昨日のブログで大正から昭和にかけて活躍した孤高の画家村上華岳のことを紹介しました。
その祖母が眠るお墓がなんとナント先日坐禅会に顏をだした栗東寺にあるんだそうです。
華岳の祖母は池上雪枝と云います。
池上 雪枝(1826-1891)
日本ではじめての感化院(児童自立支援施設)である『修徳院』を開いた。日本画家・村上華岳の祖母。
このように栗東寺のホ-ムペ-ジに紹介されています。華岳の誕生日は明治22年で大坂は天満松ケ枝
町でうぶの声をあげました。武田誠三の長男でした。雅号は華岳ですが本名は震一です。
武田家は甲州武田源氏の末裔だそうです。
雪枝は近衛家の老女村岡局に仕え、幕末の志士とも交遊をもち、志士たちの討幕運動を助けて国事に
奔走した一人であったそうな。雪枝には三男二女があり、華岳の父誠三はその長男でした。
その跡取りの長男だった震一少年は14歳で父と死別してしまいます。
八歳のとき、父の妹千鶴子の嫁ぎ先である村上家で養育されました。実母のたつとの別離や再婚もあり
ましたが、父母についての思い出話はほとんどその著書『画論』にはでてきません。
少年時代にすでに屈折せざるをえない環境の変化があったことは容易に想像できます。晩年の華岳の
神戸花隈での隠遁生活の大きな要因はその幼少期の生活にあったと思われますね。
栗東寺の開基は近衛信伊(のぶただ)とされていますので、近衛家との関係からこの寺に雪枝の墓が
あるのは納得できます。