『弓と禅』には坐禅がない!!

不思議なことに著者が坐禅の体験をしたわけでもないのに『弓と禅』はいまや

弓道にあこがれる西洋人にとってはバイブル的な存在となっているようだ。
禅僧の逸話集などを読んでみても弓術で名を成した禅僧の話はまずない。

歴代祖師といわれる中国唐宋の時代にかけても、さらに我が国の鎌倉室町以降

の禅僧などでも弓術に優れた練達の禅僧の話など聞いたこともない。オイゲン・ヘリゲル
はこの著書一冊で弓道のみの修練をわずか3年ほどした程度で禅の神髄を理解したかの

ような評判を得ているようだ。禅の古典に「寶鏡三昧」というのがあるけれどもその中の
一節には「?(げい)ハ巧力ヲモッテ射テ百歩ニアツ。箭峰アイオウ。巧力ナンゾアズカラン。』

と見えるのがあるくらいでほかには見当たらない。『 禅という名の日本丸』を読んでその

疑問が氷解した気がした。坐禅実修の経験がなくともZEN(禅)という言葉にはなにかしら
西洋人にとって東洋とりわけ日本文化の伝統の象徴的キ-ワ-ドなのかもしれない。

それにしても、坐禅をしないでも坐禅の神髄を得られるとは、変な話ではある。