坐禅会口宣

口宣(くせん)は禅門での専門用語。垂誡、垂示。師家が修行僧に対して修行の上の注意を与えること。

これは禅学大辞典での説明文です。毎月の大阪での坐禅会講師として坐禅を指導していると、坐禅中
に口宣をします。たいてい二度目の坐禅中にします。

そこで、今月の口宣を紹介しておきます。
夫レ坐禅ハ直ニ人ヲヲシテ心地ヲ開明シ本分ニ安住セシム。(坐禅用心記)

この文句はわが曹洞宗総持寺の開山瑩山禅師の御著述の冒頭にある文です。坐禅というものは
ただちに我々の本心を十分に発揮してくれる力がある。心地は本分の田地ということでお互いの
本性を指す言葉。この心地を開明といって明らかにするのが坐禅の正味であります。

多忙な日常生活をしていると、いつのまにか我々の本心を忘れてしまいがちに陥っていまうものです。
ほんとうの幸福はこの心地を掘り起こすことにあるのであって、世間一般で臨んでやまない世俗的
生活の理想とする経済的成功やら名声欲とはまったく質のちがうものです。

経済的に豊かになればそれなりに多忙となります。なればそれだけ本心からずれた枝葉末節の事柄
に没頭することにもなります。そしてついには人知れずストレスを抱え込んで悩みを増幅する。

だれしも財産や名誉などは欲しがるし、それらを手に入れる欲求が肥大化したのを文明と称することも
できましょう。しかし、本来の文明の真価というものは、ここにいう心地を開明することにあるのです。
生まれていただいたこの五尺の身と心をこの一点に集中して我が一生を全うして行ききる。そのために

はこの坐禅が一番効果的であるといえます。瑩山禅師はこの言葉に続いて「コレヲ本来ノ面目ヲ露ワス
ト名ヅク
」と表現しています。私たちの人生の究極目標は己を知ること以外にはないのです。

己の本性をいかに発揮していくか。そのための最良の実現方法が坐禅にほかならないのです。