思索の秋

秋という季節は食欲の秋とも芸術の秋ともいわれます。一方では春・夏と万物が地上から発芽し勢いよく
成長してその盛りを迎えて、秋という万物が萎れる、枯れていく季節でもあります。もちろん春夏に成長

した果実を得るのもこの次節です。”春生じ夏長じ秋収め冬蔵す”といわれる所以でもあります。今年の
秋は書庫に眠っている哲学書をあちこち拾い読みしています。先般ブログでも紹介しております倫理哲学者
西晋一郎先生講義による「アリストテレス倫理学」や「プラトン倫理学」を読むにつれ、哲学書を読む機会

が巡ってきました。大学時代には哲学史特講で川田熊太郎先生の指導を受けたものでした。川田先生は
知る人ぞ知る典型的な哲学者でした。洋の東西の哲学者の原著をその言葉で読み取り、徹底した論究を

された諸論文にはずいぶんと傾倒したものでした。いま読んでいる先生の論文「仏教哲学の特質」には
こんなことが書いてあります。

 学問的に言えば、宗教は宗の教であり、それゆえに教の宗、即ち教宗でもある。そして「宗」は
”siddhanta"即ち自内証として成就されたものの極致たる、根本真理であり、「教」は”desana"即ちその真理

についての教である。そしてこれらの宗と教と宗教との表現は、智顗の『法華玄義』や法蔵の『華厳五教章』
のうちには、すでに確定した述語として見出される。ゆえに宗教は、本来は仏教を意味するのである。江戸時代
まではそうであった。然るに明治時代に入って、この『宗教」をもって”religion"を翻訳した。それ以来、
欧州思想の主導性がわれわれのうちの多くの者をして、”religion"から「宗教」を考え、理解せしむるに至って

いるのである。(『比較思想研究2「仏教哲学の特質」)

改めて再読してみて、先生の学問の精緻さに敬意を表したいです。先生はサンスクリット語、パ-リ御
ギリシャ語、ラテン語はもちろんドイツ語
フランス語、英語、漢文といちいちその原典にまでさかのぼり哲学的思索を貫いたご一生でした。没後のそれら
蔵書は四千数百書もあったそうです。まさに文字通りの智の巨人でありました。

川田熊太郎先生の御業績