得忘   この徳この功忘るるを得難し
 遺風遍度満乾坤   遺風遍く度(わた)り乾坤に満つ

 別々

 胸裡常存楠葉信   胸裡常に存す楠葉の信(たより)
 朝々夜々浴慈恩   朝々夜々慈恩に浴す

「楠葉だより」は先生が終生綴られた随想集のこと。東洋思想における
 先人の善言を精力的にたくさん紹介・解説されており、東洋的思索
 の手助けになります。

木南卓一先生の一周忌法要

臨済宗妙心寺派僧堂円福寺

昨年12月5日に92才で他界された恩師木南卓一先生の一周忌に
参加、焼香してきました。先生とのご縁は永平寺での雲水修行中の
ことでした。主として先生からの随想『楠葉だより』を拝読しながら
40年以上ものお付き合いをさせていただきました。

会場となった円福寺様での厳粛なご法事のあと、部屋を移って
小金丸泰仙老師による講義がありました。木南先生が生涯を
とおして敬仰された慈雲尊者の御文章の講義でした。

20人もの雲水さんたちと参加者50名ほど、都合70名ほど
で立派な法要でした。道場主の師家徳門老師は40台の若き禅僧でした。
木南先生はこのお寺で漢文や東洋思想のご講義を務められていたゆかりの
道場と伺いました。

どこまでもきれいに掃除が行き届いた境内でした。清らかさの中に心地よい
緊張感のある禅道場でした。若き雲水さんたちのきびきびした動きを
拝見しながら、若き日の自分の修行時代を懐かしんだことです。

雨ですが—

今朝は予報通りの雨となりました。毎朝の坐禅をしていながら、静かな雨音を
耳にしておりました。誰もいない30畳の広間の片隅でこうして坐禅できるのは
長年していることとはいえ、ひそかな楽しみのひと時といえます。

 諸仏如来共に妙法を単伝して阿耨菩提を証するに最上無為の妙術あり

と永平寺の御開山は述べられております。坐禅を実修するすばらしをを讃えた文章です。
わすかな時間ではあるけれど、ありがたい事と感じております。

極言御免

今朝の産経新聞12面にはなるほど正論だな、と感動しました。
ので、抜粋して紹介することとしました。

占領の意味考えて

現在、米国は日本にとって大切な同盟国であり、日米同盟は、周辺国に
恵まれないわが国のに欠かせない。今後もその強化・深化を目指す
べきだろう。ただ、だからといって日本が米国の歴史観、日本弱体化を
狙った憲法をそのまま受け入れ続け、精神的に支配されていなければな
らないいわれはない。
 占領期とは、直接的な武力行使ではなくともあくまで戦争の継続期間
であり、連合国総司令部は明瞭な目的と意図を持って日本人や日本のメ
ディアを操り、洗脳していたのである。
 そのことの意味と現在に続く影響を、われわれはもっと意識し、克服
ければならないのではないか。占領政策や東京裁判が、現在のメディア
のあり方にどうつながっているかを—。(阿比留瑠比記者)
 

奥三河の古刹香積寺を訪ねる

 

 

先月下旬の曹洞宗墨蹟研究会主宰による秋の研修旅行です。訪れたのは愛知県豊田市の
郊外にある飯盛山香積寺さまです。

数年ぶりでの参加でしたが、とても有意義で思い出深い二泊三日の旅と
なりました。講義会場となった香積寺は有名な禅寺。幕末には風外老師
が住持をされた道場でした。風外の会下からは明治にかけて活躍した
宗門の傑物が多数輩出されました。以前から一度は訪問したいと考えて
いましたが、こういう研究会に入っているおかげで夢がかないました。

本堂東側にある坐禅堂です。昔、修行僧たちがしのぎを削って坐禅研鑽したところです。
予想ほどの広さはなく20人ほどが座れる僧堂でした。

敗れて穴が開いている木版(木製の板)が僧堂入り口の右にかけられていました。
禅門では起床の合図やさまざまな行持のさいに、こうした木版が打ち鳴らされます。
穴のあくほど使い込まれた板は修業全盛時代の厳しさを物語っているのです。
これを見ただけでも来たかいがあったと感動しました。

香積寺とは

冬支度がはじまった

秋も日一日と深まってきましたね。里の街路樹などの紅葉もみごろとなりました。
時間を見つけて付近の紅葉の名所にでかけたいとは思いますが、なかなかそういう
時間が取れないのがもどかしいです。というわけで、昨日今日と実家の垣根の刈込
作業にでかけました。今日は副住職と二人でした。生け垣の刈込は住んでしまったので
経は家ののすぐ裏の川の土手の草刈り作業です。

一年間伸び放題のままになって、茂っている土手の草刈りです。二台の草刈り機を
フル活動し、二時間ほど頑張って、ようやく終了となりました。
お寺のほうでは、薪スト-ブ用の木の積み上げ作業をしました。朝には必ずスト-ブが
必要な時節になりましたから、この作業も大事ではあります。

更新しなくてごめんなさい

先月下旬からブログ更新ができないままでした。こちらの都合でした。

お気に入りに登録れていた方にはご心配をかけまして、ごめんなさい。特に病気に
なったのでもなく、パソコン操作ができなかったというわけです。
月初めに更新しようとしていながら、今日までお休み状態でしたことを
お詫び申し上げます。

体操新時代到来‼

男子の器械体操が新時代に突入しましたね。常勝チャンピオンの内村航平選手が
跳馬のアクシデントに見舞われてしまい、欠場してしまいました。

どんな大選手でもケガに泣かされるとそれが選手生命をちぢめて
しまうことがあります。前人未踏の大記録を更新中の内村選手と雖も
例外ではなさそうです。もちろん本人にしてみれば、まだまだやれる
と考えてはいるでしょうが、長年のチャンピオンとしての重圧から
開放された安堵感はあるでしょう。

その次の世代を担うべく頭角を現したのが、白井健三選手です。
床運動と跳馬で金メダルを獲得しましたね。これはすごい事です。
大学生が世界体操界に堂々と金メダルの凱歌を挙げたんですもの。

しかも、内村選手と同じオ-ルラウンダ-を目指すと宣言しているのですから、
頼もしい限りです。小生も50年前の高校生時代には器械体操に夢中
でした。

あの当時活躍していた小野孝選手や遠藤幸雄選手の演技などは
食い入るようにテレビ観戦をしたものです。ソ連ではシャハリン選手
などがおりました。東京オリンピックの鉄棒演技でシャハリン選手
は前回りをしていたんです。それでも、優勝したんですから、技の
進歩は想像を絶するほどです。

白井選手のお得意とされるひねり技連発の演技などはトンデモナイ
ほどの高度な技です。固いマットで後方宙返り(バック転)をして
最後に後方抱え込み宙返りをするのが精一杯だった高校生の小生
とは雲泥の差です。

白井選手は内村選手を師匠と尊敬しているようなので、近い将来
内村選手を超えるオ-ルラウンダ-に成長することを期待しています。

白井健三の器械体操履歴

床運動の妙技です

 

釈尊のことば

10月になりました。残すところわずかに二か月です。深まる秋ですので、釈尊の
言葉を紹介します。

〇 無病(わずらいなき)は上なきの利(さち)、足るを知るは上なきの財(たから)
涅槃(しずけさ)こそは上なきの幸(さいわい)(法句経)

〇 身をつつしむはよし、言葉を慎むもよし、意(おもい)を慎むもまたよし、
かくの如くすべてに慎む者はすべての苦より免れん(法句経)

〇弟子よ、我汝らに告げん、この世のすべてのものはいつか過ぎ去り又消えゆくさだめなり
汝ら不放逸(おこたらず)にはげみつとめよ、これ我が最後の言葉  (大般涅槃経)

〇 茅草を採らんとして掴み方を誤らば手を傷つける如く、道を求めんとして道の選び方を
誤らば人は破滅にみちびかれん。(法句経)

境内はまさに秋の風情です

庫裡の背後は強力な岩盤になっております。大震災でも崩れることは
ありませんでした。その北側は納屋となっているおり、その中間に坪庭と
小さな池があります。写真は秋明菊です。濃い緑と純白な花のコントラスト
が見事です。高さは1.5メ-トルほどです。

 

 

 

 

庫裡の背後は強力な岩盤になっております。大震災でも崩れることは
ありませんでした。その北側は納屋となっているおり、その中間に坪庭と
小さな池があります。写真は秋海棠です。濃い緑と純白な花のコントラスト
が見事です。多寡さは1.5メ-トルほどです。

『身延行記』を読む

大阪の寺院での坐禅会に出かけました。車中で読もうとこの和本をバッグ
にしまい込み、ぼちぼち読み始めました。著者の元政上人は江戸初期の
日蓮宗の大徳としてあまりにも有名な方です。『身延行記』はその上人が亡き父の
遺骨を身延山に埋骨する目的で綴られた旅すがらの紀行文です。

旅日記ですが、上人得意の和歌あり、漢詩ありと同道した母親への孝心がみごとな
名文で綴られています。

中でも、霊峰富士を眺めたときに記した漢詩には感動しました。
 碧天雪は白し 白雲の間 
 走卒児童も亦顔(かんばせ)を仰ぐ
 東海初めて遊ぶ多少の客
 富山は敢て何(いず)れの山ぞと問わず

 この漢詩の意味は「碧空に漂う白雲の中に更に白く雪の不二が顔をだしている。
 その秀麗なる容姿には、心なき走卒児童も之を仰いで見ることである、而して
 又初めて東海に来り遊ぶ多くの旅人も、富士山は何れの山ぞと敢て問はなくても、 
 一見して富士なることを知る」(『身延道の記』三戸亮著昭和11年承教寺発行より抜粋)

読書の秋です。車中で読書の喜びに浸ることができました。

深草の元政上人はこんなお方です

 

八木重吉の詩

八木重吉は季節でいえば秋の詩人といえるのでしょう。
それらの詩はどれも短く、透明で純粋なまなざしの表現です。若干29歳の
若さでした。結核であったことも原因でしょうが、惜しまれる
人生でした。

詩人 八木重吉

  障子

あかるい秋がやってきた
しずかな障子のそばへすりよって
おとなしい子供のように
じっとあたりのけはいをたのしんでみたい

  〇

なすべきものはなにか
ひとすじのみちはなにか
すつるのでもよい あつめるのでもよい
けっきょくすなおなこころはほれぼれさせられる
  〇

  響

秋はあかるくなりきった
この明るさの奥に
しづかな響きがあるようにおもはれる
  〇

秋になると
ふとしたことまでうれしくなる
そこいらを歩きながら
うっかり路をまちがへて気づいたときなぞ
なんだかころころうれしくなる
  〇

うつくしいものはかすかだ
うつくしい野のすえも
うつくしいいかんがえのすえも
すべてはふっときえてゆく

リニュ-アルです

慣れ親しんだホ-ムペ-ジをこの度刷新しました。ので、このブログが
新しい紙面の第一号。今後とも以前同様のご愛顧を願います。

大本山研修旅行でした

今年の研修会場は大本山永平寺様でした。6・7・8の二泊三日の予定、北陸旅行の旅。
初日二日と天気は雨。最終日の今日は晴れ間にめぐまれました。県内から参加の檀信徒
180名が五台の大型バスでの参拝団です。いわきから参加のバスは五号車でした。

初日はご本山までのおよそ700キロに及ぶ車中の旅です。午後四時にご本山に到着、
すぐに研修が始まりました。玲瓏閣という大広間での開講式をすませて、粛々と
研修が進み、9時就寝。わたしは久し振りで本山僧堂で夜の坐禅をしました。

翌朝3時半起床の山内時間に合わせて説教を聞き、500畳敷の法堂(はっとう)での
朝課に参加し、先祖供養の焼香しました。その後、朝食をすませて、八時半には
ご本山をでました。

七日は本山を後にして武生市にある御誕生寺参拝、92歳のご住職板橋禅師さまの法話
を直々に拝聴。秋雨にあいながらも、しっとりとした法悦をあじわうことができました。

午後には一乗谷朝倉遺跡平泉寺白山神社の予定でしたが、あいにくの雨模様で十分な

散策はできずじまいでした。宿泊は辰口温泉でした。

最終日の今日は小松空港プラザでの航空機資料館やその近くの松井秀喜ベ-スボ-ル
ミュ-ジアム見学を見学。富山市内でます寿司の昼食をとり、一路帰路につきました。

我が曹洞宗には二大本山があり、例年檀信徒を集めて300名ほどで大本山参拝をし
ております。今年は第一団と第二団あわせて350名ほどと伺いました。

 

今夜は木鶏クラブです。

月刊致知9月号抄録

 

人生を照らす言葉連載99

八木重吉詩集

重吉の詩のもう一つの特徴は、自然描写の美しさと、その本質を捉える洞察眼にあります。
心を開いて自然と一体となった時の幸福感、躍動感が多くの素晴らしい詩を生み出しました。

意識の中に生きる 高田 明 ジャパネットたかた創業者

 

 仕事も遊びも常に全力でやる。中途半端が一番よくない。これは経験から得た私の
実感です。

 

 やはり若い時には、何か好きなものに向かって打ち込む時期が必要であり、その経験を
積み上げていく中に学びや成長があるのだと感じます。

 

 自らが熱意をもって徹底的に打ち込んでいれば、同じ、価値観を持った人が周りにどんどん集まってくる。そして、自分の力以上の力を皆が出して助けてくれることを学ばせて
いただきました。

 

プロセスを重視し、その瞬間その瞬間で百パ-セントの力を出し切り、諦めずに追求し
続ければすべてが可能になる。そう信じて、今日まで取り組んできました。

 

私の座右銘

夢があるから強くなる 田嶋幸三 日本サッカー協会会長

 

夢なき者に理想なし

 理想なき者に計画なし

           計画なき者に実行なし

                 実行なき者に成功なし 

故に夢なき者に成功なし(吉田松陰)

致知と私  木村将人さん(75才)

 

長年『致知』を読み続ける中で私が感じているのは、自分の生活が充実している時には
書かれている内容がスッと心に入ってくるのに対して、そうでない時にはいくら頑張って
読んでも心に響かないということです。つまり、『致知』は私にとって自分の精神状態を
映し出す鏡のような存在でもあるのです。

福沢諭吉が喝破した韓国情勢

さすがに歴史に名を遺すような人物の見識には学ぶことが
ありますね。

明治時代急速な近代化にを目指した我が国にとり、喫緊の課題はいつに

朝鮮半島情勢の安定にかかっていた。これは歴史を
勉強すれば明白なことです。日清・日露の大戦での関心事は
ひとえに朝鮮半島の安定を目指すことにより、我が国の安全保障
が担保されるという状況でした。そのため、

福沢は朝鮮の近代化をしようと甲午改革を企てますが失敗してしまいます。


甲午改革とは

福沢によれば朝鮮人は「上下一般、共に偽君子の巣窟にして、一人として
信を置くに足るものなきは吾輩が年来の経験に徴するも明白なり。
左れば斯る国人に対して如何なる約束を結ぶも、背信違約は彼等の持前にして

毫も意に介することなし。既に従来の国交際上にも?ば実験したる所なれば
朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、事実上に
自ら実を収るの外なきのみ」
(『時事新報』明治30年10月7日付け)
産経新聞オピニオン欄8月25日朝刊渡部利夫拓殖大学学事顧問の文より引用しました。

韓国人の今日の我が国に対する態度は100年前の当時とまったく変わっていない
ようです。やっかいな隣国と付き合うのも大変なことですね。


 

盂蘭盆万燈会のこと

お盆中の15日に万燈供養会をすることになって、今年で二回目となりました。

当日の天気予報によれば80パ-セントということで、朝からしとしと断続的に雨模様
でした。この調子だと夜になって境内をカップロ-ソクで境内を荘厳するのは無理だろう。
そんなふうに考えて対策をかんがえていました。

しかし、夕刻になるとさしもの雨模様が収まり曇り空になりました。ラッキ-でした。
お陰様で雨の心配もなくなり、昨年同様供養を恙なくできたことでした。

IMG_0146.JPG
IMG_0193.JPG

IMG_0201.JPG

IMG_0210.JPG

開催中です。小林工悦作品展

NHKいわき文化センタ-絵画教室講師の小林先生の作品展です。生物、草花や緑あふるる山の風景
などを描いた作品展です。17日まで。

小林先生の絵画実績

まさかの大惨事?

山の日の休日だった昨日、びっくりの事故が駐車場で発生。一時はどうなるかと
心配でした。境内にある駐車場のフェンスに車が突っ込んでしまうという事故に
みまわれました。

幸い午後でしたので、お参りの他の自動車もなく、運転手の60代女性も
無傷だったので、まずは安心しました。

アクセルして加速したままブレ-キを踏むことができなかったようです。
事故現場の右側1メ-トルには太い木があるので、そこにつっこんだら
悪実に運転手は大けがをしていたでしょう。もうビックリのまさかの
事故現場でした。

IMG_0173.JPG

IMG_0175.JPG

供養の施主さま、募集中です

数年前から始まったお寺の境内をロ-ソクでライトアップする夏の夜の

イベント、万燈会を今年も昨年同様いたします。供養の施主を募集中です。
お希望の施主が年々増えますようねんじております。

1005932_905759102842915_8475379619669045624_n.jpg

本堂正面階段に整然と飾られた供養の火。

13529142_1017421631676661_3099657536626337567_n.jpg

たいがいお寺の夜はしずかですが、この夜ばかりは、ごらんのようにご先祖様への
追慕の火でみごとな荘厳がされます。

万燈会.jpg

本堂内に備えられた大灯篭です。縦横1メ-トルいじょうもあります。

ライトアップは15日午後7時です。

いわき花火大会

昨年に引き続きいわきの夏の風物詩、花火大会をみてきました。午後3時にてらをしゅっぱつ、7時のかいさいまで
時間をつぶしての観賞でした。椅子席4000円を払ってもみる価値あり、ですね。大満足の一夜でした。

いわき花火大会

男子新体操の妙技?

この妙技最高?

新体操といえば女子ばかりという認識が一般的です。しかし、男子もあるんですね。

私の高校時代には器械体操部に所属し連日体育館で床運動の練習に汗を流したものでした。
もう半世紀もで前の昔話ですが、その当時に男子新体操などはまだまだ知られていなかった
とおもいます。鉄棒の大車輪とか床運動のバック転とかに夢中になったことが懐かしいです。

オリンピックでは大活躍している我が日本勢ですけど、新体操は種目にないので、マイナ-
スポ-ツといってよいでしょう。

しかし、この見事な新体操の演技をみれば、さすがに感動をかくしきれないですね。青森大学
男子新体操部の面々が世界のひのき舞台にでたのはリオオリンピック閉会式だったそうです。

大学を卒業した先輩たちはすでにシルクドソレイユなどで活躍しているとか。二年前に
ラスベガスで見た「KA]」のあの感激を思い出して、その妙技に改めて感動しちゃいました。

シルクドソレイイユとは

緑蔭禅の集い

IMG_0134.JPG

ことしは7月30日開催でした。小学生と中学生で総勢17めい。例年通りのスケジュ-ルをこなして

楽しい一泊二日の坐禅会でした。

IMG_0138.JPGIMG_0141.JPG

本堂前での流しソ-メンに夢中ですね。去年は青竹でしたが、今年は雨どいを買ってきて活用しました。happy01

『アメリカの鏡・日本』の衝撃

『アメリカの鏡・日本』(ヘレン・ミア-ズ 伊藤延司訳)の出版は我が国に大変な衝撃を
与えた本です。今から22年前の7月に初版第一刷が刊行されるとその二年後には第13刷
まで増刷されました。書斎にはその本を読みながら赤線を引いた箇所があちこちにあって、
熱心に精読したことを思い出しました。

現在では大東亜戦争での我が国での立場を擁護するイギリス人やアメリカ人の著書が
書店をにぎわしております。この本が出版された当時はこれほどあからさまに米国
占領の批判をするにはものすごく勇気が必要とされる状況にありました。

世相がずいぶんと変わってきていることを実感します。で、マッカーサー元帥が米国で
発禁本とした内容の一部を紹介してみます。

占領政策は日本国民と文明の抑圧であることがよくわかる。この計画は戦争の合法的

行為、すなわち賠償行為の常識をはるかに超えた、圧倒的スケ-ルの「懲罰」と「拘束」

である。これが、もし計画通りに実行されれば、私たちの意図とは関係なく、日本の

伝統文明は破壊され、国民はアメリカの下僕となり、人口は減少するだろう。(p81)

・・・わかりやすくいえば、占領は国際的規模で見る刑事と泥棒の関係である。日本の

全国民と文明全体が盗みと殺人をほしいままにしてきたギャングなのだ。アメリカは、

法と秩序をあずかる保安官として、ギャングを殴りつけ、押さえつけ、逮捕、一文無し

になるまで罰金を科し、重労働つき不定期刑で刑務所に送り込んだ。刑務所は厳格だが

人道的に運営されているという。ここでの生活は厳しいが、故意にそうしているのでは

ない。服役者がおとなしく命令に従い、この刑を当然の報いとして受け入れ、看守の

いいつけをよく守るなら、ひどい扱いは受けないだろう。そして、服役者の「凶暴な性格す

が完全に矯正されれば、釈放されて社会に復帰することもできる、というのだ。

この本は米国で1948年に出版されましが、この書物に一貫している記述の公平さを改めて堂々と
再確認できる言論状況が到来してきたのですね。いいことです。

『慈雲尊者法語集』から

『慈雲尊者法語集』から

 

〇眞正に佛を禮するものは、佛の他に自心なく、自心の外に佛なく

 佛すなはち自心なり。自心即佛なり。

 一切衆生もまたしかなり。山河大地もまたしかなり。此中生もなく

 滅もなく、本来成仏して更に別法なし。

 

〇見聞覚知いづれのところか解脱界ならざる。色声香味なに物か実相ならざる。

 我愛増上する所虚空も妄想となる。執着兆すところ風雲も昧境となる。みず

 や心清浄故有情浄。

 

〇天地を以てわが心とせば、到るところ安楽なり。日月を以て我光明とせば

 二六時中くらきことなし。何をか天地を我心とすと云ふ、事にふれて私なく

 二六時中障りなければ、元来そのところ清浄身なり。

 

〇菩提心とは今新たに発起する事にあらず。本来の自心なり。此心一切衆生に
同じければ、いきとし生るものを見ること一子の如し。此心本来清浄なれば

 一切の煩悩無明その跡をとどめず。此心本来微妙なれば一切法門我家の宝蔵なり。

 此心すなはち諸佛の無上菩提なれば、自身に凡夫地をはなるべし。法の邪正を

 察して心にその私なければ、一切時一切処に萬善をのずからそなはる也。

 

〇心動ずれば山河大地も動ず。

 心動きなければ風雲鳥獣もその動揺なし。

 無心のところ、寿あり福あり。

 散乱のところ病生じ憂生ず。天地と共に安住して千秋萬春。

 

〇人は人となるべし。此の人となり得て、神ともなり佛ともなる。

 

