無事って?

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    「無事」という禅語を茶掛けにしたい。そんな頼みが友人からありました。茶道に熱心なので
 禅語にも親しむ機会があるようですね。

   一般には「無事」といえば「とくに日常生活で何事もない穏やかな日暮し」の事を指す言葉です
が禅語となると意味合いがかなり違ってきます。

 よく茶室の床の間に掛けられる「無事是貴人」(臨済録)は悟りの境涯に在る禅匠にあてはまる
五文字の一行書です。心中迷いもサトリも抜け出てしまいった貴い理想境に安らかに安住している
様子を表現した言葉です。

しかし「無事禅」となると意味は反対になります。悟りを追及することもなく、ただ修行するだけの
禅という意味になります。これは看話禅を標榜する臨済禅の立場から黙照禅を貶した悪口です。

永平高祖の「祇園正儀」(正法眼蔵からの抜粋)には
「ただ今時を盡却せんことを要せしむ。よく今時を盡さば更に何事かあらん。若し心中無事なることを
得ば、佛祖なおこれ冤家のごとし」とあります。

安穏として何事も起こらない平々凡々の生活が理想だなんていっていたら修行もヘチマもありません。
それこそ邪見に陥ってしまうことでしょう。わざわざ出家の沙門になる必要は毛頭ないです。

仏道を究めようと修行に専心する出家沙門の理想としてのサトリをも求めず、強いて佛道を行ずる
のだという作為をも超脱してしまい、淡々と日送りする安楽の境地に徹している。そんな深い禅境
を表現した二文字なのです。

それなら茶掛けとして床の間に飾られますね。なんともすてきな禅語です。「平常心是道」という
禅語も同様の趣旨を表現したものです。