息を調えるとは・・・

坐禅をする。これは外形的には釈尊の御姿(足を交差させている)をマネすることと云っていいでしょう。

宗門ではその姿勢を正身端坐(しょうしんたんざ)と申しております。一寸坐れば一寸の佛とも言われて

坐れば直ちに坐佛である。そんなふうに思う人も多いことでしょう。
実際に坐ってみれば体感することですが、なかなかうまく坐れるものではありません。

ゴルフなどのプレ-を観ている分には「なんだコ-スにある穴をめがけていけば、いいだけのもんだろう」
なんて軽くいい放つ御仁もおられるでしょうが、実際打ち始めてみればなかなか言葉どおりに
上手にホ-ルインできはしますまい。プロでも至難なことはどなたも御承知でしょう。

坐禅も同様です。「なんだ坐れ、坐れというけれど、なんのことはない。簡単至極なもんだ」

言うとやるのとは大違いであります。坐禅の宗派と看板をだしている曹洞宗ですが、15000ケ寺もあるという
全国の宗門寺院の和尚が毎朝キチンと30分の坐禅をしているのかというと、はなはだ疑問です。

看板だけは禅宗の住職であっても、生涯を坐禅に打ち込む和尚はごくまれなことです。

人の寝ている早朝3時4時から2時間坐る。こんな毎日を送る禅僧にはめったに出会えないのが現実です。

坐禅中にする息の整え方にもそれは言い得ることです。調息(ちょうそく)といって坐禅中の呼吸は
なかなか熟練も必要です。

鼻息を調える、鼻息は始めは風と申して自分の鼻息が自分の耳に入る、
次に自分の鼻息が自分の耳に入らぬようになったを喘(ぜん)という、
喘がおさまって出息入息が微かになったを気という、

気の一段と微かになったを息という、この風(ふう)、喘、気、息の四位があります。第四位の息
の位に達したのを坐というのであります。坐を佛という、安楽浄土とか安楽法門とかいうはこの
第四位息の境界に達したことであります。
(「禅話百則」村上素道著からの引用)

坐禅に打ちこんでいくと一分間に吸ってはいて、吸ってはいてまた吸ってはいてと二三度すれば
一分なんてすぐに過ぎてしまうのですが、初心者には到底無理なことです。

呼吸ひとつでも綿密に実習することのたいへんさが想像できますね。真剣に坐る生活を実行することの
厳しさを痛感する次第です。