〇雪  窓外友として書を読むべし。

 月  天上千萬年つねにわが心地をてらす。

 花  世中の憂喜此地にわする。

慈雲尊者の法語は清新流麗であり、讀む者をして「心地開明してをのづからその

疲れを忘れ」しめるが、それは尊者の境涯の天真独郎・虚霊不昧なるに由るものである。

また、我々は尊者の法語から、佛教の深い意味を知ると共に、広く東洋的の人生観・

自然観に就いて教へられるところが大きいのである。(木南卓一先生のことば)

HPのブログが反映されない異常事態

拙寺のホ-ムペ-ジには定期的に住職のぶろぐを更新しております。ですが、更新記事を
みようとして、ホ-ムペ-ジにある住職ブログの項目をクリックしてみても、記事が
反映されないという事態になっております。

ちょっとした用事で親しいお檀家と電話していたら、ブログの件が話題になりました。

わたしもパソコンを開いてみた、やはり更新記事が繁栄されていないことがわかりました。

なので、業者にみてもらいたいと思います。

蛍を見た

   夏ともなると若い時分には近所の小川でよく蛍をみたものです。しかし、
 その後はそんなささやかな夜の散歩の楽しみもすっかり忘れてしまいました。

 幸い、知人の情報でやさしい篠笛の奏でる音楽を楽しんだ後、付近を流れる小川で蛍をみる
機会があり、嬉しくかんじたことです。今年の嬉しい出来事となりました。

西郷南洲の「失題」という漢詩があるそうです。

 我が家の松籟塵縁を洗ふ

 耳に満つるの清風身遷ならんと欲す

 謬って京華名利の客と作り

 此の声聞かざること已に三年

まさにこの詩の如く蛍を探しながら「ホッ、ホッ蛍来い、あっちの水は甘いぞ・・・」と

近所の友達と夜遊びをしたことを、懐かしく思い起こしたことです。

書道の日です

今月最初の書道の稽古日。新人さんを迎えて、和気藹藹書の
楽しみを続けています。継続それも毎日ちょっとづつ休まないで

続けるうちに、上達します。

尊徳先生ゆかりの宿『福住楼』

箱根温泉には二宮尊徳先生ゆかりの宿があります。まだたずねてはいませんが、
箱根に出かけた時には泊まってみたいですね。

福住楼は先生四大人の一人として名高い福住正兄が営んでいた和風旅館。
現在でも子孫がその経営にあたっておられるようです。名著『二宮翁夜話』を
読んで、感動した人も多いですね。

正兄が尊徳先生に入門師事したのは21歳の弘化二年十月です。その後
五年間先生の身辺で先生の薫陶を受けたのでした。

その様子は「夜話」の自跋によるとこうあります。

  春雨梅雨の徒然、秋冬の長夜、師無聊に耐玉はず。予をして古書を朗読せしめ、
  心に適する処あれば、その章について講説あり。来状の開封にも、文案の
  執筆にも又同じく説話あり。

  朝暮夜具の片付、茶飯の給仕、夜は肩を打ち腰をもみ、出張には刀を担して
  随ひ、次席に侍り。総て教訓を多く聞けるは此故なり。

 

 箱根福住楼のげ現在

富田高慶の人となり

名著『報徳記』の著者富田の人となりについては岩崎敏夫著『二宮尊徳の研究』に掲載されているのが
具体的で参考になる。尊徳先生の第一の高弟といわれた人物の生活とはいわば
師匠である尊徳先生の生き方をそのまま自身の生活で実践したことにつきると
おもわれる。

 高慶は沈毅謹直、自己には厳しく外に対しては寛大であった。自分は常に
 節倹を守るが、他には与えることが多かった。道を聞く人があれば懇切丁寧
 を極め、事に処しては明敏果断、ことに戊辰役に仙台藩につかいしたときなど、
 千里に使いして君命を恥ずかしめずという古い言葉その通りであったという。
 度量広く忍耐力にも富んでいた。

 風雨寒熱の別なく、毎朝鶏鳴に起きては村内戸毎にまわるのが彼の日課
 であったが、けっして人を起こしたり、特に励ます言葉をかけたりする
 ことはなく、すべてが彼自身の勉強のためであった。

 いつも握り飯を腰に下げ接待の湯茶以外はうけなかった。遠方の村
 に出てまれに泊ることがあっても酒は出させず、飯と一汁の他は
 出されても用ず、贈物は大根一本と雖も受けず、職員にも一さい
 これにならわせた。

 名利に恬淡な彼は、よく師の教えを守り、二十七年の仕法施行を通して
 一度も藩の地位につかず、藩の一粒の粟をも受けず、生活に困るときは
 尊徳から貰い、あるいは僅かに荒地を藩から借りて、その収穫をもって
 背勝の資にあてた。その土地も明治になって官に返してる。

 利欲に恬淡なことは富田家の家風で、父もそうであり、甥の高行も同様
 であった。

 高慶はまた何事にも綿密で計画性に富み、かつきちょうめんな性格であった。

 その書簡の一つを見ても、いかに長文のものでも、はじめから終りまで
 少しの乱れも示さず首尾一貫脱字も誤字もほとんどみられない。それは
 堅忍不抜つとめてやまない性格とも通づるものである。

まさに先師尊徳の生き方に随順するという信念を貫いた尊い一生なんですね。相馬藩士の
鏡でしょう。感動ものです。

 

テレビの取材でした

26日午後から福島テレビによる坐禅の取材がありました。放映日七月一日
午後六時台だそうです。一二分程度だとおもいますけど、時間のある人は

観てください。

誠明院さまの息女

誠明院功誉報徳中正居士。これは二宮尊徳の戒名です。江戸時代後期一大農政家として70年の尊い生涯を閉じた我が国
の偉人ですが、その戒名までで知る人は少ないでしょう。その息女の文子さんのことになれば、報徳関係に詳しい人材で
ないと興味もわかないかもしれませんね。

尊徳先生は一介の貧農から出発して56歳には幕臣の御普請役に取り立てられた人物です。厳しい封建制度のただ中で
異例の出世をされたのは、先生の提唱された農村復興事業のすばらしさが幕府にまで深く浸透していたからに他なりません。

お百姓がお侍に取り立てられたこと自体は素晴らしいことですが、そうした名誉であっても下っ端役人にすぎない立場でした。

先生は31才のときに きの女(19才)と結婚しましたが、服部家仕法の際に、同意が得られず嫁のほうからの申し出で

破局しました。きの女との間には長男徳太郎が生まれたのでしたが一月余であえなく死亡してしまいます。そんなこと

も離婚の原因になったのでしょうか。その後、服部家の下女をしていた波女(16才)と再婚し一男一女を授かります。
長男尊行(弥太郎)と長女文子です。長女が出生したのは先生38歳の時でした。

成人した文子は父親の仕法に尽くした女性で、書や絵画にすぐれた人物です。先生ご自身は出身地の栢山の親戚に
嫁がせようとの思いもあったようですが、婚期を逸した文子が嫁いだ相手は高弟の儒者富田高慶でした。

富田は熱心に報徳仕法を体得、実質的な先生の後継者とされる相馬中村藩の御武家さん。ご両人の結婚式には
先生が立て込んだ仕法の都合上、やむなく欠席しその代理には弥太郎の岳父が世話をしたのでした。因みに

長男弥太郎長女文子の結婚は同じ年の嘉永五年四月と八月で、文子は相馬中村で挙式しました。文子が結婚するために
わが郷土いわきを通過した記録があります。結婚式の世話役をした衣笠兵太夫が臨席できなかった尊徳に

宛てた書簡です。

 先月青木村勘右エ門宅にてお文様御一所に相成り、・・・四日目湯本駅本陣久太郎佐右ヱ門方泊りの節、
 暁より大風雨故早朝出立相成り申さず見合わせ居り候処、雨晴れ候につき五つ時頃出立、磐城平御城下迄った
 四つ時過ぎ着仕り候処、御城下外れ鎌田川洪水にて渡舟相成り申さず、空しく一日逗留仕、翌日川明の

 様子篤と見届けさせ候上、出立仕りその後何の差支えこれ無く、先月二十六日中村御城下へ上下無難に
 到着仕り候。

新妻となったのでしたが、それもつかのま翌年六月に死児を分娩し、産後の日だちが悪く、三十歳の若さであえなく
他界してしまいました。

 当時弥太郎から父尊徳への書簡にはこう述べられております。

「今明方東郷着致し候処、母上様始め一同当惑相嘆き、誠に以て看病残る所なく十分行届き候へども、
 おふみ事養生相叶ひ申さず、作七日夕七つ半頃病死、誠に以て驚入り、一同嘆息仕り候」

最愛の有能な秘書でもあった愛する長女を失った先生の深い悲しみが胸を打ちますね。以前
相馬にある文子様の墓参りを家内と共にしたのですが、改めて当寺を思い起こしました。

 

“啓発録”に学ぶ

若干26歳という短い一生を閉じた景岳橋本先生。安政の大獄で牢獄にぶち込められ一介の医者から政治家に
取り立てられた幕末の偉人。”啓発録”は14歳という信じられない天才若人による著作です。

人物の評価は年齢の多寡ではなく志の有無による、そんなことを思い知らされます。風雲急を告げる時代
の申し子から学ぶことはおおいですね。

景岳先生を支えた志とは

夏の『楠葉だより』から

『楠葉だより』は木南卓一先生から届けられた年三四度の随想集です。他界された昨年まで都合四巻あります。
 およそ40年近く有縁の読者に届けられた通信。そのなかから第269信の御文章を適宜引用しておきます。

 なつぐさを こころのままに しげらせむ みどりのいろは あくこともなし

 いへといへの あひだにみゆる 夏山の みどりはとほく そらはれわたる

 みせさきに あまたつるせる 風鈴の なりしきれども しづかなるおと(松坂歸庵)

 自然-造化に参じ、風雅の誠を養うには、古典なり古人の詩歌・文章なりを味わうことが大切ですが
 それには受持・読誦・解説(げせつ)・書写・如説修行”というような効夫を積むことがのぞましいことです。

 そこで先ず”受持”すべき詩文を持たねばならぬわけですが、最初は自分にもっとも親しく味える古典や古人の
 詩文を選んで、それを自分の拠りどころ、思惟の源泉とすることが大切でしょう。・・・

自然の移り変わりを自身の好きな古典によって深く味わうにはとても有意義な御文章が豊富に綴られて
おります。東洋思想家の先生から教導された恩恵ははかり知れないものがあります。

星一ブレンドコーヒーが上荒川にあった?

いわき市錦町江栗出身の政治家、実業家として有名な偉人、星一氏の名がついたブレンドコ-ヒ-を販売
しているのが、『ブラウンチップ』さん。

ブラジルコ-ヒ-「カルモシモサカ」と星先生ゆかりの地ペル--の豆を丹念にブレンドしてジャ-マンロ-ストに
仕上げた逸品。そんな紹介パンフをいただいてきました。

小生、コ-ヒ-を飲む習慣はもちあわせていないのです。でもいわき市出身の偉人星一の名がついたコ-ヒ-が
あって、福島高専のすぐ隣りの店にあるのは、うれしいことです。

あの野口英世を資金的にバックアップした親友星一。また、第一次世界大戦で極度に疲弊していたドイツに
なんと時価換算すると20億円もの寄付をポンと差し出した方。そのことの恩義を忘れず2010年4月24日

にはドイツ政府から贈られた顕彰碑があるのです。日独修好条約を決定した日本側の責任者はなんと
旧磐城平藩主安藤信正公でした。それは150年前の歴史的事実であります。

今日では日独のそれぞれの御子孫がお付き合いをされていることは、以前のブログでお知らせしたことです。

星一というと星薬科大学の創立者であり、SF作家で有名な星新一の父として知られているのですが、
こういう偉人がここいわき市出身であることは、いわき在住の小生としては誇らしく思うのです。

 

『ブラウンチップ』さんのお店を紹介します

山里は・・・

山里は 松の声のみ ききなれて 風吹かぬ日は さびしかりけり

これは明治の歌人太田垣蓮月尼の歌です。昨日の稲妻のピカッと光った瞬間は
みることもなかったものの、嵐のような集中した雨音を耳にしながら坐禅を
しておりました。春夏秋冬かわらぬ”四時の循環”を実感した次第です。

渡部昇一先生(上智大学名誉教授 86歳)が亡くなられてから新聞雑誌などで
先生の著述が矢継ぎ早に出版されております。

英語学者として高名な学者でしたが、我が国の伝統や現在の政治の事どもについても
自信をもって論陣を張られて国民の蒙を開いていただいた恩人です。文句なしの碩学であり
 

あまたある著述の中でも、幸田露伴の「努力論」を紹介されたことには、わが意を得たり
との感を強くして、感動したものです。尊い八十六歳の一期でした。

木南先生の『楠葉だより 自然と人生』を久しぶりにめくっていたら、
貝原益軒の漢詩が目にとまりました。

 幼求斯道在卑懐  幼ニシテ斯道ヲ求メテ卑懐ニアリ

 徳業無成夙志乖  徳業成ル無ク夙志乖ク

 八十五年為曷事  八十五年曷事(ナニゴト)ヲカ為ス

 読書独楽是生涯  読書独楽是レ生涯

渡部先生と貝原益軒先生お二人の読書の境地ははるかな時間を超えても同じものなのでしょう。

 

雷さまがきたっ!

いつもの朝の坐禅中の出来事でした。久し振りで雷があちこちで鳴り響きました。ちかごろでは
珍しかったです。かなりおおきくて強い雷のあと、すぐに土砂降りの雨となりました。

廊下の板が叩きつけられて雨脚の音がうるさいほど。それもしばらくすると穏やかな雨となり
雷の聞きなれぬ怒号もいつしかおさまって静かになりました。

10時過ぎの今の時刻ではすっかりそんなことがあったことも忘れての上天気です。お天気次第とは
よくいったものです。

東博「茶の湯展」を堪能!

金曜日朝一番の特急で上野の東京国立博物館に出かけてきました。朝九時過ぎに下車したところ
外は本降りの雨。売店で傘を買い、雨のひさしぶりで東博にでかけました。九時半開館ですが、
すでに大勢のお客さんが入館の列をなしていました。今回の茶の湯展はなんと37年ぶりになるとか。

入ってすぐに売店を覗き、目録を購入しゆっくりで鑑賞できて、至福のひと時を過ごすことができました。
館内には藪内家にある茶室「燕庵」が原寸大で復元展示されておりました。今回の展示にかける当館の
意気込みが強く感じられたところです。

この日は大阪での坐禅会を予定しており、その時間に遅れないようにして見学できたのは一大収穫でした。
茶道の名だたる名品の圧倒的な迫力に引き込まれて、茶道具を拝見しましたが腰をかがめたり、背伸びをしたり
横から回り込んだりしての観賞ができ、満足しました。

茶道は我が国の伝統文化の最たるものなんだなあ。と、心底感動した次第です。

木鶏クラブは昨晩でした

夢を持って不動心でいききる 大村智先生

「子供の時に肉体的に辛い経験を与えないと、大人になって人間的に不幸だ。」

厳しい農作業のおかげで徹底的に体力も精神力も鍛えられ、私はとても幸せだった

と思います。

あるレベルまでは優れた人の指導を仰ことが大切ですが、それを超えるには
自分独自の創造性や個性を生かして戦わなければ勝てないことを、私はそのお話から
学びました。

 

良き人生は日々の丹精にある。

 

鈴木大拙が歩いた道

 東洋思想はすべてが自と他で分かれる前の「大本」を捉えて確認することです。

 

 本物の人物に会った時は、こちらが浄められ、安らぐような感覚になるものですね。

 

 自我をなくすには、まず必死になることだと私は思います。「自分はなぜこのような
未熟な人間なのだろうか」と深く反省して苦しまないと、自我を超えようという湧きおこってはきません。

勝ち残る企業はかくして創られる  新将命(あたらし まさみ)

 会社は社長から腐る。・・・つまりトップがどんな人かによって、その組織が勝ち残る
 か否かがほとんど決まってしまうのです。

 

 人間力=信頼+尊敬+意欲

 理念に数字を加える。すると、目標が生まれます。

 

 過去と他人は変えることはできない。未来と自分だけを変えることができる。

「一日四回飯を食え」四回目の飯は「活字の飯」、つまり本を読むこと。

 

 わたしが大切にしている信条は「コツコツ、コツコツ」です。何があってもコツコツと
努力の歩みを続けていく。それこそが自分に克ち、相手に勝つコツである、という意味の
造語です。

昭憲皇太后のめざされたもの

 

 金剛石

金剛石も みがかずば  珠のひかりは そはざらむ

人も学びて のちにこそ  まことの徳は  あらはるれ

時計の針の  たえまなく  めぐるがごとく 時のまの

日かげをしみて  はげみなば  いかなるわざか ならざらむ

 

水は器

水はうつはに  したがひて そのさまざまに  なりぬなり

人はまじはる 友により よきにあしきに うつるなり

おのれにまさる よき友を   えらびもとめて  もろともに
こころの駒に  むちうちて  まなびの道に  すすめかし

 

利他の精神で歩み続けた道  致知随想から

福井県にある曹洞宗大本山永平寺にて五日間坐禅を組み、後継者としての
あり方を熟考しました。その時に、道元禅師が説く利他の精神に心を打た
れたことが私の原点です。

二十代をどう生きるか  渡部昇一先生

どんな逆境に遭っても、決して天を怨まず人を咎めず、自らを信じて
心穏やかに道を楽しむ。「これは天命だ」と受け入れる。そうすると
霧が晴れ渡るように視界が開け天から梯子が下りてきて、思いも寄らない
幸運に恵まれるのである。

「鉄牛の機」 横田南嶺老師

 どんなにすばらしい機械が出来ても、私達は、果たしてそれで幸せなのかと
問うことを忘れてはならない。便利ですばらしい機械に囲まれながら、不幸
になっては仕方がない。

 

幸せについて、お釈迦さまは、健康であること、

              足ることを知ること

              信頼できる友を得ること

              こころの平安を得ること  を挙げられている

 立ち上る朝日を拝み、道のべに咲く一輪の花に手を合わせ、美しいと感動し、いのちを愛おしむこころを大切にしたい。

 

『報徳記』富田高慶著 は福島県人必読の名著です。二宮尊徳四天王の第一人者です。

原町出身の武士。

拝米右翼の安倍内閣には幻滅します

日本郵便元副会長が実名告発「巨額損失は東芝から来たあの人が悪い」 これでは東芝と同じじゃないか…

 

今世紀最大の上場劇、NTT株の再来――華々しい惹句につられて、郵政株に手を出した人はいま後悔しているだろう。まさかの巨額損失に追い込まれた巨象の実情を、元最高幹部がすべて明かす ・・・総務省政策統括官から日本郵政公社常務理事に転じ、日本郵便副会長などを歴任した稲村公望氏(68歳)である。いまの日本郵政は4000億円もの損失を計上したにもかかわらず、長門正貢社長をはじめ経営陣は誰一人として、まともに責任を取ろうとしていません。巨額損失の元凶である西室泰三・元社長にいたっては、一切お咎めなしです。

そんな西室氏を推薦した安倍晋三首相、菅義偉官房長官にも『任命責任』がある。

 

 西室氏は安倍総理の『七十年談話』に関する私的諮問機関の座長として総理が任命したのである。

七十年談話の下敷きは、この私的諮問機関の報告をベースとしている。

それで、70年談話の歴史観が可笑しいよ、といったのが佐伯氏である。

これを佐伯氏の言葉で言うと、「おそらく日本人の誰一人として、この種の歴史観を持ってはいなかったであろう。ただ英米本位の力による世界支配の口実だと思っていたであろう。あの戦争は、昭和天皇の終戦の詔勅にあるように「帝国ノ自存ト東亜ノ安定」のためのものだと考えていたであろう。それを全面的に覆したのはポツダム宣言と占領政策であった」と。

しかし70年談話は東京裁判史観を踏襲し、日本は侵略戦争をしたという歴史観が貫かれている。

 

 以来安倍総理は、拝米右翼の道をまっしぐらで、グローバリストとしてTPPや、農協改革という農業の大破壊に突っ走る。

国民から選挙で選ばれる訳でもない「規制改革委員会』の改革案が官邸に上がり、閣議決定されて、国会議員は勉強不足でそれを追認し法制化される。

この地域社会や国民生活を破壊する、グローバル資本主義の餌食となつた日本国であり、安倍内閣は国賊的行為を何の抵抗もなく推進しているのである。

「種子法」の廃止は、米国は小麦の種子は民間せず価格も低く殆ど変化はないが、民間ビジネスのトーモロコシの価格はここ5~6年で数倍となつている。日本は主食のコメまで、モンサントなどの国際種子産業に解放するという国賊的行為を総理自ら進めようとしている。

本来農業はビジネスの対象とすべきではない、地産地消を原則とすべきで、ヨーロッパは農家の所得補償をしている訳である。

 これらの国際種子産業は遺伝子組換え作物や、FI品種をビジネスの対象としており、農家はこれらの企業から種子を購入し販売ルートまで規制され、破ると罰則を受けるというビジネスモデルである。

 

 4月以降に施行されることから、日本の基本的農産物を守るための、議員立法が期待されるのである。

一旦作付けされると、花粉が飛散し交配が進み、元の作物はもう復元されないのである。

日本は農薬を過多に使用している、ホウレンソウの最近不味い事は、押して知るべしで、種子はもうこれらの産業の提供するものに切り替わりつつあるのである。

邪悪なグローバリストであり、拝米右翼の安倍総理に連なる、西室・北岡氏や規制改革委員会メンバーが、日本を根本から破壊しているのである。

 

この文章は送り主に無断ですが、紹介しました。意義深い指摘ですね。

ベトナム人が書道を・・・

ベトナム人が書道を・・・

我が国の伝統である書道の経験をしに、ベトナム男性3名が来訪しました。娘の勤務

している関係で、仕事で来日したそうです。大型連休があった今月初旬のことでした。筆使いも全く
知らない人たちでした。ベトナムでは20代前半にはたいがい結婚生活を始めるとか。

この中にはご夫婦で我が国に仕事に来ている方もおりました。すでに子持ちの男性は本国では
親が幼い子供の面倒をみており、3年後に無事本国に帰ることを期待しながらの
子育てだそうです。

ベトナムでの給料は平均月収は2~3万円だとか。3年頑張って仕事をすれば200万円ほどで
立派な家屋ができるそうです。なので、日本にきて就職するのは人生設計としては
明るい未来の実現に直結するらしいです。

それにしても、幼い我が子を親に託して、夫婦で海外にでかけて出稼ぎをするという選択は
我が国ではちょっと考えられない選択ですね。

IMG_0058.JPG

IMG_0060.JPG

白隠を飲む

駿河の國にすぎたるもの”富士のお山と原の白隠”と謳われた五百年間出の傑僧白隠和尚の
名がつけられたお酒があるのを知りました。ご縁があって飲む機会がありました。

晩酌の習慣はありませんが、あの独特な達磨の絵に「見性成仏」と賛があります。

静岡県のr酒造店ですが、山岡鉄舟居士の命名だそうです。あの達磨のラベルを前にして
一献やるのもわるくないですね。

高島酒造の白隠正宗ってこんな酒店ですよ

IMG_0091.JPG

花ざかりの境内です?

