無の世界

無の世界。禅宗といえばたちどころに無の境地をめざす宗教ですか。そんな質問を
受けることがあります。禅イコ-ル無と同義。一般的にはそんなイメ-ジでしょうか。

この頃では香水に「禅」当名前をつけたのがありますね。Tシャツなんかにも無字が
書いてあったりデザイン化してあったり。けっこう世間でも注目をあつめているようです。

禅の古典に「禅宗無門関」があります。中国宋時代の禅匠無門慧開禅師の著作です。

無門禅師は若かりし求道時代に師匠から授けられた無の公案の解決策を得るのに
六年もの歳月を費やしたそうです。公案の解決を得たことを禅宗では公案を透過し
と表現します。

論理的・合理的に判断して解決のできる問題は公案とはいえないので、直接坐禅を
して直観的に自分自身が深く頷けなければならない性質の課題なんです。

無門禅師ほどのエリ-トでも公案を透過して心底徹底するのは至難の業でしたので、

われわれ現代の宗門人が僧侶として住職になるために修行するのとは、わけが違います。
滾る宗教的求道心を純粋に持続できてはじめてその境地に達するんですね。

天才でもなかなか難しい「無」の境地を体現した無門禅師のこの著作によって
禅宗といえば「無」の境地を体得する宗教だとされるようになったのです。

宋時代はわが国では鎌倉時代に相当します。ちょうど永平寺の御開山道元禅師が
活躍していた頃になります。