哲学者西晋一郎

我国で哲学界の有名人といえば、京都学派の総帥西田幾多郎をまず思い出す。論理学の最高峰として

西田はあまりにも有名な哲学者である。それに対するのは西晋一郎(明治6年~昭和18年)である。
当時この両者は我が国を代表する哲学者として哲学青年のあこがれの的だった。西田は京都、西は

広島にその拠点をおいていた。西田には『西田幾多郎全集』があるけれども西には著作は多いけれども

全集はない。そのためか、世間に広く知られている学者とはいえない。しかし全集が編まれていないからと
いってその業績が色あせるわけではないとおもう。哲学者としての西は倫理学の分野で顕著な活躍

をし、人格はすこぶる高潔で夙に学生に慕われた偉大な先生であった。この東西の両学者の薫陶を受けたのが
森信三(明治29 年~平成4年)である。
 

日本教育界の実践思想家森信三先生とは

我が国哲学界最高の薫陶をうけた森信三による西晋一郎先生への敬仰の念は次の言葉によって伺うことができる。

私が生をこの世に享けてよりこの方、直接まのあたり接しえた日本人のうち、おそらく「最高にして最新なる人格」
ではないかと思う。同時に亦、今後のわたくしの残生においても、おそらくは廻り逢うことのできない無比の「深遠
なる人格」だと思う。少なくともあのような生の存在形態を日本人の中に見い出すことは、おそらくは今後絶対に
不可能と云ってよいであろう。

現在多くの著述を残した西晋一郎の著作を広く世間に知らしめるのに尽力されたのは恩師である木南卓一先生で、西

先生を知り、その名著に接することができた幸せを思う。西先生の主著『忠孝論』『実践倫理哲学』などによると
「私は本邦固有の教訓を尊信するが、・・・私自身の思索の路を辿って図らず我が尊信する教訓に思惟界に於いて
逢着するのである。」
(忠孝論序説昭和6年岩波書店刊)

戦後70年といわれる今日の我が国において、西晋一郎先生による数々の有益な著作はもっと広く知られるべき
であろう。大東亜戦争後には顧みられなくなったと思われる西先生の著述の再評価が待たれる。