「忠孝論」を読む

先日紹介した我が国を代表する哲学者西晋一郎先生の主著です。虚と実の微妙な関係を鋭利な論理で進めていく
すばらしさには感動おくあたわざるものがあります。

特に以下の文章などは、僧侶である自身にとっても深い知見があると思いますので、抜粋してみます。

凡そ如何なる社会にも神社仏閣教会の類の無い所は無い。此れは何を意味すか。これらは謂はば社会に用の無い
所である。農場でなく、工場でなく、役所でなく、固より医療所でなく、又娯楽所でもなく、又実に学校教育所の類でも

ない。・・・かの神社寺院教会の如きは生活の必要上是非行かねばならぬといふべき所でない。用の無い所である
から行くも拒まず去るも追はぬ。何人は容れる、何人は容れぬという制限もない。其所に奉仕する神官僧侶牧師は
世事に用無き人々であって、その奉仕の対象は目に見えぬ神仏である。・・・実際此所は世事に用の無い所というよ

りも世事を打ち捨てる所、社会的生活の経営を空ずる所である。神に詣で佛を念ずる間は即ち世間を忘れる間である。
・・・僧侶牧師は道徳を教へる職のものでなく、人倫を超越するものなるが其本来である。それで始めて真に人倫の
師たるを得る。これ即ち虚にして始て実たるの理である。・・・心の虚なる所に心的諸内容が充実し智情意が往来する
如く、人間万事を余所にする所があって社会も調和し発達する。・・・寺院教会は世間の実に対峙する世間の空である

のは又世間を忘れしめる作用の出る源泉であるのである。この源泉から流れ出る世間遺忘が実社会に隈なく行き
わたって実社会たらしめている。