耳庵松永安佐衛門のこと

松永耳庵(明治八年~昭和四十六年)といえば、茶道界では知らぬ人がいない
ほどの近代の数寄者である。昨年だったか壱岐方面の旅行をしたときに耳庵

の故郷は壱岐だったことを初めて知った。そこには記念館があったのだが、
旅行時間の制限もあって覗くことができずじまい。まことに残念なことでした。

図書館に行くと彼の自叙伝があったので、さっそく借り出して読んでみた。
彼は福沢諭吉からの大学時代に薫陶を得、またその婿養子である福沢桃介

とは気心があい、後に福松商会を創立している。桃介との事業を介しての
回想談などなかなか興味深い。桃介は株式相場で財をなしたけれど、松永は

失敗。彼の30代は事業欲がすこぶる旺盛で儲かるならとにかく突進してまでも
やってしまう。そんな人物だったようだ。自叙伝では石炭商時代のことなどが

縦横に語られていて、実業家松永安左衛門の波乱万丈のさまがよくうかがえる。

数寄者としての耳庵については自叙伝では一切ふれてはいないし、「電力の
鬼」ともいわれる電力界の重鎮の姿もほとんど知ることはできない。

耳庵の号は、実業界を退いてから茶道三昧の生活に入ってから使用しはじめた
ようだ。論語に「六十耳順」とありところからの名前でなるほどと思いました。