芙蓉山の楷祖

「芙蓉山の楷祖、もはら行持見成の本源なり・・・」と始まる祇園正儀ですが、厳しい修道生活を

一貫された歴代の祖師たちの行持(ぎょうじ)を紹介しているのが『正法眼蔵行持巻』です。

投子義青禅師の法嗣(はっす)である芙蓉道楷禅師は国王から禅師号と紫袍を贈られたので
したがそれを拒否してしまい、罪を得てしまいました。

そのご、罪を許されたのでしたが道場での食事は「日食粥一杯」というきびしいものでした。
禅師の徳を慕って修行僧が数百名にもなってもそれは変わらなかったため、多くの在家

出家はそれに耐えることができず、禅師の元を去ったといいます。これを「米湯の法味」

といいます。その禅師の教えは「それ出家は塵労を厭はんが為なり。生死を脱せんことを

求め、休心息念し、攀縁を断絶す。故に出家と名づく。」というものでした。

「聞くがよい、出家するのは、俗縁を厭うが為である。生死を脱する境域を求め、心を休め、

俗縁のしがらみを断つのである。故に出家と名付けるのである。」(現代語訳石井恭二訳)

現代に生きる禅宗の我々僧侶はこの一言にただただ慙愧するのみであります。出家したの

はお檀家の年回法事と葬儀をするため。そのように納得している宗侶がほとんどでしょう。
いまから800年900年前の禅師様には想像もできないほどに変容してしまった禅宗の

現実をみたらビックリ仰天してしまうことでしょう。世俗生活にどっぷりつかっているこの現実
ではあっても、せめて今月の接心には坐禅に集中して在りし日の厳しくて枯淡な禅林生活を

偲びたいものです。