観音堂に奉納されました

拙寺では境内外にあるいわき三十三観音第二番札所の管理をまかされています。このほど懸案だった正面の額に文字入れを依頼されました。

ご本尊は十一面観音菩薩で作者はこの地では有名な徳一大師とされています。当初は天津山景德寺と称していましたが、後に荒廃して僧日雄が元亀2年(1571)に創建。

その8年後の天正7年(1579)に再建され名前を 海嶽山蔵勝寺としていたがその後荒廃を余儀なくされて現在は医王寺で管理しています。

 巡礼歌は ふだらくや 岸うつ波は荒川の 天津の山に ひびく 滝つせ です。

 この巡礼歌にあるように500年ほど昔は荒川付近まで太平洋の海岸が続いていたのでしょう。いまでは想像もできない光景です。