昨日の日曜日は終日雨でしたね。今朝はどんよりとした朝からずっと、曇り空ですが
午後にかけては落ち着いたしっとりとした気分にさせてくれました。なので、

締め切りが迫っている書道の条幅を無事仕上げたので境内を散策しました。
じっくり境内のや参道の土手に咲いている躑躅花などを眺めては気持ちよくなり、あちこち

に咲いている可憐な草花をカメラにおさめましたので、ご覧ください。

IMG_0088.JPGIMG_0084.JPG

 

IMG_0080.JPGIMG_0081.JPG

IMG_0077.JPGIMG_0079.JPG

IMG_0073.JPGIMG_0076.JPG

藤の花が見事ですよ

今年の藤の花はじつに見事です。去年はパッとしなかったのでしたが、ことしはいいですね。

IMG_0069.JPG

IMG_0071.JPG

IMG_0070.JPG

やまとはくにのまほろば・・・

皇紀2600年(西暦1940年、昭和15年)は日本書紀によれば、神武天皇が即位された年から数えて2600年とされます。

その節目を記念して当時すでに著名だった作曲家信時潔が渾身の努力によって完成された傑作とされる曲です。
作詞は北原白秋です。交声曲『海道東征』は第一楽章から最後の第八楽章まであります。
その第二楽章は 大和思慕 です。

大和は国のまほろば           大和は国々の中でもっとも素晴らしい所、
たたなづく青垣山            重なり合う山々に青垣の様に囲まれる美しい所

東や国の中央(もなか)         日向 よりも東方にして我が国の中心であり、  

美しと誰ぞ隠(こも)る、        青く美しい山々に囲まれた素晴らしい土地だ。
誰ぞ天降るその磐船           その素晴らしい土地に、今は誰か住んでいるのだろうか。
愛(かな)しよ塩土の老翁(をぢ)    天下る磐船で、誰が先に降臨しているのだろうか。
きこえさせその大和を          さあ、良き土地に導いてくれる塩土の老翁よ、
                    大君にその大和の素晴らしさを申し上げよ。

大和はも聴美し(ききうるわし)     大和は大変美しい所だという評判です、
その雲居思遥けし            大和へは遥か遠く、大和への憧れも永遠のものです。
美しの大和や                      (杉本和寛訳)

大和や

聴くほどにジ-ンと感動してしまいます。何度聴いても飽きがきません。傑作ですね、この曲は。

 

今日は月刊『致知』の会合日です。

特集 繁栄の法則から抄録

 

ギリシャ悲劇には人生の悲哀が描かれていますが、悲劇が訪れる前には
勝者として栄華を極めた体験があり、それがうしなわれていくから
こそ悲劇となるのです。

 

帝国内にキリスト教が普及する時期と寛容さが失われていく時期とが
ほぼ一致しているということです。

 

国家としての寛容さと誠実さを守りつ続けること、それがローマにおける
繁栄の法則だといえるかもしれません。

 

本居宣長の追求したもの

 実際は医業で生計を立てた人です。

 

本居宣長三十四歳、賀茂真淵六十七歳。このただ一度の対面が、二人の人生
のみならず、日本の歴史をも大きく変えたのです。(松坂の一夜)

 

「才の乏しきや、学ぶことの晩きや、暇の無きよによりて、思ひくづをれて

とめることなかれ。とてもかくても、勉めだにすれば、出来るものと心得べし」

 

どうすれば繁栄の道に踏み出せるのか 鼎談から

 

「自分が多少損をしても人をよろこばせること(徳を積むこと)にこそ
大きな意味があるんだよ」

 

倒産する会社を何千と見てきた私の知人も、倒産する企業と、市内企業の違い
は何かといったら個人欲の深さだといっていました。

 

分かち合うことを覚れば清水は沸き続けるから不安に陥ることはないと私は
教えているんです。

 

人生には出会いの法則があって、よき友、よき仲間とご縁をいただくことによって
人生はいくらでも好転させていくことができます。

わが日本最高の倫理哲学者西晉一郎先生を仰ぐ

作年12月初旬に96才で他界された?故木南卓一先生から今月書籍が四冊届きました。

 亡くなるまでに出版予定であった とされる書物です。宛名が生前のものでしたので、ちょっと訝ったのですが、

   奥様の文章もあり、安堵したことです。 『古教照心の栞 (四)』、『国家と教育、道徳と国家 他一篇』(西晉一郎先生講述)、

『国民道徳大意、西洋思想史大意 他二篇』  そして『新論について、新論講義抄 他三篇』(西晉一郎先生 講述)

晩年の木南先生は西晉一郎先生の講述本の複製を心がけておられました。そのことを思い出すと
、晩年の先生の思いが一層強く 胸に響いてきます。

西田幾多郎全集19巻は既刊ですが、西晉一郎先生の全集は学園を退官されてから具体的な全集刊行の
 企画もあったけれど、「戦争 の結果、全集刊行の事業は中止し、記念館も消失してしまって、今

 はたゝ数十冊の著書と共に精神的に不滅の金字塔が残って いるのみである。」(西晉一郎先生の生涯と哲学

  縄田二郎著 理想者刊昭和28年) 木南先生とのご縁があったればこそ、西先生の偉大さを知ることができたのでした。

以前、木南先生からお借りした西先生二十周忌記念事業会編『続清風録』はコピ-して製本をしております。
それらの文章などを読む楽しさはまた格別の思いがしますが、これからも何度でも読むことだろうと思います。

お寺界隈の桜です

IMG_0039.JPG

区内にある荒川ゴルフクラブの土手のソメイヨシノです。

IMG_0038.JPG

ゴルフ場までの土手は桜並木です。すばらしいです。上荒川の桜スポットとしては

このほかに福島高専とわが医王寺の土手に咲く桜がひときわ目立ちます。

観桜茶会はしっとり

今年の茶会は雨の茶会となってしまいました。天気予報の通りになりました。激しい降雨でなかったのは幸いでしたね。

 

IMG_0007.JPGIMG_0003.JPG

 

IMG_0006.JPGIMG_0005.JPG

総勢70名ほど。今年は初めてのご参加をいただいたお客様が目立ちました。楽しみにしていた桜の開花が一日遅れたのは残念。

第15回観桜茶会です

四月に入ってから桜前線の花だよりがかしましくなりましたね。昨年の絶好の花見と同じく
今年の茶会も満開の桜を愛でながらの楽しいひと時を過ごすことができそうですね。

炉の薄茶点前と勿来春秋香という聞香を皆さんに楽しんでもらえたならと思います。

今年は9日開催です。参加ご希望のかたはまだ間に合いますので、連絡ください。
お待ちしています。

西855

そうです。西病棟で七日間お世話になった私のベッドのある部屋番号です。先月28に手術。体内に

脈拍をコントロ-ルするペ-スメ-カ-の埋め込み手術で病院のお世話になりました。先月から
頭がボ-ッとしたり、疲れが出たり失神があったりと異常な状態でした。
この年でまさかの手術経験となりました。実に40数年ぶりでした。

生老病死という四苦のうちとうとう私にも病苦が追いかけてくることになったんです。いつかは
朽ち果てる我が身ではありますが、健康をひそかに自慢していた生活に病魔という大きな衝撃波が襲い掛かった、
そんな感じです。

心電図で脈をとってみたところ、通常の脈拍数とされる60~70という数値が40前後という徐脈になって
いたのでした。現在は60で安定するようにペ-スメ-カ-が自動的に管理してくれています。

ま、そんなことでブログ更新もままならずでした。

感動?『海道東征』

『海ゆかば』は君が代につぐ第二の君が代といわれるほどの名曲で大東亜戦争中には毎日のように
 ラジオから流れていたそうです。作曲したのは信時潔です。『海道東征』も彼の作品です。

この曲は紀元2600年、つまり昭和15年に奉祝演奏会で初演奏されましたが、その三年後の昭和
18年11月15日共立講堂における出陣学徒演奏会が最後となりました。

作詞者は北原白秋です。CDを求めてから何度も繰り返し聴いています。内容は我が国の天地開闢
から始まり神武天皇が九州から東征して大和で即位するまでを交声曲(カンタ-タ)として
しあげたものです。白秋の詩が素晴らしいです。

 

『海道東征』を聴こう

青磁の魅力

大阪市立東洋陶磁美術館では北宋青磁の特別展を開催中です。今月26日まで。今月は大阪に出かける月

なのでそこを訪ねることにしました。知人からの情報がなかったなら得難いチャンスを逃がすところでした。
台北国立故宮博物院の秘宝汝窯青磁水仙盆です。
青磁でも高級なものは官窯とされ、庶民には無縁の皇帝の為の高級ぜいたく品でした。青磁の最高級品は特に
秘色青磁(ひそくせいじ)と言われています。

「秘色の秘は禁秘の秘である。・・・」と露伴先生の名随筆『秘色青磁』にあるとおりですね。ひさしぶりで
書庫から『故宮博物院全15巻』を取り出して改めて青磁のことを勉強したことでした。

汝窯青磁はなかでも特に品位が高くあの名状し難い青みがかった美しさはさすがに絶品にふさわしいものでした。

乾隆帝の有り余るほどの壮大な量のコレクションでも特に愛玩されていた水仙盆のようです。
素晴らしい作品を国内でみることができましたし、『秘色青磁』(幸田露伴著昭和18年作)を
再読して読書まで楽しむことができました。わが国で秘色の文字は源氏物語やうつぼ物語に出ている、との
露伴の指摘はさすが文豪による該博な知識を証拠だてるものでしょう。

大阪市私立東洋美術館

『人の言』から

露伴翁の書き物を読むと、学ぶところが実に多いです。今回は明治36年に書かれた『人の言』からの
抜粋です。

 ある年老い徳すぐれたる僧に若き女の、如何様に心を持ち身を行はば、夫には良き妻となり、
 舅姑には良き嫁となり、後の世には佛となり得るにや敎へさせたまへ、と尋ねければ、僧打
 笑ひて、まこと殊勝の御尋なれば、秘中の秘にはあれど包まず御敎え申すべし、と云ひて、

 扨女の面を睨み付け聲を勵(はげ)しくして、その問をよく忘れずに日に三度づつ自分で
 問はっしゃい、と女が三日四日は耳も聾(しひ)るほど、雷の如くに呵(しか)りけるとぞ。

さすが名僧の一言ですね。千金の重みがあります。この教えを授けたのはきっと名のある
禅匠にちがいないでしょうね。deliciousdelicious

学生ボランティアが来た?

日曜日の午後1時30分過ぎに学生ボランティアの皆さん13名ほどがお寺にみえました。
お寺が奉仕で提供することになっている薪を運び出すのが目的。なかでも女性が9名と
おおかったです。

すでに冬の暖房用にと伐採しておいたスト-ブ用の薪を岩手県岩泉の過程に届ける。
そんなプロジェクトと伺いました。

NPOに登録している学生さんたちによる奉仕作業は順調にはかどり、待機していた
4トントラックとべつのトラックにも薪が満載されました。前回は若いお寺の
住職たちが同じ作業をしてくれましたが、今回は若人が中心の奉仕作業となったのです。

たまになった大木は専用の巻き割り機をつかい、つぎつぎにわっていきます。すでに
山盛りになって割られている薪はトラックまで、バケツリレ-式で女性の手渡しにより
運び込まれました。作業は暗くなってきた午後6時半までかかりました。

人数が確保できると作業も大いに捗るもんですね。薪を失った岩泉のご家庭に役立てて
もらえるのにお寺の薪が活用されて、空の薪スト-ブに灯りがつくのを嬉しく思いました。

学生ボランティアの皆さん! ご奉仕ご苦労様でした。

岩泉町の土砂災害状況

東日本大震災から六年・・・

あの日は金曜日でお寺の和室ではお家流茶道宗家安藤綾信様が出稽古をしてくれる
月例会の日。無事、お稽古が終わり宗家を玄関口でお見送りしたことでした。

その後、3時の予定で来山していた3名と客殿で仕事の話をいているその時に突然
部屋が揺れだしたのです。いつもの地震だろうからとたかをくくっていたら案に相違して
おさまりつかなくなって初めて大地震の凄さにビックリしたのでした。

その後の大地震の報道はご承知の通りでした。あれから六年経過したんですね。この間
年老いた家内の両親は次々と他界し副住職には男の子が授かりました。その子も今月三才とな
りました。

あってはならないと観念していてはみたものの天変地異の恐ろしさはいまでも脳裏に
深く刻み込まれております。

被災地での未曽有のご苦労様を経験されている方々の復興へ向けての努力が報われる
ことを改めて念ずる次第です。

典座は副住職が…

四日土曜日は初釜でした。茶事をしたのですが、本格的なというほどではないにしても、露地での手の清め方などの
基本的な作法をして茶室に入ることや床飾りの拝見などの基本的な茶室の作法を復習してもらいました。

全員で11名にもなりましょうか。普段通りの薄茶の手前を二名でしてもらいました。男性と女性と。
みなさん和服姿で、男性もはかま姿のいでたちでしたので、華やかさが出ていました。男女の正装をまじかにして
その場がちょっとした緊張感があり、厳粛なひとときを共有したことです。

楽しみの食事はうちの副住職が一人で頑張ってくれました。たいへん好評でした。数日前に試作品を賞味しての
料理には参加者の皆さんから期待以上のおいしさを褒められました。

本人は料理などをするのが苦にならないようでした。昨年はお弁当屋さんに依頼しての食事でしたので、今年は
趣向を変えたわけですが、よかったです。

典座(てんぞ)は禅道場での料理長のこと。お天候もよく、楽しい一日でした。

月例の木鶏クラブです

今夜は木鶏クラブの会合日です。再開しての本格的会合です。テキストは二月号です。参加者の皆さんの読後感
などを聞けるのを楽しみにしています。石田梅岩の提唱した石門心学について、少しお話しできると考えています。
 

寛政の改革で活躍した泉藩主本多忠籌と心学の関係などについての興味ある話題を提供できればと思います。

たかだか15000石ほどの地方の小大名にすぎない本多公が幕閣に登用されたその訳は・・・。いわき市民も
知っておいていいことですね。

戒は是れ・・・

今日は釈尊のお涅槃の日。先月より客殿の広間に大幅の釈尊涅槃図をかけて、その前で
遺教経を読誦しています。昼前にはには本堂にて涅槃会の読経をすませ、報恩感謝の
儀式をすませました。

このお経にはいろいろと大切な教えが書かれていますが、その一節を紹介してみようと
思います。

 汝等比丘、我が滅後に於て、当に波羅堤木叉を、尊重し珍敬すべし。闇に明に遇い、
 貧人の宝を得るが如し。当に知るべし此は即ち是れ汝等が大師なり。・・・
 戒は是れ正順解脱の本なり。故に波羅堤木叉と名く。・・・戒は第一安穏功徳の
 所住所たることを。

釈尊がご遺言で最初に弟子たちに言い残したことは「戒律をよく守りなさい」と
いうことでした。戒は自ら進んで悪い行為をせず、積極的にいい行為をしなさい、
ということですから、日常生活の基本的な規律や習慣をしっかり守ることが重要であると

教えられたわけです。生活習慣を磨く行為の積み重ねが大事である。そうした
行為をすることがわれわれ自身のお師匠なのだ。と、断言されています。何事をするにも
平素の生活習慣が基礎であり、土台になっているのを考えるとき、釈尊のこのみ教えの
重要性を感じさせられます。真っ暗闇でささやかでもいいから灯りがほしい。この煩悩や
不安に満ちた暗がりから脱出したい。そんな思いを抱いたときに、救いとなる一筋の
灯りが戒なのだ。そんな例えをだして、戒を守ることの大切さが説かれていますね。

佛遺教経が今日まで各宗に連綿と伝えられてきたのもうなづけられます。

詩画禅一如の世界

國清寺は玉青館のすぐそばにある黄檗宗寺院です。玉画伯が再興した禅宗のお寺
という事なので拝登し、ご住持に会ってお話を伺いました。

それまで廃寺同然だったのを、出家して禅宗僧侶でもあった玉青画伯が住職となり
立派にしたということでした。我が国南画界の第一人者として活躍していた画伯
の渾身の努力によって見事な伽藍が完成しました。

現在の御住持はお弟子の濱端青橋師という画伯でした。あの阪神淡路大震災で
本堂などはその当時の立派さはうしなわれてしまいましたが、堂内のいたるところに
玉青画伯の手になる水墨画は見ごたえがありました。天井絵も見事です。

境内には画伯の愛した牡丹が栽培されていました。五月ごろには牡丹祭りも
あるようでした。ご住持とのお話もはずみ、良き出会いとなりました。

國清禅寺

玉青館を訪ねる

玉青館とは何の施設

不用意にではあったけれど、日本画の美術館があるというので、おとづれてみました。
南画会の巨匠として有名な直原玉青画伯の個人美術館でした。
南画というと、富岡鉄斎、池大雅、松林桂月などの作品をおもいおこします。その
系列に属する高名な画伯なんですね。玄関を入ると龍の天井絵(すいぼく)が目につきました。
この美術館の売りになっている作品です。
画伯は中年になてってから、禅に傾倒し、南禅寺派
管長柴山全慶老師との共著『江湖風月集』もあります。さっそく古本を入手、そのすばらしい
挿絵を堪能しました。
風月集は現在では臨済宗に重んじられている偈頌集です。諳んじるに
相応しい名詩が多いです。禅の素養を身に着けるにはもってこいの漢詩集ですね。

 

柴山老師の解説文もよくできており、いままで無知だった自分を恥ずかしく感じたことです。

淡路で浄瑠璃鑑賞

まさか、淡路島で人形浄瑠璃を見るとはおもわなかったです。江戸時代からの伝統が今日まで
つづいているんですね。一日3回ほど上演していました。一回45分ほど。

茨城空港から神戸空港まで80分ほどかかり、空港からはレンタカ-を利用しました。二日間の旅で
島内を298キロほどぐるぐるめぐりました。レンタカ-あればこそです。便利な時代ですね。

いまだ訪問していない町への旅はに見聞をひろめてくれます。しげきにもなります。思い立ったとき
サットでかけてしまうと、予期せぬ出会いもありますね。人形浄瑠璃の伝統がこの島にあるなんで
もうビックリでした。 上演がはじまると、いつのまにか眠ってしまったのも、いまではいい思い出
となりました。

淡路の人形浄瑠璃

淡路島旅行

今月に入り、淡路島へ出かけてきました。かねてから七福神めぐりをねがっていたので、
今回実行することにしました。

土曜日と日曜日の2日間かけて七ケ寺を無事参拝できました。さすが噂の通りに日本一の
七福神巡り会場だけあって、団体バスのおきゃくさんが次から次へと参拝しておりました。

淡路島七福神巡り

節分画賛

遠仁者疎道・・・オニハソト と読みます。

不苦者有智・・・フクハウチ と読みます。

江戸時代後期の曹洞宗禅僧風外老師の「節分画賛」にある言葉です。

節分となると、いつも老師のこの画賛をおもいだします。

くるしまざる者は智あり、仁に遠き者は道に疎し。じつにうまくあてはめましたね。
本堂・客殿そして庫裡をまわりながら「福は内、鬼は外」と豆まきをしましたけれど、

風外老師のこの警句にはいつも感心させられます。一生のうちで大切な徳目としての
仁(他人に対する思いやり)と智(ちえ)があれば、どんな鬼がきても退治してしまう
ことができます。先人の教えには脱帽です。
 

紅梅・白梅が開花してます

強い風が吹きまくっている今朝ですね。お天気はすっかり春めいたかんじです。お寺の境内をみると
紅梅白梅が満開になっています。

春に先駆けて花開く梅をみると、冬が確実にすぎさろうとしている感じを強くします。

 一輪の梅花天地の心

 梅は寒苦を経て清香を放つ

などの名句を思い出しますね。立春も明日にせまりました。寒い大寒もここへきて
徐々に天地の生気が活発になってきているようです。

 

前へ

今月から二月ですね。大寒もまもなくおわります。春分の日が待ち遠しいです。
さて、出典不明ですが、素敵な文がありましたので、紹介しておきます。

 

 前へ

 障壁なくして徳は生まれない。

 障壁なくして徳は熟さない。
 障害なく生きれる者などない。
 覚者たちにさえ、障害はある。

 ただ違うのは、覚者たちには動揺も、苦しみもないこと。
 苦しみと困難は、本当は、人の精神を鍛えてくれる。

 だから、苦しみ、困難、全ての物事を微笑んで迎えなさい。

 落ち着いて、前へ前へと進みなさい。
 一歩一歩、私たちは目的地へと歩んでいく。いかに
 遠くても、心配は無用。

 心が苦難で満たされぬことのないよう、しっかりと立って
 あゆみなさい。

 右往左往はしても最後に目的地へ辿りつくだろう。
 人生の道はこうして歩むのだ。

 

いわき木鶏クラブが再出発しました。

26日午後六時半よりラトブ6階会議室にて木鶏ラブの会合がありました
休会になっていたのを再開するということはすでにおつたえしていました。

致知出版社からは木鶏クラブ事務局長さんがおみえになり、今回の再出発
についてエ-ルを送ってくださいました

会合の中ではこんな感動話が紹介されました。といいますのは、今年の
成人式に集まったおよそ三千人に記念の品として、致知出版社の冊子を
参加者全員にもれなくさしあげた、というものです。

一冊1000円の書籍です。この企画は市教育委員会によるものでした。いつも記念にあげていた
パンフレットですと式典終了後にはほとんど見捨てられてしまっていたそうです。
そうしたパンフの予算は100万円でした。

それを憂慮した局長さんの計らいで今回は致知出版に掛合、社長と面談し
300万円分の書籍を提供してもらったのだそうです。

市の予算は100万円のみだったんですが、その話に感動した社長さんの計らいで
残額の200万円は出版社からの無償提供jとなったのです。

いまどきの世知辛い風潮とは反対の感動的なエピソ-ドですね。そしたら会場には一冊も
残らず新成人たちの手に渡ったというのです。

いまや全国で『月刊致知』を
定期購読されている人数は115000人にものぼると聞きました。店頭にでないにもかかわらず

読者からの熱い支持を受けている雑誌です。いわきでも新たがに木鶏クラブが再出発
したことでもあり、どんどん致知のことを知る市民が増えることを願っています。
 

仏典から

ここ数日、風邪にかかってしまいました。二日ほどは寝込んでしまったんですが、医者にもいき診察を
受けて、とくに異常はないようなので、安心しています。腕の節々などがいたんだり、体がだるくなった

りと久し振りで病気と対面した感じです。きょうあたりはだいぶ回復してきましたので、ブログ更新を
することとしました。

  〇 恩を知る人は敬うべし。その人たとえ千里万里の遠方にありとも我に近し。我の傍に
    あるに異ならず。(増一阿含)

  〇 一日の光陰は短しといえども、これを空しうすることなかれ。一夜を棄つるはこれ

   汝の生命を減ずるなり。(長老偈頌)

  〇 放逸におぼるることなかれ、愛欲と歓楽を貪るなかれ、おこたらずはげみて心
    静安なれ。さらば大いなる安楽を得ん。(法句k経)
   

『透明な力』不世出の武術家 佐川幸義

この本は初版は1995年3月24日に講談社から刊行されています。武術の世界には全く無縁でしたが
とても刺激的でした。なにが刺激的だったかというと我が国古来の武術の精髄を体現自証された武道家

