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『慈雲尊者法語集』から

『慈雲尊者法語集』から

 

〇眞正に佛を禮するものは、佛の他に自心なく、自心の外に佛なく

 佛すなはち自心なり。自心即佛なり。

 一切衆生もまたしかなり。山河大地もまたしかなり。此中生もなく

 滅もなく、本来成仏して更に別法なし。

 

〇見聞覚知いづれのところか解脱界ならざる。色声香味なに物か実相ならざる。

 我愛増上する所虚空も妄想となる。執着兆すところ風雲も昧境となる。みず

 や心清浄故有情浄。

 

〇天地を以てわが心とせば、到るところ安楽なり。日月を以て我光明とせば

 二六時中くらきことなし。何をか天地を我心とすと云ふ、事にふれて私なく

 二六時中障りなければ、元来そのところ清浄身なり。

 

〇菩提心とは今新たに発起する事にあらず。本来の自心なり。此心一切衆生に
同じければ、いきとし生るものを見ること一子の如し。此心本来清浄なれば

 一切の煩悩無明その跡をとどめず。此心本来微妙なれば一切法門我家の宝蔵なり。

 此心すなはち諸佛の無上菩提なれば、自身に凡夫地をはなるべし。法の邪正を

 察して心にその私なければ、一切時一切処に萬善をのずからそなはる也。

 

〇心動ずれば山河大地も動ず。

 心動きなければ風雲鳥獣もその動揺なし。

 無心のところ、寿あり福あり。

 散乱のところ病生じ憂生ず。天地と共に安住して千秋萬春。

 

〇人は人となるべし。此の人となり得て、神ともなり佛ともなる。

 

〇雪  窓外友として書を読むべし。

 月  天上千萬年つねにわが心地をてらす。

 花  世中の憂喜此地にわする。

慈雲尊者の法語は清新流麗であり、讀む者をして「心地開明してをのづからその

疲れを忘れ」しめるが、それは尊者の境涯の天真独郎・虚霊不昧なるに由るものである。

また、我々は尊者の法語から、佛教の深い意味を知ると共に、広く東洋的の人生観・

自然観に就いて教へられるところが大きいのである。(木南卓一先生のことば)

HPのブログが反映されない異常事態

拙寺のホ-ムペ-ジには定期的に住職のぶろぐを更新しております。ですが、更新記事を
みようとして、ホ-ムペ-ジにある住職ブログの項目をクリックしてみても、記事が
反映されないという事態になっております。

ちょっとした用事で親しいお檀家と電話していたら、ブログの件が話題になりました。

わたしもパソコンを開いてみた、やはり更新記事が繁栄されていないことがわかりました。

なので、業者にみてもらいたいと思います。

蛍を見た

   夏ともなると若い時分には近所の小川でよく蛍をみたものです。しかし、
 その後はそんなささやかな夜の散歩の楽しみもすっかり忘れてしまいました。

 幸い、知人の情報でやさしい篠笛の奏でる音楽を楽しんだ後、付近を流れる小川で蛍をみる
機会があり、嬉しくかんじたことです。今年の嬉しい出来事となりました。

西郷南洲の「失題」という漢詩があるそうです。

 我が家の松籟塵縁を洗ふ

 耳に満つるの清風身遷ならんと欲す

 謬って京華名利の客と作り

 此の声聞かざること已に三年

まさにこの詩の如く蛍を探しながら「ホッ、ホッ蛍来い、あっちの水は甘いぞ・・・」と

近所の友達と夜遊びをしたことを、懐かしく思い起こしたことです。

書道の日です

今月最初の書道の稽古日。新人さんを迎えて、和気藹藹書の
楽しみを続けています。継続それも毎日ちょっとづつ休まないで

続けるうちに、上達します。

尊徳先生ゆかりの宿『福住楼』

箱根温泉には二宮尊徳先生ゆかりの宿があります。まだたずねてはいませんが、
箱根に出かけた時には泊まってみたいですね。

福住楼は先生四大人の一人として名高い福住正兄が営んでいた和風旅館。
現在でも子孫がその経営にあたっておられるようです。名著『二宮翁夜話』を
読んで、感動した人も多いですね。

正兄が尊徳先生に入門師事したのは21歳の弘化二年十月です。その後
五年間先生の身辺で先生の薫陶を受けたのでした。

その様子は「夜話」の自跋によるとこうあります。

  春雨梅雨の徒然、秋冬の長夜、師無聊に耐玉はず。予をして古書を朗読せしめ、
  心に適する処あれば、その章について講説あり。来状の開封にも、文案の
  執筆にも又同じく説話あり。

  朝暮夜具の片付、茶飯の給仕、夜は肩を打ち腰をもみ、出張には刀を担して
  随ひ、次席に侍り。総て教訓を多く聞けるは此故なり。

 

 箱根福住楼のげ現在

富田高慶の人となり

名著『報徳記』の著者富田の人となりについては岩崎敏夫著『二宮尊徳の研究』に掲載されているのが
具体的で参考になる。尊徳先生の第一の高弟といわれた人物の生活とはいわば
師匠である尊徳先生の生き方をそのまま自身の生活で実践したことにつきると
おもわれる。

 高慶は沈毅謹直、自己には厳しく外に対しては寛大であった。自分は常に
 節倹を守るが、他には与えることが多かった。道を聞く人があれば懇切丁寧
 を極め、事に処しては明敏果断、ことに戊辰役に仙台藩につかいしたときなど、
 千里に使いして君命を恥ずかしめずという古い言葉その通りであったという。
 度量広く忍耐力にも富んでいた。

 風雨寒熱の別なく、毎朝鶏鳴に起きては村内戸毎にまわるのが彼の日課
 であったが、けっして人を起こしたり、特に励ます言葉をかけたりする
 ことはなく、すべてが彼自身の勉強のためであった。

 いつも握り飯を腰に下げ接待の湯茶以外はうけなかった。遠方の村
 に出てまれに泊ることがあっても酒は出させず、飯と一汁の他は
 出されても用ず、贈物は大根一本と雖も受けず、職員にも一さい
 これにならわせた。

 名利に恬淡な彼は、よく師の教えを守り、二十七年の仕法施行を通して
 一度も藩の地位につかず、藩の一粒の粟をも受けず、生活に困るときは
 尊徳から貰い、あるいは僅かに荒地を藩から借りて、その収穫をもって
 背勝の資にあてた。その土地も明治になって官に返してる。

 利欲に恬淡なことは富田家の家風で、父もそうであり、甥の高行も同様
 であった。

 高慶はまた何事にも綿密で計画性に富み、かつきちょうめんな性格であった。

 その書簡の一つを見ても、いかに長文のものでも、はじめから終りまで
 少しの乱れも示さず首尾一貫脱字も誤字もほとんどみられない。それは
 堅忍不抜つとめてやまない性格とも通づるものである。

まさに先師尊徳の生き方に随順するという信念を貫いた尊い一生なんですね。相馬藩士の
鏡でしょう。感動ものです。

 

テレビの取材でした

26日午後から福島テレビによる坐禅の取材がありました。放映日七月一日
午後六時台だそうです。一二分程度だとおもいますけど、時間のある人は

観てください。

誠明院さまの息女

誠明院功誉報徳中正居士。これは二宮尊徳の戒名です。江戸時代後期一大農政家として70年の尊い生涯を閉じた我が国
の偉人ですが、その戒名までで知る人は少ないでしょう。その息女の文子さんのことになれば、報徳関係に詳しい人材で
ないと興味もわかないかもしれませんね。

尊徳先生は一介の貧農から出発して56歳には幕臣の御普請役に取り立てられた人物です。厳しい封建制度のただ中で
異例の出世をされたのは、先生の提唱された農村復興事業のすばらしさが幕府にまで深く浸透していたからに他なりません。

お百姓がお侍に取り立てられたこと自体は素晴らしいことですが、そうした名誉であっても下っ端役人にすぎない立場でした。

先生は31才のときに きの女(19才)と結婚しましたが、服部家仕法の際に、同意が得られず嫁のほうからの申し出で

破局しました。きの女との間には長男徳太郎が生まれたのでしたが一月余であえなく死亡してしまいます。そんなこと

も離婚の原因になったのでしょうか。その後、服部家の下女をしていた波女(16才)と再婚し一男一女を授かります。
長男尊行(弥太郎)と長女文子です。長女が出生したのは先生38歳の時でした。

成人した文子は父親の仕法に尽くした女性で、書や絵画にすぐれた人物です。先生ご自身は出身地の栢山の親戚に
嫁がせようとの思いもあったようですが、婚期を逸した文子が嫁いだ相手は高弟の儒者富田高慶でした。

富田は熱心に報徳仕法を体得、実質的な先生の後継者とされる相馬中村藩の御武家さん。ご両人の結婚式には
先生が立て込んだ仕法の都合上、やむなく欠席しその代理には弥太郎の岳父が世話をしたのでした。因みに

長男弥太郎長女文子の結婚は同じ年の嘉永五年四月と八月で、文子は相馬中村で挙式しました。文子が結婚するために
わが郷土いわきを通過した記録があります。結婚式の世話役をした衣笠兵太夫が臨席できなかった尊徳に

宛てた書簡です。

 先月青木村勘右エ門宅にてお文様御一所に相成り、・・・四日目湯本駅本陣久太郎佐右ヱ門方泊りの節、
 暁より大風雨故早朝出立相成り申さず見合わせ居り候処、雨晴れ候につき五つ時頃出立、磐城平御城下迄った
 四つ時過ぎ着仕り候処、御城下外れ鎌田川洪水にて渡舟相成り申さず、空しく一日逗留仕、翌日川明の

 様子篤と見届けさせ候上、出立仕りその後何の差支えこれ無く、先月二十六日中村御城下へ上下無難に
 到着仕り候。

新妻となったのでしたが、それもつかのま翌年六月に死児を分娩し、産後の日だちが悪く、三十歳の若さであえなく
他界してしまいました。

 当時弥太郎から父尊徳への書簡にはこう述べられております。

「今明方東郷着致し候処、母上様始め一同当惑相嘆き、誠に以て看病残る所なく十分行届き候へども、
 おふみ事養生相叶ひ申さず、作七日夕七つ半頃病死、誠に以て驚入り、一同嘆息仕り候」

最愛の有能な秘書でもあった愛する長女を失った先生の深い悲しみが胸を打ちますね。以前
相馬にある文子様の墓参りを家内と共にしたのですが、改めて当寺を思い起こしました。

 

"啓発録"に学ぶ

若干26歳という短い一生を閉じた景岳橋本先生。安政の大獄で牢獄にぶち込められ一介の医者から政治家に
取り立てられた幕末の偉人。”啓発録”は14歳という信じられない天才若人による著作です。

人物の評価は年齢の多寡ではなく志の有無による、そんなことを思い知らされます。風雲急を告げる時代
の申し子から学ぶことはおおいですね。

景岳先生を支えた志とは

夏の『楠葉だより』から

『楠葉だより』は木南卓一先生から届けられた年三四度の随想集です。他界された昨年まで都合四巻あります。
 およそ40年近く有縁の読者に届けられた通信。そのなかから第269信の御文章を適宜引用しておきます。

 なつぐさを こころのままに しげらせむ みどりのいろは あくこともなし

 いへといへの あひだにみゆる 夏山の みどりはとほく そらはれわたる

 みせさきに あまたつるせる 風鈴の なりしきれども しづかなるおと(松坂歸庵)

 自然-造化に参じ、風雅の誠を養うには、古典なり古人の詩歌・文章なりを味わうことが大切ですが
 それには受持・読誦・解説(げせつ)・書写・如説修行”というような効夫を積むことがのぞましいことです。

 そこで先ず”受持”すべき詩文を持たねばならぬわけですが、最初は自分にもっとも親しく味える古典や古人の
 詩文を選んで、それを自分の拠りどころ、思惟の源泉とすることが大切でしょう。・・・

自然の移り変わりを自身の好きな古典によって深く味わうにはとても有意義な御文章が豊富に綴られて
おります。東洋思想家の先生から教導された恩恵ははかり知れないものがあります。

星一ブレンドコーヒーが上荒川にあった‼

いわき市錦町江栗出身の政治家、実業家として有名な偉人、星一氏の名がついたブレンドコ-ヒ-を販売
しているのが、『ブラウンチップ』さん。

ブラジルコ-ヒ-「カルモシモサカ」と星先生ゆかりの地ペル--の豆を丹念にブレンドしてジャ-マンロ-ストに
仕上げた逸品。そんな紹介パンフをいただいてきました。

小生、コ-ヒ-を飲む習慣はもちあわせていないのです。でもいわき市出身の偉人星一の名がついたコ-ヒ-が
あって、福島高専のすぐ隣りの店にあるのは、うれしいことです。

あの野口英世を資金的にバックアップした親友星一。また、第一次世界大戦で極度に疲弊していたドイツに
なんと時価換算すると20億円もの寄付をポンと差し出した方。そのことの恩義を忘れず2010年4月24日

にはドイツ政府から贈られた顕彰碑があるのです。日独修好条約を決定した日本側の責任者はなんと
旧磐城平藩主安藤信正公でした。それは150年前の歴史的事実であります。

今日では日独のそれぞれの御子孫がお付き合いをされていることは、以前のブログでお知らせしたことです。

星一というと星薬科大学の創立者であり、SF作家で有名な星新一の父として知られているのですが、
こういう偉人がここいわき市出身であることは、いわき在住の小生としては誇らしく思うのです。

 

『ブラウンチップ』さんのお店を紹介します

山里は・・・

山里は 松の声のみ ききなれて 風吹かぬ日は さびしかりけり

これは明治の歌人太田垣蓮月尼の歌です。昨日の稲妻のピカッと光った瞬間は
みることもなかったものの、嵐のような集中した雨音を耳にしながら坐禅を
しておりました。春夏秋冬かわらぬ”四時の循環”を実感した次第です。

渡部昇一先生(上智大学名誉教授 86歳)が亡くなられてから新聞雑誌などで
先生の著述が矢継ぎ早に出版されております。

英語学者として高名な学者でしたが、我が国の伝統や現在の政治の事どもについても
自信をもって論陣を張られて国民の蒙を開いていただいた恩人です。文句なしの碩学であり
 

あまたある著述の中でも、幸田露伴の「努力論」を紹介されたことには、わが意を得たり
との感を強くして、感動したものです。尊い八十六歳の一期でした。

木南先生の『楠葉だより 自然と人生』を久しぶりにめくっていたら、
貝原益軒の漢詩が目にとまりました。

 幼求斯道在卑懐  幼ニシテ斯道ヲ求メテ卑懐ニアリ

 徳業無成夙志乖  徳業成ル無ク夙志乖ク

 八十五年為曷事  八十五年曷事(ナニゴト)ヲカ為ス

 読書独楽是生涯  読書独楽是レ生涯

渡部先生と貝原益軒先生お二人の読書の境地ははるかな時間を超えても同じものなのでしょう。

 

雷さまがきたっ!

いつもの朝の坐禅中の出来事でした。久し振りで雷があちこちで鳴り響きました。ちかごろでは
珍しかったです。かなりおおきくて強い雷のあと、すぐに土砂降りの雨となりました。

廊下の板が叩きつけられて雨脚の音がうるさいほど。それもしばらくすると穏やかな雨となり
雷の聞きなれぬ怒号もいつしかおさまって静かになりました。

10時過ぎの今の時刻ではすっかりそんなことがあったことも忘れての上天気です。お天気次第とは
よくいったものです。

東博「茶の湯展」を堪能!

金曜日朝一番の特急で上野の東京国立博物館に出かけてきました。朝九時過ぎに下車したところ
外は本降りの雨。売店で傘を買い、雨のひさしぶりで東博にでかけました。九時半開館ですが、
すでに大勢のお客さんが入館の列をなしていました。今回の茶の湯展はなんと37年ぶりになるとか。

入ってすぐに売店を覗き、目録を購入しゆっくりで鑑賞できて、至福のひと時を過ごすことができました。
館内には藪内家にある茶室「燕庵」が原寸大で復元展示されておりました。今回の展示にかける当館の
意気込みが強く感じられたところです。

この日は大阪での坐禅会を予定しており、その時間に遅れないようにして見学できたのは一大収穫でした。
茶道の名だたる名品の圧倒的な迫力に引き込まれて、茶道具を拝見しましたが腰をかがめたり、背伸びをしたり
横から回り込んだりしての観賞ができ、満足しました。

茶道は我が国の伝統文化の最たるものなんだなあ。と、心底感動した次第です。

木鶏クラブは昨晩でした

夢を持って不動心でいききる 大村智先生

「子供の時に肉体的に辛い経験を与えないと、大人になって人間的に不幸だ。」

厳しい農作業のおかげで徹底的に体力も精神力も鍛えられ、私はとても幸せだった

と思います。

あるレベルまでは優れた人の指導を仰ことが大切ですが、それを超えるには
自分独自の創造性や個性を生かして戦わなければ勝てないことを、私はそのお話から
学びました。

 

良き人生は日々の丹精にある。

 

鈴木大拙が歩いた道

 東洋思想はすべてが自と他で分かれる前の「大本」を捉えて確認することです。

 

 本物の人物に会った時は、こちらが浄められ、安らぐような感覚になるものですね。

 

 自我をなくすには、まず必死になることだと私は思います。「自分はなぜこのような
未熟な人間なのだろうか」と深く反省して苦しまないと、自我を超えようという湧きおこってはきません。

勝ち残る企業はかくして創られる  新将命(あたらし まさみ)

 会社は社長から腐る。・・・つまりトップがどんな人かによって、その組織が勝ち残る
 か否かがほとんど決まってしまうのです。

 

 人間力=信頼+尊敬+意欲

 理念に数字を加える。すると、目標が生まれます。

 

 過去と他人は変えることはできない。未来と自分だけを変えることができる。

「一日四回飯を食え」四回目の飯は「活字の飯」、つまり本を読むこと。

 

 わたしが大切にしている信条は「コツコツ、コツコツ」です。何があってもコツコツと
努力の歩みを続けていく。それこそが自分に克ち、相手に勝つコツである、という意味の
造語です。

昭憲皇太后のめざされたもの

 

 金剛石

金剛石も みがかずば  珠のひかりは そはざらむ

人も学びて のちにこそ  まことの徳は  あらはるれ

時計の針の  たえまなく  めぐるがごとく 時のまの

日かげをしみて  はげみなば  いかなるわざか ならざらむ

 

水は器

水はうつはに  したがひて そのさまざまに  なりぬなり

人はまじはる 友により よきにあしきに うつるなり

おのれにまさる よき友を   えらびもとめて  もろともに
こころの駒に  むちうちて  まなびの道に  すすめかし

 

利他の精神で歩み続けた道  致知随想から

福井県にある曹洞宗大本山永平寺にて五日間坐禅を組み、後継者としての
あり方を熟考しました。その時に、道元禅師が説く利他の精神に心を打た
れたことが私の原点です。

二十代をどう生きるか  渡部昇一先生

どんな逆境に遭っても、決して天を怨まず人を咎めず、自らを信じて
心穏やかに道を楽しむ。「これは天命だ」と受け入れる。そうすると
霧が晴れ渡るように視界が開け天から梯子が下りてきて、思いも寄らない
幸運に恵まれるのである。

「鉄牛の機」 横田南嶺老師

 どんなにすばらしい機械が出来ても、私達は、果たしてそれで幸せなのかと
問うことを忘れてはならない。便利ですばらしい機械に囲まれながら、不幸
になっては仕方がない。

 

幸せについて、お釈迦さまは、健康であること、

              足ることを知ること

              信頼できる友を得ること

              こころの平安を得ること  を挙げられている

 立ち上る朝日を拝み、道のべに咲く一輪の花に手を合わせ、美しいと感動し、いのちを愛おしむこころを大切にしたい。

 

『報徳記』富田高慶著 は福島県人必読の名著です。二宮尊徳四天王の第一人者です。

原町出身の武士。

拝米右翼の安倍内閣には幻滅します

日本郵便元副会長が実名告発「巨額損失は東芝から来たあの人が悪い」 これでは東芝と同じじゃないか…

 

