境涯の禅僧加藤耕山老師

是々庵加藤耕山老師のことは「坐禅に生きた古仏耕山」(昭和59年柏樹社刊)に詳しい。

参禅の恩師であった独峰軒柳瀬友禅老師はその法嗣である。永平寺安居(あんご)を
すませてから法縁熟して老師に独参していた小生の20代は一番坐禅に励んでいたころである。

独峰軒老師から直接是々庵老師の生前のエピソ-ドを参禅がすんでお茶をすすりなfがら
聞けたのは、いまではとても懐かしく思える。

耕山老師は96歳で遷化されたけれど、あの世でも「坐禅をしよう」とおっしゃっておられると
思う。その老師の味わい深い片言隻句を紹介します。

・ あのねえ、禅僧というのは、いつでも独りじゃ。独りがたいせつじゃ。わしは死ぬまで雲水じゃ。

 ・グックグックと坐るがよい。自然に自分の体がついてくるものよ。

 ・魚とりが格別好きだった荻窪さんが「老師さん、この川には魚がいるでしょうね」と
 訊ねました。「おるよ、あんた。殺生が好きかぁ」と。

 以来彼は魚とりをやめました。「何故やめたのか判りませんが、あの『折衝が好きかぁ』
 はこたえました」と。

増田かづ女が老師に「どう生きたら良いのでしょう」と尋ねました。老師の答えは
「一人して来て、一人してかえる。それでよいではないか。」

「大きな山にむかったようで、それでいて、ふわあ-と包んで下さる暖かさ。前にいると
それだけで心のなごむ不思議なお方でした」と語っています。

ああ、生前一度でいいからあえてたらなあ。再度この本を読みながら感じました。