梅花流全国大会の様子を見度溶けて、一行5名は熱海まで直行。そこでまつ知人宅を訪問、市内を
散歩しながら熱海の歴史をしることとなりました。知人の近くには間欠泉がありました。世界三大間欠泉
として有名だそうですが、現在は自噴はしないので機械を設置しての噴水装置により噴水をみることが
できるようになっていました。運よくいきおいのある噴水を見ることができてラッキ-でした。
そのすぐわきには幕末のイギリス全権公使であったオ-ルコックの碑がありました。富士登山を無事
終えたオ-ルコックの愛犬がこの間欠泉の熱を浴びてしまい、大やけどをして死んでしまったのでした。
その葬式を土地の有志が丁寧に執り行った様子をみて、オ氏は大感激し、そこに愛犬の碑をたてた。
そういうわけです。そこで思い出すのはこのオ氏とわが磐城平藩主安藤信正公の関係です。
幕府の大老井伊直助が桜田門外で斬殺された後、幕府の閣老となった安藤公もまた水戸浪士
のテロにより坂下門で負傷したものの一命だけは残すことができて、傷を負ったまま諸外国との
外交折衝をつづけました。そのときに会見した英国公使がオ-ルコックでした。
そんなことを間欠泉の説明を熱心にされた知人の話をききながら思い出したことです。
当時の政治状況を丁寧に説明した記事を見つけたので、紹介しておきますね。