が同時代に現存していたという事実です。直弟子である著者木村達雄氏が師匠佐川幸義大東流合気柔術
宗範(明治35年7月3日1955~平成10年3月24日1998 95歳)から教えられた武術鍛錬の訓言を
述べた貴重な一冊です。

どんな世界でも一流とか達人とか尊称される人間がいるものです。佐川先生も例外ではありません。厳しい
合気柔術の鍛錬をなくなる前日まで精進した驚異的な武道家です。その言行録を書物にしたことで、
人間の無限の可能性を世間に知らしめた功績はじつにはかりしれないものでしょう。

直弟子が師匠の言行録を記録することは古来から行われてきています。宗門でいえば、開祖道元の
教えを祖述した名著『正法眼蔵随聞記』が思いだされます。たとえ生きた世界が異なっていても、
達人の言行には素晴らしい訓言がたくさんあります。

 技はすべて精神力をのせてやるのだ。形がどうのこうのと無気力でうじうじやっていてはいけない。

 

 普通、人は倒すには力がいると思っている、しかし本当は倒すのに力はいらないんだね。もっとも
 大切なのは精神だ。どんな者だってやっつけてしまうという気力がなければとてもできない。ここが
 一番大切なところだ。

 鍛錬といっても体をうごかす事ばかりでなく頭を使う事もふくむのです。

 

 あんたらと私とでは考え方も全然ちがう、鍛錬にしても研究にしても生活にしみついているようで
 ないと全然だめだ。要するに熱意が足りないのだ。自分で開発していくんだという考えがなくただ
 教わった事を繰り返していたってできる用意なる訳ないでしょう。私だって若い頃は理論なんて

 まったくわからなかった。それが段々わかってきた。今の人はなんでも教わってうまくなろうと
 いう考えだからだめなのだ。

 

大東流合気武術宗範士 佐川幸義先生の語録から

本当の鍛錬とは

 人間は生きている限りかわることができるのです。生きているということは、そういうことでしょう。
 私の年になってまで鍛え続けている者はないだろう。力はなくなってきても、鍛え続けることによ
 って何かが出てくる。

 

 なんとなくやっているうちにうまくなるというものではない。やはり集中しなければとてもできるも
 のではないのだ。そしてわたしが教えなかったらとてもポイントもわからない。

 二、三年前に新しい鍛え方を思いついて、それからどんどん変わってきた。それに今でも毎日
 腕立て伏せを百五十回はやっているよ。(平成三年、佐川先生八十八歳)

 

弟子になって、著者が数学の研究で、ドイツとフランスに行くことになりました。

せっかく佐川先生の弟子になれたのだから、つながっていたいと思い、
鍛え方をおしえてくださいと、今思うと、佐川道場では許されない
ような質問を当時は平気でしていました。

すると「四股を毎日千回やりなさい」と。やり方も何も教えてくれない、ただそれだけです。
やると二百回くらいで股が痛くなる。「先生千回なんてできません」というと、「何言っているんだ、
私は四股をやり続けたまましぬことができる」といわれてしまいました。

師匠がすごいと、それについてくる弟子もさすが強者ではないと技量も精神も身につかないもの
なんでしょう。凡人には想像できない集中力と異常な持続力がないとそうした高い境地を
得ることはできないものなのでしょうね。

大東流合気武術宗範士 佐川幸義

  IMG_0505.JPG

一気に通読しました。著者の木村達雄氏は東大出の数学者です。かたわら武術や合気道の習得に精進し
最後に佐川先生を終生の師と仰ぎ合気の極意を模索した方です。

佐川先生は大東流合気武術を極められて95歳で亡くなる前日(平成10年3月23日)自宅で三回すごい技を
したそうです。

その場面を抄録してみましょう。

 私の顔を見ながら「合気は力ではないのだ」と何回か静かに言われた後、最後に三回、その例の技を
 やられました。

 これはあとで聞いた話ですが、先生はもはや前回のようにっスッと立ち上がるのは無理で、左手で椅子
 の肘掛をグッと下へ押して立ち上がり、右手打ちをされた。しかし三回目は左手の力も尽きて立ち上がれなく
 なったので、ご自分のすべてをかけられるように、右腕を真上へグ-っと伸ばして右手打ちをされた。

 私はといえば、夢中になって先生にかかって行ったし、三回とも、どうしても手で防ぐのが間に合わずに、
 頭から畳に激しく突っ込んでしまっていましたので、違いは全くわかりませんでした。そのあと、先生は
 「ものすごく疲れた。これでわからなければ、どうしようもない」と言いながら奥へ入られ、次の日になくなられたのです。

佐川師範は写真を撮られることを好まなかったようで、ユ-チュ-ブには残念ながら載っていません。しかし、この本の
第六章佐川幸義宗範語録はすばらしい名言の数々が紹されています。人生の真実がちりばめられた言葉の泉
といえましょう。ぜひ、読まれることをおすすめします。

武道と合気道

合気道の達人塩田剛三

昨年秋ごろからでしょうか。武道とか合気道のユ-チュ-ブなどをみています。今まで知らなかった世界なので興味津々。その道の

達人と慕われたり尊敬されている方とは面識がないのですが、鍛錬して練り上げた人格のすばらしさを感じますね。

道という名のつくものに共通しているのは「最高の人格を練り上げて、生涯が尽きるまで努力する」という点です。これまで
無知だった古武道とか合気道の達人たちをみたりするとそんなことを強く意識させられました。翻って自分のこれまでの努力に
たいして、それほどの情熱や真剣さがあったのか反省することがすくなくありませんでした。

 

新年のご挨拶

新年挨拶状 (平成29年・2017)

  

  新年あけましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。

本年も昨年同様のご厚情をお願いいたします。

 

 お正月を迎えた今年の干支は丁酉です。歴史を振り返りますと150年前
に徳川幕府が朝廷へ権力を奉還したのも丁酉年でした。これを大政奉還と

いいます。徳川時代の260年間は外国との紛争や戦争は経験しないですんだ

という意味で国内は平和であったといえます。その後、我が国は明治維新を経験し

てからというもの、日清・日露の戦争をしのいで近代国家を確立しようと努力しつ

つ、世界の列強と大東亜戦争に突入。開国以来の大敗北を喫し7年近くも実質的
に主権を行使できない時期を経験させられてしまいました。

 

現在はかつて仇敵同志であった米国との同盟により、70年以上も戦争をしない

平和な国となりました。しかし、この150年は国運を賭けた外国との戦争が続き
その後遺症がいまだに続いている状況です。

 

いまわしい戦争の記憶も次第に薄れつつある現在ではありますが、そうした過去
の尊い犠牲の上に現在の平和があることを心に留めておくことも大切なこと
と思います。

 

はからずも歴史の話となりました。小生も住職21年目となり、後継者にも
恵まれ、恙ない日常を送ることのできる幸せを?み締めておりますが、お寺

の一層の充実を願いながら、お檀家の安寧と繁栄を祈っている次第です。

 

本年もどうぞよろしくお願いします。

 

                 見滝山 医王寺三十世住持 村上徳栄

恩師・木南卓一先生を悼む

91歳のご高齢でしたが、とうとう今月初旬にご逝去という知らせがありました。小生が大本山永平寺専門僧堂で

修行中のときからのご縁でした。もう40年以上も昔のことです。先生とは生涯一度きりしかお会いしておりません
けれども、長いお付き合いが続いておりました。掛け軸で判読不可能な文字があると、お手紙を差し上げて
読み方のご指導をいただきました。

先生の東洋思想の薀蓄は広く深いものがあり、常に啓発されておりました。寿命とは申せ訃報に接し残念で
なりません。

木南卓一先生の業績

江戸時代の高僧として有名な慈雲尊者研究の第一人者であります。謹んで哀悼の意を表します。

『あれこれ考えないで、坐りなさい』

今年五月に出た友人の処女出版書です。著者である秋葉玄吾老師(73歳)はアメリカ在住の曹洞宗禅僧。
一昨年にサンフランシスコ市を訪れたさいにお会いして、旧交を温めてきたのですが、その時には出版の
話題はまだありませんでした。

 ”カリフォルニア発世界一オ-プンマインドな禅的生活のすすめ”とサブタイトルがあります。曹洞宗
北アメリカ国際布教総監として全米にいるアメリカ人曹洞宗宗侶700名を統括されております。

かたわら彼の地に本格的な禅道場を建立すべく奮闘中。建設資金は7億円にものぼるとか。すでに
坐禅堂はほぼ完成見込みのようです。すでに3億円は寄付を募ってあつめたそうですが、老齢にも
関わらず死ぬ覚悟での勧募をされておられます。

開教師として30年のキャリアと出家以前宣伝広告マンをされていたユニ-クな人物です。興味
のある方の一読をお勧めします。

 

出光佐三を知る

話題の映画「海賊と呼ばれた男」のモデルとされる人物です。石油業界の異端児というんですかね。
なかなか気骨ある日本人らしい日本人と感服させられました。

世間はなるほど広いですね。誇りある日本人の気概の強さには大いに参考となりました。

出光佐三という快男児

必見!「海賊と呼ばれた男」

今年最後の映画鑑賞でした。後味の良い映画でした。絶賛上映中なので、夜8時20分から二時間半もの長い映画

でしたが、見どころ満載。久しぶりで感動しました。

本屋大賞を得たベストセラ-小説の映画だということなので、今度は原作を読んでみよう。そんなきにさせられました。

本作品の評判

 

特攻の母

鳥濱トメさんは知覧の富屋食堂を経営していた女性です。終戦となる昭和20年春には特攻兵の慰安の

場所として、知られていたのでした。明日にも出撃してしまう若人たちから絶大な人気をえて知らないうち
に誰いうとなく特攻の母お慕われるようになりました。トメさんの言葉には出撃をまじかにした特攻兵たちの

心情がよく表れています。

特攻の母がか語る兵士の思い出

屋久島の大自然に圧倒されました。

鹿児島空港からJAC航空で30分ほどで、屋久島空港に着きました。屋久島の自然林の
奥深さはすでに様々な情報媒体で盛んに報道されているので、言葉だけでも何となく
知っているのではないでしょうか。

小生にとっては全く未経験の事でしたが、一緒に出かけた妻や娘それに娘の
友人であるカナダ人夫婦など6人でのツア-でした。数年前には次男がヤクスギ
まで行ってきたんですが、「ぜひ、いちどは行ってきたほうがいいよ」といわれて
いました。思いがかなって白谷雲水峡のコ-スに挑戦してきました。往復3時間半

ほどのハイキングでした。どこもかしこも変幻自在な苔むす深い森でした。
目的地の苔むす森はあの有名な大ヒット作「もののけ姫」のモデルになった
豚の格好をした老木がある場所でした。ホントによく似たものですね。

民宿で借りたハイキングシューズと上手な案内をしていただいた山登りの
方のリ-ドでとても充実したハイキングを堪能できました。

幻想的なあの苔むす自然と千尋(せんぴ)の滝の雄大さは筆舌にし難いほど
の存在感でした。わが国の自然の豊かさを実感したことです。

白谷雲峡谷とは

千尋の滝の絶景

年末の鹿児島旅行

鹿児島旅行をしてきました。年末なのにと思いましたが、意を決して訪ねたかった知覧特攻平和会館に

いってきました。周辺の戦争遺跡を観たり、平和会館内の戦闘機や特攻兵さんたちの御家族への遺書
などを丹念に読むことが出来ました。若干20代前半の飛行機乗りの覚悟と国の将来を願う切々たる
文面を読みながら、涙がとまりませんでした。

時代状況からは想像できない国の存亡を賭けて特攻兵として志願した純粋で固い祖国愛には
頭が下がるおもいでした。

戦争は忌むべきものですが、それも避けがたい時代があったことを私達は忘れてはならないと
思います。今年はハワイ真珠湾奇襲から75年の節目という年。10月の真珠湾と今回の
知覧特攻平和会館を訪ねて、改めて命の尊さや重さを実感したことです。

知覧特攻平和会館

福島県出身の特攻兵は記録をみたら22名おられました。少尉さんや中尉さんが多かったです。

木鶏クラブが再出発します

もう2・3年に

なりましょうか。20年以上もの長い期間お寺を会場にして月刊『知致』の読者による勉強会をつづけておりました。
その後東日本大震災を経験して、一休みしようと仲間たちと話し合い休会となっていました。

今回は以前のお仲間と新しい読者を集めて再出発するとなりました。この雑誌は創刊39年目になるそうです。

全国には120か所もの会場でこの雑誌をテキストにして人間学の研鑽に励んでいますし、海外にも支部が広がりつつある現況です。
改めての出発となりますが、気を引き締めて良き人間関係を構築したい。そんな風に考えております。

再出発の会合は明日午後6時30分、いわき駅前ラトブ六階会議室です。新しい『知致』読者との出逢いが
待ち遠しいです。

アメリカ大手メディアによる偏向報道

米国大手メディアニュ-ヨ-クタイムズなどによる我が国への偏向報道が
続いている実態について、今朝の産経新聞「緯度経度」に興味深い指摘
がありました。

海外マスコミが我が国の実情を無視した偏向や虚偽の報道をするのは
なぜか。

日本研究のベテラン米国人学者アール・キンモンス氏は言う。

氏は米側の一部評者の「日本は憲法9条を改正すると軍国主義になる」
という趣旨の主張をレイシズム(人種差別主義)に等しいと断ずる。

 「自国の防衛をも制約する世界でも類例のない9条の規定を保たない
 と、日本人は侵略戦争を始める、という示唆は日本人が世界でも例の
 ない好戦的な遺伝子を持っていると主張するに等しい。日本人の間に
 もこの主張があるのは奇異な限りだ」

それではなぜこうした偏向報道を止めない日本論が横行するのだろうか。
それに対する教授の答えは・・・。

 「米側の日本専門の学者や記者には米国の基準での左翼が多く、
 反体制に近い主張をするが、米国では何の変革ももたらさない。そ
 の欲求不満を決して反論してこない日本という代替の標的にぶつけ
 るのだろう」

とんだはた迷惑な偏向報道をする連中が大手メディアに蠢いているんですね。
くわばら、くわばら。

銀座松屋で個展開催中です!

銀座松屋催事場では例年クリスマス前哨戦としてさまざまなジャンルで活躍されている
工芸作家さんたちの個展が開かれております。

ここにいわき出身の万華鏡作家として知られる赤津純子先生の作品展が今年も
開かれています。あしかけ9年も連続で同催事場で開かれていますので、かなり
人気があるのは間違いないです。

銀座でのお買い物ついでに作品の数々を覗くのも楽しいかも。

万華鏡作家赤津純子先生

一日30分、30円の自己投資

そうなんです。一日30分の読書と30円の投資でできる豊かな人生を送りませんか。

月間『知致』を読むことでそれが可能になります。この月刊誌によって人生観が変わったり
感動を得たりする読者が全国に10万人以上おられるんです。定期刊行物の月刊誌の
愛読者が10万人にものぼるんです。すごいことですね!

その雑誌から感動を得た、生きる力をもらった、人生のヒントをつかんだ。そんな人々の
大きな支え、拠り所となっているのが『知致』です。

まだ、その雑誌の名前すら知らないのでしたら、ぜひ見本誌を請求して一度目を通して
みては如何でしょう。

月間『知致』はこんな雑誌です

これは店頭では販売しておりません。一年間の定期購読です。年額一万円ですので

月800円ほどの支払いです。日割りにすれば30円ですか。それに、いちにちちょっとずつ
読書をする習慣を維持するだけです。

眼蔵を読む

大本山専門僧堂では大接心中です。よって永平寺御開山の主著「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」

を開くのも楽しい読み物でっす。これまで難解であるとされている本ですが、読み進めていて
解らない箇所は飛ばしていってもいいのです。自身の読解力で解る部分だけでも心に響く文章
があれば、抄録するなどすればいいと思います。

はじめて佛道を欣求せしときのこころざしをわすれざるべし。いはく、はじめて
発心するときは、佗人のために法をもとめず、名利をなげすてきたる、名利を
もとむるにあらず、ただひとすじに得道をこころざす、かつて国王大臣の恭敬
供養をまつこと期せざるものりな。(谿声山色の巻)

なんでもそうでしょうが、ものごとを始めるときの決心を忘れないこと。
頭では簡単に了解できるのですが、実行となると・・・・。

まして、広大無辺な佛道を歩む沙門にとってはなおのこと、です。

師走ですね

今年もこのひと月でおしまいですね。師走になりました。一年の計は元旦に在りと
もうしますが、今年のそれぞれの目標は実現したでしょうか。

師走となれば、専門道場においては大接心の最中です。一年の締めくくりとなる
集中坐禅の一週間です。朝早い4時から午後9時まで、各寮勤務のない雲水
たちが僧堂に集り、坐禅三昧の日送りをします。大本山修行時代を思い出します。

このかん、日課である朝の読経は法堂(はっとう)の500畳敷でなくて、僧堂内
で簡単にすませます。禅僧となるためにこうした集中坐禅の時間は大切な行
となります。ほとんど無言の生活ですね。

そんな若い雲水さんたちの修業を思い浮かべながら、残された30日を有意義に
過ごしたいものです。

東博の特別展は大盛況

昨日で終了しましたが、東京国立博物館の特別展「禅-心をかたちに」は入場者
10万人を超した盛大な禅の展示でした。わたしもこの19日に出掛けて
鑑賞してまいりました。

https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1807

中でも画僧雪舟の「慧可断臂ノ図」は大迫力でした。さすがに国宝だけのことは

ありました。いつもは本の写真版を通して接するだけでしたが、こうして本物と
対峙できたのはうれしいことでした。

大観院殿藤園玄機大居士

これは明治の陸軍大将児玉源太郎(明治40年没、55歳)の戒名です。

さすがに立派な戒名ですね。藤園は大将が漢詩を述べられた時の

の号です。玄は奥深いという
意味ですが、玄峰老師の玄でもあります。機は機略の優れた軍人とし

ての大将の一生を一語で代表したのでは、と想像されます。大将は


生前坐禅をしたことはないお方でしたが、本葬儀の大導師を
勤められたのは当時宗門の善知識として有名な東京芝の青松寺住持

北野玄峰老師(当時68歳)でした。大将は生前から老師に私淑されて
いたようです。老師の児玉大将観によると『拙僧が始めて児玉さんと
合った時、その挙止言語が何うも俗気を脱けて居る「天然会禅師」即ち

生まれながらにして禅を会(え)す、一を挙げ参を覚る、「擧一明三」の
人であることは一見してわかりました。俊抜で霊気があって戦陣の間
軍機に参して、必ず巧妙に遺られるだらうと思ひました』云々。

さすが後に大本山永平寺67世の猊下になられただけの大見識です。
北野禅師様が御本山の貫主猊下になられたときは79歳でした。それから
92歳(昭和8年)まで長命を保たれました。

 

米国次期大統領が決定

米国次期大統領に共和党のドナルドトランプ氏が女性初大統領をめざす
ヒラリ-クリントン氏を破り当選しました。世界中から注視された今回の
大統領選挙。残念ながらヒラリ-女史の手に栄冠は輝きませんでした。

米国のフロンティアスピリットは世界侵略の歴史でした。アメリカ大陸
の王者だったスペインを追い出し、インディアンを片隅に追いやり西へ西へと
進出してその野望をつぎつぎと実現してきました。
 

メキシコの一部を分捕りハワイ王国をク-デタ-で倒して乗っ取り、
フィリピンを占領した残酷な歴史をわすれるわけにはまいりません。

フィリピンの占領

幕末には我が国に砲艦外交をして開国を迫りました。大東亜戦争
ではわが海軍を壊滅して太平洋の覇権を手にしました。その後は同盟国
として日米同盟を結び両国関係の絆を強化しております。

しかし、この同盟は対等のものとは程遠く、米国の国益を優先するものでしか
ありません。ま、彼我の国力からして当然といえば当然なのでしょうが、わが
国の自助努力により、同盟国の駐留が当たり前になっている現状は徐々に
減殺されていくことが切望されますね。自分の国は自分で守りきる。
一国の独立を保持していた明治・大正そして昭和の大東亜戦争までの
先人の苦労をあらためて噛みしめたいものです。目下の懸案となっている

南シナ海などの覇権を中国に譲ることのないよう期待しています。

祝!米良隆氏黄綬褒章に輝く

我国料理界の重鎮にして「現代の名工」と尊敬される米良隆先生の黄綬褒章が
この秋の受勲にて発表されました。受賞を心からお喜び申し上げます。

若いころからこの道一筋に猛烈に精進努力されたことが評価されたんですね。料理界の
歓びはどれほどかと想像します。平成25年9月に本堂で行われた式庖丁
の感激をまざまざと思いおこしたことです。

お弟子のすわや主人からのお知らせで知ったので、さっそく自分にできるお祝いを
考えました。やはり漢詩でのお祝いと四半切「一期一会」の拙筆を考えて
みました。
 

IMG_0462.JPG

本堂ニテ披露ス 式庖丁

緇素感銘ス 妙技ノ真

無上ノ栄誉 褒賞ノ事

江湖仰望ス 熱誠ノ人

黄綬褒章ってどんな栄誉

明治軍人の雅懐

乃木将軍と児玉将軍はお互いを許した軍人同志でしたが、お二人とも
漢詩を作られています。児玉将軍は藤園という号をもっております。

そんなお二人の間に漢詩の応酬があったんですね。あるとき、乃木将軍
が児玉将軍に示した七言絶句はこれです。

東西南北幾山河      東西南北 幾山河

春夏秋冬月又花      春夏秋冬 月マタ花

征戦歳餘人馬老      征戦歳餘 人馬老ユ

壮心尚未不思案      壮心ナオ未ダ思案セズ

これを児玉将軍に披露したところ乃木の目の前ですぐに和韻したそうです。

死屍幾満?山河      死屍幾満 山河ヲ?(ウズ)ム

乱後村童売野花      乱後ノ村童 野花ヲ売ル

春去秋来功未就      春去リ秋来ルモ功未ダ就カズ

沙場二歳不知家      沙場二歳 家ヲ知ラズ

幕末から明治期にかけては近代日本の勃興期でした。軍人たちに
こうした雅懐の応酬があったなんて驚きです。乃木は軍神として
最高の栄誉を称えられました。そして児玉大将は軍人政治家として
大活躍した人でした。いづれも神社に祭られています。

製本の力

古本が好きです。書庫にはずいぶん古書が並んでいます。小説類はほとんど
ないのですが、主として専門書が多いですね。仏教、そのなかでも禅の書籍。

今回は以前から表紙がバラバラになってしまったままの仏教辞典の製本を
製本屋さんに頼みました。いいできですね。分厚い辞典の表紙がばらけて
しまうとひくのも億劫になってしまいがちです。

リニュ-アルした辞典は新品同様になって甦りました。製本は以前からこころがけて
おります。和本のみならず洋本のカバ-など製本するとまったく見違えて
いっそう愛着がわきますね。

IMG_0453.JPG

裏表紙のみしっかりしていますが、背表紙(革製)は台なしで表の表紙は
欠けてしまってありません。

IMG_0454.JPG

それが、どうでしょう。上手にカラ-コピ-を施して見事な背表紙に
変りました。表のカバ-も新作して立派な辞典になりました。ふじた製本
の社長さんに大感謝です!

