坐禅工夫とは?

仏道修行に大事なことは二点ある。一つには参師問法であり、二つには工夫坐禅である。

参師問法とはその道の先達である正師について、その教えを実行することである。
工夫するとは「仏道を明らめることの用心」である。

それでは、その道とはどんなことをいうのか。そういう質問に瑩山禅師はこう答えている。

 我らが心の立て処是れ道なり。看よ々別に求むべき所なし。故に達磨の曰。

 直指人心見性成仏と云へり。自心の外に乗る船もなし、波を離れて水なし、焔を離れて

 煙なし。姿を離れて影なし、影を離れて姿なし、影と姿と一法也、互いに相離れず。

 己が心を看よ、別に佛なし。

白隠禅師坐禅和讃には「衆生本来佛なり、水と氷のごとくにて 水を離れて氷なく

衆生のほかに佛なし・・・」

生死事大 無常迅速 とはよくいったものです。今年もはや六か月が経過してしまいました。

「時光のはなはだ速やかなるを恐怖(くkふ)す」と述べられた開祖道元禅師の聖言が身に沁み

ます。