小寒なのに扇子の話?

一年の読書始めをなににしようかなと考えながら、久しぶりで「碧巌録」を開いてみました。
禅書といえばコレ!というぐらい有名な古典です。
その第91則は犀牛扇子(さいぎゅうせんす)ですが、これまた難解な禅問答です。
寒中のさなかに扇子の話とはこれいかに?といったところですね。

なんでも500年間出の大禅匠と名高い白隠禅師も大いに骨折ったとされています。

中国の禅匠である斉安禅師が自分の弟子の力量のほどを点検しようとした問答です。

自分の身の回りを世話する修行者を侍者といいますが、その侍者を呼び出して「わたしに
犀牛の扇子をもってきてくれ」と話しかけます。すると侍者は「老師お申し出の扇子は
とうに破れてしまって使い物になりません。」と返答しました。それを聞いた斎安禅師が

「扇子がダメになってしまったのなら、犀牛のこどもをわしに還しなさい。」そこで侍者は
返答につまったまま「無対」、つまり何の返事も返す言葉ができなかった。

犀牛の扇子は犀の角でできた扇子であろうとも扇子に犀牛の絵が描いてある扇子で
あろうとも言われております。そんな詮索はおいておいて、自分ならばどう

斎安禅師が満足してくれそうな適切な答えをだせるか。そこが主眼となります。

禅問答のなかでもすこぶるつきの難問です。寒さに震えながらこの問答の趣旨を
あれやこれやと考えるのもおもしろいものです。