人間魚雷『回天』の雄姿がありました

太平洋戦争末期に人間魚雷『回天』という一人乗りの特攻潜水艦がありましたが
真珠湾にはその雄姿が展示されておりました。

IMG_0435.JPG

海軍の特攻潜水艦『回天』とは

死力を尽してなんとか劣勢を盛り返そうと涙ぐましい戦闘努力をした祖国の英霊
のことを追懐して、なかなかそのそばを離れることができませんでした。感謝以外
の言葉が見つかりません。

真珠湾攻撃を知る

ハワイのオアフ島に出掛けたので、パ-ルハ-バ-(真珠湾)まで
娘の運転でいきました。日本の奇襲攻撃の具体的な様子が時系列

で詳しく紹介されていました。訪れる人の中に日本人はほんとに少なかったです。
太平洋戦争あるいは第二次世界大戦といわれた戦争はこの湾への我が軍の
攻撃から始まったとされています。戦争は軍隊がそのように仕掛けるまえの
前哨戦のから始まっていたわけですが、この奇襲攻撃は当時の敵国であった

米国国民をわが国との全面戦争に駆り立てたという意味で象徴的な出来事でした。

IMG_0446.JPG

IMG_0448.JPG

今日では当時の敵国米軍の緻密な作戦計画によって、わが軍は戦争に
引きずり込まれていったという事実が公然と知られるようになってきました。

真珠湾の具体的な戦果とははたして奈何

 

ハワイ王国の悲劇

現在は世界的観光地として有名なワイキキ海岸であるがかつて存在していた
ハワイ王国は強制的に悪辣な手段で米国に併合されたという悲劇的な
事実を知る日本人は少ないと思う。

ハワイ併合の手順はその後の米国の世界侵略の歴史を考えるときのモデルケ-スになっている
ことが判然とする。

ハワイ王国はこうして米国に乗っ取られた

ハワイ併合の事実を知ろう

ハワイの歴史を学ぶ

今回初めてのハワイ訪問でその歴史を勉強することができました。
ハワイ王国の歴史については、現在観光メッカとして繁栄している
現実からみると遠い過去になってしまったようですけど、知っておきたい
現実がありますね。まずはその歴史を概観してみましょう。

ハワイノ歴史を学ぶ

ハワイ正法寺訪問が実現!

ハワイに初めて数日間ほど滞在することになった。ワイキキに在る曹洞宗正法寺に表敬訪問するのが
公的な趣旨だった。現住職の駒形老師から90分ほど時間を割いていただいた。

ハワイの曹洞宗寺院の歴史には全くの無知であったけど、今回の訪問でさまざまなこと
を感じた。正法寺(しょうぼうじ)の歴史はもちろん、ハワイの歴史それに真珠湾攻撃の
実際や数年前に胡人となったダニエルイノウエ民主党上院議員のことなどなど・・・。

ワイキキ正法寺

ハワイ平等院

ワイキキにある平等院にお参りしてきました。海外寺院視察にでかけて
初めて知ったお寺です。ワイキキはマウイ島の西側にありますが平等院
は反対の東側に位置します。

墓地の中に有る静かなたたづまいの一角です。もう。びっくり!!
ハワイには曹洞宗寺院が9ケ寺ありますけそ、平等院は各宗が合同で
設立した順和風建築です。ワイキキ海岸からおよそ40分ほどのドライブ
です。ハワイ移住で苦労を嘗め尽くした日系人の心意気を感じる場所ですね。

ハワイ平等院はこちら

あの児玉大将の孫は音楽家!

幕末から明治にかけての帝国陸軍草創期に大活躍した陸軍大将
児玉源太郎大将の孫がスコットランドのグラスゴ-大学でコンサ-ト
を開いた(10月14日付け産経新聞朝刊)。

この記事によって、祖父の児玉大将の名を思い出した人も多かった
のではないでしょうか。児玉大将はあの乃木大将の3歳下でしたが
自他ともに許した親友でした。児玉大将は自邸の二階で突然
脳溢血であえなく55年の生涯を閉じてしまったんですが、その時の
葬儀委員長は乃木大将が仕切ったのでした。

枕経には時の大本山永平寺貫主森田悟由禅師が駆け付けたようです。
児玉大将は乃木将軍ほどの全国的知名度はありませんけれど、

軍事のみならず軍政家としてわが日本陸軍の近代化を積極的に
すすめた偉人です。ペリ-が軍艦四隻をひきいて我が国との外交を
強引にすすめるべく浦賀沖に来たのは嘉永六年のことでした。それは

児玉大将が徳山に生まれるちょうど一年前の出来事でした。生涯
の活躍で「陸軍の知恵袋」とまで尊敬された方でしたが、台湾総督
として9年間統治した功績は実に偉大なものでした。

江ノ島にはその大将を祭神にした児玉神社があります。小生はまだ
そこにいってはいませんが是非お参りを実現したいと考えています。

台湾の近代化の大恩人としていまでも崇敬されている明治期の大将
の波乱万丈の生涯を思い出したことです。

児玉源太郎大将とは

児玉神社

獨坐

焚香独坐長松下   香ヲ焚イテ独坐ス長松ノ下

風吹寒露湿禅衣   風吹寒露 禅衣ヲ湿ラス

有時定起下雙澗   有ル時ハ定ヨリ起チテ雙澗ヲ下リ

瓶汲五更残月帰   瓶ニハ五更ノ残月ヲ汲ンデ帰ル

日一日と秋も深まりつつあります。宗門最高の偈頌集「大智偈頌」の
一首です。五更はいまの午前四時ごろです。この時間帯は全くの
暗闇です。早起き鳥の声ひとつしません。森閑としたなかでの
早朝の坐禅です。じつに静かなひとときです。

同じ時間に坐禅をすると、この有名な漢詩を想いだします。世間の
雑音から程遠いところで坐る歓びがこの偈頌になったのでしょう。

ドイツ普門寺からの便り

ドイツのアイゼンブッフにある大悲山普門寺から久しぶりで近況を知らせる手紙が届いた。
海外布教師として彼の地で坐禅布教をされている中川正寿老師からである。

二十年まえに禅センタ-として発足し、現在では地域からも大なる期待をされている
曹洞宗寺院。宗門の海外寺院は北米・南米そして欧州と着実に曹洞禅がその広がりを
見せている。手紙のなかでこんなドイツの現状が報告されていたので抜き書きを紹介
します。

 皆様方ご存じの通りただいまヨ-ロッパは激動の時を迎えております。—
  ドイツの子供は都会では二人に一人は両親が離婚しており、地方では三人に一人
 ということです。つまり母子家庭やパッチワ-クファミリ-がどんどん増えているわけ
です。勿論大家族や親戚一同が集っているなどということはありません。—夫婦や
家族を一単位として支える社会的基盤が崩壊して行っています。

我国でも周囲には離婚した夫婦がありふれています。他人のこととはおもえない、
嘆かわしい現状ですね。

家族の絆や先祖を敬うという人間らしい生き方を平気で放棄する傾向にある
のは世界の先進国の通弊なんですね。

パッチワ-クファミリ-(ステップファミリ-)って何?

「無事」の意味とは?

IMG_0387.JPG

知人からの依頼で揮毫した文字です。「無事」と読みます。茶道に趣味をもつと当然のように
禅語を勉強しますね。利休さんのわび茶の源流は禅なので、床の間に掲げられる言葉
は禅語の一行(ぎょう)ものが多いんです。

無事是貴人 (ぶじこれきにん)もよく知られた禅語です。中国臨済宗の祖師である
臨済禅師語録にある有名な言葉です。

一般には「なにごともない」という意味で使用されていて、馴染みが深いです。
しかし、禅語の意味では同じ臨済禅師語録に「求心歇処即無事」があります。

禅の修行が未完成であると、悟りを求めるということも自分以外のところにあると考えて
しまいますけど、己自身の外側に真実の自己があると勘違いしないことが大切。
そんな考えで求めていては究極の大悟はできない。そういう外に追い求めることを
すっかり止めてしまって、大安心の境地になったことを意味するのがこの「無事」
という禅語の意味になります。

「平常心是道」などという禅語も普通の当たり前の心持でいれば、それが悟りなのである。そ
れならばわざわざ苦心惨憺しての峻厳な修行などは不必要になってしまいますね。

そうではなく、歴代の禅師さんたちの血のにじむような猛烈な努力の果てに気づく尊い心境ことが
その深い意味なのです。言葉の表面だけで解ったような判断では禅語の理解にならないのです。
 

澤木老師の肉声が聞こえてくる

ここに一冊の本があります。題して『澤木興道聞き書き  ある禅者の生涯』(酒井得元著)。
久し振りでブックオフを覗いていたらこの本に出会いました。

澤木老師は徹底した坐禅の行者として知られた曹洞宗の禅僧です。幼少期の地獄をはいずる廻る
ような逆境をものともせず、念願の出家を果して坐禅ひとすじの尊い生涯を送りました。

坐禅に志を抱いた者で彼の名を知らない人は皆無でしょう。その徹底した境涯は『澤木興道全集 全19巻』に
詳しいです。

小生が全集の第一巻を手にしたときはまだ出家する前の工業高校生の時でした。いまでもそのことをよく覚えています。
それ以来出版社であった大法輪閣からぞくぞくと全集が発刊されました。大学時代にその全集を
揃えたことはいうまでもありません。隅から隅まで読破してしまいました。

酒井得元先生には大学の坐禅の授業でお世話になりました。当時(昭和44年)は竹友寮におられて、
学内での坐禅指導とともに若い小僧さんの指導をもされていました。沢木老師の高弟です。

ブックオフの書棚にこの単行本を見つけたので、さっそく買ってしまいました。澤木老師は昭和40年に
亡くなっておりましたので、生前の老師の風貌に接することはかないませんでしたが、高弟の酒井
老師にはかわいがってもらいました。都内の坐禅会などに指導に出掛けられる際には親しく声を
掛けていただき、タクシ-に便乗させていただいたことなどを思いだします。

この本を読み進みますとどこからともなく老師の肉声が聞こえてきそうな感じです。

IMG_0389.JPG

純一無雑の只管打坐の生涯で一生をぶちぬいた傑僧として記憶に残る大人物ですね。

禅者澤木興道の波乱の人生とは

市民茶会は大賑わいでした!

秋晴れの下、日曜日の昨日は文化センタ-にて恒例の市民茶会が開かれました。
終日席入の和服姿の皆さんが絶えませんでした。

IMG_0368.JPG

IMG_0365.JPG

席入は各会40名ほどでした。今年は和室を利用できました。

IMG_0353.JPG

安藤宗家を囲んでの記念写真撮影。掛け軸は安藤家10代安藤信正公27歳のときの
もの。

坐禅に初挑戦!

今週の終末はイベント盛りだくさん。市内では街中コンサ-トで音楽一色となりました。お天気も
よく秋晴れでした。いわき市では市制50周年記念行事がアリオスで開かれました。そのために
姉妹都市のタウンズビル市(オ-ストラリア)からは5名の市職員が来市されました。

それで、今回の訪問では日本文化に触れようと拙寺にも足を伸ばし、坐禅体験をされました。
会場であるお寺の本堂の様子などを見学した後、坐り方を教わり10分ほど黙坐しました。

その後、座卓を囲んでの会話となり抹茶をだしました。坐禅も薄茶をいただくのもまったく
初めての経験のようでした。一人だけは例外でしたが・・・。それなりに田舎寺での静かな
時間を堪能したようです。

9:30からわずか一時間ほどの訪問でしたが、みなさん満足したようです。久しぶりで
錆びついた英会話を小生自身楽しむことが出来ました。

IMG_0345.JPG

坐禅の後、お抹茶をいただきながらおしゃべりしました。

IMG_0334.JPG

坐禅の心得を説明しています。

 

原坦山老師の医学修行

いわき出身の名僧として名高い禅僧ですが、この老師の出家前の事歴をみるとnなかなか興味が
つきないです。十代の半ばで父親である武士の新井勇輔につれられて江戸にでたのですが
22歳で出家するまでに医学をも勉強していたのでした。

当時の官学の最高峰は湯島の聖堂でした。そこに若き坦山も入学し儒者となるべき漢学の
素養を摘んでいたのでした。しかしというか同時に当時の最先端としてもてはやされた蘭学
つまりオランダの医学にも興味を示し湊長安先生という医学者の門を叩いてもいます。

当時は儒学者になるべく猛勉強をしていたのでしたが、あわせて儒学とはおおよそ対極にある
オランダ医学の勉強にも精を出していたんです。師事した湊長安はその方面での代表的な
先生だったのです。あの有名な鳴滝塾を開いて名声を博していたシ-ボルトの高弟として

シ-ボルトからドクトルという免許状までいただいていたほどです。シ-ボルトは長崎の出島
に医者として来日したのですが、まだ29歳の若き医師の医学の技量は瞬く間に近辺に
広がり、全国から有望な医学志望のエリ-ト達が出島に押し寄せたのでした。

湊長安はすでにオランダ語に習熟しておりシ-ボルトより7・8才高齢でしたが後に
ドクトルの称号を得て江戸に戻り開業していたのでした。かたわら丹波篠山の殿様の
主治医をも兼ねていたのですから当時いかに有名な先生だったか想像ができようという
ものです。

儒者をめざしながら当時の先端医療である臨床医学をマスタ-した先生の指導を
承けたのですから、出家して禅僧となる以前の教養はまことに独特のものとならざるを
得ませんでした。

こんな出家以前の前歴を知るにつけ、あの坦山老師の独創とされる「心性実験」の説が説得
をもっている所以なのだと思います。

 

永平寺行です

今日から二泊予定で大本山永平寺に行きます。御本山は目下御征忌最中です。
お世話になった先輩の供養の儀式があるので、それに参列します。

山形出身の先輩で永平寺の役職を長く勤められていました。70歳くらいの年
でなくなられたので、ちょっと早かったのかな・・・。そんな風に感じています。

御征忌とは

ギリシアの今

昨年でしたか。ギリシアがユ-ロを離脱するのではと大騒ぎをしていましたね。そのことが
気になりちょっと調べてみました。こんなときにはネット検索がとても便利です。

あいかわらず低迷している現状がよくレポ-トされています。これといった基幹産業がない国
が頼りにしているのは外国客による観光収入のみなんだとか。

最近のギリシア情勢です

悟由禅師の教え

今月は栗東寺(大阪市)坐禅会の指導に行く日。そこで、悟由禅師の偈頌を
紹介しました。

 少壮光陰易放過   少壮ノ光陰ハ放過シ易(やす)シ

 人須学道玉須磨  人須ラク道ヲ学ビ玉(ぎょく)を磨(ま)スベシ

衆生先導任尤重   衆生(しゅじょう)先導ノ任尤モ重シ

莫悔他時奈老何   悔ユルコト莫レ他時老ユルヲ奈何(いかん)セン

和尚となれば修行することが第一番の仕事であるが、ややもすると若い時分には
外の事に興味が移ってしまい本筋の修行に骨を折ることを忘れてしまいがちである。

お互いはそうあってはならない。玉という素晴らしい宝を持っていてもそれを磨く
という努力を惜しむようなことがあってはならない。昔から「玉磨かざれば光なし」
といっているではないか。

まして、雲水修行している求道者としての諸君はいづれ修行を終えると檀信徒の
教化に専心するという重大な責務を負っているのである。

うかうかしていているうちに時が過ぎて、老年になってから「若い時分にもっと
真剣に道を求めておればなあ」なんて嘆くような、そんな後悔をしないように。

世間でも「若くして学べば壮にして為すあり、壮にして学べば老いて衰えず。老いて
学べば死すとも朽ちず」という名言がありますね。

大本山永平寺重興第六十四世貫主さまの慈悲あふれる法語ですね。何度も口ずさみ
たくなる七言絶句です。これは出家者に対しての教えですが、一般の人達にとっても
大切な教訓でなないでしょうか。

悟由禅師の御生涯

大本山総持寺研修の旅

二泊三日の日程で大本山総持寺での研修会に参加してきました。わが曹洞宗においては
例年一般の檀信徒を御本山に誘う目的で研修会を催しています。
福島県においては本年度はおよそ250名の参加がありました。

一日目は御本山での研修で山内に泊まります。千畳もある本堂での開講式や翌朝の
お勤めである朝課に参加したりします。食事作法を学びながらの精進料理もあります。

それがすむと長野県の名刹長国寺専門僧堂を拝観しました。NHK大河ドラマで
放映中の『真田丸』に登場する真田家の菩提所です。おりしも現在の御住職は
福島県白河の御住職さまでした。

この寺は松代にありますので、ドラマで馴染みとなった真田家などを散策すること
ができました。もう十数年以前にはここの住職をされていた佐橋法龍先生を
お尋ねして、専門分野の勉強にたびたびお邪魔していたことがあります。

なつかしい思い出のお寺であります。本堂にはわが原坦山老師の大きな横額が
飾ってありました。しげしげと拝見できて、とても感動しました。

松代長国寺とは

境内の墓地には恩田木工のお墓もあります。『日暮硯』の著者としてあまりにも
有名です。このたびお参りできたので再度あの有名な書物を読みたいと思いました。

日暮硯このとを知るには

佐橋法龍老師のこと

いつのまにやら

いつのまにやら秋の気配が忍び寄ってまいりましたね。台風騒ぎがおさまったところですが、
朝晩は涼しくなってきました。空の雲の様子や蝉の鳴き声に替って鈴虫の声が主流になっております。

境内の栗がボタボタ落ちています。今年はなりどしですね。毎朝30個五十個と拾い集める
のが日課となりました。そういえば、イチジクもあります。カラスの餌になるまえによく観察
して、熟したものを食卓にのせています。家庭菜園には茄子がけっこうなサイズに成長

してきましたので、これも獲ってきて食卓へ・・・。秋の味覚をこうして収穫できる時節に
なったんですね。

彩帆ノ存否幾百年

高木中将がサイパンで自決したのは昭和19年7月11日で場所は島の北端にある地獄沢だった。
53歳。その5日前の7月6日には陸軍最高司令官斎藤中将と南雲海軍中将が玉砕していた。

髙木中将は戦死により、海軍大将に任ぜられた。表題は自決寸前の漢詩にある。

花散湾頭観月台       花ハ散ル 湾頭ノ観月台
忠魂共靖滄浪没       忠魂共に靖ラカニ滄浪ニ没ス
彩帆存否幾百年       彩帆ノ存否幾百年
尽忠報国七生志       尽忠報国七生ノ志

漢詩の七言絶句の体裁をつけてはいるものの平仄無視なので定型漢詩とはいえない。
しかし、まさに死ぬ決断を下したときに七言絶句を称えるというのは軍人の嗜みを知っていた
のだろうと推測する。日露戦争の大立者として有名な児玉源太郎大将のような文藻豊かな
教養までは望むべくもないけれど従容として高級軍人の最後を遂げたのはいかにも武士道

の精華を体現した海軍軍人であったと思う。海軍予備生徒への訓示のとおりに己の
死に直面して泰然自若であった。言行一致の生涯だった高木大将は故郷いわきの偉人
である。

 

髙木提督の訓示

髙木提督51歳の時の海軍予備学生への訓示がある。提督自決の二年前の事であるが、非常に示唆的
な訓示なので、以下紹介したい。

昭和17年(1942)11月27日、講演場所は台湾の東港である。そこでたびたび訓示された由。時に高木
提督は馬公警備府司令長官 高木中将で訓示を聴いた予備学生はおよそ500余名。

 死について

 武士道とは死ぬことなり。故に死を前提にして万事考うべし。生死を超越できたら上々だが、飛行機を授けられたら
 これは自分の棺である、艦船乗組になったらその艦をば自分の墓所だと思え。

 部下を持ったらこの部下を引率して一緒に死ぬのだ、へまな死に方はさせないぞと覚悟すべきである。
 申す迄もなく部下は天子様の臣であり、それを天子様からお預かりしているのであるから慎重に考えねばならぬ。

 部下が天子様の御為に死ぬ。その道案内が自分であると考えよ。分隊長についてこい。最良の死所を与ええて
 やるぞ。この為に部下の最良の死所をみつけてやる見識を自ら修練しなけりゃならん。

 一方、部下がついてくることが出来るよう、部下を鍛錬することを怠ってはならぬ。部下を鍛錬するに仮借は
 無用である。平素でも部下を愛するのに愚母の愛とでもいうか、甘やかす一方の盲愛に陥る危険があるが
戦場に立ってこの部下と一緒に死ぬのだとはっきり感ずれば、なおさら盲愛に陥り易いのである。

・・・「明日も亦知られぬ露の命にて、千載照らす月をみるかな」の歌もある。・・・決して情に負けて部下を
甘やかしてはならぬ。もしそれ人気取りの意図を以て部下に甘いものありとせば、それは到底、死出の旅路
の先達はつとまらぬ男だ。また、上官の前で部下を叱って見せて、自分の努力ぶりを上官に認めてもらおう
なんて根性の男に至っては下の下である。部下に最善の死所を与えるのが上官のつとめであることを銘記せよ。

こうした講話を聴いた予備学生の一人に作家の阿川弘之がいた。

運がついていた大施餓鬼会

昨日のお施餓鬼会は何の波乱もなくしのぎやすい一日となりました。台風10号接近の予報
などから「あるいはお天気が崩れて台風直撃のお施餓鬼になってしまうのかな」そんなことを
気にしながらの本番でした。幸い曇り空の夏とは思えない涼しげで穏やかな日中となりました。

天与の助けがあったと、感謝いたしました。当日の和尚は30名にもなり大盛況の法会となり
参加された檀信徒の皆さんは大喜びでした。それでも準備の都合上テントをつくりまして、
まなかいの便としましたが、結局は不要となったのでした。

IMG_0164.JPG

IMG_0171.JPG

今年は15日に万燈会をしましたが、そのさいの紙の灯篭(新盆ご家庭用)を須弥壇に
お飾りしました。とてもきれいです。

IMG_0191.JPG

客殿での昼食の様子。

IMG_0216.JPG

御詠歌をされる梅花流講習会員の皆さん。披露前の緊張の一瞬です。

MVI_0180.AVI

IMG_0235.JPG

山門法語

残暑炎天施架開     残暑の炎天に施架を開く

誠心供養法輪台     誠心もて供養す法輪の台(うてな)

暴風一過如長雨    暴風一過長雨の如し

不知初秋何処来    初秋の何処より来るかを知らず

IMG_0307.JPG

無事儀式が滞りなく円成したことを喜ぶ役員さんたち。それにまかない
のお手づだいをされた御婦人がたに感謝で~す。

知っておきたいいわきの軍人

軍国主義の時代は明治新政府の肝いりで全国津々浦々まで浸透し、それが大東亜戦争で
連合軍に敗北するまで続いた。当時の強国イギリス、フランスなどがアジア侵略を企図し
着々と成果を上げている時代であった。日露戦争でまさかの勝利を得た日本もまた、

欧米列強に対抗すべく軍拡に精をだしていたわけである。日露戦争での凱歌に酔う日本を
評的にして日本を牽制し始めたのが、米国であった。米国はすでに「ハワイを併合し、また
フィリピンを、グアム島をも手中に収めて来た。・・・日本は日露戦争後やっと不平等条約を

解消し、やれやれと安堵の胸を撫で下ろしたけれど、世界は相変わらずの自国中心主義
だった。伸仕上がりの日本をこれ以上のさばらせておけば、今後したい」放題のことは
出来なくなる。支那四億といわれた中国大陸での利権の衝突が、戦争を拡大させてゆく。」

(『サイパンの青い空』永久保片雲編著)

米国は日露戦争直から中国での利権をめざす邪魔者の黄色人種として日本を貶める
政策ととってきた。それが史実である。そして、

日米最大の決戦場となった太平洋で大活躍したのが海軍大将高木武雄提督だった。
提督についてはそれまで、無知であったけれどこの八月に始めてその事歴を知る機会
を得た。

明治の陸軍中佐として知られる大越憲吉中佐とともにいわきが誇る海軍大将高木武雄提督
はもっともっといわき市民に知られてしかるべき偉人だとおもう。

髙木武雄海軍大将とは

リオ大会を終えて・・・

お盆もすみ、リオ五輪での我が国の大躍進をみながら、考えてしまいます。今月はあの大東亜戦争(太平洋戦争)の
反省をする特別な月です。8月15日の終戦の詔勅から二世代もの時間が経過しております。

先日の米国副大統領ジョ-・バイデン氏の発言には我が国で驚いた人も大勢いたのではないだろうか。

「核保有国になれないとする憲法を私たちが書いたことを彼(トランプ氏)は知らないのか」

戦争終結後長らく平和憲法を唱えていたために今日の我が国の平和が維持されてきたのだ。そんな
ふうに解釈していて当然と考えていた人たちにはさぞ衝撃の発言であったに違いない。
しかし、我が国の戦後の憲法は連合国GHQ統治下でのアメリカのための平和憲法策定だった。

そんな当たり前の事実を米国高官の口から出たということで、わが国内では衝撃的発言とのニュ-ス報道では
あったけれど、当の米国内では特に目立った話題にならなかったという。

つまり、米国内での政府高官たちには周知の知識であり、とくにバイデン副大統領個人の発言というの
ではなく、ごく常識的な日本の憲法に対する言及であったということである。

我国の護憲勢力が「平和憲法をまもれ」と声高に主張したからとてその平和の中身は”アメリカの平和”
のための憲法なのだ。そんな常識をも無視して護憲運動をする意味が解らない、と思うのは小生の
ひとりよがりなのだろうか。

長らく戦後同盟国として強い絆を構築してきた我が国ではあるが、米国主導による我が国内の航空基地
使用という占領政策の負の遺産の始末は一考すべき最重要課題だろう。

A-さ-33

花火の醍醐味を堪能した夏の一夜でした。胸が爆発音とともに打ち震えて感動の波がつづきました。
花火大会は知っていましたが駐車場のことやら観衆の多さなどを考えてしまうと、わざわざでかけるのも
なんだな。そんなことで例年しらんぷり。

今年はお茶の仲間と5人ででかけました。いやあ、とてもよかったです。花火は総数2万発とも紹介

され、最後の花火は5分間以上もの長さでおよそ3000発とか。もうびっくkりでした。来年からは
この感動を胸にまたこようかと思いました。表題は観覧席の番号です。お金を払ってもみた価値がありました。

今年はいわき市市制施行50周年記念の大会とかで、大盛り上がりでした。

いわき花火大会

追い込み中!

