発心というと菩提心を起すということで、禅門ではやかましく叩き込まれる
ことである。昔から”発心正からざれば空しく万行を施す”などといわれる。
釈大眉老師は臨済宗の釈宗演老師の下で14歳のとき師匠の住職地の
熱海医王寺で出家された。大眉老師のお師匠と宗演老師とは今北洪川老師
会下で同参だった縁による。あの世界的な禅思想家のDTSuzuki(鈴木
大拙居士)は釈宗演老師に参禅しており、その師に導かれてシカゴで
開かれた万国宗教大会に随侍した。大拙居士はこの縁により在米生活を
始めたわけ。大眉老師は明治15年生まれだけれども大拙居士から直接
英語をならったことになる。その大眉老師が16歳のときに述べた文章が
「閑雲忙水」(釈大眉著)に掲載されているので紹介したい。
「志を立てて瑞鹿山に入るの記」
予大いに期する所あり。錫を相州鎌倉瑞鹿山に留めて辛修苦行
百難を甘んじ広く教法を学び深く宗旨を探りて其の蘊奥を窮盡
し然して後一切衆生を善化利益し我が仏道をして益々隆盛に趣か
しめんと欲す。斯れ予の鹿山に登る所以なり。唯冀ふ所は一切の世縁
を放下して真の僧寶と成らんことを。
漢詩の勉強もしていたのでそのころから七言絶句を作りはじめていたという。
昔の禅僧の教養のほどが知れる。まことに遺憾ながら現在の禅宗僧侶で
七言絶句を作るだけの
素養を持っているのは少数に過ぎない。時代との格差を感ずるのは
小生だけだろうか。それにしてもすばらしい志ではある。瑞鹿山とは円覚寺のこと。
この文章をみたときの釈宗演老師の喜びようはとても大きかったに違いない。
この師匠ありてこの弟子あり。すばらしい出会いがあって大眉老師も大成
したんですね。