禅僧の遺偈

本山西堂だった松原?流老師の遺偈はこうでした。

 水中撈月  すいちゅうの 水をすくう

 九十二霜  きゅうじゅうにそう

 涅槃一路  ねはんの いちろ

 坐水月場  すいげつじょうに ざす

遺偈といって禅僧がいったん事ある時のために認めておく漢詩です。それまでの一生を

短い漢詩に表現します。老師は92歳でお亡くなりになりました。その生涯は喩えれば

水中に浮かぶ月影を取ろうとした人生かもしれない。取ろうとしても本当の月は天上に
あるので、捉えることは出来ない。それは一見すると無駄ごとにみえるが、取れない月を

とろうとするその行為そのものは絶対的価値があります。悟りを求めていても
その結果のみに引きずられないで生き抜く無所得の境涯を表現したものでしょう。

いま、こうして生涯を閉じることになったが、一雲水としてその修行は死した後も歩みたい。

結句は”坐水月道場施空華万行”(水月の道場に坐して、空華の万行をほどこす)を引用。
どこまでも禅僧として修行いちずに邁進しよう。そんな意気が強く感じられます。

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香典のお返しの品は五条衣の絡子でした。その裏側に老師晩年の書が印刷されて
いました。”扶過断橋水 伴帰無月村”(たすけては 断橋の水を過ぎ 伴うては無月

の村に帰る)雲水が本師を求めて全国を行脚するとき、いつも手にして離さない
必需品に柱杖があります。これがあると、壊れて渡れない橋にぶつかっても水に

さして、無事にわたることができます。夜暗くなって灯りがまったくない夜に路傍の

御堂などを目指して帰るさいの助けになるものです。一生修行してやまない禅者

のすぐれた境涯を象徴する禅語ですね。