あの児玉大将の孫は音楽家!

幕末から明治にかけての帝国陸軍草創期に大活躍した陸軍大将
児玉源太郎大将の孫がスコットランドのグラスゴ-大学でコンサ-ト
を開いた(10月14日付け産経新聞朝刊)。

この記事によって、祖父の児玉大将の名を思い出した人も多かった
のではないでしょうか。児玉大将はあの乃木大将の3歳下でしたが
自他ともに許した親友でした。児玉大将は自邸の二階で突然
脳溢血であえなく55年の生涯を閉じてしまったんですが、その時の
葬儀委員長は乃木大将が仕切ったのでした。

枕経には時の大本山永平寺貫主森田悟由禅師が駆け付けたようです。
児玉大将は乃木将軍ほどの全国的知名度はありませんけれど、

軍事のみならず軍政家としてわが日本陸軍の近代化を積極的に
すすめた偉人です。ペリ-が軍艦四隻をひきいて我が国との外交を
強引にすすめるべく浦賀沖に来たのは嘉永六年のことでした。それは

児玉大将が徳山に生まれるちょうど一年前の出来事でした。生涯
の活躍で「陸軍の知恵袋」とまで尊敬された方でしたが、台湾総督
として9年間統治した功績は実に偉大なものでした。

江ノ島にはその大将を祭神にした児玉神社があります。小生はまだ
そこにいってはいませんが是非お参りを実現したいと考えています。

台湾の近代化の大恩人としていまでも崇敬されている明治期の大将
の波乱万丈の生涯を思い出したことです。

児玉源太郎大将とは

児玉神社