今世紀最大の上場劇、NTT株の再来――華々しい惹句につられて、郵政株に手を出した人はいま後悔しているだろう。まさかの巨額損失に追い込まれた巨象の実情を、元最高幹部がすべて明かす ・・・総務省政策統括官から日本郵政公社常務理事に転じ、日本郵便副会長などを歴任した稲村公望氏(68歳)である。いまの日本郵政は4000億円もの損失を計上したにもかかわらず、長門正貢社長をはじめ経営陣は誰一人として、まともに責任を取ろうとしていません。巨額損失の元凶である西室泰三・元社長にいたっては、一切お咎めなしです。

そんな西室氏を推薦した安倍晋三首相、菅義偉官房長官にも『任命責任』がある。

 

 西室氏は安倍総理の『七十年談話』に関する私的諮問機関の座長として総理が任命したのである。

七十年談話の下敷きは、この私的諮問機関の報告をベースとしている。

それで、70年談話の歴史観が可笑しいよ、といったのが佐伯氏である。

これを佐伯氏の言葉で言うと、「おそらく日本人の誰一人として、この種の歴史観を持ってはいなかったであろう。ただ英米本位の力による世界支配の口実だと思っていたであろう。あの戦争は、昭和天皇の終戦の詔勅にあるように「帝国ノ自存ト東亜ノ安定」のためのものだと考えていたであろう。それを全面的に覆したのはポツダム宣言と占領政策であった」と。

しかし70年談話は東京裁判史観を踏襲し、日本は侵略戦争をしたという歴史観が貫かれている。

 

 以来安倍総理は、拝米右翼の道をまっしぐらで、グローバリストとしてTPPや、農協改革という農業の大破壊に突っ走る。

国民から選挙で選ばれる訳でもない「規制改革委員会』の改革案が官邸に上がり、閣議決定されて、国会議員は勉強不足でそれを追認し法制化される。

この地域社会や国民生活を破壊する、グローバル資本主義の餌食となつた日本国であり、安倍内閣は国賊的行為を何の抵抗もなく推進しているのである。

「種子法」の廃止は、米国は小麦の種子は民間せず価格も低く殆ど変化はないが、民間ビジネスのトーモロコシの価格はここ5~6年で数倍となつている。日本は主食のコメまで、モンサントなどの国際種子産業に解放するという国賊的行為を総理自ら進めようとしている。

本来農業はビジネスの対象とすべきではない、地産地消を原則とすべきで、ヨーロッパは農家の所得補償をしている訳である。

 これらの国際種子産業は遺伝子組換え作物や、FI品種をビジネスの対象としており、農家はこれらの企業から種子を購入し販売ルートまで規制され、破ると罰則を受けるというビジネスモデルである。

 

 4月以降に施行されることから、日本の基本的農産物を守るための、議員立法が期待されるのである。

一旦作付けされると、花粉が飛散し交配が進み、元の作物はもう復元されないのである。

日本は農薬を過多に使用している、ホウレンソウの最近不味い事は、押して知るべしで、種子はもうこれらの産業の提供するものに切り替わりつつあるのである。

邪悪なグローバリストであり、拝米右翼の安倍総理に連なる、西室・北岡氏や規制改革委員会メンバーが、日本を根本から破壊しているのである。

 

この文章は送り主に無断ですが、紹介しました。意義深い指摘ですね。

ベトナム人が書道を・・・

ベトナム人が書道を・・・

我が国の伝統である書道の経験をしに、ベトナム男性3名が来訪しました。娘の勤務

している関係で、仕事で来日したそうです。大型連休があった今月初旬のことでした。筆使いも全く
知らない人たちでした。ベトナムでは20代前半にはたいがい結婚生活を始めるとか。

この中にはご夫婦で我が国に仕事に来ている方もおりました。すでに子持ちの男性は本国では
親が幼い子供の面倒をみており、3年後に無事本国に帰ることを期待しながらの
子育てだそうです。

ベトナムでの給料は平均月収は2~3万円だとか。3年頑張って仕事をすれば200万円ほどで
立派な家屋ができるそうです。なので、日本にきて就職するのは人生設計としては
明るい未来の実現に直結するらしいです。

それにしても、幼い我が子を親に託して、夫婦で海外にでかけて出稼ぎをするという選択は
我が国ではちょっと考えられない選択ですね。

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白隠を飲む

駿河の國にすぎたるもの”富士のお山と原の白隠”と謳われた五百年間出の傑僧白隠和尚の
名がつけられたお酒があるのを知りました。ご縁があって飲む機会がありました。

晩酌の習慣はありませんが、あの独特な達磨の絵に「見性成仏」と賛があります。

静岡県のr酒造店ですが、山岡鉄舟居士の命名だそうです。あの達磨のラベルを前にして
一献やるのもわるくないですね。

高島酒造の白隠正宗ってこんな酒店ですよ

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花ざかりの境内です‼

昨日の日曜日は終日雨でしたね。今朝はどんよりとした朝からずっと、曇り空ですが
午後にかけては落ち着いたしっとりとした気分にさせてくれました。なので、

締め切りが迫っている書道の条幅を無事仕上げたので境内を散策しました。
じっくり境内のや参道の土手に咲いている躑躅花などを眺めては気持ちよくなり、あちこち

に咲いている可憐な草花をカメラにおさめましたので、ご覧ください。

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藤の花が見事ですよ

今年の藤の花はじつに見事です。去年はパッとしなかったのでしたが、ことしはいいですね。

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やまとはくにのまほろば・・・

皇紀2600年(西暦1940年、昭和15年)は日本書紀によれば、神武天皇が即位された年から数えて2600年とされます。

その節目を記念して当時すでに著名だった作曲家信時潔が渾身の努力によって完成された傑作とされる曲です。
作詞は北原白秋です。交声曲『海道東征』は第一楽章から最後の第八楽章まであります。
その第二楽章は 大和思慕 です。

大和は国のまほろば           大和は国々の中でもっとも素晴らしい所、
たたなづく青垣山            重なり合う山々に青垣の様に囲まれる美しい所

東や国の中央(もなか)         日向 よりも東方にして我が国の中心であり、  

美しと誰ぞ隠(こも)る、        青く美しい山々に囲まれた素晴らしい土地だ。
誰ぞ天降るその磐船           その素晴らしい土地に、今は誰か住んでいるのだろうか。
愛(かな)しよ塩土の老翁(をぢ)    天下る磐船で、誰が先に降臨しているのだろうか。
きこえさせその大和を          さあ、良き土地に導いてくれる塩土の老翁よ、
                    大君にその大和の素晴らしさを申し上げよ。

大和はも聴美し(ききうるわし)     大和は大変美しい所だという評判です、
その雲居思遥けし            大和へは遥か遠く、大和への憧れも永遠のものです。
美しの大和や                      (杉本和寛訳)

大和や

聴くほどにジ-ンと感動してしまいます。何度聴いても飽きがきません。傑作ですね、この曲は。

 

今日は月刊『致知』の会合日です。

特集 繁栄の法則から抄録

 

ギリシャ悲劇には人生の悲哀が描かれていますが、悲劇が訪れる前には
勝者として栄華を極めた体験があり、それがうしなわれていくから
こそ悲劇となるのです。

 

帝国内にキリスト教が普及する時期と寛容さが失われていく時期とが
ほぼ一致しているということです。

 

国家としての寛容さと誠実さを守りつ続けること、それがローマにおける
繁栄の法則だといえるかもしれません。

 

本居宣長の追求したもの

 実際は医業で生計を立てた人です。

 

本居宣長三十四歳、賀茂真淵六十七歳。このただ一度の対面が、二人の人生
のみならず、日本の歴史をも大きく変えたのです。(松坂の一夜)

 

「才の乏しきや、学ぶことの晩きや、暇の無きよによりて、思ひくづをれて

とめることなかれ。とてもかくても、勉めだにすれば、出来るものと心得べし」

 

どうすれば繁栄の道に踏み出せるのか 鼎談から

 

「自分が多少損をしても人をよろこばせること(徳を積むこと)にこそ
大きな意味があるんだよ」

 

倒産する会社を何千と見てきた私の知人も、倒産する企業と、市内企業の違い
は何かといったら個人欲の深さだといっていました。

 

分かち合うことを覚れば清水は沸き続けるから不安に陥ることはないと私は
教えているんです。

 

人生には出会いの法則があって、よき友、よき仲間とご縁をいただくことによって
人生はいくらでも好転させていくことができます。

わが日本最高の倫理哲学者西晉一郎先生を仰ぐ

作年12月初旬に96才で他界された͡故木南卓一先生から今月書籍が四冊届きました。

 亡くなるまでに出版予定であった とされる書物です。宛名が生前のものでしたので、ちょっと訝ったのですが、

   奥様の文章もあり、安堵したことです。 『古教照心の栞 (四)』、『国家と教育、道徳と国家 他一篇』(西晉一郎先生講述)、

『国民道徳大意、西洋思想史大意 他二篇』  そして『新論について、新論講義抄 他三篇』(西晉一郎先生 講述)

晩年の木南先生は西晉一郎先生の講述本の複製を心がけておられました。そのことを思い出すと
、晩年の先生の思いが一層強く 胸に響いてきます。

西田幾多郎全集19巻は既刊ですが、西晉一郎先生の全集は学園を退官されてから具体的な全集刊行の
 企画もあったけれど、「戦争 の結果、全集刊行の事業は中止し、記念館も消失してしまって、今

 はたゝ数十冊の著書と共に精神的に不滅の金字塔が残って いるのみである。」(西晉一郎先生の生涯と哲学

  縄田二郎著 理想者刊昭和28年) 木南先生とのご縁があったればこそ、西先生の偉大さを知ることができたのでした。

以前、木南先生からお借りした西先生二十周忌記念事業会編『続清風録』はコピ-して製本をしております。
それらの文章などを読む楽しさはまた格別の思いがしますが、これからも何度でも読むことだろうと思います。

お寺界隈の桜です

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区内にある荒川ゴルフクラブの土手のソメイヨシノです。

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ゴルフ場までの土手は桜並木です。すばらしいです。上荒川の桜スポットとしては

このほかに福島高専とわが医王寺の土手に咲く桜がひときわ目立ちます。

観桜茶会はしっとり

今年の茶会は雨の茶会となってしまいました。天気予報の通りになりました。激しい降雨でなかったのは幸いでしたね。

 

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総勢70名ほど。今年は初めてのご参加をいただいたお客様が目立ちました。楽しみにしていた桜の開花が一日遅れたのは残念。

第15回観桜茶会です

四月に入ってから桜前線の花だよりがかしましくなりましたね。昨年の絶好の花見と同じく
今年の茶会も満開の桜を愛でながらの楽しいひと時を過ごすことができそうですね。

炉の薄茶点前と勿来春秋香という聞香を皆さんに楽しんでもらえたならと思います。

今年は9日開催です。参加ご希望のかたはまだ間に合いますので、連絡ください。
お待ちしています。

西855

そうです。西病棟で七日間お世話になった私のベッドのある部屋番号です。先月28に手術。体内に

脈拍をコントロ-ルするペ-スメ-カ-の埋め込み手術で病院のお世話になりました。先月から
頭がボ-ッとしたり、疲れが出たり失神があったりと異常な状態でした。
この年でまさかの手術経験となりました。実に40数年ぶりでした。

生老病死という四苦のうちとうとう私にも病苦が追いかけてくることになったんです。いつかは
朽ち果てる我が身ではありますが、健康をひそかに自慢していた生活に病魔という大きな衝撃波が襲い掛かった、
そんな感じです。

心電図で脈をとってみたところ、通常の脈拍数とされる60~70という数値が40前後という徐脈になって
いたのでした。現在は60で安定するようにペ-スメ-カ-が自動的に管理してくれています。

ま、そんなことでブログ更新もままならずでした。

感動‼『海道東征』

『海ゆかば』は君が代につぐ第二の君が代といわれるほどの名曲で大東亜戦争中には毎日のように
 ラジオから流れていたそうです。作曲したのは信時潔です。『海道東征』も彼の作品です。

この曲は紀元2600年、つまり昭和15年に奉祝演奏会で初演奏されましたが、その三年後の昭和
18年11月15日共立講堂における出陣学徒演奏会が最後となりました。

作詞者は北原白秋です。CDを求めてから何度も繰り返し聴いています。内容は我が国の天地開闢
から始まり神武天皇が九州から東征して大和で即位するまでを交声曲(カンタ-タ)として
しあげたものです。白秋の詩が素晴らしいです。

 

『海道東征』を聴こう

青磁の魅力

大阪市立東洋陶磁美術館では北宋青磁の特別展を開催中です。今月26日まで。今月は大阪に出かける月

なのでそこを訪ねることにしました。知人からの情報がなかったなら得難いチャンスを逃がすところでした。
台北国立故宮博物院の秘宝汝窯青磁水仙盆です。
青磁でも高級なものは官窯とされ、庶民には無縁の皇帝の為の高級ぜいたく品でした。青磁の最高級品は特に
秘色青磁(ひそくせいじ)と言われています。

「秘色の秘は禁秘の秘である。・・・」と露伴先生の名随筆『秘色青磁』にあるとおりですね。ひさしぶりで
書庫から『故宮博物院全15巻』を取り出して改めて青磁のことを勉強したことでした。

汝窯青磁はなかでも特に品位が高くあの名状し難い青みがかった美しさはさすがに絶品にふさわしいものでした。

乾隆帝の有り余るほどの壮大な量のコレクションでも特に愛玩されていた水仙盆のようです。
素晴らしい作品を国内でみることができましたし、『秘色青磁』(幸田露伴著昭和18年作)を
再読して読書まで楽しむことができました。わが国で秘色の文字は源氏物語やうつぼ物語に出ている、との
露伴の指摘はさすが文豪による該博な知識を証拠だてるものでしょう。

大阪市私立東洋美術館

『人の言』から

露伴翁の書き物を読むと、学ぶところが実に多いです。今回は明治36年に書かれた『人の言』からの
抜粋です。

 ある年老い徳すぐれたる僧に若き女の、如何様に心を持ち身を行はば、夫には良き妻となり、
 舅姑には良き嫁となり、後の世には佛となり得るにや敎へさせたまへ、と尋ねければ、僧打
 笑ひて、まこと殊勝の御尋なれば、秘中の秘にはあれど包まず御敎え申すべし、と云ひて、

 扨女の面を睨み付け聲を勵(はげ)しくして、その問をよく忘れずに日に三度づつ自分で
 問はっしゃい、と女が三日四日は耳も聾(しひ)るほど、雷の如くに呵(しか)りけるとぞ。

さすが名僧の一言ですね。千金の重みがあります。この教えを授けたのはきっと名のある
禅匠にちがいないでしょうね。deliciousdelicious

学生ボランティアが来た❢

日曜日の午後1時30分過ぎに学生ボランティアの皆さん13名ほどがお寺にみえました。
お寺が奉仕で提供することになっている薪を運び出すのが目的。なかでも女性が9名と
おおかったです。

すでに冬の暖房用にと伐採しておいたスト-ブ用の薪を岩手県岩泉の過程に届ける。
そんなプロジェクトと伺いました。

NPOに登録している学生さんたちによる奉仕作業は順調にはかどり、待機していた
4トントラックとべつのトラックにも薪が満載されました。前回は若いお寺の
住職たちが同じ作業をしてくれましたが、今回は若人が中心の奉仕作業となったのです。

たまになった大木は専用の巻き割り機をつかい、つぎつぎにわっていきます。すでに
山盛りになって割られている薪はトラックまで、バケツリレ-式で女性の手渡しにより
運び込まれました。作業は暗くなってきた午後6時半までかかりました。

人数が確保できると作業も大いに捗るもんですね。薪を失った岩泉のご家庭に役立てて
もらえるのにお寺の薪が活用されて、空の薪スト-ブに灯りがつくのを嬉しく思いました。

学生ボランティアの皆さん! ご奉仕ご苦労様でした。

岩泉町の土砂災害状況

東日本大震災から六年・・・

あの日は金曜日でお寺の和室ではお家流茶道宗家安藤綾信様が出稽古をしてくれる
月例会の日。無事、お稽古が終わり宗家を玄関口でお見送りしたことでした。

その後、3時の予定で来山していた3名と客殿で仕事の話をいているその時に突然
部屋が揺れだしたのです。いつもの地震だろうからとたかをくくっていたら案に相違して
おさまりつかなくなって初めて大地震の凄さにビックリしたのでした。

その後の大地震の報道はご承知の通りでした。あれから六年経過したんですね。この間
年老いた家内の両親は次々と他界し副住職には男の子が授かりました。その子も今月三才とな
りました。

あってはならないと観念していてはみたものの天変地異の恐ろしさはいまでも脳裏に
深く刻み込まれております。

被災地での未曽有のご苦労様を経験されている方々の復興へ向けての努力が報われる
ことを改めて念ずる次第です。

典座は副住職が...

四日土曜日は初釜でした。茶事をしたのですが、本格的なというほどではないにしても、露地での手の清め方などの
基本的な作法をして茶室に入ることや床飾りの拝見などの基本的な茶室の作法を復習してもらいました。

全員で11名にもなりましょうか。普段通りの薄茶の手前を二名でしてもらいました。男性と女性と。
みなさん和服姿で、男性もはかま姿のいでたちでしたので、華やかさが出ていました。男女の正装をまじかにして
その場がちょっとした緊張感があり、厳粛なひとときを共有したことです。

楽しみの食事はうちの副住職が一人で頑張ってくれました。たいへん好評でした。数日前に試作品を賞味しての
料理には参加者の皆さんから期待以上のおいしさを褒められました。

本人は料理などをするのが苦にならないようでした。昨年はお弁当屋さんに依頼しての食事でしたので、今年は
趣向を変えたわけですが、よかったです。

典座(てんぞ)は禅道場での料理長のこと。お天候もよく、楽しい一日でした。

月例の木鶏クラブです

今夜は木鶏クラブの会合日です。再開しての本格的会合です。テキストは二月号です。参加者の皆さんの読後感
などを聞けるのを楽しみにしています。石田梅岩の提唱した石門心学について、少しお話しできると考えています。
 

寛政の改革で活躍した泉藩主本多忠籌と心学の関係などについての興味ある話題を提供できればと思います。

たかだか15000石ほどの地方の小大名にすぎない本多公が幕閣に登用されたその訳は・・・。いわき市民も
知っておいていいことですね。

戒は是れ・・・

今日は釈尊のお涅槃の日。先月より客殿の広間に大幅の釈尊涅槃図をかけて、その前で
遺教経を読誦しています。昼前にはには本堂にて涅槃会の読経をすませ、報恩感謝の
儀式をすませました。

このお経にはいろいろと大切な教えが書かれていますが、その一節を紹介してみようと
思います。

 汝等比丘、我が滅後に於て、当に波羅堤木叉を、尊重し珍敬すべし。闇に明に遇い、
 貧人の宝を得るが如し。当に知るべし此は即ち是れ汝等が大師なり。・・・
 戒は是れ正順解脱の本なり。故に波羅堤木叉と名く。・・・戒は第一安穏功徳の
 所住所たることを。

釈尊がご遺言で最初に弟子たちに言い残したことは「戒律をよく守りなさい」と
いうことでした。戒は自ら進んで悪い行為をせず、積極的にいい行為をしなさい、
ということですから、日常生活の基本的な規律や習慣をしっかり守ることが重要であると

教えられたわけです。生活習慣を磨く行為の積み重ねが大事である。そうした
行為をすることがわれわれ自身のお師匠なのだ。と、断言されています。何事をするにも
平素の生活習慣が基礎であり、土台になっているのを考えるとき、釈尊のこのみ教えの
重要性を感じさせられます。真っ暗闇でささやかでもいいから灯りがほしい。この煩悩や
不安に満ちた暗がりから脱出したい。そんな思いを抱いたときに、救いとなる一筋の
灯りが戒なのだ。そんな例えをだして、戒を守ることの大切さが説かれていますね。

佛遺教経が今日まで各宗に連綿と伝えられてきたのもうなづけられます。

詩画禅一如の世界

國清寺は玉青館のすぐそばにある黄檗宗寺院です。玉画伯が再興した禅宗のお寺
という事なので拝登し、ご住持に会ってお話を伺いました。

それまで廃寺同然だったのを、出家して禅宗僧侶でもあった玉青画伯が住職となり
立派にしたということでした。我が国南画界の第一人者として活躍していた画伯
の渾身の努力によって見事な伽藍が完成しました。

