恩師の詩

禅僧の教養は漢詩・漢文です。いまどきの学校教育では漢文がおろそかになってしまい、英語がというより
英会話万能のようです。小学校から英語教育を推進しているようですからね。

しかし、恩師光英博明老師(明治26年生)は禅僧として生涯を終えた方でした。隣の竜門寺に戦後
の世情混乱期に住職されて、同寺の再興に尽力されました。

私が出家できたのは、この老師の導きによるものでした。若干17歳の高校生だった私の希望を
快く受け入れてくださり、念願の出家を遂げることができたのでした。

今月の和室の床の間にはその恩師の掛け軸をかけております。条幅仕立てです。中央に托鉢僧の
後姿が軽いタッチで描かれており、そのうえに当時の心境を述べた七言絶句があります。

昭和24年の作ですので、西暦では1949年。その後、92才の長寿を全うしました。

 引揚外知四回春  外地ヲ引揚ゲテ四回ノ春

 盛衰栄枯夢幻人  盛衰栄枯夢幻ノ人
 

 山上竜門緑深処  山上ノ竜門緑深キ処

 貧身貧寺未成貧  貧ノ身貧ノ寺ナルモ未ダ貧ナラズ

 恩師は兵庫県出身で韓国での海外布教師をして、活躍しておられました。
大東亜戦争で命からがら家族とともに昭和19年か20年ごろ故郷の日本

にもどってきたのでした。それから、縁があっていわき市の竜門寺に赴任
されたのです。現在の竜門寺は恩師の夢がかない立派な寺院となってお

りますが、当時は萱屋根の粗末な寺だったのです。私が出家したときの
寺もそういう状態でしたから、なんとなく想像できます。

朝鮮時代の海外布教師として順風な布教活動をされていながら、戦争
にあい、涙を呑んで日本に戻られたのでした。

当時の竜門寺は住職不在同然で本堂は身元不明の引き揚げ家族が
暮らしていた。そんなことを聞かされました。

まさに波乱万丈の辛苦をなめながら、一地方の住職になったわけです。
絶句の結句にある三文字の貧という感じが、そのことを忍ばせてくれています。

漢詩の韻は上平十一真韻で作詩。春・人そして貧が同韻です。

漢詩なんて古臭いと思うかもしれませんが、恩師のように小僧時代に習得
した漢詩をつくれるほどの若い宗侶はめっきり少なくなりましたので、その面でも
貴重な一幅です。