生死(しょうじ)は佛の命なり

禅の世界ではよく「生死一如}などと申します。生きることも死ぬことも一枚の紙の
裏表のようなものだ。表面的にはそう解釈できます。

私たちは両親の縁を借りて、この世に生を受けた時から、確かに死に向かって
生きるという宿命を荷っています。理屈はそうですが、こと肉親のことになると

そんな禅僧のような達観の境地にはなれないものです。老年になり周りの友人・知人
そして家族との別れを経験したとしても、自分の番が来たとは思いたくないもの。

それが普通でしょう。でも、表題の言葉をゆっくり噛みしめることで、平等に
与えられた尊い人生に感謝することも忘れないようにしたいものです。

お檀家さんの葬儀に立ち会うことが多いわたしですが、自分自身と大差のない方々の
御不孝の知らせを受けると、この言葉がよく思い出される今日この頃です。