義父との別れⅡ

おじいちゃんは、常に周りの人たちがすべてうまく行くように、親分として、段取りに奔走していました。

だからこそ、時間や礼儀については厳しく、孫にも容赦無く喝を入れることもありましたが、それは、私たちの将来を心配しているからだと、大きくなってから理解しました。
そしておじいちゃんは、仏壇のある広間に人を集めて、ご飯やお酒を振る舞うのが好きでした。どこへいっても人の輪の中心にいるおじいさんを、こどもながら密かに自慢に思ったものです。不思議なことに、年代に関係なく、おじいちゃんの周りには人が集まっていくのです。
 
ちょっとしたドライブに出かけるだけでも、襟のついた服と帽子をかぶってお洒落をし、迎えにいく予定時間の30分前には、かならず全ての支度を終えて待機しているような、キチンとした人でした。
そして、どんな何気無いお出かけでも、お土産は家族ひとりひとりにかかさず買ってくる。そんな風、分け隔てなく人に尽くす所が、周りの人に慕われていた理由だと思います。
分け隔てなく人に接すること、礼儀を重んじること、いざ、大きくなって離れて暮らしてみると、つい自分のことで精一杯になってしまう私にとって、それがどんなに難しくことで、ありがたいことか、今になってとても実感しています。
 
おじいちゃんにまつわる思いで話は、尽きません。
わたしたち孫は、それぞれにおじいちゃんの思い出をもっていると思います。優しいおじいちゃん、おばあちゃんの愛情を一心に受けて、わたしたちはここまで大きくなりました。本当にありがとうございます。
 
大動脈瘤の大手術から今までの10年間は、私たち家族やおじいさんにとって毎日が宝物のようなものでした。
一番うえの孫娘でもある、あっちゃんに子供が出来、ゆうき・ふみやというひまごに会えたことは、おじいさん、おばあさんとって嬉しい出来事だったと思います。ひまごに会いに、一ヶ月ほど、あっちゃんの家で過ごしていたこともあります。おじいちゃんは、最後まで自分のことは自分でして、穏やかに、体調を気遣いながら、自分の時間を過ごしていました。私たち孫が帰省する日に、カレンダーにマルをつけて楽しみにまってくれていましたね。