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医王寺住職ブログ

感動‼『海道東征』

『海ゆかば』は君が代につぐ第二の君が代といわれるほどの名曲で大東亜戦争中には毎日のように
 ラジオから流れていたそうです。作曲したのは信時潔です。『海道東征』も彼の作品です。

この曲は紀元2600年、つまり昭和15年に奉祝演奏会で初演奏されましたが、その三年後の昭和
18年11月15日共立講堂における出陣学徒演奏会が最後となりました。

作詞者は北原白秋です。CDを求めてから何度も繰り返し聴いています。内容は我が国の天地開闢
から始まり神武天皇が九州から東征して大和で即位するまでを交声曲(カンタ-タ)として
しあげたものです。白秋の詩が素晴らしいです。

 

『海道東征』を聴こう

青磁の魅力

大阪市立東洋陶磁美術館では北宋青磁の特別展を開催中です。今月26日まで。今月は大阪に出かける月

なのでそこを訪ねることにしました。知人からの情報がなかったなら得難いチャンスを逃がすところでした。
台北国立故宮博物院の秘宝汝窯青磁水仙盆です。
青磁でも高級なものは官窯とされ、庶民には無縁の皇帝の為の高級ぜいたく品でした。青磁の最高級品は特に
秘色青磁(ひそくせいじ)と言われています。

「秘色の秘は禁秘の秘である。・・・」と露伴先生の名随筆『秘色青磁』にあるとおりですね。ひさしぶりで
書庫から『故宮博物院全15巻』を取り出して改めて青磁のことを勉強したことでした。

汝窯青磁はなかでも特に品位が高くあの名状し難い青みがかった美しさはさすがに絶品にふさわしいものでした。

乾隆帝の有り余るほどの壮大な量のコレクションでも特に愛玩されていた水仙盆のようです。
素晴らしい作品を国内でみることができましたし、『秘色青磁』(幸田露伴著昭和18年作)を
再読して読書まで楽しむことができました。わが国で秘色の文字は源氏物語やうつぼ物語に出ている、との
露伴の指摘はさすが文豪による該博な知識を証拠だてるものでしょう。

大阪市私立東洋美術館

「人の言」から

露伴翁の書き物を読むと、学ぶところが実に多いです。今回は明治36年に書かれた『人の言』からの
抜粋です。

 ある年老い徳すぐれたる僧に若き女の、如何様に心を持ち身を行はば、夫には良き妻となり、
 舅姑には良き嫁となり、後の世には佛となり得るにや敎へさせたまへ、と尋ねければ、僧打
 笑ひて、まこと殊勝の御尋なれば、秘中の秘にはあれど包まず御敎え申すべし、と云ひて、

 扨女の面を睨み付け聲を勵(はげ)しくして、その問をよく忘れずに日に三度づつ自分で
 問はっしゃい、と女が三日四日は耳も聾(しひ)るほど、雷の如くに呵(しか)りけるとぞ。

さすが名僧の一言ですね。千金の重みがあります。この教えを授けたのはきっと名のある
禅匠にちがいないでしょうね。deliciousdelicious

学生ボランティアが来た❢

日曜日の午後1時30分過ぎに学生ボランティアの皆さん13名ほどがお寺にみえました。
お寺が奉仕で提供することになっている薪を運び出すのが目的。なかでも女性が9名と
おおかったです。

すでに冬の暖房用にと伐採しておいたスト-ブ用の薪を岩手県岩泉の過程に届ける。
そんなプロジェクトと伺いました。

NPOに登録している学生さんたちによる奉仕作業は順調にはかどり、待機していた
4トントラックとべつのトラックにも薪が満載されました。前回は若いお寺の
住職たちが同じ作業をしてくれましたが、今回は若人が中心の奉仕作業となったのです。

たまになった大木は専用の巻き割り機をつかい、つぎつぎにわっていきます。すでに
山盛りになって割られている薪はトラックまで、バケツリレ-式で女性の手渡しにより
運び込まれました。作業は暗くなってきた午後6時半までかかりました。

人数が確保できると作業も大いに捗るもんですね。薪を失った岩泉のご家庭に役立てて
もらえるのにお寺の薪が活用されて、空の薪スト-ブに灯りがつくのを嬉しく思いました。

学生ボランティアの皆さん! ご奉仕ご苦労様でした。

岩泉町の土砂災害状況

東日本大震災から六年・・・

あの日は金曜日でお寺の和室ではお家流茶道宗家安藤綾信様が出稽古をしてくれる
月例会の日。無事、お稽古が終わり宗家を玄関口でお見送りしたことでした。

その後、3時の予定で来山していた3名と客殿で仕事の話をいているその時に突然
部屋が揺れだしたのです。いつもの地震だろうからとたかをくくっていたら案に相違して
おさまりつかなくなって初めて大地震の凄さにビックリしたのでした。

その後の大地震の報道はご承知の通りでした。あれから六年経過したんですね。この間
年老いた家内の両親は次々と他界し副住職には男の子が授かりました。その子も今月三才とな
りました。

