坐禅会資料
坐禅は歴代仏祖が心根を込めて今日まで相続した聖行である。
坐堂にて静かに座る行為がそのまま仏道の全体を体現している。
故に一息々々怠りなく修すことが肝要である。
坐禅の目的は生死(しょうじ)の大事を了畢(りょうひつ)すること。それには
まづ第一に無上菩提心をおこすこと。
菩提心とは無常を観ずる心なり。
この日既に過ぎぬれば、命もまた随って滅す、少水の魚の如し、ここに何の
楽しみかある。衆等まさに勤めて精進し、頭燃を救ふが如くすべし、また
無常を念じて、慎んで放逸なることなかれ。(大智禅師仮名法語)
人根に利鈍あるも道に南北の祖なし(参同契)
道はるかにして馬の力を知り、事久うして人の心を知るなれば、仏道は順逆の
中に長遠の志を堅く持つを、真実擔富の人といふなり(大智禅師仮名法語)
ただ吾我を忘れて潜(ひそ)かに修する。すなわち菩提心のしたしきなり。
○面白くなき世の中を面白く過ごすは禅の力なり
○信仰の峠何れを向いても花盛り
信仰の力によってどんな生活の中にも幸福を見失わぬ、また信を除いて宗教
もなく科学もない。信とは坐禅なり。
○臍下丹田は身心を打って一丸とした人間の生命が結集する処である。坐禅は、
此の丹田を練りて真の生命に生きる人間最高の道である。(90歳)
○悟りは望まないでも坐禅さえ確信を持って急切にすれば自ら人間最高の道は
開ける。(91歳)
○身体を整えるから病気が治る。ノイロ-ゼが治る。意志が強くなる。能率が
上る。頭がよくなる。全人格が整ってくる。更にすすめば悟りが開ける。大
安心が得られる。理想世界への道が開ける。(96歳遷化の年)
坐禅で一生を棒に振った加藤耕山老師晩年の言葉です。深く味わい己が人生
の糧としよう。老師は明治大正昭和を坐禅に捧げた稀有の禅僧です。