髙木提督51歳の時の海軍予備学生への訓示がある。提督自決の二年前の事であるが、非常に示唆的
な訓示なので、以下紹介したい。
昭和17年(1942)11月27日、講演場所は台湾の東港である。そこでたびたび訓示された由。時に高木
提督は馬公警備府司令長官 高木中将で訓示を聴いた予備学生はおよそ500余名。
死について
武士道とは死ぬことなり。故に死を前提にして万事考うべし。生死を超越できたら上々だが、飛行機を授けられたら
これは自分の棺である、艦船乗組になったらその艦をば自分の墓所だと思え。
部下を持ったらこの部下を引率して一緒に死ぬのだ、へまな死に方はさせないぞと覚悟すべきである。
申す迄もなく部下は天子様の臣であり、それを天子様からお預かりしているのであるから慎重に考えねばならぬ。
部下が天子様の御為に死ぬ。その道案内が自分であると考えよ。分隊長についてこい。最良の死所を与ええて
やるぞ。この為に部下の最良の死所をみつけてやる見識を自ら修練しなけりゃならん。
一方、部下がついてくることが出来るよう、部下を鍛錬することを怠ってはならぬ。部下を鍛錬するに仮借は
無用である。平素でも部下を愛するのに愚母の愛とでもいうか、甘やかす一方の盲愛に陥る危険があるが
戦場に立ってこの部下と一緒に死ぬのだとはっきり感ずれば、なおさら盲愛に陥り易いのである。
・・・「明日も亦知られぬ露の命にて、千載照らす月をみるかな」の歌もある。・・・決して情に負けて部下を
甘やかしてはならぬ。もしそれ人気取りの意図を以て部下に甘いものありとせば、それは到底、死出の旅路
の先達はつとまらぬ男だ。また、上官の前で部下を叱って見せて、自分の努力ぶりを上官に認めてもらおう
なんて根性の男に至っては下の下である。部下に最善の死所を与えるのが上官のつとめであることを銘記せよ。
こうした講話を聴いた予備学生の一人に作家の阿川弘之がいた。