大観院殿藤園玄機大居士

大観院殿藤園玄機大居士

これは明治の陸軍大将児玉源太郎(明治40年没、55歳)の戒名です。

さすがに立派な戒名ですね。藤園は大将が漢詩を述べられた時の

の号です。玄は奥深いという
意味ですが、玄峰老師の玄でもあります。機は機略の優れた軍人とし

ての大将の一生を一語で代表したのでは、と想像されます。大将は


生前坐禅をしたことはないお方でしたが、本葬儀の大導師を
勤められたのは当時宗門の善知識として有名な東京芝の青松寺住持

北野玄峰老師(当時68歳)でした。大将は生前から老師に私淑されて
いたようです。老師の児玉大将観によると『拙僧が始めて児玉さんと
合った時、その挙止言語が何うも俗気を脱けて居る「天然会禅師」即ち

生まれながらにして禅を会(え)す、一を挙げ参を覚る、「擧一明三」の
人であることは一見してわかりました。俊抜で霊気があって戦陣の間
軍機に参して、必ず巧妙に遺られるだらうと思ひました』云々。

さすが後に大本山永平寺67世の猊下になられただけの大見識です。
北野禅師様が御本山の貫主猊下になられたときは79歳でした。それから
92歳(昭和8年)まで長命を保たれました。