前回指摘しておきましたが、この語録の劈頭は金龍山天徳院へ正式に入山したとき
の上堂法語から始まっています。わたしの書斎には昭和62年に名著普及会から復刻
して再刊されたものとその原本となる「懶眠餘稿」もあり、時折開いては禅師の
見識と漢詩(禅宗では偈頌)に参じています。昔の禅僧はどうしてどうして見識が高い
です。一例として天徳院の伽藍での一偈を紹介しますと
有霊而應 有感而通 ?明之下 昧者何容
霊アラバ応ジ 感アラバ通ズ 聡明ノ下 昧者何ゾ容レン
志が深く仏法を究めようとする雲水ならばこの伽藍で修行弁道するがいい。
しかし、そうでない者はこの伽藍に入ることjはならんぞ。そんな禅師の気概ある上堂
法語ですね。およそ200年ほど昔の禅僧の語録ですが、いまでも私たち鈍根劣機を
奮い立たせる力があります。