「透明な歳月の光」(曽野綾子)

今朝の産経オピニオンコラムには改めて感慨深いものがありました。本当にそうですね。題して『「命がある」こと
自体への感謝。』曽野女史は16歳の時、大仏次郎の新聞小説『帰郷』を毎朝心を躍らせて読みふけった作品だと
いう。

今の日本の若者たちの中には、今日命があることを感謝する謙虚さもない。動物のように雨の中で濡れずに蒲団に
寝られることを幸福と感じる能力もない。生涯の使い方に関する基本的な喜びもない。

なによりも貧しくなったのは、大人のくせに、ものごとの結果を最低二面以上の相反する複雑な視点から見る能力も
衰え、教育もその訓練をしないことである。

女史がこの『帰郷』から抜粋した文章を紹介します。

「今でも夜、寝ようとして床の上に転がって電燈を消すと、現在の幸福だけ算えて、ひとりで楽しくなって来るんです。自分は
内地に帰って来ているぞ。蒲団の上で寝ているんだぞ。この家には屋根があるから雨が降っても起きる心配ないぞ」

ああ、今の宗門僧侶の多くは住職資格をとってしまえば、修行道場のように毎朝坐禅をすることもなく、人前で年回供養や葬儀の
手伝いをするだけの渡世僧侶に成り下がってしまっている。まことにあさましい現実です。このコラムを蹴飛ばすくらいの
気力溢れる道心家が巷に多く出現してほしいものです。