飯山の正受老人

飯山の正受老人

現在多賀城市や松島で「大白隠展」が開催中ですね。我が国臨済宗中興の祖師としてあまりにも
有名な禅匠ですが。その白隠和尚が若かりし頃接得したのが正受(しょうじゅ)老人です。

老人は江戸初期の禅匠で晩年は信州飯山に母上に孝養をつくしながら隠棲しておられました。
そこに、英邁な白隠和尚が出会うことになったのでした。すでに相応の悟りを得た白隠でしたが、
この老人に出合ってからその悟りをすっかり奪われてしまい、最後に痛快な大悟を得たのでした。

或る時、いつものように村内を一人で托鉢してまわっていたときのことです。ある農家の前に
たたづんで読経をしていると、家のおばあさんがでてきて、「辛気臭いお経など読んでもらっても
こまる、すぐに家からたちさっしゃれ。」と声をあらげてそばにあった竹ぼうきで和尚をたたいたの

で、和尚はその場で脳震盪を起して気絶してしまったのです。それほど強く叩いたとはたいした
老婆ですね。たいていならばもっとやさしくしてくれてもようさそうですが、この時はどうしたものか
したたかやられてしまったようです。気の強い女はどこにもいますもんね。

和尚もすきっ腹だったのかもしれませんね。どっと倒れて気が付いた途端に疑団がすっと溶けて
大悟した。そんなふうな逸話が伝わっています。縁が熟すれば、なにかのきっかけで疑いの壁
が崩れてしまうんでしょう。悟りは坐禅堂の中でしか悟れないというものではありません。

熱心に油断なく修行すれば、誰でもそれなりの気づきというものは体験できるものです。白隠に
とってはこのいじわるババアにどやされたのが、その契機だったわけです。

正受老人のいままでになく厳しい指導がここで実を結んだのでした。『大白隠展』を東北歴史博物館
でみながら、あれこれ正受老人のことどもを想いだしたことです。その昔、老人が参禅した至道無難
(しどうむなん)禅師の逸話などもあわせて想起しました。

白隠は大本山に出世しエリ-ト街道を上り詰めた人ではなく、田舎の名もない道場暮らしのなかで
大成しそこに参集した禅の英傑達を教育して仕上げた。そういう意味でも感慨深いものがあります。

道鏡慧端和尚とは