現在の御住持はお弟子の濱端青橋師という画伯でした。あの阪神淡路大震災で
本堂などはその当時の立派さはうしなわれてしまいましたが、堂内のいたるところに
玉青画伯の手になる水墨画は見ごたえがありました。天井絵も見事です。

境内には画伯の愛した牡丹が栽培されていました。五月ごろには牡丹祭りも
あるようでした。ご住持とのお話もはずみ、良き出会いとなりました。

國清禅寺

玉青館を訪ねる

玉青館とは何の施設

不用意にではあったけれど、日本画の美術館があるというので、おとづれてみました。
南画会の巨匠として有名な直原玉青画伯の個人美術館でした。
南画というと、富岡鉄斎、池大雅、松林桂月などの作品をおもいおこします。その
系列に属する高名な画伯なんですね。玄関を入ると龍の天井絵(すいぼく)が目につきました。
この美術館の売りになっている作品です。
画伯は中年になてってから、禅に傾倒し、南禅寺派
管長柴山全慶老師との共著『江湖風月集』もあります。さっそく古本を入手、そのすばらしい
挿絵を堪能しました。
風月集は現在では臨済宗に重んじられている偈頌集です。諳んじるに
相応しい名詩が多いです。禅の素養を身に着けるにはもってこいの漢詩集ですね。

 

柴山老師の解説文もよくできており、いままで無知だった自分を恥ずかしく感じたことです。

淡路で浄瑠璃鑑賞

まさか、淡路島で人形浄瑠璃を見るとはおもわなかったです。江戸時代からの伝統が今日まで
つづいているんですね。一日3回ほど上演していました。一回45分ほど。

茨城空港から神戸空港まで80分ほどかかり、空港からはレンタカ-を利用しました。二日間の旅で
島内を298キロほどぐるぐるめぐりました。レンタカ-あればこそです。便利な時代ですね。

いまだ訪問していない町への旅はに見聞をひろめてくれます。しげきにもなります。思い立ったとき
サットでかけてしまうと、予期せぬ出会いもありますね。人形浄瑠璃の伝統がこの島にあるなんで
もうビックリでした。 上演がはじまると、いつのまにか眠ってしまったのも、いまではいい思い出
となりました。

淡路の人形浄瑠璃

淡路島旅行

今月に入り、淡路島へ出かけてきました。かねてから七福神めぐりをねがっていたので、
今回実行することにしました。

土曜日と日曜日の2日間かけて七ケ寺を無事参拝できました。さすが噂の通りに日本一の
七福神巡り会場だけあって、団体バスのおきゃくさんが次から次へと参拝しておりました。

淡路島七福神巡り

節分画賛

遠仁者疎道・・・オニハソト と読みます。

不苦者有智・・・フクハウチ と読みます。

江戸時代後期の曹洞宗禅僧風外老師の「節分画賛」にある言葉です。

節分となると、いつも老師のこの画賛をおもいだします。

くるしまざる者は智あり、仁に遠き者は道に疎し。じつにうまくあてはめましたね。
本堂・客殿そして庫裡をまわりながら「福は内、鬼は外」と豆まきをしましたけれど、

風外老師のこの警句にはいつも感心させられます。一生のうちで大切な徳目としての
仁(他人に対する思いやり)と智(ちえ)があれば、どんな鬼がきても退治してしまう
ことができます。先人の教えには脱帽です。
 

紅梅・白梅が開花してます

強い風が吹きまくっている今朝ですね。お天気はすっかり春めいたかんじです。お寺の境内をみると
紅梅白梅が満開になっています。

春に先駆けて花開く梅をみると、冬が確実にすぎさろうとしている感じを強くします。

 一輪の梅花天地の心

 梅は寒苦を経て清香を放つ

などの名句を思い出しますね。立春も明日にせまりました。寒い大寒もここへきて
徐々に天地の生気が活発になってきているようです。

 

前へ

今月から二月ですね。大寒もまもなくおわります。春分の日が待ち遠しいです。
さて、出典不明ですが、素敵な文がありましたので、紹介しておきます。

 

 前へ

 障壁なくして徳は生まれない。

 障壁なくして徳は熟さない。
 障害なく生きれる者などない。
 覚者たちにさえ、障害はある。

 ただ違うのは、覚者たちには動揺も、苦しみもないこと。
 苦しみと困難は、本当は、人の精神を鍛えてくれる。

 だから、苦しみ、困難、全ての物事を微笑んで迎えなさい。

 落ち着いて、前へ前へと進みなさい。
 一歩一歩、私たちは目的地へと歩んでいく。いかに
 遠くても、心配は無用。

 心が苦難で満たされぬことのないよう、しっかりと立って
 あゆみなさい。

 右往左往はしても最後に目的地へ辿りつくだろう。
 人生の道はこうして歩むのだ。

 

いわき木鶏クラブが再出発しました。

26日午後六時半よりラトブ6階会議室にて木鶏ラブの会合がありました
休会になっていたのを再開するということはすでにおつたえしていました。

致知出版社からは木鶏クラブ事務局長さんがおみえになり、今回の再出発
についてエ-ルを送ってくださいました

会合の中ではこんな感動話が紹介されました。といいますのは、今年の
成人式に集まったおよそ三千人に記念の品として、致知出版社の冊子を
参加者全員にもれなくさしあげた、というものです。

一冊1000円の書籍です。この企画は市教育委員会によるものでした。いつも記念にあげていた
パンフレットですと式典終了後にはほとんど見捨てられてしまっていたそうです。
そうしたパンフの予算は100万円でした。

それを憂慮した局長さんの計らいで今回は致知出版に掛合、社長と面談し
300万円分の書籍を提供してもらったのだそうです。

市の予算は100万円のみだったんですが、その話に感動した社長さんの計らいで
残額の200万円は出版社からの無償提供jとなったのです。

いまどきの世知辛い風潮とは反対の感動的なエピソ-ドですね。そしたら会場には一冊も
残らず新成人たちの手に渡ったというのです。

いまや全国で『月刊致知』を
定期購読されている人数は115000人にものぼると聞きました。店頭にでないにもかかわらず

読者からの熱い支持を受けている雑誌です。いわきでも新たがに木鶏クラブが再出発
したことでもあり、どんどん致知のことを知る市民が増えることを願っています。
 

仏典から

ここ数日、風邪にかかってしまいました。二日ほどは寝込んでしまったんですが、医者にもいき診察を
受けて、とくに異常はないようなので、安心しています。腕の節々などがいたんだり、体がだるくなった

りと久し振りで病気と対面した感じです。きょうあたりはだいぶ回復してきましたので、ブログ更新を
することとしました。

  〇 恩を知る人は敬うべし。その人たとえ千里万里の遠方にありとも我に近し。我の傍に
    あるに異ならず。(増一阿含)

  〇 一日の光陰は短しといえども、これを空しうすることなかれ。一夜を棄つるはこれ

   汝の生命を減ずるなり。(長老偈頌)

  〇 放逸におぼるることなかれ、愛欲と歓楽を貪るなかれ、おこたらずはげみて心
    静安なれ。さらば大いなる安楽を得ん。(法句k経)
   

『透明な力』不世出の武術家 佐川幸義

この本は初版は1995年3月24日に講談社から刊行されています。武術の世界には全く無縁でしたが
とても刺激的でした。なにが刺激的だったかというと我が国古来の武術の精髄を体現自証された武道家

が同時代に現存していたという事実です。直弟子である著者木村達雄氏が師匠佐川幸義大東流合気柔術
宗範(明治35年7月3日1955~平成10年3月24日1998 95歳)から教えられた武術鍛錬の訓言を
述べた貴重な一冊です。

どんな世界でも一流とか達人とか尊称される人間がいるものです。佐川先生も例外ではありません。厳しい
合気柔術の鍛錬をなくなる前日まで精進した驚異的な武道家です。その言行録を書物にしたことで、
人間の無限の可能性を世間に知らしめた功績はじつにはかりしれないものでしょう。

直弟子が師匠の言行録を記録することは古来から行われてきています。宗門でいえば、開祖道元の
教えを祖述した名著『正法眼蔵随聞記』が思いだされます。たとえ生きた世界が異なっていても、
達人の言行には素晴らしい訓言がたくさんあります。

 技はすべて精神力をのせてやるのだ。形がどうのこうのと無気力でうじうじやっていてはいけない。

 

 普通、人は倒すには力がいると思っている、しかし本当は倒すのに力はいらないんだね。もっとも
 大切なのは精神だ。どんな者だってやっつけてしまうという気力がなければとてもできない。ここが
 一番大切なところだ。

 鍛錬といっても体をうごかす事ばかりでなく頭を使う事もふくむのです。

 

 あんたらと私とでは考え方も全然ちがう、鍛錬にしても研究にしても生活にしみついているようで
 ないと全然だめだ。要するに熱意が足りないのだ。自分で開発していくんだという考えがなくただ
 教わった事を繰り返していたってできる用意なる訳ないでしょう。私だって若い頃は理論なんて

 まったくわからなかった。それが段々わかってきた。今の人はなんでも教わってうまくなろうと
 いう考えだからだめなのだ。

 

大東流合気武術宗範士 佐川幸義先生の語録から

本当の鍛錬とは

 人間は生きている限りかわることができるのです。生きているということは、そういうことでしょう。
 私の年になってまで鍛え続けている者はないだろう。力はなくなってきても、鍛え続けることによ
 って何かが出てくる。

 

 なんとなくやっているうちにうまくなるというものではない。やはり集中しなければとてもできるも
 のではないのだ。そしてわたしが教えなかったらとてもポイントもわからない。

 二、三年前に新しい鍛え方を思いついて、それからどんどん変わってきた。それに今でも毎日
 腕立て伏せを百五十回はやっているよ。(平成三年、佐川先生八十八歳)

 

弟子になって、著者が数学の研究で、ドイツとフランスに行くことになりました。

せっかく佐川先生の弟子になれたのだから、つながっていたいと思い、
鍛え方をおしえてくださいと、今思うと、佐川道場では許されない
ような質問を当時は平気でしていました。

すると「四股を毎日千回やりなさい」と。やり方も何も教えてくれない、ただそれだけです。
やると二百回くらいで股が痛くなる。「先生千回なんてできません」というと、「何言っているんだ、
私は四股をやり続けたまましぬことができる」といわれてしまいました。

師匠がすごいと、それについてくる弟子もさすが強者ではないと技量も精神も身につかないもの
なんでしょう。凡人には想像できない集中力と異常な持続力がないとそうした高い境地を
得ることはできないものなのでしょうね。

大東流合気武術宗範士 佐川幸義

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一気に通読しました。著者の木村達雄氏は東大出の数学者です。かたわら武術や合気道の習得に精進し
最後に佐川先生を終生の師と仰ぎ合気の極意を模索した方です。

佐川先生は大東流合気武術を極められて95歳で亡くなる前日(平成10年3月23日)自宅で三回すごい技を
したそうです。

その場面を抄録してみましょう。

 私の顔を見ながら「合気は力ではないのだ」と何回か静かに言われた後、最後に三回、その例の技を
 やられました。

 これはあとで聞いた話ですが、先生はもはや前回のようにっスッと立ち上がるのは無理で、左手で椅子
 の肘掛をグッと下へ押して立ち上がり、右手打ちをされた。しかし三回目は左手の力も尽きて立ち上がれなく
 なったので、ご自分のすべてをかけられるように、右腕を真上へグ-っと伸ばして右手打ちをされた。

 私はといえば、夢中になって先生にかかって行ったし、三回とも、どうしても手で防ぐのが間に合わずに、
 頭から畳に激しく突っ込んでしまっていましたので、違いは全くわかりませんでした。そのあと、先生は
 「ものすごく疲れた。これでわからなければ、どうしようもない」と言いながら奥へ入られ、次の日になくなられたのです。

佐川師範は写真を撮られることを好まなかったようで、ユ-チュ-ブには残念ながら載っていません。しかし、この本の
第六章佐川幸義宗範語録はすばらしい名言の数々が紹されています。人生の真実がちりばめられた言葉の泉
といえましょう。ぜひ、読まれることをおすすめします。

武道と合気道

合気道の達人塩田剛三

昨年秋ごろからでしょうか。武道とか合気道のユ-チュ-ブなどをみています。今まで知らなかった世界なので興味津々。その道の

達人と慕われたり尊敬されている方とは面識がないのですが、鍛錬して練り上げた人格のすばらしさを感じますね。

道という名のつくものに共通しているのは「最高の人格を練り上げて、生涯が尽きるまで努力する」という点です。これまで
無知だった古武道とか合気道の達人たちをみたりするとそんなことを強く意識させられました。翻って自分のこれまでの努力に
たいして、それほどの情熱や真剣さがあったのか反省することがすくなくありませんでした。

 

新年のご挨拶

新年挨拶状 (平成29年・2017)

  

  新年あけましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。

本年も昨年同様のご厚情をお願いいたします。

 

 お正月を迎えた今年の干支は丁酉です。歴史を振り返りますと150年前
に徳川幕府が朝廷へ権力を奉還したのも丁酉年でした。これを大政奉還と

いいます。徳川時代の260年間は外国との紛争や戦争は経験しないですんだ

という意味で国内は平和であったといえます。その後、我が国は明治維新を経験し

てからというもの、日清・日露の戦争をしのいで近代国家を確立しようと努力しつ

つ、世界の列強と大東亜戦争に突入。開国以来の大敗北を喫し7年近くも実質的
に主権を行使できない時期を経験させられてしまいました。

 

現在はかつて仇敵同志であった米国との同盟により、70年以上も戦争をしない

平和な国となりました。しかし、この150年は国運を賭けた外国との戦争が続き
その後遺症がいまだに続いている状況です。

 

いまわしい戦争の記憶も次第に薄れつつある現在ではありますが、そうした過去
の尊い犠牲の上に現在の平和があることを心に留めておくことも大切なこと
と思います。

 

はからずも歴史の話となりました。小生も住職21年目となり、後継者にも
恵まれ、恙ない日常を送ることのできる幸せを嚙み締めておりますが、お寺

の一層の充実を願いながら、お檀家の安寧と繁栄を祈っている次第です。

 

本年もどうぞよろしくお願いします。

 

                 見滝山 医王寺三十世住持 村上徳栄

恩師・木南卓一先生を悼む

91歳のご高齢でしたが、とうとう今月初旬にご逝去という知らせがありました。小生が大本山永平寺専門僧堂で

修行中のときからのご縁でした。もう40年以上も昔のことです。先生とは生涯一度きりしかお会いしておりません
けれども、長いお付き合いが続いておりました。掛け軸で判読不可能な文字があると、お手紙を差し上げて
読み方のご指導をいただきました。

先生の東洋思想の薀蓄は広く深いものがあり、常に啓発されておりました。寿命とは申せ訃報に接し残念で
なりません。

木南卓一先生の業績

江戸時代の高僧として有名な慈雲尊者研究の第一人者であります。謹んで哀悼の意を表します。

『あれこれ考えないで、坐りなさい』

今年五月に出た友人の処女出版書です。著者である秋葉玄吾老師(73歳)はアメリカ在住の曹洞宗禅僧。
一昨年にサンフランシスコ市を訪れたさいにお会いして、旧交を温めてきたのですが、その時には出版の
話題はまだありませんでした。

 ”カリフォルニア発世界一オ-プンマインドな禅的生活のすすめ”とサブタイトルがあります。曹洞宗
北アメリカ国際布教総監として全米にいるアメリカ人曹洞宗宗侶700名を統括されております。

かたわら彼の地に本格的な禅道場を建立すべく奮闘中。建設資金は7億円にものぼるとか。すでに
坐禅堂はほぼ完成見込みのようです。すでに3億円は寄付を募ってあつめたそうですが、老齢にも
関わらず死ぬ覚悟での勧募をされておられます。

開教師として30年のキャリアと出家以前宣伝広告マンをされていたユニ-クな人物です。興味
のある方の一読をお勧めします。

 

出光佐三を知る

話題の映画「海賊と呼ばれた男」のモデルとされる人物です。石油業界の異端児というんですかね。
なかなか気骨ある日本人らしい日本人と感服させられました。

世間はなるほど広いですね。誇りある日本人の気概の強さには大いに参考となりました。

出光佐三という快男児

必見!「海賊と呼ばれた男」

今年最後の映画鑑賞でした。後味の良い映画でした。絶賛上映中なので、夜8時20分から二時間半もの長い映画

でしたが、見どころ満載。久しぶりで感動しました。

本屋大賞を得たベストセラ-小説の映画だということなので、今度は原作を読んでみよう。そんなきにさせられました。

本作品の評判

 

特攻の母

鳥濱トメさんは知覧の富屋食堂を経営していた女性です。終戦となる昭和20年春には特攻兵の慰安の

場所として、知られていたのでした。明日にも出撃してしまう若人たちから絶大な人気をえて知らないうち
に誰いうとなく特攻の母お慕われるようになりました。トメさんの言葉には出撃をまじかにした特攻兵たちの

心情がよく表れています。

特攻の母がか語る兵士の思い出

屋久島の大自然に圧倒されました。

鹿児島空港からJAC航空で30分ほどで、屋久島空港に着きました。屋久島の自然林の
奥深さはすでに様々な情報媒体で盛んに報道されているので、言葉だけでも何となく
知っているのではないでしょうか。

小生にとっては全く未経験の事でしたが、一緒に出かけた妻や娘それに娘の
友人であるカナダ人夫婦など6人でのツア-でした。数年前には次男がヤクスギ
まで行ってきたんですが、「ぜひ、いちどは行ってきたほうがいいよ」といわれて
いました。思いがかなって白谷雲水峡のコ-スに挑戦してきました。往復3時間半

ほどのハイキングでした。どこもかしこも変幻自在な苔むす深い森でした。
目的地の苔むす森はあの有名な大ヒット作「もののけ姫」のモデルになった
豚の格好をした老木がある場所でした。ホントによく似たものですね。

民宿で借りたハイキングシューズと上手な案内をしていただいた山登りの
方のリ-ドでとても充実したハイキングを堪能できました。

幻想的なあの苔むす自然と千尋(せんぴ)の滝の雄大さは筆舌にし難いほど
の存在感でした。わが国の自然の豊かさを実感したことです。

白谷雲峡谷とは

千尋の滝の絶景

年末の鹿児島旅行

鹿児島旅行をしてきました。年末なのにと思いましたが、意を決して訪ねたかった知覧特攻平和会館に

いってきました。周辺の戦争遺跡を観たり、平和会館内の戦闘機や特攻兵さんたちの御家族への遺書
などを丹念に読むことが出来ました。若干20代前半の飛行機乗りの覚悟と国の将来を願う切々たる
文面を読みながら、涙がとまりませんでした。

時代状況からは想像できない国の存亡を賭けて特攻兵として志願した純粋で固い祖国愛には
頭が下がるおもいでした。

戦争は忌むべきものですが、それも避けがたい時代があったことを私達は忘れてはならないと
思います。今年はハワイ真珠湾奇襲から75年の節目という年。10月の真珠湾と今回の
知覧特攻平和会館を訪ねて、改めて命の尊さや重さを実感したことです。

知覧特攻平和会館

福島県出身の特攻兵は記録をみたら22名おられました。少尉さんや中尉さんが多かったです。

木鶏クラブが再出発します

もう2・3年に

なりましょうか。20年以上もの長い期間お寺を会場にして月刊『知致』の読者による勉強会をつづけておりました。
その後東日本大震災を経験して、一休みしようと仲間たちと話し合い休会となっていました。

今回は以前のお仲間と新しい読者を集めて再出発するとなりました。この雑誌は創刊39年目になるそうです。

全国には120か所もの会場でこの雑誌をテキストにして人間学の研鑽に励んでいますし、海外にも支部が広がりつつある現況です。
改めての出発となりますが、気を引き締めて良き人間関係を構築したい。そんな風に考えております。

再出発の会合は明日午後6時30分、いわき駅前ラトブ六階会議室です。新しい『知致』読者との出逢いが
待ち遠しいです。

アメリカ大手メディアによる偏向報道

米国大手メディアニュ-ヨ-クタイムズなどによる我が国への偏向報道が
続いている実態について、今朝の産経新聞「緯度経度」に興味深い指摘
がありました。

海外マスコミが我が国の実情を無視した偏向や虚偽の報道をするのは
なぜか。

日本研究のベテラン米国人学者アール・キンモンス氏は言う。

氏は米側の一部評者の「日本は憲法9条を改正すると軍国主義になる」
という趣旨の主張をレイシズム(人種差別主義)に等しいと断ずる。

 「自国の防衛をも制約する世界でも類例のない9条の規定を保たない
 と、日本人は侵略戦争を始める、という示唆は日本人が世界でも例の
 ない好戦的な遺伝子を持っていると主張するに等しい。日本人の間に
 もこの主張があるのは奇異な限りだ」

それではなぜこうした偏向報道を止めない日本論が横行するのだろうか。
それに対する教授の答えは・・・。

 「米側の日本専門の学者や記者には米国の基準での左翼が多く、
 反体制に近い主張をするが、米国では何の変革ももたらさない。そ
 の欲求不満を決して反論してこない日本という代替の標的にぶつけ
 るのだろう」

とんだはた迷惑な偏向報道をする連中が大手メディアに蠢いているんですね。
くわばら、くわばら。

銀座松屋で個展開催中です!

