但馬聖人のご不幸
但馬聖人といまでも尊敬されている池田草庵先生ですが、66年の生涯には不幸な事件があり
ました。先生は文化十年(1813)生まれなので、200年以前の御生まれです。少年時代は
歌蔵という呼び名でした。その少年が十歳には正月の二十一日にやさしかった母親が38歳で
なくなり、その翌年の十二月には病気で父親も死んでしまったのです。残された四人兄弟
の生活の不安は想像もできないほどです。先生の甥には盛ノ介という学問好きの少年がおり13歳
のときから先生に随い炊事雑用などをしながら先生のもとで学問に励んだのでした。
盛ノ介は先生の心友となった春日潜庵や林良斎にも学問の指導を受けて将来を期待された
人物でしたが、先生三十九才にその愛弟子を失ったのでした。晩年の六十四歳には長女が
急病で亡くなり、半年後には長男徹蔵をも亡くしたのです。先生と同じく学問好きの十五歳
でした。
学問と教育に多大な業績を残された偉人の先生でしたが、家庭的には不遇に甘んじなければ
なかったのです。先生の底知れない哀しみが伝わってきますね。