古教照心

木南卓一先生(哲学者・東洋思想家)のかずかずの著書はなかなか捨てがたいものが
多い。先生畢生の学問は慈雲尊者研究を核にしておられる。その傍ら我が国の王朝
文学(源氏物語・徒然草etc)や儒者などの著書にもおよんでいて、なにかと東洋的
観照の世界のすばらしさを教えていただいている。学恩の深さに敬服するばかり。

今回は著書「古教照心」からの引用です。

 古徳云フ、「竹影 階オ掃ッテ塵動カズ。
 月輪 沼ヲ穿ッテ水痕無シ」ト。吾ガ儒云ウ、「水流レテ急ナルニ任セテ
 境常ニ静カリ。花落ツルコト頻リナリト雖モ意自ラ間ナリ」ト。人常ニ此ノ
 心ヲ持シテ以テ事ニ応ジ物ニ接スレバ、身心何等ノ自在ゾ。

昔の名僧も言っているが、「風に吹かれて竹の揺れる影が、しきりにきざはしを
掃くが、(もとより影であるから)きざはしの塵は少しも動かない。月の光が(沼の
底まで達して)沼を穿っているようであるが、もとより月影であるから)水に跡を

残さない」と。また、わが北宋の儒者も言っているが、「水の流れは急であるが
あたりは常に静かである。また、花はしきりに落ちるが、眺めている心は自然に
のどかである」と。この外境に煩わされない心境で物事に対応して行けば、な

んと身も心も自由自在であろう。(岩波文庫本での今井氏の解釈)

こういう有名な文章を何回となく読み味わうことが大切であると木南先生は
綴っておられます。

茶道などの床に能くかけられるので、ご存じの方も多いでしょう。禅僧ならば
当然のように、諳んじているほどよく知られた「菜根譚」の文章です。