我が身おろかなれば・・・

今の人も然るべし。我が身おろかなれば、鈍なればと卑下する事なかれ。今生に
発心せずんば何(いづれ)の時おか待ツべき。好むには必ず得べきなり。

これは正法眼蔵随聞記巻一の十三にある文章です。道元禅師は我が曹洞宗の
開山ですが、この随聞記(ずいもんき)は世間にも広く知れ渡る名著として有名な

書物です。ところが道元の主著「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)は難解の書物として、この

名前だけでも知っていればけっこうな禅のオタクなんていわれそうですが・・・。
一方でこの、「随聞記」は大東亜戦争に学徒出陣する運命を受け入れざるを得なかった

当時の学生達には隠れたベストセラ-として戦地までも携帯していったそうです。
それほどに多感な若人を魅了した人生の愛読書だったのです。また浄土真宗を開いた親鸞聖人の弟子が

綴った「歎異抄」とともにこの二冊は戦地に赴いた若き兵士を鼓舞してやまなかったそうです。
わが人生を振り返ったり、一生どう生きるべきかと悩んだりしたときにこの本を読

むと、知らず知らずのうちに漠然とながらでも生きる希望というべきかすかな明かりに
接する思いがします。

あの昭和の寒山拾得と讃えられた名僧加藤耕山老師も若き頃、この随聞記に

出会って、出家としての生きる腹が決まったと述懐されておられます。日一日と秋に
なりつつある昨今です。静かにこの名著に参じたいものです。

示ニ云ク、仏々祖々、皆本は凡夫なり。凡夫の時は必ず悪業もあり、悪心もあり。
鈍もあり、痴もあり。然レども皆改めて知識に従ひ、教行に依りしかば、皆仏祖と
成りしなり。

このお示しに続くのが最初の文章です。よく噛みしめて味わいたいですね。