銀座松屋催事場では例年クリスマス前哨戦としてさまざまなジャンルで活躍されている
工芸作家さんたちの個展が開かれております。

ここにいわき出身の万華鏡作家として知られる赤津純子先生の作品展が今年も
開かれています。あしかけ9年も連続で同催事場で開かれていますので、かなり
人気があるのは間違いないです。

銀座でのお買い物ついでに作品の数々を覗くのも楽しいかも。

万華鏡作家赤津純子先生

一日30分、30円の自己投資

そうなんです。一日30分の読書と30円の投資でできる豊かな人生を送りませんか。

月間『知致』を読むことでそれが可能になります。この月刊誌によって人生観が変わったり
感動を得たりする読者が全国に10万人以上おられるんです。定期刊行物の月刊誌の
愛読者が10万人にものぼるんです。すごいことですね!

その雑誌から感動を得た、生きる力をもらった、人生のヒントをつかんだ。そんな人々の
大きな支え、拠り所となっているのが『知致』です。

まだ、その雑誌の名前すら知らないのでしたら、ぜひ見本誌を請求して一度目を通して
みては如何でしょう。

月間『知致』はこんな雑誌です

これは店頭では販売しておりません。一年間の定期購読です。年額一万円ですので

月800円ほどの支払いです。日割りにすれば30円ですか。それに、いちにちちょっとずつ
読書をする習慣を維持するだけです。

眼蔵を読む

大本山専門僧堂では大接心中です。よって永平寺御開山の主著「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」

を開くのも楽しい読み物でっす。これまで難解であるとされている本ですが、読み進めていて
解らない箇所は飛ばしていってもいいのです。自身の読解力で解る部分だけでも心に響く文章
があれば、抄録するなどすればいいと思います。

はじめて佛道を欣求せしときのこころざしをわすれざるべし。いはく、はじめて
発心するときは、佗人のために法をもとめず、名利をなげすてきたる、名利を
もとむるにあらず、ただひとすじに得道をこころざす、かつて国王大臣の恭敬
供養をまつこと期せざるものりな。(谿声山色の巻)

なんでもそうでしょうが、ものごとを始めるときの決心を忘れないこと。
頭では簡単に了解できるのですが、実行となると・・・・。

まして、広大無辺な佛道を歩む沙門にとってはなおのこと、です。

師走ですね

今年もこのひと月でおしまいですね。師走になりました。一年の計は元旦に在りと
もうしますが、今年のそれぞれの目標は実現したでしょうか。

師走となれば、専門道場においては大接心の最中です。一年の締めくくりとなる
集中坐禅の一週間です。朝早い4時から午後9時まで、各寮勤務のない雲水
たちが僧堂に集り、坐禅三昧の日送りをします。大本山修行時代を思い出します。

このかん、日課である朝の読経は法堂(はっとう)の500畳敷でなくて、僧堂内
で簡単にすませます。禅僧となるためにこうした集中坐禅の時間は大切な行
となります。ほとんど無言の生活ですね。

そんな若い雲水さんたちの修業を思い浮かべながら、残された30日を有意義に
過ごしたいものです。

東博の特別展は大盛況

昨日で終了しましたが、東京国立博物館の特別展「禅-心をかたちに」は入場者
10万人を超した盛大な禅の展示でした。わたしもこの19日に出掛けて
鑑賞してまいりました。

http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1807

中でも画僧雪舟の「慧可断臂ノ図」は大迫力でした。さすがに国宝だけのことは

ありました。いつもは本の写真版を通して接するだけでしたが、こうして本物と
対峙できたのはうれしいことでした。

大観院殿藤園玄機大居士

これは明治の陸軍大将児玉源太郎(明治40年没、55歳)の戒名です。

さすがに立派な戒名ですね。藤園は大将が漢詩を述べられた時の

の号です。玄は奥深いという
意味ですが、玄峰老師の玄でもあります。機は機略の優れた軍人とし

ての大将の一生を一語で代表したのでは、と想像されます。大将は


生前坐禅をしたことはないお方でしたが、本葬儀の大導師を
勤められたのは当時宗門の善知識として有名な東京芝の青松寺住持

北野玄峰老師(当時68歳)でした。大将は生前から老師に私淑されて
いたようです。老師の児玉大将観によると『拙僧が始めて児玉さんと
合った時、その挙止言語が何うも俗気を脱けて居る「天然会禅師」即ち

生まれながらにして禅を会(え)す、一を挙げ参を覚る、「擧一明三」の
人であることは一見してわかりました。俊抜で霊気があって戦陣の間
軍機に参して、必ず巧妙に遺られるだらうと思ひました』云々。

さすが後に大本山永平寺67世の猊下になられただけの大見識です。
北野禅師様が御本山の貫主猊下になられたときは79歳でした。それから
92歳(昭和8年)まで長命を保たれました。

 

米国次期大統領が決定

米国次期大統領に共和党のドナルドトランプ氏が女性初大統領をめざす
ヒラリ-クリントン氏を破り当選しました。世界中から注視された今回の
大統領選挙。残念ながらヒラリ-女史の手に栄冠は輝きませんでした。

米国のフロンティアスピリットは世界侵略の歴史でした。アメリカ大陸
の王者だったスペインを追い出し、インディアンを片隅に追いやり西へ西へと
進出してその野望をつぎつぎと実現してきました。
 

メキシコの一部を分捕りハワイ王国をク-デタ-で倒して乗っ取り、
フィリピンを占領した残酷な歴史をわすれるわけにはまいりません。

フィリピンの占領

幕末には我が国に砲艦外交をして開国を迫りました。大東亜戦争
ではわが海軍を壊滅して太平洋の覇権を手にしました。その後は同盟国
として日米同盟を結び両国関係の絆を強化しております。

しかし、この同盟は対等のものとは程遠く、米国の国益を優先するものでしか
ありません。ま、彼我の国力からして当然といえば当然なのでしょうが、わが
国の自助努力により、同盟国の駐留が当たり前になっている現状は徐々に
減殺されていくことが切望されますね。自分の国は自分で守りきる。
一国の独立を保持していた明治・大正そして昭和の大東亜戦争までの
先人の苦労をあらためて噛みしめたいものです。目下の懸案となっている

南シナ海などの覇権を中国に譲ることのないよう期待しています。

祝!米良隆氏黄綬褒章に輝く

我国料理界の重鎮にして「現代の名工」と尊敬される米良隆先生の黄綬褒章が
この秋の受勲にて発表されました。受賞を心からお喜び申し上げます。

若いころからこの道一筋に猛烈に精進努力されたことが評価されたんですね。料理界の
歓びはどれほどかと想像します。平成25年9月に本堂で行われた式庖丁
の感激をまざまざと思いおこしたことです。

お弟子のすわや主人からのお知らせで知ったので、さっそく自分にできるお祝いを
考えました。やはり漢詩でのお祝いと四半切「一期一会」の拙筆を考えて
みました。
 

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本堂ニテ披露ス 式庖丁

緇素感銘ス 妙技ノ真

無上ノ栄誉 褒賞ノ事

江湖仰望ス 熱誠ノ人

黄綬褒章ってどんな栄誉

明治軍人の雅懐

乃木将軍と児玉将軍はお互いを許した軍人同志でしたが、お二人とも
漢詩を作られています。児玉将軍は藤園という号をもっております。

そんなお二人の間に漢詩の応酬があったんですね。あるとき、乃木将軍
が児玉将軍に示した七言絶句はこれです。

東西南北幾山河      東西南北 幾山河

春夏秋冬月又花      春夏秋冬 月マタ花

征戦歳餘人馬老      征戦歳餘 人馬老ユ

壮心尚未不思案      壮心ナオ未ダ思案セズ

これを児玉将軍に披露したところ乃木の目の前ですぐに和韻したそうです。

死屍幾満痤山河      死屍幾満 山河ヲ痤(ウズ)ム

乱後村童売野花      乱後ノ村童 野花ヲ売ル

春去秋来功未就      春去リ秋来ルモ功未ダ就カズ

沙場二歳不知家      沙場二歳 家ヲ知ラズ

幕末から明治期にかけては近代日本の勃興期でした。軍人たちに
こうした雅懐の応酬があったなんて驚きです。乃木は軍神として
最高の栄誉を称えられました。そして児玉大将は軍人政治家として
大活躍した人でした。いづれも神社に祭られています。

製本の力

古本が好きです。書庫にはずいぶん古書が並んでいます。小説類はほとんど
ないのですが、主として専門書が多いですね。仏教、そのなかでも禅の書籍。

今回は以前から表紙がバラバラになってしまったままの仏教辞典の製本を
製本屋さんに頼みました。いいできですね。分厚い辞典の表紙がばらけて
しまうとひくのも億劫になってしまいがちです。

リニュ-アルした辞典は新品同様になって甦りました。製本は以前からこころがけて
おります。和本のみならず洋本のカバ-など製本するとまったく見違えて
いっそう愛着がわきますね。

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裏表紙のみしっかりしていますが、背表紙(革製)は台なしで表の表紙は
欠けてしまってありません。

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それが、どうでしょう。上手にカラ-コピ-を施して見事な背表紙に
変りました。表のカバ-も新作して立派な辞典になりました。ふじた製本
の社長さんに大感謝です!

人間魚雷『回天』の雄姿がありました

太平洋戦争末期に人間魚雷『回天』という一人乗りの特攻潜水艦がありましたが
真珠湾にはその雄姿が展示されておりました。

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海軍の特攻潜水艦『回天』とは

死力を尽してなんとか劣勢を盛り返そうと涙ぐましい戦闘努力をした祖国の英霊
のことを追懐して、なかなかそのそばを離れることができませんでした。感謝以外
の言葉が見つかりません。

真珠湾攻撃を知る

ハワイのオアフ島に出掛けたので、パ-ルハ-バ-(真珠湾)まで
娘の運転でいきました。日本の奇襲攻撃の具体的な様子が時系列

で詳しく紹介されていました。訪れる人の中に日本人はほんとに少なかったです。
太平洋戦争あるいは第二次世界大戦といわれた戦争はこの湾への我が軍の
攻撃から始まったとされています。戦争は軍隊がそのように仕掛けるまえの
前哨戦のから始まっていたわけですが、この奇襲攻撃は当時の敵国であった

米国国民をわが国との全面戦争に駆り立てたという意味で象徴的な出来事でした。

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今日では当時の敵国米軍の緻密な作戦計画によって、わが軍は戦争に
引きずり込まれていったという事実が公然と知られるようになってきました。

真珠湾の具体的な戦果とははたして奈何

 

ハワイ王国の悲劇

現在は世界的観光地として有名なワイキキ海岸であるがかつて存在していた
ハワイ王国は強制的に悪辣な手段で米国に併合されたという悲劇的な
事実を知る日本人は少ないと思う。

ハワイ併合の手順はその後の米国の世界侵略の歴史を考えるときのモデルケ-スになっている
ことが判然とする。

ハワイ王国はこうして米国に乗っ取られた

ハワイ併合の事実を知ろう

ハワイの歴史を学ぶ

今回初めてのハワイ訪問でその歴史を勉強することができました。
ハワイ王国の歴史については、現在観光メッカとして繁栄している
現実からみると遠い過去になってしまったようですけど、知っておきたい
現実がありますね。まずはその歴史を概観してみましょう。

ハワイノ歴史を学ぶ

ハワイ正法寺訪問が実現!

ハワイに初めて数日間ほど滞在することになった。ワイキキに在る曹洞宗正法寺に表敬訪問するのが
公的な趣旨だった。現住職の駒形老師から90分ほど時間を割いていただいた。

ハワイの曹洞宗寺院の歴史には全くの無知であったけど、今回の訪問でさまざまなこと
を感じた。正法寺(しょうぼうじ)の歴史はもちろん、ハワイの歴史それに真珠湾攻撃の
実際や数年前に胡人となったダニエルイノウエ民主党上院議員のことなどなど・・・。

ワイキキ正法寺

ハワイ平等院

ワイキキにある平等院にお参りしてきました。海外寺院視察にでかけて
初めて知ったお寺です。ワイキキはマウイ島の西側にありますが平等院
は反対の東側に位置します。

墓地の中に有る静かなたたづまいの一角です。もう。びっくり!!
ハワイには曹洞宗寺院が9ケ寺ありますけそ、平等院は各宗が合同で
設立した順和風建築です。ワイキキ海岸からおよそ40分ほどのドライブ
です。ハワイ移住で苦労を嘗め尽くした日系人の心意気を感じる場所ですね。

ハワイ平等院はこちら

あの児玉大将の孫は音楽家!

幕末から明治にかけての帝国陸軍草創期に大活躍した陸軍大将
児玉源太郎大将の孫がスコットランドのグラスゴ-大学でコンサ-ト
を開いた(10月14日付け産経新聞朝刊)。

この記事によって、祖父の児玉大将の名を思い出した人も多かった
のではないでしょうか。児玉大将はあの乃木大将の3歳下でしたが
自他ともに許した親友でした。児玉大将は自邸の二階で突然
脳溢血であえなく55年の生涯を閉じてしまったんですが、その時の
葬儀委員長は乃木大将が仕切ったのでした。

枕経には時の大本山永平寺貫主森田悟由禅師が駆け付けたようです。
児玉大将は乃木将軍ほどの全国的知名度はありませんけれど、

軍事のみならず軍政家としてわが日本陸軍の近代化を積極的に
すすめた偉人です。ペリ-が軍艦四隻をひきいて我が国との外交を
強引にすすめるべく浦賀沖に来たのは嘉永六年のことでした。それは

児玉大将が徳山に生まれるちょうど一年前の出来事でした。生涯
の活躍で「陸軍の知恵袋」とまで尊敬された方でしたが、台湾総督
として9年間統治した功績は実に偉大なものでした。

江ノ島にはその大将を祭神にした児玉神社があります。小生はまだ
そこにいってはいませんが是非お参りを実現したいと考えています。

台湾の近代化の大恩人としていまでも崇敬されている明治期の大将
の波乱万丈の生涯を思い出したことです。

児玉源太郎大将とは

児玉神社

獨坐

焚香独坐長松下   香ヲ焚イテ独坐ス長松ノ下

風吹寒露湿禅衣   風吹寒露 禅衣ヲ湿ラス

有時定起下雙澗   有ル時ハ定ヨリ起チテ雙澗ヲ下リ

瓶汲五更残月帰   瓶ニハ五更ノ残月ヲ汲ンデ帰ル

日一日と秋も深まりつつあります。宗門最高の偈頌集「大智偈頌」の
一首です。五更はいまの午前四時ごろです。この時間帯は全くの
暗闇です。早起き鳥の声ひとつしません。森閑としたなかでの
早朝の坐禅です。じつに静かなひとときです。

同じ時間に坐禅をすると、この有名な漢詩を想いだします。世間の
雑音から程遠いところで坐る歓びがこの偈頌になったのでしょう。

ドイツ普門寺からの便り

ドイツのアイゼンブッフにある大悲山普門寺から久しぶりで近況を知らせる手紙が届いた。
海外布教師として彼の地で坐禅布教をされている中川正寿老師からである。

二十年まえに禅センタ-として発足し、現在では地域からも大なる期待をされている
曹洞宗寺院。宗門の海外寺院は北米・南米そして欧州と着実に曹洞禅がその広がりを
見せている。手紙のなかでこんなドイツの現状が報告されていたので抜き書きを紹介
します。

 皆様方ご存じの通りただいまヨ-ロッパは激動の時を迎えております。---
  ドイツの子供は都会では二人に一人は両親が離婚しており、地方では三人に一人
 ということです。つまり母子家庭やパッチワ-クファミリ-がどんどん増えているわけ
です。勿論大家族や親戚一同が集っているなどということはありません。---夫婦や
家族を一単位として支える社会的基盤が崩壊して行っています。

我国でも周囲には離婚した夫婦がありふれています。他人のこととはおもえない、
嘆かわしい現状ですね。

家族の絆や先祖を敬うという人間らしい生き方を平気で放棄する傾向にある
のは世界の先進国の通弊なんですね。

パッチワ-クファミリ-(ステップファミリ-)って何?

「無事」の意味とは?

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知人からの依頼で揮毫した文字です。「無事」と読みます。茶道に趣味をもつと当然のように
禅語を勉強しますね。利休さんのわび茶の源流は禅なので、床の間に掲げられる言葉
は禅語の一行(ぎょう)ものが多いんです。

無事是貴人 (ぶじこれきにん)もよく知られた禅語です。中国臨済宗の祖師である
臨済禅師語録にある有名な言葉です。

一般には「なにごともない」という意味で使用されていて、馴染みが深いです。
しかし、禅語の意味では同じ臨済禅師語録に「求心歇処即無事」があります。

禅の修行が未完成であると、悟りを求めるということも自分以外のところにあると考えて
しまいますけど、己自身の外側に真実の自己があると勘違いしないことが大切。
そんな考えで求めていては究極の大悟はできない。そういう外に追い求めることを
すっかり止めてしまって、大安心の境地になったことを意味するのがこの「無事」
という禅語の意味になります。

「平常心是道」などという禅語も普通の当たり前の心持でいれば、それが悟りなのである。そ
れならばわざわざ苦心惨憺しての峻厳な修行などは不必要になってしまいますね。

そうではなく、歴代の禅師さんたちの血のにじむような猛烈な努力の果てに気づく尊い心境ことが
その深い意味なのです。言葉の表面だけで解ったような判断では禅語の理解にならないのです。
 

澤木老師の肉声が聞こえてくる

ここに一冊の本があります。題して『澤木興道聞き書き  ある禅者の生涯』(酒井得元著)。
久し振りでブックオフを覗いていたらこの本に出会いました。

澤木老師は徹底した坐禅の行者として知られた曹洞宗の禅僧です。幼少期の地獄をはいずる廻る
ような逆境をものともせず、念願の出家を果して坐禅ひとすじの尊い生涯を送りました。

坐禅に志を抱いた者で彼の名を知らない人は皆無でしょう。その徹底した境涯は『澤木興道全集 全19巻』に
詳しいです。

小生が全集の第一巻を手にしたときはまだ出家する前の工業高校生の時でした。いまでもそのことをよく覚えています。
それ以来出版社であった大法輪閣からぞくぞくと全集が発刊されました。大学時代にその全集を
揃えたことはいうまでもありません。隅から隅まで読破してしまいました。

酒井得元先生には大学の坐禅の授業でお世話になりました。当時(昭和44年)は竹友寮におられて、
学内での坐禅指導とともに若い小僧さんの指導をもされていました。沢木老師の高弟です。

ブックオフの書棚にこの単行本を見つけたので、さっそく買ってしまいました。澤木老師は昭和40年に
亡くなっておりましたので、生前の老師の風貌に接することはかないませんでしたが、高弟の酒井
老師にはかわいがってもらいました。都内の坐禅会などに指導に出掛けられる際には親しく声を
掛けていただき、タクシ-に便乗させていただいたことなどを思いだします。

この本を読み進みますとどこからともなく老師の肉声が聞こえてきそうな感じです。

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純一無雑の只管打坐の生涯で一生をぶちぬいた傑僧として記憶に残る大人物ですね。

禅者澤木興道の波乱の人生とは

市民茶会は大賑わいでした!

