学人の第一の用心とは

示して云く、学人の第一の用心は先ず我見を離るべし。我見を離るヽと云ふは
此の身を執すべからず。設(たと)ひ古人の語話を究め常坐鉄石の如くなりとも、

此の身に着して離れずんば、万劫千生にも仏祖の道を得べからず。

仏道を極める最初の関門はとにかく我見に執着するな。そんな教えです。
我見とはおれがおれがという利己的になりがちな自分本位の考えに囚われてはならない。

それができないとどんなに教養や見識を深めたところで修行の一番大事な点を見失って
しまう。そして、歴代の仏祖とあがめられる禅僧は皆これを体得しておられるわけです。

つきつめてみれば、己という自分はいったい何なのか。両親の縁を借りてこの世に出現した
この自分ではあるが、寿命という現世の縁が尽きてしまえば「山野に離散して終に泥土となる。
何を持ってか身と執せん。」

ああ何という厳しい断言でしょうか。軟弱なわたしにはとてもできない相談ですが、しかし
こうした文章をあじわうと真剣に自分の人生の在り方を考えさせられますね。