禅宗のモット-といえば、不立文字・教外別伝などといわれます。それに直指人心・見性成仏が
加わります。
仏教では諸悪莫作・修善奉行・自浄其意・是諸仏教です。茶道ともなれば和敬清寂でしょう。
不立文字(ふりゅうもんじ)は悟りの最後の手段には経典や仏教思想の言葉に頼らないで
自らの修道経験による直接体験を重んじる。そういう意味です。あらゆる思想の成立を
考えてみるとうなづけるでしょう。例えば釈尊が菩提樹下で深い禅定を続けているときに、
ふと明けの明星をごらんになったとき、宇宙の真理に気づいたといいます。その体験
をどういう方法で他人にしらせようかといろいろ思索し、何日も禅定しながら考えたと
伝えられています。まづ深い神秘体験があってから言葉が紡ぎだされてきたのでした。
私たちの日常経験でも、一通りの知識を得ただけでは相手に深く印象づけるような
説明はなかなかできないですね。自分のものとなるよう十分にその知識を咀嚼
しなければ、おいそれとは他人にうまく伝えることはむずかしいです。
まして、心の世界の体験ではなおさらでしょう。思想などは表面上の皮相な
言葉を覚えたくらいでは、その真意をつかむことは困難ですもの。
不立文字という禅のモット-には思想を紡ぎだす以前の直接智を自得することが
大事である。そんな意味が籠められているのです。実践を重んじる禅宗らしい
標語ですね。