「愛語」とは?

今年の連休は静かに日送りをすることができました。日常の雑務を離れてここに紹介した「愛語」の拙筆も
仕上げることができたのです。我が宗の日課経典として親しまれている『修証義』第四章にある言葉です。

慈愛あふるる言葉で相手とお話しするのはまったく仏教徒として相応しい行為なのだ、と次につづく
文章にあります。ただし、最初からそういう目論見や算段をしてするということではなく、仏教徒と
しての自然でやさしい心がけだと素直に受け止めて発する真心あふれる行為に力点が置かれるのは当然の

前提ですね。何事においても我が身の利益ばかりを優先しての「愛語」であってはこの宗典の意義に
そわないでしょうし、むしろ逆に話し相手を見下した悪い行為になってしまいます。どんなに素敵な意味
を持つ言葉でも、私利私欲というゴミが付着していては言葉自体が汚染されて欲の塊に過ぎなくなって
しまう危険があることも十分自覚すべきだと考えます。