 

 

IMG_0120.JPG

 

 

 

 

 

 

 

お盆が近づいております。お塔婆を手書きするのがこの時期の習わし。400本以上も
手書きします。毎日50本づつ書くようにしていますけど、なんせ熱い暑い毎日です。

朝早くお勤めをお休みして、涼しいうちに書きこむようにしていますけど・・・。

IMG_0121.JPG

パワ-スポットなんだって!

お寺がパワ-スポットになっているんだとか。ポケモン騒動とでも言うんでしょうか。このごろ

スマ-トフォン片手に境内をうろつく人たちが目立っています。たまに大人もいますが・・・。
境内の坂道まで歩いてきて、しばらくするとクルット回れ右して戻っていきます。

ポケモンという遊びらしい。どうも私たちには縁遠い遊びのようです。

パケモンゴ-って何?

宗全籠です

IMG_0111.JPG

夜の茶道稽古がすんだところです。床の間には崇全籠を飾りました。

ヤバネススキが左右にひろがり中心のキンショウバイは黄色です。ピンクと白は
コスモスで中央下段にはムクゲがあります。家内の作品です。境内の草花が
おしゃれをしたようです。

IMG_0110.JPG

IMG_0112.JPG

身近にある草花をこうした竹籠にいれると、ちょっとした美があらわれますね。

『カエルの楽園』が人気です

百田尚樹さんの最新作。一読してしまいました。考えさせられる内容です。書評に大きく扱われないの
が不思議なくらいの出色の小説ですね。店頭ではよく売れています。

普段小説は買わないのですが、この本はついお金を出してしまいました。主人公がソクラテスって
いうのも寓意的ですね。ギリシアの哲学者で「無知の知」を教えた思想家なんですがね。

この夏一番の小説でしょう。

IMG_0107.JPG

最大の悲劇は、良心的な愚かさによってもたらされる。
ベストセラー作家が全力で挑んだ、衝撃の問題作。

安住の地を求めて旅に出たアマガエルのソクラテスとロベルトは、豊かで平和な国「ナパージュ」に辿り着く。
そこでは心優しいツチガエルたちが、奇妙な戒律を守って暮らしていた。
だがある日、平穏な国を揺るがす大事件が起こる――。

著者自らが「私の最高傑作」と断言。
大衆社会の本質を衝いた、G・オーウェル以来の寓話的「警世の書」。

小諸の草笛おじさん

小諸の草笛おじさんといえばあの有名な禅僧横山祖道老師(曹洞宗明治40年~昭和55年、74歳)の
ことです。佐久の隣に位置する小諸の懐古園の一角で22年も草笛を吹きながら一生を終えた
稀有な禅僧でした。

坐禅の神様と異名をとった澤木興道老師の高弟であり、内山興正老師の兄弟子になります。
小諸の懐古園を散策したのはこの旅行が初めて。在りし日に草笛を吹きながら藤村の
千曲川旅情の歌や初恋、惜別の歌などを観光客に披露していたユニ-クな和尚さまでした。

老師がなくなって既に45年もたちましたが、当時生活していたその場所には「千曲川旅情のうた」
が流れるスピ-カ-が設置されていました。そばによって耳をそばだてると哀切な草笛が鳴り出しました。

「ああ、祖道老師のあの草笛なんだ!」しずかな感動とともに老師の坐禅に徹底した生き方を
想いだしました。和尚没後の昭和56年には『草笛禅師 横山祖道 人と作品』(横山祖道遺稿刊行会編)
という豪華本が発行されています。小生の愛蔵図書となっています。

改めて老師の遺稿に接し、坐禅のすばらしさを再認識しました。坐禅信仰の権化と化した祖道和尚は
昭和の良寛和尚といえるでしょう。懐古園の老師のいた一角は和尚ご自身が太陽山青空寺と命名
していたそうな。浅間山と千曲川に囲まれた懐古園の絶景の一点景として忘れられない偉大な

禅僧でした。生前にお会いすることはできませんでしたが、その清らかな禅僧としての深い境涯
には頭が下がります。

IMG_0103.JPG

IMG_0105.JPG

IMG_0104.JPG

懐古園の名物和尚

現代書道の父比田井天来先生!

佐久平にきてみて通りすがりの看板を何気なく見てゐると、「天来記念館」の表示が
跳びこんできました。あの有名な天来先生の記念館らしい、と直感しました。

時間を作り記念館を訪れたことはいうまでもありません。先生(明治5年~昭和14年)
は書道に志したものにとっては大先生であり、敬仰を集めた大書家です。

その先生の生誕地が佐久の此の地だったんですね。奥様の小琴(明治8年~昭和23年)
もかなの名手として名を成した書家でした。

ゆったりと記念館を拝見できたことは、この佐久の旅行の大きな収穫となりました。
 

天来先生とは

「正安寺」の現在

佐久に御縁があるのはこの寺です。まだ独身の20代後半に修行したお寺です。今回、「貞祥寺」訪問をすませて
翌日に訪ねました。当時永平寺での四年余の修行をすませ、柳瀬有禅(独峰軒・法燈禅林師家)老師との
御縁が出来、公案禅に取り組んでいました。おりしも、「塚田耕雲(樵月庵師家)は君と同じ曹洞宗であるか
ら大梅会の接心にでてみなさい。」そんな提案が独峰軒老師からあり、この佐久のお寺に来たのでした。

東京奥多摩「徳雲院」の是々庵加藤耕山老師の迦葉法嗣である耕雲老師に参禅できるとあって、すぐにそこ
に参じました。いまとなればそれこそ難値難遇の勝縁でしたね。是々庵老師に生前j相見香を焚くこと
こそ叶いませんでしたが、法を嗣いだ両老師との御縁を頂くことができました。じつに有難いです。

それ以来の上山でした。到着してみたら、なんとなんと伽藍が一新しており、往時の姿はほとんど消えて
しまったかのような印象でした。それでも、禅堂や開山堂などをみると当時と同じでしたので安心したのです。

同じ佐久地区に立派な修行道場として風格ある僧堂が二ケ寺あるんです!いわきでは考えられません。

現在の正安寺です

「貞祥寺」拝登のこと

貞祥寺のことを知ったのはおそらく「澤木興道全集」全19巻を読んだ大学時代だったのか
もしれないが、しっかりと記憶に刻まれたのは弟子丸泰仙老師の著作を読んだころだと
思う。突然のお寺訪問にもかかわらず丁寧に伽藍の案内をしてくださった副住職さんには
感謝しています。弟子丸老師のお墓はこちらにあり、供養しているとか。

澤木老師のお弟子にはたいへんユニ-クな弟子がいます。”宿無し興道”の異名を持った
老師の下、内山興正、酒井得元、横山祖道そして弟子丸泰仙などなど・・・。

七堂伽藍を備えた道場がこの地方にあるなんて想像していませんでした。老杉とケヤキの
大木のたたづまいには圧倒されてしまいました。時代を経て受け継がれてきた禅の伝統が
いまだに現前している。そんな強烈な印象を持ったのでした。

昭和10年代当時に雲水たちが坐禅に骨折っていた坐禅堂(僧堂)正面には「枯木堂」の
大きな横額がありました。月舟宗胡禅師の雄渾な筆さばきです。いいものを見せていただ
きました。やはり、実際にこうして訪問してみないとこうした立派な宝物には出会えないも
のだと痛感じました。

本堂内には澤木老師「莫妄想」や少林屈開山飯田?隠老師の書などの眼福を得る
ことができました。禅僧の書は書家とは一線を画した良さがあるので、こうした名匠の書を
拝見できるのは嬉しい限りです。

境内の苔がこの歴史ある寺の境内の美しさを一層荘厳にしてくれていました。佐久以外
の方にもぜひ紹介したいです。それに三重塔などもあり十分に時間をとって境内を散歩
することができました。在りし日の佐久地方の禅界のことなどいろいろと想像しながら
散策を楽しみました。

IMG_0097.JPG

 

IMG_0095.JPG

信州佐久・小諸への旅

月替わりとなったここ数日、信州長野への小旅行をしてきました。以前から、松本方面の縁は
あったのでしたが佐久方面はこの40年程無縁の地。今回の旅はなぜか懐かしく感じたものです。

佐久市の古刹貞祥寺には初めての拝登でした。いつかきっと訪問できる。そんな年来の夢が
叶いました。それから、

二十代で雲水をしていたころお世話になった正安寺にも足を伸ばしました。古佛加藤耕山老師
の秘蔵っ子として有名な塚田耕雲老師のお寺です。坐禅堂から独参室に充てられた開山堂
に一番先に見解(けんげ)を述べるために境内を小走りした当時が無性に懐かしく思い出されました。

樵月庵老師の教えの様子がまざまざと現前したことです。その昔、24歳の慈雲律師が大梅禅師の
膝下で二年程修行したことなども・・・。

今日、戻ったばかりなのでまた明日報告したいと思います。

佐久市きっての曹洞宗の古刹貞祥寺

御家流茶会・香会

IMG_0076.JPG

旧磐城平藩主安藤家の香華所である良善寺(浄土宗)の本堂内部です。

手前左側に献茶するための台子飾りがみえます。

IMG_0078.JPG

須弥壇中央には安藤家初代重信公(良善公)の御尊像が安置されています。年一度この日
だけお目見えされます。平生は本堂後ろにある位牌堂に祭られております。

IMG_0077.JPG

今年は何日ですか?

今年は何日ですか。七月になるとそんな電話があります。小学生・中学生対象のこども坐禅会の
日程をしりたいお母さんからの電話です。

結婚してから30数年間、毎年開いている宿泊坐禅会です。大震災の年はお休みしたのかな。
もう忘れてしまいました。

電話での参加問い合わせがぼつぼつでてきています。お寺の境内が一気に子供たちの歓声
でにぎやかになります。なんだか主催する私たちもこどもの頃をなつかしく思い出しますね。

IMG_0075.JPG

参加希望の方はお早めに申し込みしてください。

真珠湾攻撃の真相とは

六月がまもなく過ぎると、七月八月とお盆行事がつづきます。八月ともなれば、例年判を押したように
大東亜戦争のことが回想されるようになっています。わが国民の蒙を開くという意味で

真珠湾攻撃に対する米国の反応について、以下のメ-ルを紹介したいと思います。

 

小生が高校三年のとき、今から53年程前の事であるが、日本学術会議のメンバーであられた倫理学を
専門とする社会教科の先生が、ハワイの「真珠湾攻撃」はルーズベルトが、日本を戦争に巻き込むため
の策謀で有ったと言っていた。
米国国民の厭戦気分を覆すためにも、「リメンバー パール ハーバー」がどうしても必要であった訳である。
米国は日本艦隊の通信を傍受し、完全に動きを把握していた訳である。
 最近、シカゴ在住の日本人が、攻撃の一週間前のハワイに於ける2紙が一面記事で、一週間後に於ける
攻撃を伝えているわけである。
また、サンフランシスコの軍は約一年前に日本がハワイをアタックすることを、公文書としているがそれを秘密
にするようにと伝えた証拠の文書が残っている。つまりは、真珠湾攻撃は奇襲ではなかった、米国民を生贄と
したルーズベルト大統領の策謀であり、米国民を戦争に引き込む策謀であった。
 
 だから、真珠湾攻撃は何も卑怯ではなく、ルーズベルトは三千人程の米国人を犠牲にして、東亜の
侵略征服のため、邪魔な日本を駆逐する野望の下に仕組んだ、策謀であったことが具体的に裏付けられ
たわけである。(「真珠湾攻撃を検証せよ」タカハシ氏論考より抜粋)
 
こうした歴史事実の検証が広く一般国民に共有されることを願うものです。

良善忌茶会まであと四日

例年6月29日は良善忌茶会。御家流の祖安藤重信公の命日に因んでの茶会香会があります。

昨日の雨で薄茶席会場の愚庵邸は梅雨景色となりました。今朝6時前に行ってみると普段は
彼切っている池が満々と雨水をたたえていて、しっとりとした雰囲気でした。

ので、写真をパチリ! そうそう、デジカメが見つかりました。ラッキ-。普段使いの頭陀袋の奥に
終いこんでいたのをすっかり忘れていたのでした。

IMG_0070.JPG

IMG_0071.JPG

IMG_0065.JPG

無事って?

IMG_0064.JPG

    「無事」という禅語を茶掛けにしたい。そんな頼みが友人からありました。茶道に熱心なので
 禅語にも親しむ機会があるようですね。

   一般には「無事」といえば「とくに日常生活で何事もない穏やかな日暮し」の事を指す言葉です
が禅語となると意味合いがかなり違ってきます。

 よく茶室の床の間に掛けられる「無事是貴人」(臨済録)は悟りの境涯に在る禅匠にあてはまる
五文字の一行書です。心中迷いもサトリも抜け出てしまいった貴い理想境に安らかに安住している
様子を表現した言葉です。

しかし「無事禅」となると意味は反対になります。悟りを追及することもなく、ただ修行するだけの
禅という意味になります。これは看話禅を標榜する臨済禅の立場から黙照禅を貶した悪口です。

永平高祖の「祇園正儀」(正法眼蔵からの抜粋)には
「ただ今時を盡却せんことを要せしむ。よく今時を盡さば更に何事かあらん。若し心中無事なることを
得ば、佛祖なおこれ冤家のごとし」とあります。

安穏として何事も起こらない平々凡々の生活が理想だなんていっていたら修行もヘチマもありません。
それこそ邪見に陥ってしまうことでしょう。わざわざ出家の沙門になる必要は毛頭ないです。

仏道を究めようと修行に専心する出家沙門の理想としてのサトリをも求めず、強いて佛道を行ずる
のだという作為をも超脱してしまい、淡々と日送りする安楽の境地に徹している。そんな深い禅境
を表現した二文字なのです。

それなら茶掛けとして床の間に飾られますね。なんともすてきな禅語です。「平常心是道」という
禅語も同様の趣旨を表現したものです。
 

乾坤一擲

今日は日曜日。年回法事の予約もなく、静かな一日でした。時間がとれたので条幅を一枚仕上げました、

「乾坤一擲」という言葉が座右の銘になっている。最近知り合った方がとても気に入っている。そんな
話が出たのでこの四字熟語を書いてみました。

短いといっても人生はそれなりに長い行程に違いはありませんが、心の支えになる言葉があると
さまざまな局面で頼りになるものです。小生もこの言葉が好きです。

IMG_0046.JPG

ケニアのフォスタ-チャイルド

フォスタ-プランの趣旨に賛同したのはもう27年前になり、現在はケニア人の9歳の
男子エリック君の里親をしています。

随分長くこの活動に参加していることになります。世界には貧困国とよばれる国々が
たくさんあります。特にアフリカなどは誰でも知る国ですね。

エリックは初等教育を受けているのですが、学校にいくのになんと約1時間半も
かけて通学しているんです。最寄りの保険施設まででかけるにも約45分かかるのです。

毎月一名のフォスタ-チャイルドにつき5千円送金しております。エリック君が独り立ち
できるまで私たちの援助はつづきます。

思い返せば最初の教育里子はジャッキ-ロウ(フイリッピン)ちゃんでした。年に一度の
家族の現況を知るたびに、現在裕福な境遇にある当たり前の日常生活のありがたみ
をひしひしを感じます。

フォスタ-プランとは

感動した!「正範語録」

ネットはいまでは当たり前のツ-ルになっていますね。最近になってこの語録を知りましたので、
紹介します。すでにご存じの方も多いでしょうかよくく噛みしめると「ふんふん」と納得してしまいます。

自分自身の職業や趣味などにあてはまる語録です。この語録という言葉は禅の古典では普通に
ありふれた名前ですけどね。

ネットの弊害も頻繁に取りざたされていますが、そういうなかにこんな珠玉の名言もあるんですね。
深いとても深い言葉です。

知らないと損します!!

『鶴巣集』を読む

「鶴巣集」は幕末明治に大活躍した原坦山老師の法語集です。老師晩年は初期の東京帝大で
佛教思想を学生たちに教授しましたので学僧として知られています。宗派を超えて尊敬を集めた
わが曹洞宗を代表する傑出した禅僧でした。

今回はその法語の一部を紹介します。

一にはすなはち人天の教え也。二にはすなはち三乗の学也。三にはすなはち佛祖の証契なり。
方今吾子の病は信力堅からざる処に在り。心操軟弱の処に在り。情識を脱せざる処に在り。
聡明虚飾の処に在り。已に是れ恁麼にして恁麼にし去る。恐らくは大事を了するに勝えず。
今且らく別れに臨むが故に之を送るに規言を以てす。(原漢文)

この法語は最後の住職地であった小田原の道了尊で有名な最乗寺を去る時の最後の教え
でしょう。禅僧の一大目的は生死を明らめることですが、現在は檀家のつきあいをしながら
生活の安定を図ることで頭が一杯の和尚たちが巷にあふれています。

小生もその例外ではありませんが・・・。

こうした先人の教えに触れると、自身の軟弱な根性を奮い立たせてくれます。有り難いことです。
 

曹洞宗の名刹小田原の最乗寺

白隠和尚の求道心

白隠禅師の大悟は二度ありました。英巌寺で坐禅三昧をしていた時とその後正受老人の下で
八ケ月の安居をしていた時と。昔の禅僧は死にもの狂いでの修行に骨折ったんですね。

現在の宗門人は住職資格を得る目的で専門僧堂に一.二年生活すると師匠寺に戻ってしまいます。
9割がたそういうもんでしょう。末世の様相を呈しているのが今の禅界です。

お釈迦様が難行苦行六年もの後に菩提樹下で大悟徹底された事例がありますけど、たいていその
智識をもつだけであり、日常生活において毎朝坐禅をして読経する習慣を持つ和尚はそう多く
ないようですね。

本気で死ぬ気で修行する和尚のためになる。白隠禅師の求道心には学ぶところが多いです。

若かりし白隠和尚の求道時代

AFS同窓会

AFS同窓会

afs日本協会

先日、久しぶりで同窓会に出席してきました。米国に高校生で留学した同窓生の
集まりです。想いだせばかれこれ50年以前のことでした。みなさんあちらの高校を
卒業して、子育てを終り充実した人生を送られています。

仲間の一人が留学25年の節目の際の古い記念写真を持ってきていました。
あの時は熱海が会場でしたが、写真をみてお互い年を重ねてきたんだな、と
そんな感慨をいだきました。

それでも、集まれば当時からの思いで話や現況の報告など話題はとどまることを
しりません。二次会でもそうでした。出席者32名のそれぞれの人生が垣間見れて

楽しい歓談のひと時でした。
 

光明必ず盛大なり

「古人刻苦、光明必ず盛大なり」とはよく知られた禅語です。白隠和尚もフト手に取った『禅関策進』
という禅書にであったことで、これからの自分の為すべきことを強く自覚したということです。

無造作に手に取った一冊の禅の語録が若くて悩み深い青年僧の魂を奮い立たせたのでした。
書物との出会いがその人の人生をガラッと変えてしまう。そういう経験は禅僧のみならずどなたに
でも起こり得ることですね。

小生も大本山永平寺専門僧堂に勤務していた当時、この『禅関策進』の講義をしたことでした。
現下の宗侶がお布施をもらう生活のための読経回向だけで満足していたら、ホントにもったいない
ことです。白隠禅師若かりし頃の求道の逸話として広く禅道場ではしられています。

いくつになっても、自分を鞭打ちながら努力を重ねることが大切です。慈明和尚のこの逸話で
修行に発憤した禅僧は古来より多いです。

錐で腿を刺しながら睡魔と闘った禅僧とは

飯山の正受老人

現在多賀城市や松島で「大白隠展」が開催中ですね。我が国臨済宗中興の祖師としてあまりにも
有名な禅匠ですが。その白隠和尚が若かりし頃接得したのが正受(しょうじゅ)老人です。

老人は江戸初期の禅匠で晩年は信州飯山に母上に孝養をつくしながら隠棲しておられました。
そこに、英邁な白隠和尚が出会うことになったのでした。すでに相応の悟りを得た白隠でしたが、
この老人に出合ってからその悟りをすっかり奪われてしまい、最後に痛快な大悟を得たのでした。

