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村上徳栄 <tokue.igari@gmail.com>
1:55 (16時間前)
 
To 自分
お別れの言葉
 
孫を代表して、次女広子の長女であります、私、村上聡子が、おじいちゃんへお別れの言葉を、少しお話させていただきます。
 
おじいちゃんへ
 
一ヶ月ほど前、母から危篤の知らせを受け取った時、私達孫は、どうして?こないだなであんなに元気だったのに?と、動揺し、そして一目散におじいちゃんの元へ駆けつけました。戦争や海での事故、10年前の大動脈瘤の手術、そして東日本大震災など、数々の命の分かれ目を生き抜いてきたおじいちゃんが、なんの予兆もなく死んで行くかもしれない。今回の入院は軽い入院だと事前に知らされていただけに、それは唐突で、予想だにしない知らせでした。
 
わたしたち孫にとって、おじいちゃんは、厳しいながらも優しく見守ってくれる、第二の親のような存在です。
 
私たちは、週末や長い休みになると、よくおじいちゃんの家のある沼の内で過ごしました。
 
幼い私を電動自転車の後ろ乗せてどこまでもいったこと、一緒に畑に行って野菜を育てたこと、温泉にもたくさん行きました。また、まだ私が小さい時には、忙しい両親に変わって、幼稚園の行事にはかならず出席する、名物おじいちゃんでもありました。
とにかく私たちは、おじいちゃんとおばあちゃんの後ろをくっついて、色々な場所へ行きました。
 
おじいちゃんは、常に周りの人たちがすべてうまく行くように、親分として、段取りに奔走していました。
だからこそ、時間や礼儀については厳しく、孫にも容赦無く喝を入れることもありましたが、それは、私たちの将来を心配しているからだと、大きくなってから理解しました。
そしておじいちゃんは、仏壇のある広間に人を集めて、ご飯やお酒を振る舞うのが好きでした。どこへいっても人の輪の中心にいるおじいさんを、こどもながら密かに自慢に思ったものです。不思議なことに、年代に関係なく、おじいちゃんの周りには人が集まっていくのです。
 
ちょっとしたドライブに出かけるだけでも、襟のついた服と帽子をかぶってお洒落をし、迎えにいく予定時間の30分前には、かならず全ての支度を終えて待機しているような、キチンとした人でした。
そして、どんな何気無いお出かけでも、お土産は家族ひとりひとりにかかさず買ってくる。そんな風、分け隔てなく人に尽くす所が、周りの人に慕われていた理由だと思います。
分け隔てなく人に接すること、礼儀を重んじること、いざ、大きくなって離れて暮らしてみると、つい自分のことで精一杯になってしまう私にとって、それがどんなに難しくことで、ありがたいことか、今になってとても実感しています。
 
おじいちゃんにまつわる思いで話は、尽きません。
わたしたち孫は、それぞれにおじいちゃんの思い出をもっていると思います。優しいおじいちゃん、おばあちゃんの愛情を一心に受けて、わたしたちはここまで大きくなりました。本当にありがとうございます。
 
大動脈瘤の大手術から今までの10年間は、私たち家族やおじいさんにとって毎日が宝物のようなものでした。
一番うえの孫娘でもある、あっちゃんに子供が出来、ゆうき・ふみやというひまごに会えたことは、おじいさん、おばあさんとって嬉しい出来事だったと思います。ひまごに会いに、一ヶ月ほど、あっちゃんの家で過ごしていたこともあります。おじいちゃんは、最後まで自分のことは自分でして、穏やかに、体調を気遣いながら、自分の時間を過ごしていました。私たち孫が帰省する日に、カレンダーにマルをつけて楽しみにまってくれていましたね。
 
いつもおじいちゃんの部屋へ行くと、だいたい会話は決まっています。
おお、来たのか、と迎えてくれて、近況報告、そして最後にはかならず、お前、身体に気をつけて、ちゃんとやれよ。と言うのです。身体に気をつけなけばいけないのはおじいちゃんの方だと笑いあいましたが、力強い瞳で、いつも私たちを送り出してくれました。これから、あの会話がなくなると思うと寂しい気持ちでいっぱいです。
 
危篤の連絡をうけ、家族がいっせいに集まったとき、おじさんや両親を中心に、私たち孫もできるだけおじいさんのそばにいました。危篤の連絡から、亡くなるまでの2週間弱、私たちはおじいさんのことを沢山考え、色々な事を思い出しました。
そして、今日は自分でも驚くほど落ち着いた様子で、おじいさんとのお別れを受け入れることができます。段取り第一、用意周到のおじいさんのことですから、急に死んで、私たちが動転しないよう、生と死の間を少しの間、頑張って行き来してくれたのだと、勝手に思っています。
 
今日、おじいさんが私たちにしてくれたことに対して、何ひとつ恩返しができぬまま、見送らなければならないことが、悔やまれます。おじいさんの気丈さに、私たちは存分に甘えていたのだ思います。
もっとおじいさんに顔を出せば良かった、色んな話しをすれば良かった、とも思いますが、これから私たちが家族を持っていつか孫ができた時に、おじいさんがしてくれたことを思い出します。おじいさんは私たち孫にとって、最高のおじいさんでした。
 
ちゃんとやれよ、といつも送り出してくれたおじいちゃんの意思をついで、これから頑張って生きて行きます。残したおばあちゃんのことをはじめ、きにかけていることは沢山あるでしょうが、どうぞ心配せずに安らかにお眠りください。
 
私たちはおじいちゃんの孫に生まれたことをとても誇りに、幸せにおもっています。
おじいちゃん、本当にお疲れ様です。そして、ありがとうございました。
 
孫代表・村上聡子
 

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