ダンマパダの言葉
この世をば
泡沫のごとく見
この世をば
陽炎の如く見るべし
かくの如く
この世を観る人は
死生もこれを
とらふる能はず
今年の大震災で被災しましたが、実感をもって味わえます。12・23記
尊徳先生の教え
翁曰く、老佛の道は高尚なり,譬えて云はば、日光箱根等の山岳のががたるが如し、雲水愛すべく、風景楽しむべしといへども、生民の為に効用少なし。
我が道は平地村落の野卑なるが如し、風景の愛すべきなく、雲水の楽しむべき無しといへども、百穀湧き
出づれば国家の富源は此処にあるなり・・・。(二宮翁夜話巻の五)
徹底した実利を追求した尊徳先生の心情がよく伺える文章です。
震災後7ケ月経過して、秋本番です。
東日本大震災を3月に経験。被災地の方々はこれまで経験したことのない苦労をされています。
いわき在住の私達も海辺は大津波で壊滅状態となった地区があります。
千年に一度の大地震は予想外のできごとでしたが、天変地異は人間のことを気遣って
くれるわけではない。
そんな事実に改めて向き合わせられました。
人智は有限。
自然の活動は無限。
限りある人智は無限の自然の営為から学んで今日に至っています。
今回の震災によって、さらに人智が進むことを願わずには
おられません。
法句経の言葉
おのれこそ おのれのよるべ おのれをおきて
誰によるべぞ よくととのへし おのれにこそ
まことえがたき よるべをぞ獲ん
自己の心を師と為し、他に随って師と為さざれ
自己を師と為す者は 真の智人の法を獲
いつどこのページを開いても、心に響くことばに出会える経典です。9・6記す
二宮尊徳のことば
奪うに益なし、譲るに益あり 尊徳翁70年の生涯は学べば学ぶほど素晴らしい。
天の道人の道
真に新といふのは本に還へり、本から更めて出ることであると思ふ。・・・本に反省するとは己に還へること、自ら主となることで、常に自ら主となれば事事皆新ならざるはない。 西晋一郎著「天の道人の道」から引用。
この本は昭和12年初版で小生のものは昭和18年版(19版)からの引用です。西先生の教説に接すると自然にw利を正されるきがします。再読三毒と折に降れ世に直したい明著だと思います。9月29日記す。なおブログはパソコンの不具合により、ここしばらく更新できない状態ですので、あしからず、ご了承ください。
ならぬ堪忍するが堪忍
一忍以って百勇を支うべく、一弾以って百動を制すべし 堪忍の袋を常に首にかけ 破れたら縫え 破れたら縫え オンニコニコ腹立つまいぞや娑婆訶(布袋の真言) 残暑がことのほかきついこのごろですが、天地の怒りともいうべき猛暑を味わいながらこれらの言葉を噛みしめると涼味を覚えることでしょう。9月7日記す
淡とは至極の味
「淡」という字を普通の人はこれろ、単にあわい、あsっさりしている。みずくさいというような意味に考えて、じつは全く正反対の味のある文字であることを知りません。・・・人間というものは、甘味だけの青少年時代から出発して、やがて苦味の出る壮年時代、さらに渋みの出てくるまでを考えますと、かなりの年月と修養が必要であります。がこれだけではまだ最高の境地・真の味とは言えません。この三つの味、すなわち甘・苦・渋を超越した至極の味、至極の境地を、老荘や禅家では「無」あるいは淡という字で表現しております。・・・。
安岡正篤著「先哲講座」より
幸田露伴先生の'ひとり言'
世にありて財を保ち身を安くせんとするは、大空にただよへる雲を釘付けにせんとするが如し。
喩えが秀逸ですね。いろいろと考えさせられます。5月8日記す。
謡曲「巻絹」
夫(そ)れ神は人の敬ふに依って威を増し 人は神の加護によれり
最近読んだ「巻絹」(まききぬ)のなかから感銘を受けた文章です。神さまの存在の有無を哲学的にいくら究明しようとしてもその存在は未解決のままのようです。それよりも真心をこめて神仏に祈りを捧げればそれに応じた答えやらヒントのようなものが得られるということはそれを感得した人にとっては、これほどの答えはないでしょう。われわれが神仏を尊んで敬えばそれに応じた神仏からの有形無形の加護があるというのは古来多くの人達が実感しているようです。それは単なる神頼み以上の深い人間の精神的営みといえるものなのでしょう。4月1日記す