或る時、いつものように村内を一人で托鉢してまわっていたときのことです。ある農家の前に
たたづんで読経をしていると、家のおばあさんがでてきて、「辛気臭いお経など読んでもらっても
こまる、すぐに家からたちさっしゃれ。」と声をあらげてそばにあった竹ぼうきで和尚をたたいたの

で、和尚はその場で脳震盪を起して気絶してしまったのです。それほど強く叩いたとはたいした
老婆ですね。たいていならばもっとやさしくしてくれてもようさそうですが、この時はどうしたものか
したたかやられてしまったようです。気の強い女はどこにもいますもんね。

和尚もすきっ腹だったのかもしれませんね。どっと倒れて気が付いた途端に疑団がすっと溶けて
大悟した。そんなふうな逸話が伝わっています。縁が熟すれば、なにかのきっかけで疑いの壁
が崩れてしまうんでしょう。悟りは坐禅堂の中でしか悟れないというものではありません。

熱心に油断なく修行すれば、誰でもそれなりの気づきというものは体験できるものです。白隠に
とってはこのいじわるババアにどやされたのが、その契機だったわけです。

正受老人のいままでになく厳しい指導がここで実を結んだのでした。『大白隠展』を東北歴史博物館
でみながら、あれこれ正受老人のことどもを想いだしたことです。その昔、老人が参禅した至道無難
(しどうむなん)禅師の逸話などもあわせて想起しました。

白隠は大本山に出世しエリ-ト街道を上り詰めた人ではなく、田舎の名もない道場暮らしのなかで
大成しそこに参集した禅の英傑達を教育して仕上げた。そういう意味でも感慨深いものがあります。

道鏡慧端和尚とは

 

坐禅会資料

坐禅は歴代仏祖が心根を込めて今日まで相続した聖行である。

坐堂にて静かに座る行為がそのまま仏道の全体を体現している。

故に一息々々怠りなく修すことが肝要である。

 

坐禅の目的は生死(しょうじ)の大事を了畢(りょうひつ)すること。それには

まづ第一に無上菩提心をおこすこと。

 

菩提心とは無常を観ずる心なり。

 

この日既に過ぎぬれば、命もまた随って滅す、少水の魚の如し、ここに何の
楽しみかある。衆等まさに勤めて精進し、頭燃を救ふが如くすべし、また

無常を念じて、慎んで放逸なることなかれ。(大智禅師仮名法語)

 

人根に利鈍あるも道に南北の祖なし(参同契)

 

道はるかにして馬の力を知り、事久うして人の心を知るなれば、仏道は順逆の

中に長遠の志を堅く持つを、真実擔富の人といふなり(大智禅師仮名法語)

 

ただ吾我を忘れて潜(ひそ)かに修する。すなわち菩提心のしたしきなり。

 

○面白くなき世の中を面白く過ごすは禅の力なり

○信仰の峠何れを向いても花盛り

 信仰の力によってどんな生活の中にも幸福を見失わぬ、また信を除いて宗教

 もなく科学もない。信とは坐禅なり。

○臍下丹田は身心を打って一丸とした人間の生命が結集する処である。坐禅は、

 此の丹田を練りて真の生命に生きる人間最高の道である。(90歳)

○悟りは望まないでも坐禅さえ確信を持って急切にすれば自ら人間最高の道は

 開ける。(91歳)

○身体を整えるから病気が治る。ノイロ-ゼが治る。意志が強くなる。能率が

 上る。頭がよくなる。全人格が整ってくる。更にすすめば悟りが開ける。大

 安心が得られる。理想世界への道が開ける。(96歳遷化の年)

 

  坐禅で一生を棒に振った加藤耕山老師晩年の言葉です。深く味わい己が人生

 の糧としよう。老師は明治大正昭和を坐禅に捧げた稀有の禅僧です。

 

とうとう実家がなくなる!!!

金井の実家が取り壊されることになりました。五年前の東日本大震災による津波被害で
住宅は1メ-トル強の床上浸水と屋根瓦の破損に遇いました。

このたびの家屋解体では海抜2メ-トル地点にある実家は転地せざるを得ないことに・・・。

亡くなった両親が精魂傾けて仕上げた住宅でしたが、これで見納めとなってしまいました。

記念に30枚ほど写真をとっておきました。そのうちの二枚ほどアップしておきます。

IMG_4344.JPG

IMG_4345.JPG

ツツジが見事です

IMG_4336.JPG

晴れた上天気で無風のときなどにはホントにすばらしい眺めです。オオムラサキはどんどん大きく成長しますね。

風外老師還暦の漢詩

 老僧今年六十一   老僧今年 六十一

  報恩事業滴無成   報恩の事業 滴も成る無し

  祥雲淑気春風裏   祥雲の淑気 春風の裏

  挙首空見白米城   首を挙げて空しく見る 白米城

風外本高老師還暦の時の感懐です。江戸時代も後半になり幕末に差し掛かった頃に
活躍した禅匠です。69歳で亡くなりましたがその門下から出た奕堂・鼎三

坦山など明治期の曹洞宗を代表する弟子を育てたことで知られています。
転句 は正月を迎えた肌寒い気候を表現しています。老境に入っても
満足のいくような境涯にたどり着けない自分であるというのが承句の表面上
の意味ですけれど、実際には大いに宗風を振って弟子養成の実績を
あげていた時期です。老師一流の謙遜の言葉ですね。

参禅の徒弟たちの指導の余暇には優れた画を多く描かれました。

日の丸と幟の祝日

鯉のぼりの真鯉の紐が強風でちぎれてしまい、修理もままならず。なので、今朝は幟と日の丸だけとなり
ました。それでも、上天気ですし、飾ってみました。日の丸をみてはその都度感謝していますけど、近在
で日章旗をかざっているのは昔の村社住吉神社くらいですね。日の丸がはためかない祝日程さびしい
ものはありません。そういえば、鯉のぼりなどもトンと見かけなくなってしまいました。残念です。

IMG_4332.JPG

IMG_4322.JPG

田植えをすんだ近所の田んぼから聞こえてくるカエルの声が毎朝耳についてしまいました。

 

境内の可憐な草花たち

 3日は憲法記念日。我が国の国柄を反映した明治憲法が制定されて、大東亜戦争後に現憲法
が制定されました。以来70年過ぎた今、現憲法の制定過程や現下の世界情勢などから憲法改正
論議がかまびすしいです。わたしは改正より明治の欽定憲法を尊重しながら叡智を結集して

我国らしい新憲法作成論議の昂揚を期待しております。今日は子供の日です。昨日の大雨
も去って陽気全開の日よりです。なので、境内の花木や草花の
撮影をしてみました。

IMG_4321.JPGIMG_4323.JPGIMG_4324.JPGIMG_4326.JPG

 

IMG_4327.JPGIMG_4329.JPG

IMG_4330.JPGIMG_4331.JPG

昨日の雨のせいか緑の鮮やかさが目にやさしく入ってきました。

はぐれた鯉のぼり?

例年五月ともなれば鯉のぼり【手書き)と鍾馗さまの幟をたてるんですけど・・・。

今年は春の風がことのほか強くて強くって鯉のぼりが泳ぐには都合がいいのです。
しかし、数日前のような激しいほどの強風にあえばさすがの鯉も我慢しきれなかった
ようです。

真鯉用の太い糸は直径10ミリ以上はあるのですが、その強風にあおられてしまい、
はぐれてどこかに吹き飛ばされてしまいました。柱のすぐそばにあるのかと思い
ましたが、はるか遠くのお墓に落ちていました。

このコイはいまの副住職のために家内の両親が贈ってくれたものですけど、副住職の
長男のためにもと考えてあげているのでした。

ま、なにごとにも限界はあるんでしょう。強い風があれば鯉のぼりにはもってこいですが
強すぎれば、こういう不測の事態もありうるんですね。

大型連休ですね

五月の大型連休に入りました。3日の昨日は上天気でしたので、午後から須賀川の牡丹園に
でかけてきました。車で一時間ちょっとくらいです。

四時ごろ到着し小一時間ほどの園内散歩を楽しみました。大勢の花見客でにぎわっていましたが、
駐車場に車をいれたれたのは、閉園時間が五時になっているのが影響したようです。

受付嬢の話だと凄い人出だったようです。東日本大震災後でははじめての見物でした。ずいぶん
ひさしぶりのような感じがしました。牡丹はちょうど見ごろをむかえてきていて、さすがにすばらし
かったです。

皆さんはどんな連休をお過ごしですか。

須賀川の牡丹園

菜の花がみごろですよ~

いわき市内を流れる新川の土手が菜の花の荘厳でとっても素敵です。いま、バイクで駆け足で
撮ってきました。自生なのか市民の手作りなのか判然とはしませんが、それにしても全長1キロ
ではきかないでしょう。荘厳です。

菜の花などの黄色い草花を愛した作家に司馬遼太郎がいます。命日は2月ですが、菜の花忌と
しょうしています。生前お元気であったなら、このいわきの菜の花をみてきっと感動してくれるでしょう。

菜の花忌とは

IMG_4308.JPG

IMG_4312.JPG

IMG_4307.JPG

良寛和尚の漢詩

良寛和尚といえばだれでも知る禅僧の一人でしょう。村童とかくれんぼをしているうちに遊び疲れた
子供たちは鬼になっている和尚に告げずに家路に帰ってしまい、和尚はそれとも知らずいつまでも
鬼をしていた・・・とか。筍が庵の床板から伸びて出てきているのを見つけて、その成長を妨げない
ために、床に穴をあけたとか。純真無垢な清僧の逸話を思い出します。

新潟出雲崎の五合庵での隠遁生活をしていた良寛和尚ですが、禅僧として一流の人であったこと
もこの頃ではよく知られています。和歌や書道の達人であったばかりではなく、禅者として一流
の類まれな人でした。

禅師としての力量は実はその漢詩にあるのですが、漢詩と疎遠になってしまった現代人には
なかなかその漢詩に触れることは少ないようです。しかし、和歌とおなじように良寛和尚の漢詩

に接するのもいいものです。そこで、先日同様に「楠葉だより」に紹介されている良寛和尚の漢詩
をあげてみることにします。

  四月失明の節 飄々として衲衣を著く

  水に臨んで楊柳暗く 岸を隔てて桃李飛ぶ

  行き行きて野草を摘み 徐々に柴扉を叩く

  蜘蛛南園に舞ひ 茗花東籬を遶る

  意閑にして白日永く 池僻にして趣き自から奇なり

  我が性逸興多し 句を拾いて自から詩を成す

 失明~寝すごしてしまい夜が明けたことを忘れ朝寝坊したこと
 衲衣~破れた衣。転じて禅僧の身に着ける衣のことをいう

 


 厳格な修行道場生活とは異なる自適の生活を楽しむ和尚の姿が偲ばれます。

 いわきの禅僧として有名な原坦山老師は良寛の漢詩を読み「寒山詩」のような
趣きがあると評しています。この詩など意味を詮索しないでも何度も朗読している
と春の暖かな日和と行楽が浮かびますね。

原の白隠禅師とは

白隠禅師(貞享二~明和五・1685~1768・84歳)は臨済宗中興の祖師です。禅三派といえば
臨済・曹洞そして黄檗の三宗派をいいます。現在黄檗の流れは臨済に吸収されているんですね。

禅の相承つまり系譜からみるとそうですね。ということは我が国の禅は道元禅と白隠禅の二流が
主になって現在にいたっているということになります。その大立者の一人として禅界に屹立している
のが白隠です。

曹洞宗と臨済宗はともに禅宗ではありますが、修行の仕方や弟子の教育の仕方が異なります。
道元は鎌倉時代、白隠は江戸時代と年代的には480年の開きがあるものの、どちらも我が国が
世界に誇れる代表的な禅の巨人です。

明治大正時代当時には坐禅を通じてお互いの禅僧が宗派を超えて道場生活をしていたんですね。
しかし、実際のところは曹洞宗の禅僧が臨済宗の専門道場に行くのが多かったようです。

最近では尊敬する加藤耕山老師などがおられます。本は曹洞宗でしたが後に臨済宗の禅僧として
白隠下の禅僧となりました。渡辺玄宗禅師は曹洞宗ですが、50代に臨済宗の印可を得ています。

耕山老師には塚田耕雲老師などの曹洞宗の師家がおられます。現在では、こうした傾向はほとんど
ないようです。臨済宗の方が曹洞宗の永平寺や総持寺での修行に上山する例は耳にしません。

原の白隠さんとは

春を味わう

楽訓」は貝原益軒の著作です。その中から抄録したものを『楠葉だより もののあはれと求道精神』(木南卓一著 平成14年刊)

から孫引きにして次に紹介します。

 〇四時にしたがひ、月花をもてあそび、をりをりの景物をめで、其のをりふしにかなひたる唐(から)・大和のふるき
  歌を誦して、心に楽まんこそ、みづから作る労もなく、たやすくしていと面白きわざなるべけれ。

〇朝(あした)ゆふべ目の前にみちたる天地の大なるしわざ、月日の明らけき光、四時のめぐりゆく序にしたがへる、
 折々の景気のうるはしきありさま、雲煙のたなびける、朝夕の変態、山のたたずまひ川のながれ、
 風のそよぎ雨露のうるほひ、雪のきよき花のよそほひ、芳草のさかえ嘉木のしげれる、鳥獣虫魚のしわざまで、
 すべて万物の生意のやまざる、是をもてあそべば窮りなき楽しみなり。是に対すれば其の心を開き其の情を
 清くし、道心を感じ興し、鄙吝あらひ尽すべし。是を天機に即発すと云ふ。即発とは、外物にふれて善心をお
 こすをいへり。是れ外物の養をかりて内の楽をたすくるなり。

〇衆人の楽はみな外欲にあり。是をほしいままにすれば却って我が身のわざはひも是より起こる。
 君子は学んで道を楽しみ、命にやすんじて貧を憂へず、閑を得ては書をよみ、時節を感じ、風景を
 玩び月花をめで、詩歌を吟じ草木を愛する。この数多の事かはるがはる楽まば朝夕の楽きはまり
 なかるべし。・・・かかる時楽しまずんば日月ゆきてとどまらず、惜しむべし。

先日紹介した池田草庵先生の青谿書院記には「春はすなはち其の新緑を愛し、夏はすなはち其の
涼風を迎え秋は紅葉爛漫・・・」という名文も思い出されます。

白雲よ 月よ桜よ見るままに 万代(よろづよ)尽きぬをのが春秋

草も木も げに御佛の心とて 世々にたがはぬ をのが春明

こうした慈雲尊者の和歌などを口ずさむのも春を味わうにはいいものですね。

 

長野のお寺に出掛けます

午後から長野県松本市にある古刹「広沢寺」さんに出掛けます。そちらの若和尚が住職になりその
お披露目の儀式が正式に執り行われます。宗門では結制と申しています。

廣澤寺さんは境内10万坪以上もある大寺院であり、小生の恩師の大学教授をされた前
住職地です。長男さんが後継者となり、永平寺専門僧堂では小生が先生役でした。

お祝いに賀偈(がげ)を条幅に書いて郵送しました。結制のような人生一度きりの大儀式
があると、禅僧は七言絶句の漢詩を贈る習わしがあります。きっと、この寺には60人以上もの
僧侶がお祝いに参加することでしょう。大本山総持寺貫主猊下が主賓で横浜から来られます。

晴れの大舞台での新命住職の雄姿を拝んできます。

 春迎新緑趣無窮        春には新緑を迎えて趣窮まることなし

 山野逍遥俗気空        山野を逍遥すれば俗気を空ず

 此日晋山広沢主        此の日晋山す広沢の主

 高揚法旆振宗風        高く法旆を揚げて宗風を振はんことを

熊本大地震支援托鉢

このたびの熊本大地震では、地震のすさまじさを思い知らされましたが、副住職はここ3日間ほど
いわき駅前で支援のための托鉢をしております。

本堂全壊、鐘楼堂全壊となった先輩の被災寺院の窮状を見かねて「何か自分でできることはないか」
と考えての托鉢行。他人事ではない切迫した感情にかられてのことでしょう。

それまでは 人のことだとおもいしに おのれの番とは こいつたまらん

天変地異や肉親との別れなど自分にとっては関わりないニュ-スと思っていることが多いのですが、
それがいったん自分にかかってくると、そんな呑気な気分に浸るわけにはいかないです。身につまされて
の托鉢行です。五年前に起きた東日本大震災のさい、かみのやま温泉(山形市)まで一家で避難したこと
が思い出されました。

今、白隠禅師が熱い!

白隠禅師は日本臨済禅中興の祖師としてあまりにも有名な禅匠です。その禅師の没御250年遠忌
が来年に迫っており臨済・黄檗両宗では記念企画を実施中です。

2012年12月~2013年2月には大規模な『白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセ-ジ』がありました。

『白隠和尚全集』全八巻はその全貌を伝えており、小生の書架に備えてあります。90歳を超えてなお
衆生済度に精進した稀有の禅僧が今また脚光を浴びています。この機会にぜひ白隠の禅画や
著述に親しむといいでしょう。500年に一人出るか出ないかの大禅僧の生涯には学ぶところ大です!

白隠展企画実施中

熊本大地震での甚大な被害寺院

先日起きた熊本市や大分市を中心とする大地震。連日報道されていますが、宗門寺院も大被害を

こうむっています。名刹である大慈寺や有縁の極楽寺などなど・・・。天災のすさまじさは宗門寺院
を直撃しました。極楽寺はあおの阿蘇神社のすぐ近くにあるのです。そこの鐘楼などは柱がはずれて
しまい、屋根が裏返って地上に落下してしまいました。

宗門寺院の被害情況です

熊本市の大地震

今朝になってから、有縁の御住職に安否などをたづねました。熊本市でなく
八代市なので、被害は軽微のようでした。

去年の永平寺同安居会(48会)結集は御城の見えるすぐ前のホテルでしたので、
お城の塀や瓦の落下・損傷があったと知り、驚きをかくせませんでした。

五年前の東日本大震災の悪夢を思い出させられました。余震の怖さで一晩よく
ねつけなかった。そんな感じだったと電話口で聞いたとき、他人事でなく同情の
念がわいてきました。

甚大な被害にならないような迅速な救急体制を望んでいます。

「青谿書院記」を書く

穏やかな日曜日でした。無事観桜茶会をすますことができ、ホッとしました。香席、茶席ともに
五回入れ替えて、静かな中にも楽しいひとときを過ごせたのは嬉しいことでした。

出席者には備前市やら新潟からの遠来のお方もおりました。台湾出身の女性も。和服姿に
多く接することが出来るのも茶会の楽しみではあります。

さて、今月下旬産経国際書展出品予定の書作品は先日ブログで紹介した池田草庵の「青谿書院記」から

55文字を抜き書きすることとし、いよいよ作品に精彩をつける段取りとなりました。

春には即ちその新緑を愛し、夏には即ちその涼風を迎え、秋には黄葉爛漫、冬にしては
氷雪皎潔たり、若しすなはち朝には雲を含み煙を吐き変態窮まらず、暮には夕陽光を
回らし瀟洒清?たり。而してまた寥廓幽遠たり。
(原漢文)

素敵な名文です。口ずさんでみるとその口調の滑らかさとともに格調高く自然を観察
して止まない名儒者の心境が伺えます。書院から眺める自然を対句のように表現した文章で
すが、条幅に向かって筆を執る小生も心が洗われる思いです。

鎌倉時代の道元の傘松道詠「春ハ花夏ホトトギス秋ハ月冬雪サヘテスズシカリケリ」とか
をも思い出されます。
 

観桜茶会本番です。

医王寺住職ブログ

観桜茶会本番の日です。本堂の東の室中では香道が行われます。組香は勿来春秋香です。
今年は勿来の関の桜も見ごろになっていることでしょう。八幡太郎義家の絶唱を口ずさむの
も一興です。

吹く風を 勿来の関と おもへども 道もせにちる 山桜かな

IMG_4263.JPG

文台です。金襴の蒔絵で、源氏物語「須磨」の巻の題材でしょうかね。

IMG_4264.JPG

床中央には螺鈿の卓に平戸焼の精巧な龍の彫り物があります。

IMG_4262.JPG

床の掛け軸は邨田丹両凌画伯による「東下りの図」です。邨田画伯は明治大正に活躍した日本画家。

IMG_4266.JPG

冠卓(かんむりじょく)に安置してある乱れ箱に組み込まれた道具です。箱は梨地で江戸時代。

IMG_4268.JPG

源氏香の図です。違い棚のかざりです。

IMG_4269.JPG

毎年、組香で正解されたお客様にあげる小生の作品。手前の払子は柄が堆朱です。工芸品。

IMG_4270.JPG

客殿で点心をとります。受付もいたします。30畳の広間。

IMG_4271.JPG

庫裡の和室(16畳)では薄茶席があります。今回は香道の道具をおもに紹介しました。

昨日は準備、今日が本番です。60名以上ものお客様が参加予定です。

 

 

さくら・桜・sakura!!

絶好の櫻日和が続いています。いわきの櫻の名所はほぼ制覇している
つもりですが・・・。なんと、まだまだあるようですね。

今回は神谷の住善寺(浄土宗)境内の桜の紹介です。樹齢は200年以上もの
老木ですので、風格が人並みではありません。あいにくの雨模様だったのが
残念でしたが、それでも枝垂れ桜のうつくしさを堪能したことでした。

IMG_4257.JPG

現在無住の寺なのが淋しいです。

IMG_4256.JPG

豊麗で姿がいいですね。傘蓋のようです。

IMG_4259.JPG

IMG_4260.JPG

 

屋形船での春興!

この五日は一日中曇り空で前日までの暖かさはどこへやら。しかし、予定通り仲間同志で東京見物をしに。
昼間でしたが、屋形船に乗り逢いながらの花見でした。船の中は冷暖房完備で掘りごたつ仕様。

快適な二時間を過ごしました。船内からの川岸から眺める桜並木の美しさはとても感動的でした。お酒も
入っての楽しいひととき。勝鬨橋から乗船して桜橋付近に40分ほど停泊、水上からの花見としゃれ込んだ

わけです。お昼を堪能したところで電車にのり、上野広小路界隈にある旧岩崎邸を見物。静かないい雰囲気
のある御屋敷でした。ちょっと世間離れした豪壮な建物ですが、さすが三菱の創業者が住んでいた一流の

建築と感心しました。

屋形船からの春興を楽しんで日帰りしてきました。

IMG_4240.JPG

ゆったりした船内は畳敷きの掘りごたつ形式で、のんびりできました。この船には19人のお客さまでした。

IMG_4246.JPG

夜の花見だとさらに楽しみが増えそう。そんな水上の東京観光です。けっこう外人さんも参加

しているようだとか。

IMG_4242.JPG

満開の桜並木は絶景ですね。スカイツリ-の優美な姿も見ることが出来ました。

IMG_4251.JPG

旧岩崎邸庭園の概要

 

 

お寺の桜が開花しています!

