景山英子って知っています?

景山英子は東洋のジャンヌ・ダルクと明治時代にはもてはやされたほどの女性だとか。
知っていましたか。なんでも当時の朝鮮の改造計画に積極的に参画したようなのです。

そのころの李朝朝鮮はお隣清国の属国を自認する「事大党」が政治の実権をにぎり、
それとは反対の立場の「独立党」がありました。わが日本は独立党を支持していて、

それを実現するために、いろいろと画策し、景山は婚約者であった岡山自由党の
指導者、小林樟雄の影響で改造計画の志士となったのです。なんと、まだ18才だった
そうです。

この計画は実行寸前に挫折していまい、一斉検挙の憂き目にあい、景山らは禁固刑
になってしまいました。逮捕された関係者は130余人だったとか。

今の感覚でいうと、まだ高校生の年で政治改革に身を捨てる覚悟を示したわけです。
男女平等が未だ公然と叫ばれていない弱者ともいえる10代の女性が無謀ともいえる

隣国の政治改革に奔走していたんですから、驚くほかありません。NHKドラマ「
八重の櫻」どころではありませんね。たいした度胸の女性ですね。

        「 教科書が教えない歴史」歴史を生きた女性からの紹介でした。