秋晴れの下、日曜日の昨日は文化センタ-にて恒例の市民茶会が開かれました。
終日席入の和服姿の皆さんが絶えませんでした。

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席入は各会40名ほどでした。今年は和室を利用できました。

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安藤宗家を囲んでの記念写真撮影。掛け軸は安藤家10代安藤信正公27歳のときの
もの。

坐禅に初挑戦!

今週の終末はイベント盛りだくさん。市内では街中コンサ-トで音楽一色となりました。お天気も
よく秋晴れでした。いわき市では市制50周年記念行事がアリオスで開かれました。そのために
姉妹都市のタウンズビル市(オ-ストラリア)からは5名の市職員が来市されました。

それで、今回の訪問では日本文化に触れようと拙寺にも足を伸ばし、坐禅体験をされました。
会場であるお寺の本堂の様子などを見学した後、坐り方を教わり10分ほど黙坐しました。

その後、座卓を囲んでの会話となり抹茶をだしました。坐禅も薄茶をいただくのもまったく
初めての経験のようでした。一人だけは例外でしたが・・・。それなりに田舎寺での静かな
時間を堪能したようです。

9:30からわずか一時間ほどの訪問でしたが、みなさん満足したようです。久しぶりで
錆びついた英会話を小生自身楽しむことが出来ました。

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坐禅の後、お抹茶をいただきながらおしゃべりしました。

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坐禅の心得を説明しています。

 

原坦山老師の医学修行

いわき出身の名僧として名高い禅僧ですが、この老師の出家前の事歴をみるとnなかなか興味が
つきないです。十代の半ばで父親である武士の新井勇輔につれられて江戸にでたのですが
22歳で出家するまでに医学をも勉強していたのでした。

当時の官学の最高峰は湯島の聖堂でした。そこに若き坦山も入学し儒者となるべき漢学の
素養を摘んでいたのでした。しかしというか同時に当時の最先端としてもてはやされた蘭学
つまりオランダの医学にも興味を示し湊長安先生という医学者の門を叩いてもいます。

当時は儒学者になるべく猛勉強をしていたのでしたが、あわせて儒学とはおおよそ対極にある
オランダ医学の勉強にも精を出していたんです。師事した湊長安はその方面での代表的な
先生だったのです。あの有名な鳴滝塾を開いて名声を博していたシ-ボルトの高弟として

シ-ボルトからドクトルという免許状までいただいていたほどです。シ-ボルトは長崎の出島
に医者として来日したのですが、まだ29歳の若き医師の医学の技量は瞬く間に近辺に
広がり、全国から有望な医学志望のエリ-ト達が出島に押し寄せたのでした。

湊長安はすでにオランダ語に習熟しておりシ-ボルトより7・8才高齢でしたが後に
ドクトルの称号を得て江戸に戻り開業していたのでした。かたわら丹波篠山の殿様の
主治医をも兼ねていたのですから当時いかに有名な先生だったか想像ができようという
ものです。

儒者をめざしながら当時の先端医療である臨床医学をマスタ-した先生の指導を
承けたのですから、出家して禅僧となる以前の教養はまことに独特のものとならざるを
得ませんでした。

こんな出家以前の前歴を知るにつけ、あの坦山老師の独創とされる「心性実験」の説が説得
をもっている所以なのだと思います。

 

永平寺行です

今日から二泊予定で大本山永平寺に行きます。御本山は目下御征忌最中です。
お世話になった先輩の供養の儀式があるので、それに参列します。

山形出身の先輩で永平寺の役職を長く勤められていました。70歳くらいの年
でなくなられたので、ちょっと早かったのかな・・・。そんな風に感じています。

御征忌とは

ギリシアの今

昨年でしたか。ギリシアがユ-ロを離脱するのではと大騒ぎをしていましたね。そのことが
気になりちょっと調べてみました。こんなときにはネット検索がとても便利です。

あいかわらず低迷している現状がよくレポ-トされています。これといった基幹産業がない国
が頼りにしているのは外国客による観光収入のみなんだとか。

最近のギリシア情勢です

悟由禅師の教え

今月は栗東寺(大阪市)坐禅会の指導に行く日。そこで、悟由禅師の偈頌を
紹介しました。

 少壮光陰易放過   少壮ノ光陰ハ放過シ易(やす)シ

 人須学道玉須磨  人須ラク道ヲ学ビ玉(ぎょく)を磨(ま)スベシ

衆生先導任尤重   衆生(しゅじょう)先導ノ任尤モ重シ

莫悔他時奈老何   悔ユルコト莫レ他時老ユルヲ奈何(いかん)セン

和尚となれば修行することが第一番の仕事であるが、ややもすると若い時分には
外の事に興味が移ってしまい本筋の修行に骨を折ることを忘れてしまいがちである。

お互いはそうあってはならない。玉という素晴らしい宝を持っていてもそれを磨く
という努力を惜しむようなことがあってはならない。昔から「玉磨かざれば光なし」
といっているではないか。

まして、雲水修行している求道者としての諸君はいづれ修行を終えると檀信徒の
教化に専心するという重大な責務を負っているのである。

うかうかしていているうちに時が過ぎて、老年になってから「若い時分にもっと
真剣に道を求めておればなあ」なんて嘆くような、そんな後悔をしないように。

世間でも「若くして学べば壮にして為すあり、壮にして学べば老いて衰えず。老いて
学べば死すとも朽ちず」という名言がありますね。

大本山永平寺重興第六十四世貫主さまの慈悲あふれる法語ですね。何度も口ずさみ
たくなる七言絶句です。これは出家者に対しての教えですが、一般の人達にとっても
大切な教訓でなないでしょうか。

悟由禅師の御生涯

大本山総持寺研修の旅

二泊三日の日程で大本山総持寺での研修会に参加してきました。わが曹洞宗においては
例年一般の檀信徒を御本山に誘う目的で研修会を催しています。
福島県においては本年度はおよそ250名の参加がありました。

一日目は御本山での研修で山内に泊まります。千畳もある本堂での開講式や翌朝の
お勤めである朝課に参加したりします。食事作法を学びながらの精進料理もあります。

それがすむと長野県の名刹長国寺専門僧堂を拝観しました。NHK大河ドラマで
放映中の『真田丸』に登場する真田家の菩提所です。おりしも現在の御住職は
福島県白河の御住職さまでした。

この寺は松代にありますので、ドラマで馴染みとなった真田家などを散策すること
ができました。もう十数年以前にはここの住職をされていた佐橋法龍先生を
お尋ねして、専門分野の勉強にたびたびお邪魔していたことがあります。

なつかしい思い出のお寺であります。本堂にはわが原坦山老師の大きな横額が
飾ってありました。しげしげと拝見できて、とても感動しました。

松代長国寺とは

境内の墓地には恩田木工のお墓もあります。『日暮硯』の著者としてあまりにも
有名です。このたびお参りできたので再度あの有名な書物を読みたいと思いました。

日暮硯このとを知るには

佐橋法龍老師のこと

いつのまにやら

いつのまにやら秋の気配が忍び寄ってまいりましたね。台風騒ぎがおさまったところですが、
朝晩は涼しくなってきました。空の雲の様子や蝉の鳴き声に替って鈴虫の声が主流になっております。

境内の栗がボタボタ落ちています。今年はなりどしですね。毎朝30個五十個と拾い集める
のが日課となりました。そういえば、イチジクもあります。カラスの餌になるまえによく観察
して、熟したものを食卓にのせています。家庭菜園には茄子がけっこうなサイズに成長

してきましたので、これも獲ってきて食卓へ・・・。秋の味覚をこうして収穫できる時節に
なったんですね。

彩帆ノ存否幾百年

高木中将がサイパンで自決したのは昭和19年7月11日で場所は島の北端にある地獄沢だった。
53歳。その5日前の7月6日には陸軍最高司令官斎藤中将と南雲海軍中将が玉砕していた。

髙木中将は戦死により、海軍大将に任ぜられた。表題は自決寸前の漢詩にある。

花散湾頭観月台       花ハ散ル 湾頭ノ観月台
忠魂共靖滄浪没       忠魂共に靖ラカニ滄浪ニ没ス
彩帆存否幾百年       彩帆ノ存否幾百年
尽忠報国七生志       尽忠報国七生ノ志

漢詩の七言絶句の体裁をつけてはいるものの平仄無視なので定型漢詩とはいえない。
しかし、まさに死ぬ決断を下したときに七言絶句を称えるというのは軍人の嗜みを知っていた
のだろうと推測する。日露戦争の大立者として有名な児玉源太郎大将のような文藻豊かな
教養までは望むべくもないけれど従容として高級軍人の最後を遂げたのはいかにも武士道

の精華を体現した海軍軍人であったと思う。海軍予備生徒への訓示のとおりに己の
死に直面して泰然自若であった。言行一致の生涯だった高木大将は故郷いわきの偉人
である。

 

髙木提督の訓示

髙木提督51歳の時の海軍予備学生への訓示がある。提督自決の二年前の事であるが、非常に示唆的
な訓示なので、以下紹介したい。

昭和17年(1942)11月27日、講演場所は台湾の東港である。そこでたびたび訓示された由。時に高木
提督は馬公警備府司令長官 高木中将で訓示を聴いた予備学生はおよそ500余名。

 死について

 武士道とは死ぬことなり。故に死を前提にして万事考うべし。生死を超越できたら上々だが、飛行機を授けられたら
 これは自分の棺である、艦船乗組になったらその艦をば自分の墓所だと思え。

 部下を持ったらこの部下を引率して一緒に死ぬのだ、へまな死に方はさせないぞと覚悟すべきである。
 申す迄もなく部下は天子様の臣であり、それを天子様からお預かりしているのであるから慎重に考えねばならぬ。

 部下が天子様の御為に死ぬ。その道案内が自分であると考えよ。分隊長についてこい。最良の死所を与ええて
 やるぞ。この為に部下の最良の死所をみつけてやる見識を自ら修練しなけりゃならん。

 一方、部下がついてくることが出来るよう、部下を鍛錬することを怠ってはならぬ。部下を鍛錬するに仮借は
 無用である。平素でも部下を愛するのに愚母の愛とでもいうか、甘やかす一方の盲愛に陥る危険があるが
戦場に立ってこの部下と一緒に死ぬのだとはっきり感ずれば、なおさら盲愛に陥り易いのである。

・・・「明日も亦知られぬ露の命にて、千載照らす月をみるかな」の歌もある。・・・決して情に負けて部下を
甘やかしてはならぬ。もしそれ人気取りの意図を以て部下に甘いものありとせば、それは到底、死出の旅路
の先達はつとまらぬ男だ。また、上官の前で部下を叱って見せて、自分の努力ぶりを上官に認めてもらおう
なんて根性の男に至っては下の下である。部下に最善の死所を与えるのが上官のつとめであることを銘記せよ。

こうした講話を聴いた予備学生の一人に作家の阿川弘之がいた。

運がついていた大施餓鬼会

昨日のお施餓鬼会は何の波乱もなくしのぎやすい一日となりました。台風10号接近の予報
などから「あるいはお天気が崩れて台風直撃のお施餓鬼になってしまうのかな」そんなことを
気にしながらの本番でした。幸い曇り空の夏とは思えない涼しげで穏やかな日中となりました。

天与の助けがあったと、感謝いたしました。当日の和尚は30名にもなり大盛況の法会となり
参加された檀信徒の皆さんは大喜びでした。それでも準備の都合上テントをつくりまして、
まなかいの便としましたが、結局は不要となったのでした。

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今年は15日に万燈会をしましたが、そのさいの紙の灯篭(新盆ご家庭用)を須弥壇に
お飾りしました。とてもきれいです。

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客殿での昼食の様子。

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御詠歌をされる梅花流講習会員の皆さん。披露前の緊張の一瞬です。

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山門法語

残暑炎天施架開     残暑の炎天に施架を開く

誠心供養法輪台     誠心もて供養す法輪の台(うてな)

暴風一過如長雨    暴風一過長雨の如し

不知初秋何処来    初秋の何処より来るかを知らず

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無事儀式が滞りなく円成したことを喜ぶ役員さんたち。それにまかない
のお手づだいをされた御婦人がたに感謝で~す。

知っておきたいいわきの軍人

軍国主義の時代は明治新政府の肝いりで全国津々浦々まで浸透し、それが大東亜戦争で
連合軍に敗北するまで続いた。当時の強国イギリス、フランスなどがアジア侵略を企図し
着々と成果を上げている時代であった。日露戦争でまさかの勝利を得た日本もまた、

欧米列強に対抗すべく軍拡に精をだしていたわけである。日露戦争での凱歌に酔う日本を
評的にして日本を牽制し始めたのが、米国であった。米国はすでに「ハワイを併合し、また
フィリピンを、グアム島をも手中に収めて来た。・・・日本は日露戦争後やっと不平等条約を

解消し、やれやれと安堵の胸を撫で下ろしたけれど、世界は相変わらずの自国中心主義
だった。伸仕上がりの日本をこれ以上のさばらせておけば、今後したい」放題のことは
出来なくなる。支那四億といわれた中国大陸での利権の衝突が、戦争を拡大させてゆく。」

(『サイパンの青い空』永久保片雲編著)

米国は日露戦争直から中国での利権をめざす邪魔者の黄色人種として日本を貶める
政策ととってきた。それが史実である。そして、

日米最大の決戦場となった太平洋で大活躍したのが海軍大将高木武雄提督だった。
提督についてはそれまで、無知であったけれどこの八月に始めてその事歴を知る機会
を得た。

明治の陸軍中佐として知られる大越憲吉中佐とともにいわきが誇る海軍大将高木武雄提督
はもっともっといわき市民に知られてしかるべき偉人だとおもう。

髙木武雄海軍大将とは

リオ大会を終えて・・・

お盆もすみ、リオ五輪での我が国の大躍進をみながら、考えてしまいます。今月はあの大東亜戦争(太平洋戦争)の
反省をする特別な月です。8月15日の終戦の詔勅から二世代もの時間が経過しております。

先日の米国副大統領ジョ-・バイデン氏の発言には我が国で驚いた人も大勢いたのではないだろうか。

「核保有国になれないとする憲法を私たちが書いたことを彼(トランプ氏)は知らないのか」

戦争終結後長らく平和憲法を唱えていたために今日の我が国の平和が維持されてきたのだ。そんな
ふうに解釈していて当然と考えていた人たちにはさぞ衝撃の発言であったに違いない。
しかし、我が国の戦後の憲法は連合国GHQ統治下でのアメリカのための平和憲法策定だった。

そんな当たり前の事実を米国高官の口から出たということで、わが国内では衝撃的発言とのニュ-ス報道では
あったけれど、当の米国内では特に目立った話題にならなかったという。

つまり、米国内での政府高官たちには周知の知識であり、とくにバイデン副大統領個人の発言というの
ではなく、ごく常識的な日本の憲法に対する言及であったということである。

我国の護憲勢力が「平和憲法をまもれ」と声高に主張したからとてその平和の中身は”アメリカの平和”
のための憲法なのだ。そんな常識をも無視して護憲運動をする意味が解らない、と思うのは小生の
ひとりよがりなのだろうか。

長らく戦後同盟国として強い絆を構築してきた我が国ではあるが、米国主導による我が国内の航空基地
使用という占領政策の負の遺産の始末は一考すべき最重要課題だろう。

A-さ-33

花火の醍醐味を堪能した夏の一夜でした。胸が爆発音とともに打ち震えて感動の波がつづきました。
花火大会は知っていましたが駐車場のことやら観衆の多さなどを考えてしまうと、わざわざでかけるのも
なんだな。そんなことで例年しらんぷり。

今年はお茶の仲間と5人ででかけました。いやあ、とてもよかったです。花火は総数2万発とも紹介

され、最後の花火は5分間以上もの長さでおよそ3000発とか。もうびっくkりでした。来年からは
この感動を胸にまたこようかと思いました。表題は観覧席の番号です。お金を払ってもみた価値がありました。

今年はいわき市市制施行50周年記念の大会とかで、大盛り上がりでした。

いわき花火大会

追い込み中!

 

 

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お盆が近づいております。お塔婆を手書きするのがこの時期の習わし。400本以上も
手書きします。毎日50本づつ書くようにしていますけど、なんせ熱い暑い毎日です。

朝早くお勤めをお休みして、涼しいうちに書きこむようにしていますけど・・・。

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パワ-スポットなんだって!

お寺がパワ-スポットになっているんだとか。ポケモン騒動とでも言うんでしょうか。このごろ

スマ-トフォン片手に境内をうろつく人たちが目立っています。たまに大人もいますが・・・。
境内の坂道まで歩いてきて、しばらくするとクルット回れ右して戻っていきます。

ポケモンという遊びらしい。どうも私たちには縁遠い遊びのようです。

パケモンゴ-って何?

宗全籠です

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夜の茶道稽古がすんだところです。床の間には崇全籠を飾りました。

ヤバネススキが左右にひろがり中心のキンショウバイは黄色です。ピンクと白は
コスモスで中央下段にはムクゲがあります。家内の作品です。境内の草花が
おしゃれをしたようです。

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身近にある草花をこうした竹籠にいれると、ちょっとした美があらわれますね。

『カエルの楽園』が人気です

百田尚樹さんの最新作。一読してしまいました。考えさせられる内容です。書評に大きく扱われないの
が不思議なくらいの出色の小説ですね。店頭ではよく売れています。

普段小説は買わないのですが、この本はついお金を出してしまいました。主人公がソクラテスって
いうのも寓意的ですね。ギリシアの哲学者で「無知の知」を教えた思想家なんですがね。

この夏一番の小説でしょう。

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最大の悲劇は、良心的な愚かさによってもたらされる。
ベストセラー作家が全力で挑んだ、衝撃の問題作。

安住の地を求めて旅に出たアマガエルのソクラテスとロベルトは、豊かで平和な国「ナパージュ」に辿り着く。
そこでは心優しいツチガエルたちが、奇妙な戒律を守って暮らしていた。
だがある日、平穏な国を揺るがす大事件が起こる――。

著者自らが「私の最高傑作」と断言。
大衆社会の本質を衝いた、G・オーウェル以来の寓話的「警世の書」。

小諸の草笛おじさん

小諸の草笛おじさんといえばあの有名な禅僧横山祖道老師(曹洞宗明治40年~昭和55年、74歳)の
ことです。佐久の隣に位置する小諸の懐古園の一角で22年も草笛を吹きながら一生を終えた
稀有な禅僧でした。

坐禅の神様と異名をとった澤木興道老師の高弟であり、内山興正老師の兄弟子になります。
小諸の懐古園を散策したのはこの旅行が初めて。在りし日に草笛を吹きながら藤村の
千曲川旅情の歌や初恋、惜別の歌などを観光客に披露していたユニ-クな和尚さまでした。

老師がなくなって既に45年もたちましたが、当時生活していたその場所には「千曲川旅情のうた」
が流れるスピ-カ-が設置されていました。そばによって耳をそばだてると哀切な草笛が鳴り出しました。

「ああ、祖道老師のあの草笛なんだ!」しずかな感動とともに老師の坐禅に徹底した生き方を
想いだしました。和尚没後の昭和56年には『草笛禅師 横山祖道 人と作品』(横山祖道遺稿刊行会編)
という豪華本が発行されています。小生の愛蔵図書となっています。

改めて老師の遺稿に接し、坐禅のすばらしさを再認識しました。坐禅信仰の権化と化した祖道和尚は
昭和の良寛和尚といえるでしょう。懐古園の老師のいた一角は和尚ご自身が太陽山青空寺と命名
していたそうな。浅間山と千曲川に囲まれた懐古園の絶景の一点景として忘れられない偉大な

禅僧でした。生前にお会いすることはできませんでしたが、その清らかな禅僧としての深い境涯
には頭が下がります。

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懐古園の名物和尚

現代書道の父比田井天来先生!

