「南葉だより」から

わが一度の人生を有意義に過ごすために東洋思想の

古典などに直接あたって勉強をするのもいいものですが、その中でも記憶したい善言・佳句を
抄録して、人生の思索を深める。そのために有益な書物が木南卓一先生の「南葉だより」です。

木南先生は御専門が東洋思想、とりわけ儒教には造詣が深い学者先生です。この便りは
先生(現在80をすぎておられます)が38歳のときに綴りはじめてずっと継続しています。

20代の雲水当時に先生の慈雲尊者研究などの書物を通じて随分おおくの有益な書物などに
接することができました。その学恩に感謝しながら先生のたよりを開いてみました。

師走ともなれば歳月の過ぎ去ることの速いことに驚くとともにしたくともできなかった己の
ふがいなさに嘆息することもおおくなります。

 昨日といひ 今日と暮らして明日香川 流れて早き 月日なりけり(「古今集」)

 いつまでか 明けぬ暮れぬ といとなまむ 身は限りあり 事はつきせじ(明恵上人)

 今人率(おおむね)口に多忙を説く。其の為す所を視るに、実事を整頓すること十に一二、
閑事を料理(はかりおさめる)すること十に八九なり、又閑事を認めて實事と為す。

宜(むべ)なるかな、其の多忙なるや。志ある者は誤って此の?(あな)を踏むこと勿れ。
(佐藤一斉「言志録」)      南葉だより大383信より抄録

こういう個人の言葉などを噛みしめながら歳末を無駄にすごすことのないようにしたいものですね。