このブログを読まれる方には先刻ご承知のことですが、わが磐城が
産んだ高僧原坦山老師の額装が完成しました。
幕末から明治中期にかけて74年の生涯でしたが、当時の仏教界を
代表する禅の巨匠でした。その坦山老師の頂相(ちんぞう)は表具
して寺宝になっております。生誕地の平白銀町には今でも誕生碑が
残っています。現在は駐車場の一角に忘れ去られたようにしてあります
けれども・・・。その誕生碑の文「東洋哲学泰斗 原坦山老師誕生地」
をみると、それだけで明治時代を感じさせられます。明治時代になって
仏教が東洋哲学として知られるようになったのは、坦山老師が当時の
東京帝国大学文学部で仏教を一般の学生に教えたからでした。ちょうど
老師61才のときでした。明治12年のことです。同じ年の正月には東京
学士院が設立され、老師は仏教界で最初にその会員に推挙されたのです。
現在東大では文学部のインド哲学科で仏教思想を教授しているのですが
その草分けになった禅僧です。哲学という用語は明治5年になってから
使用されるようになったので、仏教を学ぶことは一般の学生さんには
非常に刺激的なタイトルでもあり、好奇心をかきたてたことでしょう。
禅の巨匠が坐禅を教えるのではなく、仏教学を講義するということでも
おおきな話題となったことは疑い得ません。いわきが自慢できる禅僧の
頂相が額装になったことで、檀家さんにも徐々にその名が知られてくる
と思います。