佐久平にきてみて通りすがりの看板を何気なく見てゐると、「天来記念館」の表示が
跳びこんできました。あの有名な天来先生の記念館らしい、と直感しました。

時間を作り記念館を訪れたことはいうまでもありません。先生(明治5年~昭和14年)
は書道に志したものにとっては大先生であり、敬仰を集めた大書家です。

その先生の生誕地が佐久の此の地だったんですね。奥様の小琴(明治8年~昭和23年)
もかなの名手として名を成した書家でした。

ゆったりと記念館を拝見できたことは、この佐久の旅行の大きな収穫となりました。
 

天来先生とは

「正安寺」の現在

佐久に御縁があるのはこの寺です。まだ独身の20代後半に修行したお寺です。今回、「貞祥寺」訪問をすませて
翌日に訪ねました。当時永平寺での四年余の修行をすませ、柳瀬有禅(独峰軒・法燈禅林師家)老師との
御縁が出来、公案禅に取り組んでいました。おりしも、「塚田耕雲(樵月庵師家)は君と同じ曹洞宗であるか
ら大梅会の接心にでてみなさい。」そんな提案が独峰軒老師からあり、この佐久のお寺に来たのでした。

東京奥多摩「徳雲院」の是々庵加藤耕山老師の迦葉法嗣である耕雲老師に参禅できるとあって、すぐにそこ
に参じました。いまとなればそれこそ難値難遇の勝縁でしたね。是々庵老師に生前j相見香を焚くこと
こそ叶いませんでしたが、法を嗣いだ両老師との御縁を頂くことができました。じつに有難いです。

それ以来の上山でした。到着してみたら、なんとなんと伽藍が一新しており、往時の姿はほとんど消えて
しまったかのような印象でした。それでも、禅堂や開山堂などをみると当時と同じでしたので安心したのです。

同じ佐久地区に立派な修行道場として風格ある僧堂が二ケ寺あるんです!いわきでは考えられません。

現在の正安寺です

「貞祥寺」拝登のこと

貞祥寺のことを知ったのはおそらく「澤木興道全集」全19巻を読んだ大学時代だったのか
もしれないが、しっかりと記憶に刻まれたのは弟子丸泰仙老師の著作を読んだころだと
思う。突然のお寺訪問にもかかわらず丁寧に伽藍の案内をしてくださった副住職さんには
感謝しています。弟子丸老師のお墓はこちらにあり、供養しているとか。

澤木老師のお弟子にはたいへんユニ-クな弟子がいます。”宿無し興道”の異名を持った
老師の下、内山興正、酒井得元、横山祖道そして弟子丸泰仙などなど・・・。

七堂伽藍を備えた道場がこの地方にあるなんて想像していませんでした。老杉とケヤキの
大木のたたづまいには圧倒されてしまいました。時代を経て受け継がれてきた禅の伝統が
いまだに現前している。そんな強烈な印象を持ったのでした。

昭和10年代当時に雲水たちが坐禅に骨折っていた坐禅堂(僧堂)正面には「枯木堂」の
大きな横額がありました。月舟宗胡禅師の雄渾な筆さばきです。いいものを見せていただ
きました。やはり、実際にこうして訪問してみないとこうした立派な宝物には出会えないも
のだと痛感じました。

本堂内には澤木老師「莫妄想」や少林屈開山飯田攩隠老師の書などの眼福を得る
ことができました。禅僧の書は書家とは一線を画した良さがあるので、こうした名匠の書を
拝見できるのは嬉しい限りです。

境内の苔がこの歴史ある寺の境内の美しさを一層荘厳にしてくれていました。佐久以外
の方にもぜひ紹介したいです。それに三重塔などもあり十分に時間をとって境内を散歩
することができました。在りし日の佐久地方の禅界のことなどいろいろと想像しながら
散策を楽しみました。

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信州佐久・小諸への旅

月替わりとなったここ数日、信州長野への小旅行をしてきました。以前から、松本方面の縁は
あったのでしたが佐久方面はこの40年程無縁の地。今回の旅はなぜか懐かしく感じたものです。

佐久市の古刹貞祥寺には初めての拝登でした。いつかきっと訪問できる。そんな年来の夢が
叶いました。それから、

二十代で雲水をしていたころお世話になった正安寺にも足を伸ばしました。古佛加藤耕山老師
の秘蔵っ子として有名な塚田耕雲老師のお寺です。坐禅堂から独参室に充てられた開山堂
に一番先に見解(けんげ)を述べるために境内を小走りした当時が無性に懐かしく思い出されました。

樵月庵老師の教えの様子がまざまざと現前したことです。その昔、24歳の慈雲律師が大梅禅師の
膝下で二年程修行したことなども・・・。

今日、戻ったばかりなのでまた明日報告したいと思います。

佐久市きっての曹洞宗の古刹貞祥寺

御家流茶会・香会

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旧磐城平藩主安藤家の香華所である良善寺(浄土宗)の本堂内部です。

手前左側に献茶するための台子飾りがみえます。

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須弥壇中央には安藤家初代重信公(良善公)の御尊像が安置されています。年一度この日
だけお目見えされます。平生は本堂後ろにある位牌堂に祭られております。

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今年は何日ですか?

今年は何日ですか。七月になるとそんな電話があります。小学生・中学生対象のこども坐禅会の
日程をしりたいお母さんからの電話です。

結婚してから30数年間、毎年開いている宿泊坐禅会です。大震災の年はお休みしたのかな。
もう忘れてしまいました。

電話での参加問い合わせがぼつぼつでてきています。お寺の境内が一気に子供たちの歓声
でにぎやかになります。なんだか主催する私たちもこどもの頃をなつかしく思い出しますね。

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参加希望の方はお早めに申し込みしてください。

真珠湾攻撃の真相とは

六月がまもなく過ぎると、七月八月とお盆行事がつづきます。八月ともなれば、例年判を押したように
大東亜戦争のことが回想されるようになっています。わが国民の蒙を開くという意味で

真珠湾攻撃に対する米国の反応について、以下のメ-ルを紹介したいと思います。

 

小生が高校三年のとき、今から53年程前の事であるが、日本学術会議のメンバーであられた倫理学を
専門とする社会教科の先生が、ハワイの「真珠湾攻撃」はルーズベルトが、日本を戦争に巻き込むため
の策謀で有ったと言っていた。
米国国民の厭戦気分を覆すためにも、「リメンバー パール ハーバー」がどうしても必要であった訳である。
米国は日本艦隊の通信を傍受し、完全に動きを把握していた訳である。
 最近、シカゴ在住の日本人が、攻撃の一週間前のハワイに於ける2紙が一面記事で、一週間後に於ける
攻撃を伝えているわけである。
また、サンフランシスコの軍は約一年前に日本がハワイをアタックすることを、公文書としているがそれを秘密
にするようにと伝えた証拠の文書が残っている。つまりは、真珠湾攻撃は奇襲ではなかった、米国民を生贄と
したルーズベルト大統領の策謀であり、米国民を戦争に引き込む策謀であった。
 
 だから、真珠湾攻撃は何も卑怯ではなく、ルーズベルトは三千人程の米国人を犠牲にして、東亜の
侵略征服のため、邪魔な日本を駆逐する野望の下に仕組んだ、策謀であったことが具体的に裏付けられ
たわけである。(「真珠湾攻撃を検証せよ」タカハシ氏論考より抜粋)
 
こうした歴史事実の検証が広く一般国民に共有されることを願うものです。

良善忌茶会まであと四日

例年6月29日は良善忌茶会。御家流の祖安藤重信公の命日に因んでの茶会香会があります。

昨日の雨で薄茶席会場の愚庵邸は梅雨景色となりました。今朝6時前に行ってみると普段は
彼切っている池が満々と雨水をたたえていて、しっとりとした雰囲気でした。

ので、写真をパチリ! そうそう、デジカメが見つかりました。ラッキ-。普段使いの頭陀袋の奥に
終いこんでいたのをすっかり忘れていたのでした。

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無事って?

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    「無事」という禅語を茶掛けにしたい。そんな頼みが友人からありました。茶道に熱心なので
 禅語にも親しむ機会があるようですね。

   一般には「無事」といえば「とくに日常生活で何事もない穏やかな日暮し」の事を指す言葉です
が禅語となると意味合いがかなり違ってきます。

 よく茶室の床の間に掛けられる「無事是貴人」(臨済録)は悟りの境涯に在る禅匠にあてはまる
五文字の一行書です。心中迷いもサトリも抜け出てしまいった貴い理想境に安らかに安住している
様子を表現した言葉です。

しかし「無事禅」となると意味は反対になります。悟りを追及することもなく、ただ修行するだけの
禅という意味になります。これは看話禅を標榜する臨済禅の立場から黙照禅を貶した悪口です。

永平高祖の「祇園正儀」(正法眼蔵からの抜粋)には
「ただ今時を盡却せんことを要せしむ。よく今時を盡さば更に何事かあらん。若し心中無事なることを
得ば、佛祖なおこれ冤家のごとし」とあります。

安穏として何事も起こらない平々凡々の生活が理想だなんていっていたら修行もヘチマもありません。
それこそ邪見に陥ってしまうことでしょう。わざわざ出家の沙門になる必要は毛頭ないです。

仏道を究めようと修行に専心する出家沙門の理想としてのサトリをも求めず、強いて佛道を行ずる
のだという作為をも超脱してしまい、淡々と日送りする安楽の境地に徹している。そんな深い禅境
を表現した二文字なのです。

それなら茶掛けとして床の間に飾られますね。なんともすてきな禅語です。「平常心是道」という
禅語も同様の趣旨を表現したものです。
 

乾坤一擲

今日は日曜日。年回法事の予約もなく、静かな一日でした。時間がとれたので条幅を一枚仕上げました、

「乾坤一擲」という言葉が座右の銘になっている。最近知り合った方がとても気に入っている。そんな
話が出たのでこの四字熟語を書いてみました。

短いといっても人生はそれなりに長い行程に違いはありませんが、心の支えになる言葉があると
さまざまな局面で頼りになるものです。小生もこの言葉が好きです。

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ケニアのフォスタ-チャイルド

フォスタ-プランの趣旨に賛同したのはもう27年前になり、現在はケニア人の9歳の
男子エリック君の里親をしています。

随分長くこの活動に参加していることになります。世界には貧困国とよばれる国々が
たくさんあります。特にアフリカなどは誰でも知る国ですね。

エリックは初等教育を受けているのですが、学校にいくのになんと約1時間半も
かけて通学しているんです。最寄りの保険施設まででかけるにも約45分かかるのです。

毎月一名のフォスタ-チャイルドにつき5千円送金しております。エリック君が独り立ち
できるまで私たちの援助はつづきます。

思い返せば最初の教育里子はジャッキ-ロウ(フイリッピン)ちゃんでした。年に一度の
家族の現況を知るたびに、現在裕福な境遇にある当たり前の日常生活のありがたみ
をひしひしを感じます。

フォスタ-プランとは

感動した!「正範語録」

ネットはいまでは当たり前のツ-ルになっていますね。最近になってこの語録を知りましたので、
紹介します。すでにご存じの方も多いでしょうかよくく噛みしめると「ふんふん」と納得してしまいます。

自分自身の職業や趣味などにあてはまる語録です。この語録という言葉は禅の古典では普通に
ありふれた名前ですけどね。

ネットの弊害も頻繁に取りざたされていますが、そういうなかにこんな珠玉の名言もあるんですね。
深いとても深い言葉です。

知らないと損します!!

『鶴巣集』を読む

「鶴巣集」は幕末明治に大活躍した原坦山老師の法語集です。老師晩年は初期の東京帝大で
佛教思想を学生たちに教授しましたので学僧として知られています。宗派を超えて尊敬を集めた
わが曹洞宗を代表する傑出した禅僧でした。

今回はその法語の一部を紹介します。

一にはすなはち人天の教え也。二にはすなはち三乗の学也。三にはすなはち佛祖の証契なり。
方今吾子の病は信力堅からざる処に在り。心操軟弱の処に在り。情識を脱せざる処に在り。
聡明虚飾の処に在り。已に是れ恁麼にして恁麼にし去る。恐らくは大事を了するに勝えず。
今且らく別れに臨むが故に之を送るに規言を以てす。(原漢文)

この法語は最後の住職地であった小田原の道了尊で有名な最乗寺を去る時の最後の教え
でしょう。禅僧の一大目的は生死を明らめることですが、現在は檀家のつきあいをしながら
生活の安定を図ることで頭が一杯の和尚たちが巷にあふれています。

小生もその例外ではありませんが・・・。

こうした先人の教えに触れると、自身の軟弱な根性を奮い立たせてくれます。有り難いことです。
 

曹洞宗の名刹小田原の最乗寺

白隠和尚の求道心

白隠禅師の大悟は二度ありました。英巌寺で坐禅三昧をしていた時とその後正受老人の下で
八ケ月の安居をしていた時と。昔の禅僧は死にもの狂いでの修行に骨折ったんですね。

現在の宗門人は住職資格を得る目的で専門僧堂に一.二年生活すると師匠寺に戻ってしまいます。
9割がたそういうもんでしょう。末世の様相を呈しているのが今の禅界です。

お釈迦様が難行苦行六年もの後に菩提樹下で大悟徹底された事例がありますけど、たいていその
智識をもつだけであり、日常生活において毎朝坐禅をして読経する習慣を持つ和尚はそう多く
ないようですね。

本気で死ぬ気で修行する和尚のためになる。白隠禅師の求道心には学ぶところが多いです。

若かりし白隠和尚の求道時代

AFS同窓会

AFS同窓会

afs日本協会

先日、久しぶりで同窓会に出席してきました。米国に高校生で留学した同窓生の
集まりです。想いだせばかれこれ50年以前のことでした。みなさんあちらの高校を
卒業して、子育てを終り充実した人生を送られています。

仲間の一人が留学25年の節目の際の古い記念写真を持ってきていました。
あの時は熱海が会場でしたが、写真をみてお互い年を重ねてきたんだな、と
そんな感慨をいだきました。

それでも、集まれば当時からの思いで話や現況の報告など話題はとどまることを
しりません。二次会でもそうでした。出席者32名のそれぞれの人生が垣間見れて

楽しい歓談のひと時でした。
 

光明必ず盛大なり

「古人刻苦、光明必ず盛大なり」とはよく知られた禅語です。白隠和尚もフト手に取った『禅関策進』
という禅書にであったことで、これからの自分の為すべきことを強く自覚したということです。

無造作に手に取った一冊の禅の語録が若くて悩み深い青年僧の魂を奮い立たせたのでした。
書物との出会いがその人の人生をガラッと変えてしまう。そういう経験は禅僧のみならずどなたに
でも起こり得ることですね。

小生も大本山永平寺専門僧堂に勤務していた当時、この『禅関策進』の講義をしたことでした。
現下の宗侶がお布施をもらう生活のための読経回向だけで満足していたら、ホントにもったいない
ことです。白隠禅師若かりし頃の求道の逸話として広く禅道場ではしられています。

いくつになっても、自分を鞭打ちながら努力を重ねることが大切です。慈明和尚のこの逸話で
修行に発憤した禅僧は古来より多いです。

錐で腿を刺しながら睡魔と闘った禅僧とは

飯山の正受老人

現在多賀城市や松島で「大白隠展」が開催中ですね。我が国臨済宗中興の祖師としてあまりにも
有名な禅匠ですが。その白隠和尚が若かりし頃接得したのが正受(しょうじゅ)老人です。

老人は江戸初期の禅匠で晩年は信州飯山に母上に孝養をつくしながら隠棲しておられました。
そこに、英邁な白隠和尚が出会うことになったのでした。すでに相応の悟りを得た白隠でしたが、
この老人に出合ってからその悟りをすっかり奪われてしまい、最後に痛快な大悟を得たのでした。

或る時、いつものように村内を一人で托鉢してまわっていたときのことです。ある農家の前に
たたづんで読経をしていると、家のおばあさんがでてきて、「辛気臭いお経など読んでもらっても
こまる、すぐに家からたちさっしゃれ。」と声をあらげてそばにあった竹ぼうきで和尚をたたいたの

で、和尚はその場で脳震盪を起して気絶してしまったのです。それほど強く叩いたとはたいした
老婆ですね。たいていならばもっとやさしくしてくれてもようさそうですが、この時はどうしたものか
したたかやられてしまったようです。気の強い女はどこにもいますもんね。

和尚もすきっ腹だったのかもしれませんね。どっと倒れて気が付いた途端に疑団がすっと溶けて
大悟した。そんなふうな逸話が伝わっています。縁が熟すれば、なにかのきっかけで疑いの壁
が崩れてしまうんでしょう。悟りは坐禅堂の中でしか悟れないというものではありません。

熱心に油断なく修行すれば、誰でもそれなりの気づきというものは体験できるものです。白隠に
とってはこのいじわるババアにどやされたのが、その契機だったわけです。

正受老人のいままでになく厳しい指導がここで実を結んだのでした。『大白隠展』を東北歴史博物館
でみながら、あれこれ正受老人のことどもを想いだしたことです。その昔、老人が参禅した至道無難
(しどうむなん)禅師の逸話などもあわせて想起しました。

白隠は大本山に出世しエリ-ト街道を上り詰めた人ではなく、田舎の名もない道場暮らしのなかで
大成しそこに参集した禅の英傑達を教育して仕上げた。そういう意味でも感慨深いものがあります。

道鏡慧端和尚とは

 

坐禅会資料

坐禅は歴代仏祖が心根を込めて今日まで相続した聖行である。

坐堂にて静かに座る行為がそのまま仏道の全体を体現している。

故に一息々々怠りなく修すことが肝要である。

 

坐禅の目的は生死(しょうじ)の大事を了畢(りょうひつ)すること。それには

まづ第一に無上菩提心をおこすこと。

 

菩提心とは無常を観ずる心なり。

 

この日既に過ぎぬれば、命もまた随って滅す、少水の魚の如し、ここに何の
楽しみかある。衆等まさに勤めて精進し、頭燃を救ふが如くすべし、また

無常を念じて、慎んで放逸なることなかれ。(大智禅師仮名法語)

 

人根に利鈍あるも道に南北の祖なし(参同契)

 

道はるかにして馬の力を知り、事久うして人の心を知るなれば、仏道は順逆の

中に長遠の志を堅く持つを、真実擔富の人といふなり(大智禅師仮名法語)

 

ただ吾我を忘れて潜(ひそ)かに修する。すなわち菩提心のしたしきなり。

 

○面白くなき世の中を面白く過ごすは禅の力なり

○信仰の峠何れを向いても花盛り

 信仰の力によってどんな生活の中にも幸福を見失わぬ、また信を除いて宗教

 もなく科学もない。信とは坐禅なり。

○臍下丹田は身心を打って一丸とした人間の生命が結集する処である。坐禅は、

 此の丹田を練りて真の生命に生きる人間最高の道である。(90歳)

○悟りは望まないでも坐禅さえ確信を持って急切にすれば自ら人間最高の道は

 開ける。(91歳)

○身体を整えるから病気が治る。ノイロ-ゼが治る。意志が強くなる。能率が

 上る。頭がよくなる。全人格が整ってくる。更にすすめば悟りが開ける。大

 安心が得られる。理想世界への道が開ける。(96歳遷化の年)

 

  坐禅で一生を棒に振った加藤耕山老師晩年の言葉です。深く味わい己が人生

 の糧としよう。老師は明治大正昭和を坐禅に捧げた稀有の禅僧です。

 

とうとう実家がなくなる!!!

