禅はもっとも中国人らしい仏教です

仏教はインドで生まれた釈迦族の聖者であるゴ-タマシッダルタによって、伝道
された教えです。それがお隣のシナの時代(西暦6世紀ごろ)同じインド人の

菩提達磨によって中国にもたらされました。そのご坐禅こそが釈迦の本領である
として、いわゆる禅宗が徐々に形成されていきました。

インド人からシナ人へと伝達された仏法はこうした歴史の変遷を経て、だんだん
中国化されていったのです。ですので、禅の文献は中国語が主体となり、漢字
一色で仏教の理想とされる悟境が表現されるようになったのです。

特に再三このブログで紹介してきた碧巌録などは唐代の問答があり、北宋時代
の俗語がありと重層的な口語表現が同時にこの教科書に載っているのです。

わかりやすく言えば奈良・平安時代の日常会話表現とそれからかなり時代が
隔たった江戸時代の日常会話が混在している。そんなふうに考えてもいいで

しょう。西洋でいうならば、シャエイクスピアの英語は中世英語で表現されて
いるので、現代語の英語とはかなりことなる口語表現になっている。

古典といわれる書物を理解するのは、その当時使用された口語表現をよく
理解できないと正確な理解にならないわけです。

源氏物語を理解するには現代語訳がなければ、とても現代人にわかりやす
理解できるわけがありません。

禅籍を理解するには唐音・漢音そして呉音といった時代でことなる俗語表現
を学ぶ必要があります。禅宗の教科書である碧巌録が専門家でも理解が

むずかしいのにはそんな事情があります。