富田高慶の人となり

名著『報徳記』の著者富田の人となりについては岩崎敏夫著『二宮尊徳の研究』に掲載されているのが
具体的で参考になる。尊徳先生の第一の高弟といわれた人物の生活とはいわば
師匠である尊徳先生の生き方をそのまま自身の生活で実践したことにつきると
おもわれる。

 高慶は沈毅謹直、自己には厳しく外に対しては寛大であった。自分は常に
 節倹を守るが、他には与えることが多かった。道を聞く人があれば懇切丁寧
 を極め、事に処しては明敏果断、ことに戊辰役に仙台藩につかいしたときなど、
 千里に使いして君命を恥ずかしめずという古い言葉その通りであったという。
 度量広く忍耐力にも富んでいた。

 風雨寒熱の別なく、毎朝鶏鳴に起きては村内戸毎にまわるのが彼の日課
 であったが、けっして人を起こしたり、特に励ます言葉をかけたりする
 ことはなく、すべてが彼自身の勉強のためであった。

 いつも握り飯を腰に下げ接待の湯茶以外はうけなかった。遠方の村
 に出てまれに泊ることがあっても酒は出させず、飯と一汁の他は
 出されても用ず、贈物は大根一本と雖も受けず、職員にも一さい
 これにならわせた。

 名利に恬淡な彼は、よく師の教えを守り、二十七年の仕法施行を通して
 一度も藩の地位につかず、藩の一粒の粟をも受けず、生活に困るときは
 尊徳から貰い、あるいは僅かに荒地を藩から借りて、その収穫をもって
 背勝の資にあてた。その土地も明治になって官に返してる。

 利欲に恬淡なことは富田家の家風で、父もそうであり、甥の高行も同様
 であった。

 高慶はまた何事にも綿密で計画性に富み、かつきちょうめんな性格であった。

 その書簡の一つを見ても、いかに長文のものでも、はじめから終りまで
 少しの乱れも示さず首尾一貫脱字も誤字もほとんどみられない。それは
 堅忍不抜つとめてやまない性格とも通づるものである。

まさに先師尊徳の生き方に随順するという信念を貫いた尊い一生なんですね。相馬藩士の
鏡でしょう。感動ものです。