金井の実家が取り壊されることになりました。五年前の東日本大震災による津波被害で
住宅は1メ-トル強の床上浸水と屋根瓦の破損に遇いました。

このたびの家屋解体では海抜2メ-トル地点にある実家は転地せざるを得ないことに・・・。

亡くなった両親が精魂傾けて仕上げた住宅でしたが、これで見納めとなってしまいました。

記念に30枚ほど写真をとっておきました。そのうちの二枚ほどアップしておきます。

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ツツジが見事です

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晴れた上天気で無風のときなどにはホントにすばらしい眺めです。オオムラサキはどんどん大きく成長しますね。

風外老師還暦の漢詩

 老僧今年六十一   老僧今年 六十一

  報恩事業滴無成   報恩の事業 滴も成る無し

  祥雲淑気春風裏   祥雲の淑気 春風の裏

  挙首空見白米城   首を挙げて空しく見る 白米城

風外本高老師還暦の時の感懐です。江戸時代も後半になり幕末に差し掛かった頃に
活躍した禅匠です。69歳で亡くなりましたがその門下から出た奕堂・鼎三

坦山など明治期の曹洞宗を代表する弟子を育てたことで知られています。
転句 は正月を迎えた肌寒い気候を表現しています。老境に入っても
満足のいくような境涯にたどり着けない自分であるというのが承句の表面上
の意味ですけれど、実際には大いに宗風を振って弟子養成の実績を
あげていた時期です。老師一流の謙遜の言葉ですね。

参禅の徒弟たちの指導の余暇には優れた画を多く描かれました。

日の丸と幟の祝日

鯉のぼりの真鯉の紐が強風でちぎれてしまい、修理もままならず。なので、今朝は幟と日の丸だけとなり
ました。それでも、上天気ですし、飾ってみました。日の丸をみてはその都度感謝していますけど、近在
で日章旗をかざっているのは昔の村社住吉神社くらいですね。日の丸がはためかない祝日程さびしい
ものはありません。そういえば、鯉のぼりなどもトンと見かけなくなってしまいました。残念です。

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田植えをすんだ近所の田んぼから聞こえてくるカエルの声が毎朝耳についてしまいました。

 

境内の可憐な草花たち

 3日は憲法記念日。我が国の国柄を反映した明治憲法が制定されて、大東亜戦争後に現憲法
が制定されました。以来70年過ぎた今、現憲法の制定過程や現下の世界情勢などから憲法改正
論議がかまびすしいです。わたしは改正より明治の欽定憲法を尊重しながら叡智を結集して

我国らしい新憲法作成論議の昂揚を期待しております。今日は子供の日です。昨日の大雨
も去って陽気全開の日よりです。なので、境内の花木や草花の
撮影をしてみました。

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昨日の雨のせいか緑の鮮やかさが目にやさしく入ってきました。

はぐれた鯉のぼり?

例年五月ともなれば鯉のぼり【手書き)と鍾馗さまの幟をたてるんですけど・・・。

今年は春の風がことのほか強くて強くって鯉のぼりが泳ぐには都合がいいのです。
しかし、数日前のような激しいほどの強風にあえばさすがの鯉も我慢しきれなかった
ようです。

真鯉用の太い糸は直径10ミリ以上はあるのですが、その強風にあおられてしまい、
はぐれてどこかに吹き飛ばされてしまいました。柱のすぐそばにあるのかと思い
ましたが、はるか遠くのお墓に落ちていました。

このコイはいまの副住職のために家内の両親が贈ってくれたものですけど、副住職の
長男のためにもと考えてあげているのでした。

ま、なにごとにも限界はあるんでしょう。強い風があれば鯉のぼりにはもってこいですが
強すぎれば、こういう不測の事態もありうるんですね。

大型連休ですね

五月の大型連休に入りました。3日の昨日は上天気でしたので、午後から須賀川の牡丹園に
でかけてきました。車で一時間ちょっとくらいです。

四時ごろ到着し小一時間ほどの園内散歩を楽しみました。大勢の花見客でにぎわっていましたが、
駐車場に車をいれたれたのは、閉園時間が五時になっているのが影響したようです。

受付嬢の話だと凄い人出だったようです。東日本大震災後でははじめての見物でした。ずいぶん
ひさしぶりのような感じがしました。牡丹はちょうど見ごろをむかえてきていて、さすがにすばらし
かったです。

皆さんはどんな連休をお過ごしですか。

須賀川の牡丹園

菜の花がみごろですよ~

いわき市内を流れる新川の土手が菜の花の荘厳でとっても素敵です。いま、バイクで駆け足で
撮ってきました。自生なのか市民の手作りなのか判然とはしませんが、それにしても全長1キロ
ではきかないでしょう。荘厳です。

菜の花などの黄色い草花を愛した作家に司馬遼太郎がいます。命日は2月ですが、菜の花忌と
しょうしています。生前お元気であったなら、このいわきの菜の花をみてきっと感動してくれるでしょう。

菜の花忌とは

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良寛和尚の漢詩

良寛和尚といえばだれでも知る禅僧の一人でしょう。村童とかくれんぼをしているうちに遊び疲れた
子供たちは鬼になっている和尚に告げずに家路に帰ってしまい、和尚はそれとも知らずいつまでも
鬼をしていた・・・とか。筍が庵の床板から伸びて出てきているのを見つけて、その成長を妨げない
ために、床に穴をあけたとか。純真無垢な清僧の逸話を思い出します。

新潟出雲崎の五合庵での隠遁生活をしていた良寛和尚ですが、禅僧として一流の人であったこと
もこの頃ではよく知られています。和歌や書道の達人であったばかりではなく、禅者として一流
の類まれな人でした。

禅師としての力量は実はその漢詩にあるのですが、漢詩と疎遠になってしまった現代人には
なかなかその漢詩に触れることは少ないようです。しかし、和歌とおなじように良寛和尚の漢詩

に接するのもいいものです。そこで、先日同様に「楠葉だより」に紹介されている良寛和尚の漢詩
をあげてみることにします。

  四月失明の節 飄々として衲衣を著く

  水に臨んで楊柳暗く 岸を隔てて桃李飛ぶ

  行き行きて野草を摘み 徐々に柴扉を叩く

  蜘蛛南園に舞ひ 茗花東籬を遶る

  意閑にして白日永く 池僻にして趣き自から奇なり

  我が性逸興多し 句を拾いて自から詩を成す

 失明~寝すごしてしまい夜が明けたことを忘れ朝寝坊したこと
 衲衣~破れた衣。転じて禅僧の身に着ける衣のことをいう

 


 厳格な修行道場生活とは異なる自適の生活を楽しむ和尚の姿が偲ばれます。

 いわきの禅僧として有名な原坦山老師は良寛の漢詩を読み「寒山詩」のような
趣きがあると評しています。この詩など意味を詮索しないでも何度も朗読している
と春の暖かな日和と行楽が浮かびますね。

原の白隠禅師とは

白隠禅師(貞享二~明和五・1685~1768・84歳)は臨済宗中興の祖師です。禅三派といえば
臨済・曹洞そして黄檗の三宗派をいいます。現在黄檗の流れは臨済に吸収されているんですね。

禅の相承つまり系譜からみるとそうですね。ということは我が国の禅は道元禅と白隠禅の二流が
主になって現在にいたっているということになります。その大立者の一人として禅界に屹立している
のが白隠です。

曹洞宗と臨済宗はともに禅宗ではありますが、修行の仕方や弟子の教育の仕方が異なります。
道元は鎌倉時代、白隠は江戸時代と年代的には480年の開きがあるものの、どちらも我が国が
世界に誇れる代表的な禅の巨人です。

明治大正時代当時には坐禅を通じてお互いの禅僧が宗派を超えて道場生活をしていたんですね。
しかし、実際のところは曹洞宗の禅僧が臨済宗の専門道場に行くのが多かったようです。

最近では尊敬する加藤耕山老師などがおられます。本は曹洞宗でしたが後に臨済宗の禅僧として
白隠下の禅僧となりました。渡辺玄宗禅師は曹洞宗ですが、50代に臨済宗の印可を得ています。

耕山老師には塚田耕雲老師などの曹洞宗の師家がおられます。現在では、こうした傾向はほとんど
ないようです。臨済宗の方が曹洞宗の永平寺や総持寺での修行に上山する例は耳にしません。

原の白隠さんとは

春を味わう

楽訓」は貝原益軒の著作です。その中から抄録したものを『楠葉だより もののあはれと求道精神』(木南卓一著 平成14年刊)

から孫引きにして次に紹介します。

 〇四時にしたがひ、月花をもてあそび、をりをりの景物をめで、其のをりふしにかなひたる唐(から)・大和のふるき
  歌を誦して、心に楽まんこそ、みづから作る労もなく、たやすくしていと面白きわざなるべけれ。

〇朝(あした)ゆふべ目の前にみちたる天地の大なるしわざ、月日の明らけき光、四時のめぐりゆく序にしたがへる、
 折々の景気のうるはしきありさま、雲煙のたなびける、朝夕の変態、山のたたずまひ川のながれ、
 風のそよぎ雨露のうるほひ、雪のきよき花のよそほひ、芳草のさかえ嘉木のしげれる、鳥獣虫魚のしわざまで、
 すべて万物の生意のやまざる、是をもてあそべば窮りなき楽しみなり。是に対すれば其の心を開き其の情を
 清くし、道心を感じ興し、鄙吝あらひ尽すべし。是を天機に即発すと云ふ。即発とは、外物にふれて善心をお
 こすをいへり。是れ外物の養をかりて内の楽をたすくるなり。

〇衆人の楽はみな外欲にあり。是をほしいままにすれば却って我が身のわざはひも是より起こる。
 君子は学んで道を楽しみ、命にやすんじて貧を憂へず、閑を得ては書をよみ、時節を感じ、風景を
 玩び月花をめで、詩歌を吟じ草木を愛する。この数多の事かはるがはる楽まば朝夕の楽きはまり
 なかるべし。・・・かかる時楽しまずんば日月ゆきてとどまらず、惜しむべし。

先日紹介した池田草庵先生の青谿書院記には「春はすなはち其の新緑を愛し、夏はすなはち其の
涼風を迎え秋は紅葉爛漫・・・」という名文も思い出されます。

白雲よ 月よ桜よ見るままに 万代(よろづよ)尽きぬをのが春秋

草も木も げに御佛の心とて 世々にたがはぬ をのが春明

こうした慈雲尊者の和歌などを口ずさむのも春を味わうにはいいものですね。

 

長野のお寺に出掛けます

午後から長野県松本市にある古刹「広沢寺」さんに出掛けます。そちらの若和尚が住職になりその
お披露目の儀式が正式に執り行われます。宗門では結制と申しています。

廣澤寺さんは境内10万坪以上もある大寺院であり、小生の恩師の大学教授をされた前
住職地です。長男さんが後継者となり、永平寺専門僧堂では小生が先生役でした。

お祝いに賀偈(がげ)を条幅に書いて郵送しました。結制のような人生一度きりの大儀式
があると、禅僧は七言絶句の漢詩を贈る習わしがあります。きっと、この寺には60人以上もの
僧侶がお祝いに参加することでしょう。大本山総持寺貫主猊下が主賓で横浜から来られます。

晴れの大舞台での新命住職の雄姿を拝んできます。

 春迎新緑趣無窮        春には新緑を迎えて趣窮まることなし

 山野逍遥俗気空        山野を逍遥すれば俗気を空ず

 此日晋山広沢主        此の日晋山す広沢の主

 高揚法旆振宗風        高く法旆を揚げて宗風を振はんことを

熊本大地震支援托鉢

このたびの熊本大地震では、地震のすさまじさを思い知らされましたが、副住職はここ3日間ほど
いわき駅前で支援のための托鉢をしております。

本堂全壊、鐘楼堂全壊となった先輩の被災寺院の窮状を見かねて「何か自分でできることはないか」
と考えての托鉢行。他人事ではない切迫した感情にかられてのことでしょう。

それまでは 人のことだとおもいしに おのれの番とは こいつたまらん

天変地異や肉親との別れなど自分にとっては関わりないニュ-スと思っていることが多いのですが、
それがいったん自分にかかってくると、そんな呑気な気分に浸るわけにはいかないです。身につまされて
の托鉢行です。五年前に起きた東日本大震災のさい、かみのやま温泉(山形市)まで一家で避難したこと
が思い出されました。

今、白隠禅師が熱い!

白隠禅師は日本臨済禅中興の祖師としてあまりにも有名な禅匠です。その禅師の没御250年遠忌
が来年に迫っており臨済・黄檗両宗では記念企画を実施中です。

2012年12月~2013年2月には大規模な『白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセ-ジ』がありました。

『白隠和尚全集』全八巻はその全貌を伝えており、小生の書架に備えてあります。90歳を超えてなお
衆生済度に精進した稀有の禅僧が今また脚光を浴びています。この機会にぜひ白隠の禅画や
著述に親しむといいでしょう。500年に一人出るか出ないかの大禅僧の生涯には学ぶところ大です!

白隠展企画実施中

熊本大地震での甚大な被害寺院

先日起きた熊本市や大分市を中心とする大地震。連日報道されていますが、宗門寺院も大被害を

こうむっています。名刹である大慈寺や有縁の極楽寺などなど・・・。天災のすさまじさは宗門寺院
を直撃しました。極楽寺はあおの阿蘇神社のすぐ近くにあるのです。そこの鐘楼などは柱がはずれて
しまい、屋根が裏返って地上に落下してしまいました。

宗門寺院の被害情況です

熊本市の大地震

今朝になってから、有縁の御住職に安否などをたづねました。熊本市でなく
八代市なので、被害は軽微のようでした。

去年の永平寺同安居会(48会)結集は御城の見えるすぐ前のホテルでしたので、
お城の塀や瓦の落下・損傷があったと知り、驚きをかくせませんでした。

五年前の東日本大震災の悪夢を思い出させられました。余震の怖さで一晩よく
ねつけなかった。そんな感じだったと電話口で聞いたとき、他人事でなく同情の
念がわいてきました。

甚大な被害にならないような迅速な救急体制を望んでいます。

「青谿書院記」を書く

穏やかな日曜日でした。無事観桜茶会をすますことができ、ホッとしました。香席、茶席ともに
五回入れ替えて、静かな中にも楽しいひとときを過ごせたのは嬉しいことでした。

出席者には備前市やら新潟からの遠来のお方もおりました。台湾出身の女性も。和服姿に
多く接することが出来るのも茶会の楽しみではあります。

さて、今月下旬産経国際書展出品予定の書作品は先日ブログで紹介した池田草庵の「青谿書院記」から

55文字を抜き書きすることとし、いよいよ作品に精彩をつける段取りとなりました。

春には即ちその新緑を愛し、夏には即ちその涼風を迎え、秋には黄葉爛漫、冬にしては
氷雪皎潔たり、若しすなはち朝には雲を含み煙を吐き変態窮まらず、暮には夕陽光を
回らし瀟洒清逈たり。而してまた寥廓幽遠たり。
(原漢文)

素敵な名文です。口ずさんでみるとその口調の滑らかさとともに格調高く自然を観察
して止まない名儒者の心境が伺えます。書院から眺める自然を対句のように表現した文章で
すが、条幅に向かって筆を執る小生も心が洗われる思いです。

鎌倉時代の道元の傘松道詠「春ハ花夏ホトトギス秋ハ月冬雪サヘテスズシカリケリ」とか
をも思い出されます。
 

観桜茶会本番です。

医王寺住職ブログ

観桜茶会本番の日です。本堂の東の室中では香道が行われます。組香は勿来春秋香です。
今年は勿来の関の桜も見ごろになっていることでしょう。八幡太郎義家の絶唱を口ずさむの
も一興です。

吹く風を 勿来の関と おもへども 道もせにちる 山桜かな

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文台です。金襴の蒔絵で、源氏物語「須磨」の巻の題材でしょうかね。

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床中央には螺鈿の卓に平戸焼の精巧な龍の彫り物があります。

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床の掛け軸は邨田丹両凌画伯による「東下りの図」です。邨田画伯は明治大正に活躍した日本画家。

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冠卓(かんむりじょく)に安置してある乱れ箱に組み込まれた道具です。箱は梨地で江戸時代。

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源氏香の図です。違い棚のかざりです。

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毎年、組香で正解されたお客様にあげる小生の作品。手前の払子は柄が堆朱です。工芸品。

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客殿で点心をとります。受付もいたします。30畳の広間。

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庫裡の和室(16畳)では薄茶席があります。今回は香道の道具をおもに紹介しました。

昨日は準備、今日が本番です。60名以上ものお客様が参加予定です。

 

 

さくら・桜・sakura!!

絶好の櫻日和が続いています。いわきの櫻の名所はほぼ制覇している
つもりですが・・・。なんと、まだまだあるようですね。

今回は神谷の住善寺(浄土宗)境内の桜の紹介です。樹齢は200年以上もの
老木ですので、風格が人並みではありません。あいにくの雨模様だったのが
残念でしたが、それでも枝垂れ桜のうつくしさを堪能したことでした。

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現在無住の寺なのが淋しいです。

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豊麗で姿がいいですね。傘蓋のようです。

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屋形船での春興!

この五日は一日中曇り空で前日までの暖かさはどこへやら。しかし、予定通り仲間同志で東京見物をしに。
昼間でしたが、屋形船に乗り逢いながらの花見でした。船の中は冷暖房完備で掘りごたつ仕様。

快適な二時間を過ごしました。船内からの川岸から眺める桜並木の美しさはとても感動的でした。お酒も
入っての楽しいひととき。勝鬨橋から乗船して桜橋付近に40分ほど停泊、水上からの花見としゃれ込んだ

わけです。お昼を堪能したところで電車にのり、上野広小路界隈にある旧岩崎邸を見物。静かないい雰囲気
のある御屋敷でした。ちょっと世間離れした豪壮な建物ですが、さすが三菱の創業者が住んでいた一流の

建築と感心しました。

屋形船からの春興を楽しんで日帰りしてきました。

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ゆったりした船内は畳敷きの掘りごたつ形式で、のんびりできました。この船には19人のお客さまでした。

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夜の花見だとさらに楽しみが増えそう。そんな水上の東京観光です。けっこう外人さんも参加

しているようだとか。

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満開の桜並木は絶景ですね。スカイツリ-の優美な姿も見ることが出来ました。

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旧岩崎邸庭園の概要

 

 

お寺の桜が開花しています!

