奕堂と聞いただけで「あの百年に一度でるかでないかの大禅師さまか」と
現在でも賞賛される、近世の大禅定家を思い起こす宗門人は多いです。
文化二年(1805)~明治12年(1879)75歳の貴い一生でした。
その禅師は名古屋で正月元旦に出生された。御先祖は織田信長に
使える家臣という。
能書で詩操豊かなお方であり、その門人は数え切れず参禅を希望する
当時のエリ-ト雲水達がこぞって禅師の徳を慕い道場に入門した。
激動の幕末明治初期を駆け抜けながら宗門の今日を支えた禅師さま
である。それほどのお方なのだから子供時代からずば抜けた頭脳の
持ち主であったろう。そう思われがちだが、さにあらず。
幼いころは「廩性鈍重にして、骨格の如きもまた随って枯槁、?幹
甚だ虚弱であった。」 ただし目つきがきつく、普通の子等とはそこが
まったく違っていたといわれる。
その禅師が秀家して19歳のときに発てたのが、今回紹介する三誓
である。
第一 一朝分明にして生死の迅流を超断せずんばすなわち誓って
休まず。
第二 ニ六時中佛祖不傳の行覆(あんり))にあらずんば誓って
践まず。
第三 従劫至劫違情順境において第二念誓って生ぜず。
この誓いをたてられた時は若干19歳であった。
禅師の猛烈な修行は生涯ご自身が誓われたこの三誓を守り
通した結果にほかならない。
第一の誓は必ず大悟徹底するまで修行をし抜くこと。
第二は先人の禅将をモデルにして修行に専念すること。
代三はどんな境遇にあっても、ブレナイで坐禅三昧の生活を
つづける。
じつに壮大な理想への誓願です。それを生涯し抜かれた獅子奮迅の
努力の結晶こそが禅師の真骨頂なのですね。まことに恐れ多いことです。