老いてまどひなきは少壮勧学の功による。臨終にも心みだれざるは平生修善のtからなり。
(「人となる道」不邪見戒)
慈雲尊者(享保3年~文化1年、1718~1804・87歳)は江戸中期の大徳としてあまりにも高名な
真言律宗の開祖です。その代表的著書である「十善法語」には出家在家を問わず心の糧となる
言葉が随所にちりばめられており、読み返すたびに感動を得る書物です。
引用した言葉もそれらの一節です。一生の最後にさしかかったときに心が平生となんら変わらず
安心して最後の一瞬を迎えるのは我が人生での善き行為があったればこそなのだ。
死はだれにでも平等にやってくる人生の終末です。見苦しくない死を望むには生涯かけて善き
行いの積み重ねがあったればこそ。まさにそのとおりなのだと、感銘を深くしたお言葉です。