お寺の100本の桜が一斉に咲き始めました。昨日は曇り空でしたが、今日は快晴。

五分咲きくらいですかね。今度の日曜日が観桜茶会なので茶夕の皆さんにお寺の
桜もみてもらえますね。大風があるとたちまち散ってしまう桜ですが、穏やかな週末
を期待しているところです。

 

外作務 の成果

外仕事のことを外作務 (そとざむ)と禅ではいいます。畑仕事をして農作物を自給自足したり
境内地の山仕事などを総称しての禅宗用語です。

年回法事や檀家の葬儀などが入らないときは、外作務 に精をだしますが、今年の冬は
それこそ大仕事をこなしました。

境内地の美化の一環として山の老木である枯れた松や杉の大木それに自生している椿など
を伐採して整理し始めています。大木はチエ-ンソ-を使います。主として副住職が奮闘して
くれました。小生はその片づけ仕事を荷いました。若い者の力はうらやましい限りです。

伐採し終えた雑木などを薪割しての作業はなかなか骨の折れることではあります。積み上げて
みると、横7メ-トル縦1.5メ-トルほどになりました。このままでは整理の五分の一程度です。

まだまだ先があるんです。よくぞこの冬はがんばったもんです。

IMG_4220.JPG

ナラの木やカシが多いです。隣接の地主さんの土地をお借りしました。

IMG_4224.JPG

幹回りはゆうにニメ-トルをこえています。

IMG_4222.JPG

鬱蒼としていた東側斜面が裸になり日差しが十分取り込めるようになりました。正面のケヤキは

幹回りおよそ2メ-トルほどの大木です。左側の杉はそれ以上の太さです。

IMG_4218.JPG

市内のお寺さんで、こんな山仕事をしているのは内ぐらいでしょうね。そのせいで、腰から
背中にかけて突然の痛みに襲われてしまい、二日ほど減食して呻吟しました。やりすぎの
せいです。

楞厳寺の櫻です

いわき市植田町にある楞厳寺さんへ午後からお邪魔しました。このお寺さんは枝垂れ桜が有名なんです。

電話で咲き具合を問い合わせたところ、ちょうど見ごろですよ、という返事。曇り空でしたが、老木にある
傘のような枝垂れ具合がとっても素敵でした。お茶飲みをしている間には写真愛好家の方々が数人

みえていて、好きなアングルでのシャッタ-をさかんに切っておりました。老木に咲くみごとな風情は
ソケイヨシノより早く咲くんですね。

IMG_4230.JPG

樹齢200年とか。

IMG_4232.JPG

IMG_4231.JPG

祝祷諷経

いつのまにやら四月となりました。毎月1日・15日の朝の勤めには祝祷諷経(ふぎん)をします。

月の初めとちょうどなかごろの15日には、このお経を読んでお釈迦様への報恩のお勤めをする
のが習わしとなっています。大本山永平寺を始め宗門の修行専門道場においてはこれを修行します。

読むお経は「般若心経」です。言わずと知れた短いお経さんです。子どもさんでもすぐに暗唱
できます。お経を読み終えると回向文(えこうもん)を読み上げます。お釈迦様の偉大な生き方を
讃仰した美文調のものです。

例えば、「巍巍タル金相(こんそう)、堂々タル覚王」と高らかに読み上げます。釈尊ほどの聖人
となればその御姿は人間をはるかに超えたものでしょうから、それはあのヒマラヤ山のように
高大で清らかなものに相違ないでしょう。金色の崇高な御姿でありましょう。じつに堂々たる

偉丈夫であったことでしょう。われら凡人ではとうてい想像の出来ない理想の御姿です。そんな
意味合いをこめた文章です。

気候も温暖になり、桜前線も話題になってきました。今月は釈尊のお誕生月です。偉大な聖人
の尊い生涯をあらためて追想したいものです。

刻字作品展示中です

春彼岸のお中日はお天気でお参りも多かったです。本堂では刻游会主催による刻字作品展を開いています。
この会は元NHKいわき文化センタ-の刻字教室に通っていた生徒さんたちが、その後分離して自分たち独自
の活動をスルヨウニナッタグル-プです。3月18日~4月10日まで開催しております。

指導者の高橋政巳先生が引き続き不定期ながらもご指導されておりました。残念なことに今年亡くなられて
しまい、その追悼の意味で作品展を開催することになったのでした。

まだ70歳に届かないうちに他界されてしまい、先生の穏やかな人柄とセンスあふれる作品を知った大勢の

方々から惜しまれました。

作品の数々です
 

本堂内の空間を活用して、30点ほど飾られております。とっても魅力ある刻字ですので、ぜひ見に来て
ください。

IMG_4208.JPG

IMG_4210.JPG

IMG_4212.JPG

刻字は板の素材に彫刻刀などで線彫りして金箔やさまざまな色塗をして完成させます。

IMG_4209.JPG

般若心経を一文字づつ丁寧に彫って仕上げてあります。77歳の男性による力作です。267文字。

IMG_4217.JPG

満開ですよ~

草木台の河津桜が満開ですよ~。

IMG_4203.JPG

寺から車で三分ほどにある市立21世紀の森公園にあるんです。家内が数えたら60本ほど
あるらしい。目下知る人ぞ知るいわきの名所になりつつあります。出かけたときはお日様は
顔をひっこめてしまい、曇り空でした。土手の散策道路も整備されており、写真撮影も自由自在。

近場にこんな素敵な場所があるなんて。日差しの強い日に出掛けるといいでしょう。

IMG_4206.JPG

IMG_4204.JPG

パソコンのヒステリ-?

平生何事もなく使っていたパソコンが故障して、ここ数日おかしくなってしまいました。ブログを
書こうとおもっていて文章をひらがなから漢字に変換しようとしたところ、ひらがなとカタカナ
しか変換文字がでてこないのでした。

おかしいと感じながら続けざまに何度もトライしたのですが、まったくうまくいかないので、
ブログやメ-ルを打つのを止めておりました。

パソコンの素人なのでどう対処していいのかわからずにいたところ、昨日パソコンを
操作してみたら、なんと元通りに復旧というんでしょうか直っていました。

機械のほうで勝手におかしくなって、数日後にもとどおりになっていた。そんな印象です。
業者に相談するまでもなく、元通りになったのでこうしてブログを再開できることになった次第です。

なにかと便利なパソコンですが、その便利さを失うと途端に不自由このうえないものになるんですね。

便利な製品がいつまでの順調に作動しない現実を経験させられたことです。

沢庵和尚隠棲の寺宗鏡寺

兵庫県出石町といえば、彼の有名な沢庵和尚の故郷です。出石出身の名僧としてあまりにも
有名な禅師です。その出石には沢庵和尚ゆかりの禅寺があります。名を宗鏡寺(すきょうじ)と
いい、臨済宗に属しています。

山陰本線で福知山方面にでかけたことは先月のブログに述べました。出石は豊岡の近くに
あります。和尚縁の寺ですが、地元では沢庵寺として親しまれているそうです。

和尚は禅僧になる以前は浄土宗の小僧をしておりました。というのも和尚十歳のとき、唱念寺
住持衆誉上人に見込まれたからでした。幼いころから利発だったので、上人のたっての頼みで
弟子となったわけです。禅宗になろうとしたのは13歳のとき。大徳寺の名僧春屋宗園老師の

下で本格的な坐禅修行を始めたのでした。和尚が宗鏡寺に隠棲したのは40代でした。その
ころ建てた茶室があり「投淵軒」といいます。シナの屈原が世を儚んでベキラの淵に投身
自殺をした故事に因んだ茶室です。

江戸初期の代表的な文人としても有名な沢庵和尚ですが、そのお墓をお参りして読経できたの
も旅のいい思い出となりました。

沢庵和尚さんはこんな人です。

IMG_4109.JPG

お寺の裏山にある禅師のお墓です。

IMG_4101.JPG

通称沢庵寺として知られている宗鏡寺本堂。現在の住持になって初めて妻帯したのだそうです。

IMG_4112.JPG

茶室「投淵軒」の静かなたたづまい。

IMG_4105.JPG

本堂

ガンバレ イチロ-!

あと65本で米大リ-グ通算3000安打だとか。彼はとんでもない数字に挑戦していますね。
メジャ-で活躍すること16年。いまでは現役最年長野手だそうです。42歳。

それだけでも素晴らしいことですが、イチロ-の守備位置は外野手の4番手という。
控え選手なので、めったに打席に立つチャンスがないんですね。

でも、なんとか打席に立つチャンスが一回でも増えることを祈っています。ガンバレ!

『山窓功課』

『山窓功課』は但馬聖人といまでも慕われている幕末の儒者池田草庵先生の日記です。

ご自身が35歳になってから亡くなる年までの32年間もの日記です。それを読むと先生の
日常生活の様子がよくわかります。厳しくご自身を律しながら、学問に励む毎日はそれこそ

十年一日のごとく、規則正しい学者・教育者としての姿が思われるのです。読書・黙坐それに
塾生の指導が中心ですが、よく黙坐をされています。禅僧のように早朝や夜間に線香を

くゆらせながら、一本二本ときには三本四本もじっと静坐をしているんです。わんぱくざかりの
塾生に反省をうながすさいにも、この黙坐は実行されたのでした。悪さをした少年が本心から

改心するまで、ご自身も塾生と同じく何時間でも黙坐をされたそうです。ややもすれば、子供の失敗を見つけた親
はすぐにその失敗を糾弾してあやまらせるのでしょうが、先生はいつも黙坐をするのでした。

こうした日常をみると先生は生来求道的な人物だったことがよくわかります。先生は十代にはお寺の
小僧生活をしておりましたが、儒学をきわめたい一心で恩師の元を去ってしまった経験を持って
います。

教師は聖職である。その言葉現代ではもう死語になってしまったようですが、、草庵先生のような教育の
仕方がどれほど大事で子供たちへのよき影響を与えているのかが伺われるのです。

いまでも生きている草庵先生の教え!

但馬聖人のご不幸

但馬聖人といまでも尊敬されている池田草庵先生ですが、66年の生涯には不幸な事件があり
ました。先生は文化十年(1813)生まれなので、200年以前の御生まれです。少年時代は

歌蔵という呼び名でした。その少年が十歳には正月の二十一日にやさしかった母親が38歳で
なくなり、その翌年の十二月には病気で父親も死んでしまったのです。残された四人兄弟

の生活の不安は想像もできないほどです。先生の甥には盛ノ介という学問好きの少年がおり13歳
のときから先生に随い炊事雑用などをしながら先生のもとで学問に励んだのでした。
盛ノ介は先生の心友となった春日潜庵や林良斎にも学問の指導を受けて将来を期待された

人物でしたが、先生三十九才にその愛弟子を失ったのでした。晩年の六十四歳には長女が
急病で亡くなり、半年後には長男徹蔵をも亡くしたのです。先生と同じく学問好きの十五歳
でした。

学問と教育に多大な業績を残された偉人の先生でしたが、家庭的には不遇に甘んじなければ
なかったのです。先生の底知れない哀しみが伝わってきますね。

「モミの木は高くそびえて」

IMG_4129.JPG

先月末池田草庵先生の青谿書院を訪問しました。その時に購入した本です。草庵が八鹿(ようか)の
この書院を建てたのは35歳のときです。その後明治11年(66歳)でなくなるまで近隣の青少年を手始めと

して、晩年には西日本各地からその声明を慕い40人とも60人ともいわれる生徒たちの学問の場
となったのでした。この本はその講義録ともいうべき草庵の教えの精髄が簡略に述べられています。
ところで現代は学校教育現場において漢文が冷遇視されている時代ですね。なげかわしい時代です。

しかし、偉大な聖人の学問と修養から学ぶことは、じつに多いのです。じつはこの本は二年前に出版
されておりますが、現代にも十分通じる大切な教えのかずかずが掲載されております。

その中から少しだけですが抜き書きをして紹介します。さて、

題名のモミの木は現在でも当時の面影を保ちながら亭々と書院の側に立っております。門人たち
が書院を建てた記念樹として植えたものだそうです。以前はほかに松と樫があったようですが

すでに枯れてしまったそうです。モミの木は冬になっても落葉しないので、その青さを先生がこよなく
愛していたとか。

 机に対すれば、即ち筆硯整斉し、食に向えば即ち菜羹定位有り。

 此れぞ是れ当下切実、至近至易の学問なり  
 

 机に向かった時は筆や硯はきちんと整える。食卓についたときはきちんと配膳してあること。
これらの身近なことこそが、今すぐにやれて、自分を作っていくための学問である。

徳は性にそなわる、これを養いて後髙し。

徳(善い人柄)は生まれながらにして誰にも備わっている者だ。それを磨き、
育てていって、徳はだんだん高くなっていく。

静坐は実に是れ学問深切の功夫なり。

一人静かに座ることは、自分をみつめ、自分を育てるための大事な方法である。

草庵先生の日常は学問と思索と黙坐の実践でした。厳しく自己を律して貴い生涯を
送られたのでした。但馬聖人といまでも尊敬を受けられているだけの大人物でしたね。

初釜の様子

初釜と称して抹茶をいただきながらの食事会を昨日すませました。普段お稽古に来られる皆さん
とささやかな楽しい時間を過ごしました。

なんでも、お正月に茶事をするのを初釜といいだしたのは、案外最近のことだそうです、

近ごろの称で、正月初めて客を招くことにつかわれている。点初式(てんぞめしき)などとも
称されるが、明治以後の用語と考えられる。(角川茶道大辞典)

裏方は副住職が助力してくれて、美味しい椀物や暖かい御飯の準備に骨折ってくれました。食事は
外注して、盛り付けをする入れ物はこちらで提供しました。

信玄弁当での会食は今回で二度目でした。皆さん上機嫌で楽しく食事できました。お酒はお仲間
が持参した金寶酒造店の原酒。

信玄弁当って、どんなお弁当?

IMG_4141.JPG

IMG_4134.JPG

IMG_4155.JPG

IMG_4145.JPG

IMG_4159.JPG

IMG_4138.JPG

青谿書院とは

青谿書院は幕末の儒者池田草庵の子弟のための教場の名前です。その由来をみると、書院は
源氏山の麓に建てられました。まえには夜気山(やけやま)という小高い山があって、その谷あいを
流れているのが青山川です。青谿書院はsじょうした書院の周囲の山川に臨んでいる、そんなところから

命名されたようです。池田草庵は66歳の尊い学者としてまた偉大な感化を与えた立派な教育者
としての生涯を此の地で終えました。

江戸時代にはたくさんの藩校や寺子屋があって青少年の教育をしたものです。吉田松陰の
松下村塾や緒方洪庵の適塾そしてあの有名な仲江藤樹の藤樹書院などなど。

明治以前には全国でこうした私塾が繁栄して当時の子弟教育にあたったようです。草庵の生涯を知る
には書院ちかくにある保存会館を訪ねることが池田草庵を知るためには都合がいいのです。

写真は池田草庵遺墨集からのものです。素晴らしい書です。

青谷書院保存会を訪ねようIMG_4130.JPG

助っ人登場!!

冬の大仕事といえば、境内地の山の伐採でしょうか。法事や葬儀などの主たる仕事の

ないkときには、外仕事に追われます。なんといっても伐採した雑木の薪割は力仕事と
なります。そろそろ歳からいえば老年に突入しているのでいつまでもマサカリを片手に

薪割を続けるわけにもまいりません。そこで、簡便な薪割道具をネットで探し出しました。
ありました。電気仕掛けの薪割機です。

さっそく使い始めましたら、いやあこんな便利なものなのだったらもっと早く気が付けば
よかったのに。そんな気がしました。とはいうものの両腕でかかえこまなくちゃならない
ほどの丸太を割るほどの力はないのですが、通常の太さならば全然OKです。

IMG_4128.JPG

この助っ人の威力ならば、ずいぶん薪割仕事が楽になります。導入してよかったです。

池田草庵先生を偲ぶ

但馬への旅を思い立ち、京都から山陰線特急に乗車して二時間半。城崎温泉到着。

先月31日は一日中電車の中でした。城崎温泉は全く初めての地。浴衣の一番似合う
温泉だそうです。でも、雨もよいで浴衣の温泉客はまばらでした。

城崎温泉は小説『城崎にて』で知られておりますね。小説の神様と文章を褒められた
志賀直哉お気に入りの温泉です。冬の但馬の売りは蟹だそうです。いたるところに

蟹料理の看板が掛けられていました。そんな影響で夕食は蟹料理を楽しみました。
かにすき、焼蟹、かにのテンプラ等々。かにづくしで観光客を誘っていました。

城崎温泉近くには実は養父(やぶ)という聞きなれない地名があります。そこには
かつて但馬聖人と崇められた幕末から明治十年ごろにかけて有名な儒学者が

おりました。その名を池田草庵先生とお呼びします。草庵先生が入門した子弟を
教育されたのが養父にあるのです。青谿書院がその名前です。当時の書院の
たたづまいがそのまま現在まで残されておりました。

その書院を訪ねることができて、あの遠かった但馬がずいぶんと近く親近感をもて
たように感じました。

池田草庵先生とは

“光プロジェクト”っていいもんですね

お寺から車で2・3分のところに「21世紀の森公園」があります。その一角には「集いの広場」
があり、そこで素敵なイルミネ-ションのイベントがありました。

このイルミネ-ションはそのそばに設置されている太陽光発電からの電力でまかなっているとか。
この広場は昼間市民に活用されているのですが、今回は夜に行われました。

午後5時から8時まででしたが、見事な龍(体長8メ-タ-ほどありそうでした。)その他の
イルミネ-ションの美しさを堪能できたのは、幸いでした。

IMG_4085.JPG

IMG_4088.JPG

見ごたえのある出来栄えでしたよ。

IMG_4090.JPG

冷気の強い冬の夜空での美しくもファンタジックな作品に家族連れの市民が記念写真撮影です。

IMG_4091.JPG

主催はNPO法人いわきイルミネ-ションプロジェクトチ-ムの皆さん。来年はより充実した
”光”プロジェクトを期待してま~す。

今年初講話でした

昨年末からの要請でお話をする機会がありました。今年の初講話でした。主催は福島県介護福祉会

いわき方部さんで新年会を兼ねた小さな会合でした。会場がいわき健康センタ-なので多少の
とまどいがありましたが、お話できる部屋もありまずは安心。時間通りに始まり一時間半ほど
のお話でした。ま、雑談のょうな形式で自由にお話させていただきその後の懇親会まで招待を受け

ありがたいことでした、介護士の皆さんとこうしてお話できる機会を持てたのは嬉しかったです。

IMG_0625.JPG

介護福祉会講話.JPG

雪の化粧です!

お天気情報が当たりましたね。昨日の夕方から断続的に冷え込みがきつくなりました。

雑木の片づけ作業途中からでしたが、だんだん本格的に降雪しました。一夜明けて
境内を見まわしたところ午前10時ごろから雪も解け始めています。

でも、その雪に飾られた本堂などの境内はうっすらと素敵な風情を醸し出してい
ました。今回はそのスナップ写真を紹介します。

IMG_4079.JPG

楠葉だよりから

木南卓一先生著『楠葉だより (第348信)』冒頭の文章は冬のしずかなたたづまいを綴っており
すてきな文章です。今の季節を味わうにはとてもふさわしいと感じたので、引用紹介します。

 水仙が早や一輪咲き、落葉の始った?梅の枝には蕾がふくらんでおり、南天の葉や実が
 鮮かな紅い色を呈し、冬野菜は霜後にいよいよ青く冴えているのを眺めて”目を娯ましめ、
 心を怡ばせる”もの、冬の日の一楽です。幽興という言葉がありますが、自然は深く静か
 なものであり、それを賞で楽しむ心も亦た静かなものです。そして、心が静かであってこそ

 自然の静かさを感得することが出来るというわけでしょう。慈雲尊者の法語に、

 心動ずれば山河大地も動ず。
 心動きなければ風雲鳥獣もその動揺なし。
 無心のところ、寿あり福あり。
 散乱のところ病生じ憂生ず。
 天地と共に安住して千秋万春。

とありますが、ここに、心と境は微妙密接に相応するということも思惟されます。・・・。

雨の一日

今朝から一日中雨音が聞こえています。午前中は定例の坐禅会でしたが、雨の影響
参加者も数人と少ない人数でした。少なければ坐禅の後の茶話会が楽しくなってくる
もののようです。世相についての座談がおおいのですが、12時過ぎまでタベりをたの
しみました。雨がなかったせいか土が乾燥していたところでのこの雨です。

山仕事も一段落しましたし、昨日の東京出張も雨なしだったので、幸いでした。東京は
今朝降雪だったようですね。今夜は夜の茶道稽古日です。みなさんでてくるのかな。

老木をバッサリ

松の老木を二本伐採しました。一本はまだ生きていて、幹回り2メ-トルほどあります。数年前には
雷に打たれて幹が途中から折れてしまいました。のでmややいびつな格好のままの赤松。
もう一本の方は立ち枯れたままの状態にありました。なんと2メ-タ-以上もの太さです。
全長30メ-トルほどのものでした。

チエ-ンソ-を使い、副住職ががんばってくれて、見事に伐採が完了しました。山に囲まれた寺
なのでこうした山仕事は年中あります。お正月もすんで冬仕事も本格的になtってきました。

独学のよろこび

久しぶりで木南卓一先生の「楠葉だより もののあはれと求道精神」を開いてみました。
独学のことを書かれた文章が目につきましたので、ちょっと紹介してみようと思います。

「私も生涯独学で通した。けれども、それは独学するよりほかに道がなかったからである。
しかし、学ということは、もともと独りで学ぶことなのではあるまいか。先生の講義をきかな

ければ何も学べないという人は、学ぶことの出来ない人ではないかと思う。いくら学校へ
通っても、いつかは自分で学ばなければならない。そして、自分で学ぶことをおぼえたとき、
そのとき学ぶということがいかによろこばしいものであるか、初めて本当にわかるのではな

いかと思う。」(漢学者 公田連太郎先生のことば)

公田連太郎先生とは

ものごとは家庭の両親から学び始め、学校に行って知識を得、そして独学のよろこびをし
知ったとき、本当の独学のよろこびがわいてくるんですね。おそわったことだけが学ぶこ
とではなくて、自ら進んで独学することで学ぶことの自立になる。そういう意味で公田先生

のこの述懐は有意義ですね。
 

NYで蛍の光?

先日テレビでやっていましたっけ!! 米国はニュ-ヨ-クでの新年カウントダウンの中継でした。

新年を迎えるのに、みんなで「3・2・1」と掛け声をかける習慣とかかあるらしいです。
なかでもNYではそのさい音楽が流れたんですね。その音楽というのが日本ではなじみの深い

「蛍の光」のメロディ-だったんですね。これには驚いてしまいました。我が国では中学生の
卒業式にみんなで歌った懐かしい曲でしたから。

この曲の詩は恩師との別れを惜しむ内容ですし、新年を迎えるに相応しいメロディ-とは
想えなかったもんですから。

原曲はスコットランドの古い民謡のようですから、アメリカ人にはお祝いに相応しいとされる
馴染みの曲として知られているのでしょう、きっと。

そうだとしたら、曲はおなじでも詩によってこのような差がでてくるわけで、興味深いです。
そういえば、欧米では太陽の色は黄色というのが定説ですが、我が国ではおてんとうさま

は赤いというのが常識ですもんね。目玉焼きは英語でお日様色という表現をします。
サニ-サイドアップといいます。やっぱり黄色ですね。

蛍の光についての知識を知るのもおもしろいで