あってはならないと観念していてはみたものの天変地異の恐ろしさはいまでも脳裏に
深く刻み込まれております。

被災地での未曽有のご苦労様を経験されている方々の復興へ向けての努力が報われる
ことを改めて念ずる次第です。

典座は副住職が・・・

四日土曜日は初釜でした。茶事をしたのですが、本格的なというほどではないにしても、露地での手の清め方などの
基本的な作法をして茶室に入ることや床飾りの拝見などの基本的な茶室の作法を復習してもらいました。

全員で11名にもなりましょうか。普段通りの薄茶の手前を二名でしてもらいました。男性と女性と。
みなさん和服姿で、男性もはかま姿のいでたちでしたので、華やかさが出ていました。男女の正装をまじかにして
その場がちょっとした緊張感があり、厳粛なひとときを共有したことです。

楽しみの食事はうちの副住職が一人で頑張ってくれました。たいへん好評でした。数日前に試作品を賞味しての
料理には参加者の皆さんから期待以上のおいしさを褒められました。

本人は料理などをするのが苦にならないようでした。昨年はお弁当屋さんに依頼しての食事でしたので、今年は
趣向を変えたわけですが、よかったです。

典座(てんぞ)は禅道場での料理長のこと。お天候もよく、楽しい一日でした。

本多忠籌公と石門心学

江戸時代中期の寛政の改革で活躍した老中磐城泉藩主本田忠籌公のことについては当いわき地区でも
ご存知の方はすくないのではないでしょうか。

泉藩は石高15000石に過ぎない弱小藩でした。そうしたなかから幕閣にとりたてられて老中にまで
昇進した大名もめずらしいですね。

寛政の改革は享保の改革それに天保の改革とともに江戸時代の三大改革と言われております。
特にその当時民衆に熱烈に支持されていた石門心学に深く傾倒し、その教えを広めたことで
知られています。殿一人にとどまらずその家族や領民にまで浸透させたことで、東北でも有力な
心学の聖地としたことは私たちいわき市民の誇りといえますね。

梅岩の創唱した心学は主として京阪地区中心に広まっていたのでしたが、中沢道二によって
江戸城下の大名のみならず一般庶民にまで広く受け入れられたにには、本多公のような
強力な外護者があったからでしょう。

石門については、これからも述べたいことがあるのですが、今回はそのさわりだけに留めたいと
思います。

月例の木鶏クラブです

木鶏クラブの会合日です。再開しての本格的会合です。テキストは二月号です。参加者の皆さんの読後感
などを聞けるのを楽しみにしています。石田梅岩の提唱した石門心学について、少しお話しできると考えています。
 

寛政の改革で活躍した泉藩主本多忠籌と心学の関係などについての興味ある話題を提供できればと思います。

たかだか15000石ほどの地方の小大名にすぎない本多公が幕閣に登用されたその訳は・・・。いわき市民も
知っておいていいことですね。

戒は是れ・・・

今日は釈尊のお涅槃の日。先月より客殿の広間に大幅の釈尊涅槃図をかけて、その前で
遺教経を読誦しています。昼前にはには本堂にて涅槃会の読経をすませ、報恩感謝の
儀式をすませました。

このお経にはいろいろと大切な教えが書かれていますが、その一節を紹介してみようと
思います。

 汝等比丘、我が滅後に於て、当に波羅堤木叉を、尊重し珍敬すべし。闇に明に遇い、
 貧人の宝を得るが如し。当に知るべし此は即ち是れ汝等が大師なり。・・・
 戒は是れ正順解脱の本なり。故に波羅堤木叉と名く。・・・戒は第一安穏功徳の
 所住所たることを。

釈尊がご遺言で最初に弟子たちに言い残したことは「戒律をよく守りなさい」と
いうことでした。戒は自ら進んで悪い行為をせず、積極的にいい行為をしなさい、
ということですから、日常生活の基本的な規律や習慣をしっかり守ることが重要であると

教えられたわけです。生活習慣を磨く行為の積み重ねが大事である。そうした
行為をすることがわれわれ自身のお師匠なのだ。と、断言されています。何事をするにも
平素の生活習慣が基礎であり、土台になっているのを考えるとき、釈尊のこのみ教えの
重要性を感じさせられます。真っ暗闇でささやかでもいいから灯りがほしい。この煩悩や
不安に満ちた暗がりから脱出したい。そんな思いを抱いたときに、救いとなる一筋の
灯りが戒なのだ。そんな例えをだして、戒を守ることの大切さが説かれていますね。

佛遺教経が今日まで各宗に連綿と伝えられてきたのもうなづけられます。
 

詩画禅一如の世界

國清寺は玉青館のすぐそばにある黄檗宗寺院です。玉画伯が再興した禅宗のお寺
という事なので拝登し、ご住持に会ってお話を伺いました。

それまで廃寺同然だったのを、出家して禅宗僧青侶でもあった玉青画伯が住職となり
立派にしたということでした。我が国南画界の第一人者として活躍していた画伯
の渾身の努力によって見事な伽藍が完成しました。

現在の御住持はお弟子の濱端青橋師という画伯でした。あの阪神淡路大震災で
本堂などはその当時の立派さはうしなわれてしまいましたが、堂内のいたるところに
玉青画伯の手になる水墨画は見ごたえがありました。天井絵も見事です。

境内には画伯の愛した牡丹が栽培されていました。五月ごろには牡丹祭りも
あるようでした。ご住持とのお話もはずみ、良き出会いとなりました。

國清禅寺

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