先日久しぶりで文楽鑑賞したことを述べました。そこで浄瑠璃とはいったい何を
示すあるいは意味するのかと気になり、ネットで検索してみました。
浄瑠璃(じょうるり)は、三味線を伴奏楽器として太夫が詞章(ししょう)を語る劇場音楽、音曲である。
詞章が単なる歌ではなく、劇中人物のセリフやその仕草、演技の描写をも含むものであるために、語り口が叙事的な力強さを持つ。このため浄瑠璃を口演することは「歌う」ではなく「語る」と言い、浄瑠璃系統の音曲をまとめて語り物(かたりもの)と呼ぶのが一般的である。
浄瑠璃の流派は、現在義太夫節・常磐津節・清元節など全部で8流派である。
これだけの説明で十分かとも思われますが、太夫の全身全霊をあげての熱演をまじかに
みていると、おもわず人形に命が吹き込まれていくのが実感されます。
「心中天の網島」は傑作と謳われる近松の心中ものですが、主人公の神谷治兵衛と遊女
小春の情愛関係を正面からとりあげるのではなくて、治兵衛の妻であるおさんや実兄の
粉屋孫右衛門の弟の行く末を思うその心情に大きな共感を抱くようにできています。
そうした登場人物のかき分け方が実に細やかにできていて、そんなことから現代人の
私たちの共感を呼ぶのではないでしょうか。
妻であるおさんの夫に対する心情をくみ取ったなら、時代が変わっても”こんないい女
がいるにもかかわらず”遊女にいれあげて身代まで潰そうとしている治兵衛の馬鹿さ
加減が憎らしく感じます。文楽をみるようになってからわずか数年にしか過ぎないですが
人情話の魅力は当分つづきそうです。