愚庵邸で明日の供養茶会の下準備をしていたら、鴨居に掛けられた扇面の小さな書が
ありました。いままでも何回かみていたんですが、また改めてみるとそれは彼の有名な
山岡鉄舟居士による「仁寿」の二文字でした。鉄舟高歩書と書かれています。入木道を
伝えた鉄舟居士の書でした。一口に幕末の三舟といって世間に人気が高いのがこの
山岡鉄舟居士と勝海舟それに槍の名人と評判の高橋泥舟の書です。
親類の泥舟の奨めで江戸城無血開城の使者として西郷隆盛ひきいる官軍に乗り込んだ
のは史上有名な話ですね。天田愚庵は一時鉄舟宅に足しげく出入りしており、その鉄舟
居士のすすめで、出家を決意したのでした。其の時の出家の師匠となったのが由利滴水
老大師でした。当時有名な禅僧で、鉄舟参禅の師匠でした。鉄舟の書といい、その師匠で
ある滴水禅師の額といい、愚庵にとって終生の恩人に囲まれたなかで愚庵は晩年を
悠々自適の生活をしていたようですね。愚庵の著作「巡礼日記」は明治の奥の細道といわれ
るほどの名文ですし、東海道一の大親分清水の次郎長一家を活写した「東海遊興伝」を
ものして、講談の種本となった本を書いたのも天田愚庵でした。あれこれ想像するに
もってこいの場所がここ愚庵邸なんです。明日は雨の予報ですが、強い降りにならなければ
と念じています。