お寺の100本の桜が一斉に咲き始めました。昨日は曇り空でしたが、今日は快晴。

五分咲きくらいですかね。今度の日曜日が観桜茶会なので茶夕の皆さんにお寺の
桜もみてもらえますね。大風があるとたちまち散ってしまう桜ですが、穏やかな週末
を期待しているところです。

 

外作務 の成果

外仕事のことを外作務 (そとざむ)と禅ではいいます。畑仕事をして農作物を自給自足したり
境内地の山仕事などを総称しての禅宗用語です。

年回法事や檀家の葬儀などが入らないときは、外作務 に精をだしますが、今年の冬は
それこそ大仕事をこなしました。

境内地の美化の一環として山の老木である枯れた松や杉の大木それに自生している椿など
を伐採して整理し始めています。大木はチエ-ンソ-を使います。主として副住職が奮闘して
くれました。小生はその片づけ仕事を荷いました。若い者の力はうらやましい限りです。

伐採し終えた雑木などを薪割しての作業はなかなか骨の折れることではあります。積み上げて
みると、横7メ-トル縦1.5メ-トルほどになりました。このままでは整理の五分の一程度です。

まだまだ先があるんです。よくぞこの冬はがんばったもんです。

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ナラの木やカシが多いです。隣接の地主さんの土地をお借りしました。

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幹回りはゆうにニメ-トルをこえています。

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鬱蒼としていた東側斜面が裸になり日差しが十分取り込めるようになりました。正面のケヤキは

幹回りおよそ2メ-トルほどの大木です。左側の杉はそれ以上の太さです。

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市内のお寺さんで、こんな山仕事をしているのは内ぐらいでしょうね。そのせいで、腰から
背中にかけて突然の痛みに襲われてしまい、二日ほど減食して呻吟しました。やりすぎの
せいです。

楞厳寺の櫻です

いわき市植田町にある楞厳寺さんへ午後からお邪魔しました。このお寺さんは枝垂れ桜が有名なんです。

電話で咲き具合を問い合わせたところ、ちょうど見ごろですよ、という返事。曇り空でしたが、老木にある
傘のような枝垂れ具合がとっても素敵でした。お茶飲みをしている間には写真愛好家の方々が数人

みえていて、好きなアングルでのシャッタ-をさかんに切っておりました。老木に咲くみごとな風情は
ソケイヨシノより早く咲くんですね。

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樹齢200年とか。

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祝祷諷経

いつのまにやら四月となりました。毎月1日・15日の朝の勤めには祝祷諷経(ふぎん)をします。

月の初めとちょうどなかごろの15日には、このお経を読んでお釈迦様への報恩のお勤めをする
のが習わしとなっています。大本山永平寺を始め宗門の修行専門道場においてはこれを修行します。

読むお経は「般若心経」です。言わずと知れた短いお経さんです。子どもさんでもすぐに暗唱
できます。お経を読み終えると回向文(えこうもん)を読み上げます。お釈迦様の偉大な生き方を
讃仰した美文調のものです。

例えば、「巍巍タル金相(こんそう)、堂々タル覚王」と高らかに読み上げます。釈尊ほどの聖人
となればその御姿は人間をはるかに超えたものでしょうから、それはあのヒマラヤ山のように
高大で清らかなものに相違ないでしょう。金色の崇高な御姿でありましょう。じつに堂々たる

偉丈夫であったことでしょう。われら凡人ではとうてい想像の出来ない理想の御姿です。そんな
意味合いをこめた文章です。

気候も温暖になり、桜前線も話題になってきました。今月は釈尊のお誕生月です。偉大な聖人
の尊い生涯をあらためて追想したいものです。

刻字作品展示中です

春彼岸のお中日はお天気でお参りも多かったです。本堂では刻游会主催による刻字作品展を開いています。
この会は元NHKいわき文化センタ-の刻字教室に通っていた生徒さんたちが、その後分離して自分たち独自
の活動をスルヨウニナッタグル-プです。3月18日~4月10日まで開催しております。

指導者の高橋政巳先生が引き続き不定期ながらもご指導されておりました。残念なことに今年亡くなられて
しまい、その追悼の意味で作品展を開催することになったのでした。

まだ70歳に届かないうちに他界されてしまい、先生の穏やかな人柄とセンスあふれる作品を知った大勢の

方々から惜しまれました。

作品の数々です
 

本堂内の空間を活用して、30点ほど飾られております。とっても魅力ある刻字ですので、ぜひ見に来て
ください。

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刻字は板の素材に彫刻刀などで線彫りして金箔やさまざまな色塗をして完成させます。

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般若心経を一文字づつ丁寧に彫って仕上げてあります。77歳の男性による力作です。267文字。

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満開ですよ~

草木台の河津桜が満開ですよ~。

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寺から車で三分ほどにある市立21世紀の森公園にあるんです。家内が数えたら60本ほど
あるらしい。目下知る人ぞ知るいわきの名所になりつつあります。出かけたときはお日様は
顔をひっこめてしまい、曇り空でした。土手の散策道路も整備されており、写真撮影も自由自在。

近場にこんな素敵な場所があるなんて。日差しの強い日に出掛けるといいでしょう。

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パソコンのヒステリ-?

平生何事もなく使っていたパソコンが故障して、ここ数日おかしくなってしまいました。ブログを
書こうとおもっていて文章をひらがなから漢字に変換しようとしたところ、ひらがなとカタカナ
しか変換文字がでてこないのでした。

おかしいと感じながら続けざまに何度もトライしたのですが、まったくうまくいかないので、
ブログやメ-ルを打つのを止めておりました。

パソコンの素人なのでどう対処していいのかわからずにいたところ、昨日パソコンを
操作してみたら、なんと元通りに復旧というんでしょうか直っていました。

機械のほうで勝手におかしくなって、数日後にもとどおりになっていた。そんな印象です。
業者に相談するまでもなく、元通りになったのでこうしてブログを再開できることになった次第です。

なにかと便利なパソコンですが、その便利さを失うと途端に不自由このうえないものになるんですね。

便利な製品がいつまでの順調に作動しない現実を経験させられたことです。

沢庵和尚隠棲の寺宗鏡寺

兵庫県出石町といえば、彼の有名な沢庵和尚の故郷です。出石出身の名僧としてあまりにも
有名な禅師です。その出石には沢庵和尚ゆかりの禅寺があります。名を宗鏡寺(すきょうじ)と
いい、臨済宗に属しています。

山陰本線で福知山方面にでかけたことは先月のブログに述べました。出石は豊岡の近くに
あります。和尚縁の寺ですが、地元では沢庵寺として親しまれているそうです。

和尚は禅僧になる以前は浄土宗の小僧をしておりました。というのも和尚十歳のとき、唱念寺
住持衆誉上人に見込まれたからでした。幼いころから利発だったので、上人のたっての頼みで
弟子となったわけです。禅宗になろうとしたのは13歳のとき。大徳寺の名僧春屋宗園老師の

下で本格的な坐禅修行を始めたのでした。和尚が宗鏡寺に隠棲したのは40代でした。その
ころ建てた茶室があり「投淵軒」といいます。シナの屈原が世を儚んでベキラの淵に投身
自殺をした故事に因んだ茶室です。

江戸初期の代表的な文人としても有名な沢庵和尚ですが、そのお墓をお参りして読経できたの
も旅のいい思い出となりました。

沢庵和尚さんはこんな人です。

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お寺の裏山にある禅師のお墓です。

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通称沢庵寺として知られている宗鏡寺本堂。現在の住持になって初めて妻帯したのだそうです。

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茶室「投淵軒」の静かなたたづまい。

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本堂

ガンバレ イチロ-!

あと65本で米大リ-グ通算3000安打だとか。彼はとんでもない数字に挑戦していますね。
メジャ-で活躍すること16年。いまでは現役最年長野手だそうです。42歳。

それだけでも素晴らしいことですが、イチロ-の守備位置は外野手の4番手という。
控え選手なので、めったに打席に立つチャンスがないんですね。

でも、なんとか打席に立つチャンスが一回でも増えることを祈っています。ガンバレ!

『山窓功課』

『山窓功課』は但馬聖人といまでも慕われている幕末の儒者池田草庵先生の日記です。

ご自身が35歳になってから亡くなる年までの32年間もの日記です。それを読むと先生の
日常生活の様子がよくわかります。厳しくご自身を律しながら、学問に励む毎日はそれこそ

十年一日のごとく、規則正しい学者・教育者としての姿が思われるのです。読書・黙坐それに
塾生の指導が中心ですが、よく黙坐をされています。禅僧のように早朝や夜間に線香を

くゆらせながら、一本二本ときには三本四本もじっと静坐をしているんです。わんぱくざかりの
塾生に反省をうながすさいにも、この黙坐は実行されたのでした。悪さをした少年が本心から

改心するまで、ご自身も塾生と同じく何時間でも黙坐をされたそうです。ややもすれば、子供の失敗を見つけた親
はすぐにその失敗を糾弾してあやまらせるのでしょうが、先生はいつも黙坐をするのでした。

こうした日常をみると先生は生来求道的な人物だったことがよくわかります。先生は十代にはお寺の
小僧生活をしておりましたが、儒学をきわめたい一心で恩師の元を去ってしまった経験を持って
います。

教師は聖職である。その言葉現代ではもう死語になってしまったようですが、、草庵先生のような教育の
仕方がどれほど大事で子供たちへのよき影響を与えているのかが伺われるのです。

いまでも生きている草庵先生の教え!

但馬聖人のご不幸

但馬聖人といまでも尊敬されている池田草庵先生ですが、66年の生涯には不幸な事件があり
ました。先生は文化十年(1813)生まれなので、200年以前の御生まれです。少年時代は

歌蔵という呼び名でした。その少年が十歳には正月の二十一日にやさしかった母親が38歳で
なくなり、その翌年の十二月には病気で父親も死んでしまったのです。残された四人兄弟

の生活の不安は想像もできないほどです。先生の甥には盛ノ介という学問好きの少年がおり13歳
のときから先生に随い炊事雑用などをしながら先生のもとで学問に励んだのでした。
盛ノ介は先生の心友となった春日潜庵や林良斎にも学問の指導を受けて将来を期待された

人物でしたが、先生三十九才にその愛弟子を失ったのでした。晩年の六十四歳には長女が
急病で亡くなり、半年後には長男徹蔵をも亡くしたのです。先生と同じく学問好きの十五歳
でした。

学問と教育に多大な業績を残された偉人の先生でしたが、家庭的には不遇に甘んじなければ
なかったのです。先生の底知れない哀しみが伝わってきますね。

「モミの木は高くそびえて」

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先月末池田草庵先生の青谿書院を訪問しました。その時に購入した本です。草庵が八鹿(ようか)の
この書院を建てたのは35歳のときです。その後明治11年(66歳)でなくなるまで近隣の青少年を手始めと

して、晩年には西日本各地からその声明を慕い40人とも60人ともいわれる生徒たちの学問の場
となったのでした。この本はその講義録ともいうべき草庵の教えの精髄が簡略に述べられています。
ところで現代は学校教育現場において漢文が冷遇視されている時代ですね。なげかわしい時代です。

しかし、偉大な聖人の学問と修養から学ぶことは、じつに多いのです。じつはこの本は二年前に出版
されておりますが、現代にも十分通じる大切な教えのかずかずが掲載されております。

その中から少しだけですが抜き書きをして紹介します。さて、

題名のモミの木は現在でも当時の面影を保ちながら亭々と書院の側に立っております。門人たち
が書院を建てた記念樹として植えたものだそうです。以前はほかに松と樫があったようですが

すでに枯れてしまったそうです。モミの木は冬になっても落葉しないので、その青さを先生がこよなく
愛していたとか。

 机に対すれば、即ち筆硯整斉し、食に向えば即ち菜羹定位有り。

 此れぞ是れ当下切実、至近至易の学問なり  
 

 机に向かった時は筆や硯はきちんと整える。食卓についたときはきちんと配膳してあること。
これらの身近なことこそが、今すぐにやれて、自分を作っていくための学問である。

徳は性にそなわる、これを養いて後髙し。

徳(善い人柄)は生まれながらにして誰にも備わっている者だ。それを磨き、
育てていって、徳はだんだん高くなっていく。

静坐は実に是れ学問深切の功夫なり。

一人静かに座ることは、自分をみつめ、自分を育てるための大事な方法である。

草庵先生の日常は学問と思索と黙坐の実践でした。厳しく自己を律して貴い生涯を
送られたのでした。但馬聖人といまでも尊敬を受けられているだけの大人物でしたね。

初釜の様子

初釜と称して抹茶をいただきながらの食事会を昨日すませました。普段お稽古に来られる皆さん
とささやかな楽しい時間を過ごしました。

なんでも、お正月に茶事をするのを初釜といいだしたのは、案外最近のことだそうです、

近ごろの称で、正月初めて客を招くことにつかわれている。点初式(てんぞめしき)などとも
称されるが、明治以後の用語と考えられる。(角川茶道大辞典)

裏方は副住職が助力してくれて、美味しい椀物や暖かい御飯の準備に骨折ってくれました。食事は
外注して、盛り付けをする入れ物はこちらで提供しました。

信玄弁当での会食は今回で二度目でした。皆さん上機嫌で楽しく食事できました。お酒はお仲間
が持参した金寶酒造店の原酒。

信玄弁当って、どんなお弁当?

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青谿書院とは

青谿書院は幕末の儒者池田草庵の子弟のための教場の名前です。その由来をみると、書院は
源氏山の麓に建てられました。まえには夜気山(やけやま)という小高い山があって、その谷あいを
流れているのが青山川です。青谿書院はsじょうした書院の周囲の山川に臨んでいる、そんなところから

命名されたようです。池田草庵は66歳の尊い学者としてまた偉大な感化を与えた立派な教育者
としての生涯を此の地で終えました。

江戸時代にはたくさんの藩校や寺子屋があって青少年の教育をしたものです。吉田松陰の
松下村塾や緒方洪庵の適塾そしてあの有名な仲江藤樹の藤樹書院などなど。

明治以前には全国でこうした私塾が繁栄して当時の子弟教育にあたったようです。草庵の生涯を知る
には書院ちかくにある保存会館を訪ねることが池田草庵を知るためには都合がいいのです。

写真は池田草庵遺墨集からのものです。素晴らしい書です。

青谷書院保存会を訪ねようIMG_4130.JPG

助っ人登場!!

冬の大仕事といえば、境内地の山の伐採でしょうか。法事や葬儀などの主たる仕事の

ないkときには、外仕事に追われます。なんといっても伐採した雑木の薪割は力仕事と
なります。そろそろ歳からいえば老年に突入しているのでいつまでもマサカリを片手に

薪割を続けるわけにもまいりません。そこで、簡便な薪割道具をネットで探し出しました。
ありました。電気仕掛けの薪割機です。

さっそく使い始めましたら、いやあこんな便利なものなのだったらもっと早く気が付けば
よかったのに。そんな気がしました。とはいうものの両腕でかかえこまなくちゃならない
ほどの丸太を割るほどの力はないのですが、通常の太さならば全然OKです。

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この助っ人の威力ならば、ずいぶん薪割仕事が楽になります。導入してよかったです。

池田草庵先生を偲ぶ

但馬への旅を思い立ち、京都から山陰線特急に乗車して二時間半。城崎温泉到着。

先月31日は一日中電車の中でした。城崎温泉は全く初めての地。浴衣の一番似合う
温泉だそうです。でも、雨もよいで浴衣の温泉客はまばらでした。

城崎温泉は小説『城崎にて』で知られておりますね。小説の神様と文章を褒められた
志賀直哉お気に入りの温泉です。冬の但馬の売りは蟹だそうです。いたるところに

蟹料理の看板が掛けられていました。そんな影響で夕食は蟹料理を楽しみました。
かにすき、焼蟹、かにのテンプラ等々。かにづくしで観光客を誘っていました。

城崎温泉近くには実は養父(やぶ)という聞きなれない地名があります。そこには
かつて但馬聖人と崇められた幕末から明治十年ごろにかけて有名な儒学者が

おりました。その名を池田草庵先生とお呼びします。草庵先生が入門した子弟を
教育されたのが養父にあるのです。青谿書院がその名前です。当時の書院の
たたづまいがそのまま現在まで残されておりました。

その書院を訪ねることができて、あの遠かった但馬がずいぶんと近く親近感をもて
たように感じました。

池田草庵先生とは

"光プロジェクト"っていいもんですね

お寺から車で2・3分のところに「21世紀の森公園」があります。その一角には「集いの広場」
があり、そこで素敵なイルミネ-ションのイベントがありました。

このイルミネ-ションはそのそばに設置されている太陽光発電からの電力でまかなっているとか。
この広場は昼間市民に活用されているのですが、今回は夜に行われました。

午後5時から8時まででしたが、見事な龍(体長8メ-タ-ほどありそうでした。)その他の
イルミネ-ションの美しさを堪能できたのは、幸いでした。

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見ごたえのある出来栄えでしたよ。

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冷気の強い冬の夜空での美しくもファンタジックな作品に家族連れの市民が記念写真撮影です。

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主催はNPO法人いわきイルミネ-ションプロジェクトチ-ムの皆さん。来年はより充実した
”光”プロジェクトを期待してま~す。

今年初講話でした

昨年末からの要請でお話をする機会がありました。今年の初講話でした。主催は福島県介護福祉会

いわき方部さんで新年会を兼ねた小さな会合でした。会場がいわき健康センタ-なので多少の
とまどいがありましたが、お話できる部屋もありまずは安心。時間通りに始まり一時間半ほど
のお話でした。ま、雑談のょうな形式で自由にお話させていただきその後の懇親会まで招待を受け

ありがたいことでした、介護士の皆さんとこうしてお話できる機会を持てたのは嬉しかったです。

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雪の化粧です!

お天気情報が当たりましたね。昨日の夕方から断続的に冷え込みがきつくなりました。

雑木の片づけ作業途中からでしたが、だんだん本格的に降雪しました。一夜明けて
境内を見まわしたところ午前10時ごろから雪も解け始めています。

でも、その雪に飾られた本堂などの境内はうっすらと素敵な風情を醸し出してい
ました。今回はそのスナップ写真を紹介します。

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楠葉だよりから

木南卓一先生著『楠葉だより (第348信)』冒頭の文章は冬のしずかなたたづまいを綴っており
すてきな文章です。今の季節を味わうにはとてもふさわしいと感じたので、引用紹介します。

 水仙が早や一輪咲き、落葉の始った蠟梅の枝には蕾がふくらんでおり、南天の葉や実が
 鮮かな紅い色を呈し、冬野菜は霜後にいよいよ青く冴えているのを眺めて”目を娯ましめ、
 心を怡ばせる”もの、冬の日の一楽です。幽興という言葉がありますが、自然は深く静か
 なものであり、それを賞で楽しむ心も亦た静かなものです。そして、心が静かであってこそ

 自然の静かさを感得することが出来るというわけでしょう。慈雲尊者の法語に、

 心動ずれば山河大地も動ず。
 心動きなければ風雲鳥獣もその動揺なし。
 無心のところ、寿あり福あり。
 散乱のところ病生じ憂生ず。
 天地と共に安住して千秋万春。

とありますが、ここに、心と境は微妙密接に相応するということも思惟されます。・・・。

雨の一日

今朝から一日中雨音が聞こえています。午前中は定例の坐禅会でしたが、雨の影響
参加者も数人と少ない人数でした。少なければ坐禅の後の茶話会が楽しくなってくる
もののようです。世相についての座談がおおいのですが、12時過ぎまでタベりをたの
しみました。雨がなかったせいか土が乾燥していたところでのこの雨です。

山仕事も一段落しましたし、昨日の東京出張も雨なしだったので、幸いでした。東京は
今朝降雪だったようですね。今夜は夜の茶道稽古日です。みなさんでてくるのかな。

老木をバッサリ

松の老木を二本伐採しました。一本はまだ生きていて、幹回り2メ-トルほどあります。数年前には
雷に打たれて幹が途中から折れてしまいました。のでmややいびつな格好のままの赤松。
もう一本の方は立ち枯れたままの状態にありました。なんと2メ-タ-以上もの太さです。
全長30メ-トルほどのものでした。

チエ-ンソ-を使い、副住職ががんばってくれて、見事に伐採が完了しました。山に囲まれた寺
なのでこうした山仕事は年中あります。お正月もすんで冬仕事も本格的になtってきました。

独学のよろこび

久しぶりで木南卓一先生の「楠葉だより もののあはれと求道精神」を開いてみました。
独学のことを書かれた文章が目につきましたので、ちょっと紹介してみようと思います。

「私も生涯独学で通した。けれども、それは独学するよりほかに道がなかったからである。
しかし、学ということは、もともと独りで学ぶことなのではあるまいか。先生の講義をきかな

ければ何も学べないという人は、学ぶことの出来ない人ではないかと思う。いくら学校へ
通っても、いつかは自分で学ばなければならない。そして、自分で学ぶことをおぼえたとき、
そのとき学ぶということがいかによろこばしいものであるか、初めて本当にわかるのではな

いかと思う。」(漢学者 公田連太郎先生のことば)

公田連太郎先生とは

ものごとは家庭の両親から学び始め、学校に行って知識を得、そして独学のよろこびをし
知ったとき、本当の独学のよろこびがわいてくるんですね。おそわったことだけが学ぶこ
とではなくて、自ら進んで独学することで学ぶことの自立になる。そういう意味で公田先生

のこの述懐は有意義ですね。
 

NYで蛍の光?

先日テレビでやっていましたっけ!! 米国はニュ-ヨ-クでの新年カウントダウンの中継でした。

新年を迎えるのに、みんなで「3・2・1」と掛け声をかける習慣とかかあるらしいです。
なかでもNYではそのさい音楽が流れたんですね。その音楽というのが日本ではなじみの深い

「蛍の光」のメロディ-だったんですね。これには驚いてしまいました。我が国では中学生の
卒業式にみんなで歌った懐かしい曲でしたから。

この曲の詩は恩師との別れを惜しむ内容ですし、新年を迎えるに相応しいメロディ-とは
想えなかったもんですから。

原曲はスコットランドの古い民謡のようですから、アメリカ人にはお祝いに相応しいとされる
馴染みの曲として知られているのでしょう、きっと。

そうだとしたら、曲はおなじでも詩によってこのような差がでてくるわけで、興味深いです。
そういえば、欧米では太陽の色は黄色というのが定説ですが、我が国ではおてんとうさま

は赤いというのが常識ですもんね。目玉焼きは英語でお日様色という表現をします。
サニ-サイドアップといいます。やっぱり黄色ですね。

蛍の光についての知識を知るのもおもしろいで

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